2006.11
日本音楽集団第185回定期演奏会 和楽劇「呑気布袋・ドンキホーテ」
公演当日...。開演前の会場には和服姿の方も多く、まだ誰も試みていない作品に期待を寄せるいつもとはひと味違った心地よい賑やかさを感じた。また、客席に入るといつものコンサートのステージとは様子が違い、舞台後ろには黒幕とスライドがあり、真ん中には小さなステージと舞台小道具。それを囲むように和楽器が並べられ、華やかで美しいステージがセットされていた。視覚からもこれから始まる舞台にワクワクする気持ちが膨らむ。
今回の作品は、呑気な山の住職「呑気布袋」役に狂言師の善竹十郎、呑気の旅のお供をする「山椒半左」役にテノール歌手の森一夫、そして美しい姫「華の精」役は元宝塚スターの上原まり、といった豪華なメンバーが出演し、それぞれの個性でストーリーを盛り上げていった。全く違った世界で活躍する3人。声の質、動き、得意とするジャンルも違う3人がどのように混ざり合うかに興味があったが、これが絶妙なバランスで折り合い、3人の違いが逆にうまく生かされる舞台が創られているように思った。さすが、舞台に生きるプロの力だろう。また、合唱で出演の東芝フィルハーモニー合唱団の活躍が、この舞台を更に盛り上げる大きなポイントになっていた。
約80名のメンバーによる歌声は、会場全体まで澄み渡り、「呑気布袋」の世界へと誘ってくれた。また、合唱の歌詞がうまく物語を進める役割となり、スムーズにストーリー展開をしていたように思う。さらに舞台では、この人数の動きをうまく工夫し、演出効果に有効に取り入れられて、とても楽しめた。
もちろん、日本音楽集団の音楽があった上で成り立つ舞台。秋祭りのお囃子のようなメロディーや、体を動かしたくなるような太鼓のリズム、どこかで聴き馴染みのある華やかで明るい曲が、全体を通して多かったように思う。音楽集団のメンバーも芝居に参加する場面等もあり、楽しい雰囲気をつくっていた。面白い仕掛けや客席からの笑い、芝居や音楽での見せどころもあり、終始楽しいステージにお客様も大満足の様子だった。
お話、演出、音楽とすべてがオリジナル。すべてが初の試みという事で裏も表も大変な努力があったように思われるが、ステージは、楽しさで満ちていたのがよく伝わってきた。新しい事に挑戦するエネルギーが良い形で本番に繋がり、舞台で表現されていたような気がした。
音楽と個性豊かな出演者の台詞のバランスも難しかったかと思う。欲を言うならば、「山椒半左」の歌声をもう少し聴いてみたかった。
「呑気布袋」。タイトル通り、最初から最後まで愉快なステージを楽しむ事が出来た。初演、大成功だと思う。次の作品に期待し、待ち望んで帰るお客さんがきっと多かったはずだろう。(私を含め...)
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈TAN's Amici Concert〉
日本音楽集団第185回定期演奏会 和楽劇「呑気布袋・ドンキホーテ」
日時: 2006年11月18日(土)18:00開演
出演者:善竹十郎(狂言/呑気布袋)、上原まり(琵琶唄/華の精)、森一夫(テノール/
山椒半左)、東芝フィルハーモニー合唱団(合唱)、
田村拓男(指揮)、日本音楽集団(演奏)
演奏曲:
ミゲル・デ・セルバンテス(原作)、荘奈美(脚本・演出)、西川浩平(企画・構成)
和楽劇 呑気布袋(作曲:秋岸寛久、川崎絵都夫、福嶋頼秀)
第一生命ホール 5周年の記念日コンサート
さて『五周年の誕生日コンサート』は、プレアデス・ストリング・クァルテットとクァルテット・エクセルシオに依るメンデルスゾーンの弦楽オクテットで幕を上げた。この両楽団は始めての共演と云う事らしいが、その様な素振は微塵も無く、逆にそれがほどよい緊張感を生んでいる。特に素晴らしかったのは、ピアノからフォルテというダイナミクスに、目に見える計の減り張りを付けていた所だ。この「演出」が、彼の天才が十代に書き上げたと云う当曲が持つ若若しさを充分引き出した丈でなく、今日という喜ばしい堂内に祝祭的な華やかさを添えているかの様だった。
休憩を挟み、今宵の真打、長岡純子さんを迎え、プレアデス・ストリング・クァルテットとのシューマンのピアノ・クインテットが演奏された。長岡さんのピアノは楷書的な折り目の正しさの中に、人間的な暖かさが滲んでいる。共演しているプレアデスSQのみならず、聴いている私達をも長岡さんの音楽へ迎え入れて呉れる様な慈愛に溢れている。心静かにその音色に身を委ねていると、遠い日に感じた母の温もりを思い出す......。最後の和音が奏されると、ホール内は何とも言えない一体感に満ちていた。
終演後、ロビーに出てきた老夫妻が「こんなに優しい気持ちになれたは久しぶりね」と語り合っている姿が美しく映った。
吉例に倣い某氏と数人で赤提灯へ入り、五周年御目出とうと杯を挙げた。そして何となく気になり鞄の中の『新明解国語辞典』(山田忠雄(主幹)、第六版、2005、三省堂)を引いてみた。
あい【愛】 個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情。
そう、これこそ今日のコンサートそのものではないか。長岡純子さん、プレアデス・ストリング・クァルテットとクァルテット・エクセルシオ。更にこのコンサートを蔭、日向なく支えたサポーター諸氏、或いはTAN、またホールの職員各位、そして聴衆。その全てがこの「人間本来の暖かな心情」で結ばれていたのだ、と、心からそう思った。
愛すべき人と愛すべき音楽に育まれる、愛すべき第一生命ホール。本当によかったね、これからももっと大きくなるんだよ。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈特別コンサート〉
5周年の記念日コンサート
日時: 2006年11月15日(水)19:15開演
出演者:長岡純子(ピアノ)
プレアデス・ストリング・クァルテット(弦楽四重奏)
クァルテット・エクセルシオ(弦楽四重奏)
演奏曲:
メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調作品20
シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調作品44
第一生命ホール 5周年の記念日コンサート
TANが2001年の活動以来つくってきた舞台に幾度も接してきた。その前年にこの町に移り住み,建設途上のトリトンスクウェアを眺めていた。高いタワービルに囲まれたこの丸い建物は,いったい何なんだろうかと。
それがホールであることを知ったのは,幸いなことにオープニング事業に関わることができたからである。それからTANとのおつきあいが始まった。しかし,まだクラシック音楽にはなじめなかった。
一変したのは,ある舞台からだった。ここに2001年6月20日「試聴会」のプログラムがある。この時,松原勝也さんと若いアーティストによるクァルテットが弾いたのが,バルトーク「ルーマニア民族舞曲」だった。自由奔放にヴァイオリンを鳴らす松原さん。すっかり魅了された。「クラシック音楽とは,こんなに自由でダイナミックなものなのか!」
この日以後,クラシック音楽を聴くことが愉しくなっていった。ふだんの生活の彩りが一つ増えた。CDも少しずつ買いそろえていった。その中の1枚が,シューマン「ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44」。
* * *
本日の第2部が,幸いなことに,このシューマンの曲だった。ひょんなきっかけでTANとかかわり,クラシック音楽に傾倒していき,それから5周年。ステージで今聴きたい曲は何かと聴かれたら,迷わずこれだと答えたであろう中の一曲。それが記念の日のプログラムと重なり合った。なんとも嬉しい偶然の一致である。
ピアノに向かうは,日比谷の旧ホールにも立ち,この晴海での新ホール・オープニングの舞台をも飾った長岡純子さん。競演するは,松原・鈴木・川崎・山崎氏によるプレアデス・クァルテットだ。
第1楽章アレグロ・ブリランテの第一声はキッパリとしたフレッシュな音。新鮮な野菜を口に運んでいるかのような快さ。第2楽章イン・モード・ドゥナ・マルチア、ウン・ポーコ・ラメルガンテは主部の戻る際の響きが清楚であり、第3楽章スケルツォ、モルト・ヴィヴァーチェはコクのある激しさ。そして第4楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポで至福の高まりに達する。
* * *
1階席は8割ほどの聴衆で埋まり,これだけ多くの人によって記念の日を祝福されたことを,喜ばしく思う。ステージによって観客の入りに変動はもちろんあったことだろう。しかし,5年間,アーティストのサウンド,客の拍手とヴラボーの声に刻まれ,TANとこのホールは育ってきた。その逆に,TANとこのホールも人を育ててきた。そう,一人のヴァイオリニストの音をきっかけにクラシック音楽にひきずりこまれた私のような者を。
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第一生命ホール5周年記念コンサート
〈特別コンサート〉
5周年の記念日コンサート
日時: 2006年11月15日(水)19:15開演
出演者:長岡純子(ピアノ)
プレアデス・ストリング・クァルテット(弦楽四重奏)
クァルテット・エクセルシオ(弦楽四重奏)
演奏曲:
メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調作品20
シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調作品44
第一生命ホール 5周年の記念日コンサート
前半はプレアデスとエクセルシオの2クァルテットの合同演奏によるメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲が演奏されました。
冒頭奏者の珍しい配置にまず驚きました。湧き上がるような第1主題のヴァイオリンとチェロにそれの間を泳ぐような他パートの活発なアンサンブルが繰り広げられ、ピチカートと流すようなコントラストが変ホ→ト→変ホと展開されていきました。リピート2度目のヴァイオリンはすっかり彼らの世界に入っていましたが、部分部分でモーツァルトの2台ピアノの協奏曲を思わせ、展開部から再現部に向けての盛り上がりはメンデルスゾーンらしい半音刻みのクレッシェンドの盛り上がりを見せていて、ちょうど彼のピアノソナタ第1番を思い起こさせました。第2楽章アンダンテではハ短調の憂うような3連符風伴奏に乗って第1ヴァイオリンのソロ旋律部分が特に印象的でした。途中チェロも加わり長調でメロディ展開していく部分は回想部分を思わせるような演奏でした。第3楽章アレグロは全体的に軽やかな曲想で、ト長調に転調して更に舞うようなアンサンブルでした。
アタッカ気味に入った第4楽章プレストでは2グループのかけ合いが活発で、ピアノソナタ第1番のフィナーレを思わせました。全体的に華やかなフィナーレで、第1ヴァイオリンのカデンツァ風パッセージも聴き入りました。
後半ではピアノに長岡純子さんを迎えてシューマンのピアノ五重奏曲が演奏されました。長岡さんはオープニングコンサートでベートーヴェンのピアノ協奏曲を聴いたのですが、躍動感溢れるタッチと歌い回しで、生まれ立てのホールに瑞々しさを注ぎ込んでいました。5年の年月を経て再び弾かれたピアノは一層躍動に満ちて、響きが熟してきたホールを祝福するかのように優しくかつ朗々と響き渡りました。第1楽章アレグロではカーンとした響きと後拍を意識したアンサンブルが聴き手を引き込みましたし、再現部でのチェロとの絡み合いも見事でした。第2楽章での緩やかな葬送行進曲風は重々しさを保ちながらも沈み過ぎないバランスを保っていました。途中最初のトリオではややためらいがちに長調で回想場面を思わせるような歌い口でしたし、続く別のトリオでもド音から下がって特徴のあるリズムを刻みながら進み、第1ヴァイオリンの歯切れ良さはあたかもショパンのピアノ協奏曲第2番中間楽章を思わせ、ビオラの主旋律とピアノが受けていくところも聴きどころでした。更に第1ヴァイオリンのメロディアスな場面はシューマンのピアノ協奏曲中間楽章を思わせました。続く第3楽章スケルツォは急速な上下音スケールでややもすると無味乾燥な練習曲に聴こえかねないのに、長岡さんのカーンとした打鍵と弦との小気味良いかけ合いでグイグイ引き込まれていき、アンコールで再度奏された時も興奮が収まりませんでした(笑)。第4楽章アレグロではピアノと弦との対話が特徴的で、独特のタタターンというリズムに乗って展開していくコーダ部分でも力強いピアノのフーガと弦パートが右から左へと旋律リレーしていく部分で視覚的にも楽しめました。
本番後のささやかなレセプションでも話題に出たのですが、第一生命ホールはお客様・演奏家・スタッフ、そしてサポーターに支えられてこの5年を迎えられたとの話。私達ブランティアスタッフがサポーターと呼ばれるのも、"支える"という面に焦点を当てているからなのでしょう。それぞれ担う役割はさまざまですが、皆何らかの形で一つの演奏会、一つの事業を成すべく取り組んでいるという事を改めて思った次第です。1サポーターとしての原点に還った夜でした。
―また、新たな5年、10年に向かって―
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈特別コンサート〉
5周年の記念日コンサート
日時: 2006年11月15日(水)19:15開演
出演者:長岡純子(ピアノ)
プレアデス・ストリング・クァルテット(弦楽四重奏)
クァルテット・エクセルシオ(弦楽四重奏)
演奏曲:
メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調作品20
シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調作品44
日本音楽集団第185回定期演奏会 和楽劇「呑気布袋・ドンキホーテ」
今まで拝見していた演奏会の予告(チラシ)は器楽中心のものだったが、今回は舞台作品、しかもかのセルバンテスの「ドン・キホーテ」を大胆に翻案したものという。期待感を持って第一生命ホールへ向かった。
開演直前のお客様はかなりの入り。そういえば「好評に付き」18:00にもう一公演行われるとのこと。思ってみるとここで舞台作品を体験するのは確か初めてのような気がする。舞台袖への扉は開け放たれ、そこから舞台中央への「橋掛かり」のようにも見え、後方には「揚幕」もある。舞台上に設定された演ずるための「舞台」を中心に、前後左右を所狭しと日本音楽集団と東芝フィルハーモニー合唱団が陣取る。先ほどまで松が描かれた書割りと思っていたものに「序の段 門出」と映し出され、プロジェクターによって映し出されることが判った。これが後々重要な台詞や言葉を映し出すのにも使われ、単なる字幕ではない見事なものだと感心した次第。
原作でのドン・キホーテが「呑気布袋」、サンチョ・パンサが「山椒半左」と名前もさることながら、それぞれ狂言師の善竹十郎さんとテノールの森一夫さん、さらにドゥルネシア姫にあたる華の精に元宝塚で琵琶奏者として活躍されている上原まりさんと様々なジャンルの方々が配され、さらにはコロス的な役回りもする前述の東芝フィルハーモニー合唱団はアマチュアとは思えないほどの歌い振り&活躍振り。
有名な風車との対決は洗濯物のサラシ、ドゥルネシア姫と想う女性は華の精で遊女という設定で有名な場面を魅せてくれる。更に楽しませてくれたのは渡し舟の場面。渡し舟に乗る際に七福神を仕立て、その一人ひとりを演者、奏者、合唱から引き抜き、その神々の所以の解説のほか、ここから近しい墨田七福神の鎮座されているところを紹介しつつ、「小さな大川沿い散歩」といった粋な心遣いも面白い。しかも、合唱団から引き抜かれた大黒天は合唱団が、三味線奏者から引き抜かれた恵比寿神は三味線群がというようにそれぞれの紹介の段で伴奏を附け、楽器紹介にも成っているというアウトリーチ的配慮も盛り込まれたのは素敵な場面だった。
やがて呑気布袋は見えない怪物との闘いに力尽き倒れるが、魂はやがて還るという、賞味二時間ほどの「和楽劇」は幕となった。聞けば作曲された方は一人ではなく3人と伺い、全く違和感なく素晴らしい一体感のある舞台を楽しめたのは言うまでも無い。プログラムを見ると「初演」と書かれている。このような作品が何度も再演されるのを心待ちにして会場を後にした。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈TAN's Amici Concert〉
日本音楽集団第185回定期演奏会 和楽劇「呑気布袋・ドンキホーテ」
日時: 2006年11月18日(土)14:00開演
出演者:善竹十郎(狂言/呑気布袋)、上原まり(琵琶唄/華の精)、森一夫(テノール/
山椒半左)、東芝フィルハーモニー合唱団(合唱)、
田村拓男(指揮)、日本音楽集団(演奏)
演奏曲:
ミゲル・デ・セルバンテス(原作)、荘奈美(脚本・演出)、西川浩平(企画・構成)
和楽劇 呑気布袋(作曲:秋岸寛久、川崎絵都夫、福嶋頼秀)
古典四重奏団 ドヴォルザーク弦楽四重奏曲選集Ⅱ
前回迄は三度とも一階席であったが、今夜は始めて二階席に座った。段々見慣れて来た舞台を自席からふと見下ろすと、椅子丈が四つ、半円形に並んでいる。「そう云えば、何故このカルテットは暗譜で演奏するのだろうか」その様な、今更とも思える疑問が不意に去来してきた。
稀代の指揮者、S・チェリビダッケは生前「楽譜」に就いて次ぎの様に語った。「楽譜というものは基本的に演奏とは何の関係もない。なぜなら、演奏の現場で始めて何かが生成するのであって、たとえその曲をそれまでに三百回演奏したとしてもその点に変わりはないのだから。(中略)音楽を演奏する上で何より大切な課題は、すべてを忘れてしまうことなのだ。「この先どう音楽が進むかだって? 見当もつかないよ! どう進んでいくか、まあ見てようぜ」というのが正しい」(K・ヴァイラー著/相澤啓一訳『評伝チェリビダッケ』春秋社、1995年、pp、305-306)
またチェリビダッケは「楽譜とは、どちらに進めば音楽体験に至れるかの方向性を示してくれる単なるドキュメントに過ぎない」とも云っていた。きっと古典四重奏団はチェリビダッケと同じ事を考えたのではないかと思う。楽譜という「記録」から解放され、その都度生まれては消えていく音楽丈に身を委ねる。それを強靭に追求した結果、「暗譜」という手段に行き付いたのか......。
この潔くも、厳しい音楽への姿勢に襟を正し、舞台へ入場して来た四人に拍手を贈った。
先ず演奏されたのは第14番変イ長調である。
1楽章は異国から帰郷したドヴォルザークの喜びが溢れ、彼に「お帰りなさい」と言いたくなる程、暖かい空気がホールを包んでいる様だった。二楽章では彼のオペラ『ジャコバン党』の分部を転用している一方、三楽章ではワーグナーを彷彿とさせる和声進行が現れる。演奏によるこの部分の描き別けは見事で、老境に達しようとしているドボルザークがまるで「昔はよかった。今じゃどうだい」と物語っている様に感じてならなかった。終楽章は「でもね、やっぱり田舎がいいんだよ」とドボルザークが自宅の縁側から村の祭礼を眺めている......古典カルテットは、その様な情景をありありと感じさせて呉れた。
休憩を挟み、ドボルザーク最後の「絶対音楽」である第13番ト長調が演奏された。
このト長調は、快活な曲想に適するとされ、転じて『少年』のイメージを持つとされている。その様な調性に後押しされてか、私にはドボルザークの「少年時代への回帰」という印象を強く感じた。特に、三楽章に現れる「ホルン5度」の響きに、彼が幼い頃、友人達と日の暮れるのも知らず走り回った森への追慕の様で、又終楽章の明朗な主題や、湧き上がるようなリズムの応酬は老齢にしてドボルザークが沁沁として感じた「若さ」への憧憬があるように思えてならない。古典四重奏団演奏も、首尾一貫して音の響きに細心の注意を払いその様な雰囲気を醸し出していた。
この作品がドボルザークのエピローグだという余韻を漂わせ乍......。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈クァルテット・ウェンズデイ#51〉
古典四重奏団 ドヴォルザーク弦楽四重奏曲選集Ⅱ
日時: 2006年11月1日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真(Vn1)/花崎淳生(Vn2)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第13番ト長調作品106、第14番変イ長調作品105
古典四重奏団レクチャーコンサートplus#9
「ドヴォルザークの魅力」
古典四重奏団を聴くのは二回目である。その嚆矢は去る七月「ゆふいん音楽祭」でバッハの『フーガの技法』であった。この時も、チェロの田崎さんが演奏前に彼の大曲を聴くに当ってのレクチャーをされていた。勿論演奏も然る事ながら、その口跡は軽妙にして、然し説得力溢れる話術が、お喋りを職業とする私には頗る興味が有ったし、又その気さくな御人柄に親炙させて頂けるのを楽しみに、モニターを志願させて貰った。
四人の入場の後、間髪入れずドボルザークのスラブ舞曲第一集の第8番が演奏された。この曲は過去に私も練習したことがあるので馴染み深い。「ようこそ、古典四重奏団です」との田崎氏の開口一番は、噺家が出囃子にのって出てきたそれとそっくりである。四重奏団の面々を紹介の後、本題に入る。「このドボルザークという人は、生前から有名であり、それなりの地位もあった方です。ですから・・・女性やお金、貧困に喘いだ事実がないので、我々としては面白みがない」会場に笑いが起こる。それから専門家としての分析に入る訳だが、憎いほどお客の気持ちを掴む術に長けている。随所に散りばめられた「くすぐり」が聴衆を飽させることなく、寧ろ追い風となって益々その語り口を生き生きさせる。まるで全盛期の林家三平師が口演した『源平盛衰記』にさも似たり、といったら笑われるであろうか。
プログラムと、田崎さんの「高座」が進んで行く。田崎さんのお喋りという「お囃子」に乗った古典四重奏団の演奏するドボルジャークから聞えてくるチェコ特有のリズムが、石川啄木の詩を、まるで彼の生地、岩手渋民村の訛りで聞いているような気がしてきた。その時、はっと気付いた。これが国民楽派の持つ底力なのだと。
人は土地に生まれ、その土地に育まれる。その成長過程に於いてその産土独特の「気
質」が知らず知らすに身体の奥底に染み込んでいる。即ちそれは地方特有の民謡であったり、味覚であったりする訳だが、譬えその土地から離れようとも、その「気質」は不変であるし、時と共にそれは「郷愁」のへ変化するのは人情である。ドボルジャークにしてみれば祖国を離れ、遥か「新大陸」へと居を移したことにより、それが一層熟成され、名カルテット12番「アメリカ」と
いう曲に結びついたのだ、という事を、アメリカ土着の作曲家、S フォスターの美しい歌曲を引き合いに出し、音楽をも用いて口講指画と説得する古典四重奏団の「芸」には、正直脱帽であった。
終演後、田崎さんから「どうも、師匠。御無沙汰いたしました」と声を掛けられた時、私は顔が真っ赤になる思いがした。この人が私と畑を異にした「芸人」であることを心から神様に感謝したことは云う迄もない。
公演に関する情報
古典四重奏団レクチャーコンサートplus#9
「ドヴォルザークの魅力」
日時: 2006年10月7日(土)
場所: トリトンスクエアX棟5階会議室
出演者:古典四重奏団 特別出演:佐竹由美(ソプラノ)
The Gents ザ・ジェンツ Love Songs ~ ラブ・ソング
イギリス民謡集ではヴォーン・ウィリアムズ編曲による「リンデンの草原」や「きじばと」から始まり、グリークラブを思わせる強弱のメリハリや、r音の醸し出す素朴さと哀愁が魅力的でした。「彼女は縁日を通り抜けた」「マリー・マローン」ではたゆたうような哀愁やコーラス/ユニゾンを織り交ぜた歌唱、時に雅楽を思わせる高音パートのオブリガードが存分に披露されました。付点風のフレーズが印象的な「ロンドンデリー」は転調して指揮者自らがソロパートを歌いましたが、低音部メロディと高音部オブリガードとも相まって大人の歌唱を聴かせてくれました。ポップスを思わせるハミングや降り注ぐようなソロはメリハリを伴って展開し、後奏部分の和音がクレッシェンドしていくところは圧巻でした。
ヴェルレーヌのテクストに同郷オーステンによる「ジーグを踊ろう」は目の前で本当に踊っているかのような躍動感が感じられ、「白い月」「秋の歌」は静やかに思いを巡らせる様子が特にベースパートが中心となって歌っていました。「女と雌猫」はしゃなりしゃなりと歩くようで、ラストのたたみかけるような低音パートの積み重なりに雌猫を思わせる高音の"忍び足"が巧みでした。ドップラー効果を狙うような中声部がマルタンのミサ「サンクトゥス」を思い起こさせました。
続く北欧曲プログラムではベースから始まり静かに重なっていく声が哀愁をそそるもので、物思いにふける秋にふさわしい選曲だなと感じました。「海の夜明け」では和音のかたまりからベースが浮かび、続いてテナーが強弱を帯びて浮かび、高音部の和音が明け行く海の様子を効果的に描いていました。激しい中声部分を軸として力強いグリークラブ風かつオペラティックな動きに魅せられました。夜のしじまへいざなうような静かで密やかな歌い口(クーラ:夕べに)、ベースの半音刻みに下がるメロディがやや微妙(同:夕べの情趣)でしたが、続くマンテュヤルヴィ「子供の声」では低音和音に乗ってベースソロの艶やかな高音ビブラートがオブリガードを引き立てていましたし、音域の幅広さには何故か「島へ」を思い起こさせました。
後半は日本ゆかりのプログラムから。英語テクストによる武満作品では水面が広がるようなめくりめく声の輪、木魚を思わせる間奏部分(坊主三人)、全体的に静かで思い出を醸し出すような響き(露の餞)を楽しみました。続いて更にお馴染みの(笑)演歌4曲。ツアー地にちなんだ「琵琶湖周航の歌」では2コーラス目でベース→アルト→ベースのメロディ受け渡しも巧みで、他パートも後出し伴奏が絶妙でした。「みだれ髪」はこぶしの効いたアルトソロがコラール風に歌い、ベースとテナーが後奏のメロディパートを交互に歌って、改めてアレンジの巧みさを披露してくれました。「函館の女」ではボイスパーカッションが登場し、和音アレンジも素晴らしかったです。高音3パートとベースのメロディラインとの組み合わせは新鮮な印象を受けました。続いて前回アンコールでも聴かれた「舟歌」。筆者も偶然前回控え室でのリハーサルを耳にしましたが、その日の本番もさる事ながら、当夜の歌唱では更にボイスパーカッションと効果音(波)がますます冴え渡っていました。さすがです!!
締めくくりのステージは当夜のテーマ「ラヴ・ソング」ビリー・ジョエルやビートルズ、ライオネル・リッチーのほっと温かくなるようなナンバーが次々と歌われていきました。冒頭の「素顔のままで」ではその語りかけるようなソロに思わずほろりときてしまいました・・・・指揮者のみならず、いずれのソロも素晴らしい出来映えです。「恋に落ちたら」ではラストの和音がまるでグレゴリオ聖歌のように清楚な響きでした。
アンコールでは「ララバイ」や「ミシェル」、ピーター・ナイトのナンバーが披露され、上質な大人の恋歌を堪能出来ました。熱烈なオベーションでしたが、欲を申せばもう少し余韻も味わいたかったところです。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈TAN's Amici Concert〉
The Gents ザ・ジェンツ Love Songs ~ ラブ・ソング
日時: 2006年11月2日(木)19:00開演
出演者:The Gents
演奏曲:
イングランド民謡集~彼女は縁日を通り抜けた(アイルランド民謡)/
モリー・マローン(アイルランド民謡)他
オランダの若きモダニストたち歌~ロエル・ファン・オーステン:4つの詩
北欧の歌声~トイヴォ・クーラToivo Kuula: イラッラ 他
武満徹:手づくり諺/日本の歌 舟唄 他
ラヴ・ソングス~ビリー・ジョエル:ちょうどあなたのいる道/
レノン&マッカートニー: イフ・アイ・フェル/ライオネル・リッチー: ハロー/
ビリー・ジョエル: アンド・ソー・イット・ゴーズ 他未定
ウイーン・フィルメンバーによる室内楽演奏会
今世紀の幕開けとともに誕生したアートNPO・TAN。本日はその活動を支えてきた会員のための,特別プログラムである。
用意された曲目は全編モーツァルト。それも「クァルテット・ウェンズデイ」などを企画してきたTANらしく,室内楽で構成された。演奏するのはウィーンフィルのメンバーである。
客席の様子は,仕事帰りとおぼしき人々に若者の姿も混じり,1階は9割ほどは埋まったかのように,空席は残り少ない。2階席の状況ははっきりとはつかめないものの,コンサートの合間にロビーに立って眺めれば,階段を下りてくる長い列が目に入ってくる。
演奏は計4曲。1曲目は,「弦楽四重奏曲 変ロ長調 K.172」。第1楽章アレグロ・スピリトーソの滑り出しは軽やかに,第2楽章アダージョはしなやか。第3楽章メヌエット,第4楽章アレグロ・アッサイと,音にふくよかさが増してくる。厚みがありながらも,押しつけがましさは感じられない。上質のカシミヤの生地に,そっと包まれているかのよう。
2曲目「オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370(368b)」は,けれん味のないサウンド。音を音として感受し,そのまま味わうことを許されるならば,かすかなまどろみの時間が立ち現れてくる。たとえば,祖父母の家で過ごした幼い頃。それは,ただあるがままの空間を漂うことが可能となる一つのものとして挙げてもよいだろう。そこでは,"そこにあるもの"をそのまま受けとめられる。自分を防御したり,他から借りてきたような思想・思考は,そのような場ではひとまず措くことができる。
そして,こうした,気持ちをナチュラルな状態に戻す機会があるということは,生活の中にゆとりをもたらす。
しかし時に音は,人の心を,静かだけれども深く揺さぶることもある。今晩では,3曲目「フルート四重奏曲 ニ長調 K.285」第2楽章アダージョが,そう。古い歌曲を歌うかのようなフルートのソノリテが,記憶の底に巣くっていた出来事を揺り起こし,脳裏で再会させる。それは愛しい人の笑い顔や,暗い闇,胸を和ませるものであったり,あるいは締めつけるもの。モーツァルトを聴いている今,それと脈絡もない個人的なものとがなぜ結びつくのだろうかと座席で一人戸惑ってしまう。だが,過去に経験した一つひとつのことの延長線上に今があり,昔を大切に思うのならば,日々を充実させなくてはならないことにも思いが及ぶ。このようにして音は,生活に精気を与えもする。
休憩をはさんだ4曲目は「弦楽五重奏曲 ト短調 K.516」。ヴィオラがもう1本加わる。第1楽章アレグロの端正なメロディ,第2楽章メヌエットは憂いをしのばせ,第3楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポはユニゾンの厚みに魅了される。そして第4楽章アダージョ―アレグロは静けさから軽やかさへと徐々に明るさを帯びていく。
大掛かりで,きらびやかで,めくるめくような音の洪水で,記念の年を飾るコンサートもよい。しかし,決して大きな声ではないけれど,親密な音色で迎えてくれる場所もある。人によってそれを優雅だと感じたり,平静な時間を取り戻したりする。だがそれらは一点で共通しているのだ。暮らしの幅を広げるという意味において。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈特別コンサート〉
ウイーン・フィルメンバーによる室内楽演奏会
日時: 2006年11月10日(金)19:15開演
出演者:ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団
[ライナー・キュッヒル(Vn1)/エクハルト・ザイフェルト(Vn2)、
ハインリヒ・コル(Va)、ゲラハルト・イーベラー(Vc)]
マルティン・ガブリエル(Ob)
ウォルフガング・シュルツ(Fl)
ロベルト・バウアーシュタッター(Va)
演奏曲:
オール・モーツァルト・プログラム:
弦楽四重奏曲変ロ長調K.172
オーボエ四重奏曲へ長調K.370(368b)
フルート四重奏曲ニ長調K.285
弦楽五重奏曲ト短調K .516
古典四重奏団 ドヴォルザーク弦楽四重奏曲選集Ⅱ
以前伺ったことがあったので、どんな演奏をされるのだろうと楽しみにしていました。
1stVnの隣にVc、その隣にVlaで、2ndVnが1stVnのお向かいというあまり見ない並びです。そして譜面台が並んでいないことに少し違和感を持ちつつ、演奏は始まりました。
まず一曲目の第14番。
古典QのメンバーはVcの田崎さん以外は女性です。そのため、曲の出だしは、やはりやや大人し目の演奏と思いきや、進むにつれ、この曲の持つ明るさがどんどんと溢れてきました。
ドヴォルザークの四重奏曲の中では3番目に好きな曲をこんな形で聞くことができ、とても満足しました。
特に以前にモニターしたエルデーディ四重奏団でも演奏されている2ndの花崎さんは、私もあんな2nd弾きになりたい、と思わせる2ndぶり。素敵でした。
二曲目は予習のできなかった第13番。
ドヴォルザークの特集でもない限り、あまり演奏されることのない曲ではないでしょうか。
個々のパートの音符はともかく、曲を通して、ずっと音が鳴って、いろんなメロディーが前後している、そんな印象を受けました。
私がドヴォルザークの曲に探してしまうのは、「どうして、こんなところで、こんなことをさせるのだろう」というものです。日本の音楽なら「アラ、エッサッサー」「チョイノ、チョノサ」のような合いの手のようなことが必ず入っているのです。それは交響曲しかり、四重奏曲しかり。本当は合いの手などというよりは、自然を愛したドヴォルザークにとっては鳥のさえずりや、町の方々から聞こえてくる音だったのかもしれませんが・・・。その合いの手もどきが、この13番にもやはり出てきて、思わず「あった、あった」と嬉しくなってしまいました。
プロの演奏においても、協奏曲のソリストやリサイタル以外では譜面を置かないことはまずありません。それだけに古典Qのみなさんの暗譜という努力、暗譜することで生まれるアンサンブルの密度をこの日はとても感じることができました。お互い合図など出さなくても、みんなが自然に入ってきて、お互いが聞こえ、絡み合って進んでいく、そんな印象を持ったすばらしい演奏でした。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈クァルテット・ウェンズデイ#51〉
古典四重奏団 ドヴォルザーク弦楽四重奏曲選集Ⅱ
日時: 2006年11月1日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真(Vn1)/花崎淳生(Vn2)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第13番ト長調作品106、第14番変イ長調作品105
ウイーン・フィルメンバーによる室内楽演奏会
当夜はオール・モーツァルトの演目で、放送や音盤でよく耳にしながらも実演をこんなに間近に聴くのはそうない機会なので、非常にエキサイトしました。
「弦楽四重奏曲変ロ長調」では第2楽章アダージオでのしみじみした変ホ長調の歌い口は勿論、アレグロ楽章でも生き生きとした演奏でした。続いてゲストを加えての「オーボエ四重奏曲」と「フルート四重奏曲」を披露しましたが、団内トッププレーヤーのまろやかな(弾き口というよりも)吹き口には身を乗り出して聴き入りました。オーボエでのアダージオは短いながらも憂いのつぶやきが感じられ、ロンドでは弦パートがピアノを聴いているように縦に粒揃いの巧さ。フルートでのお馴染みの主題では軽やかにして華やかな響きで、当夜の集いを飾るのにふさわしく思われました。ロンド楽章での再現部で弾かれた第1ヴァイオリンとフルートとの掛け合いは軽やかでスタイリッシュと申せましょう。いずれの曲でも感じられたのですが、団にとっても「お国もの」であり彼らにとってもいわば「おはこ」でもあるのでしょうが、各楽曲の要所要所をきっちりおさえながらも良い意味で力を抜いて弾いていたのが印象的でした。一生懸命に演奏する国内外室内楽団をいろいろ聴いていますが、技術面や音楽面では全く引けをとらないがやはりこの点は"血は争えない"なという事なのでしょう。ホール内の響きもふんわり彼らならではの響きが2F席にまで伝わってきました。
ヴィオラがもう一人加わっての弦楽五重奏曲ト短調では冒頭から交響曲第40番を思い起こさせるような哀しみの疾走で始まり、いわば自身の人生の冬を思わせるような世界が、特に奇を衒う事無く広がっていきました。第2楽章メヌエットはめくるめくような不安が強弱の反復で巧みに描かれていましたし、続くアダージオではいわば「彼岸の奏楽」とも呼べそうな響き。或いは縁側の陽だまりにふと物思いにふけるイメージでしたが、不思議な事にウィーンフィルのメンバーが演奏を通じてその場面を浮かび上がらせてくれました。フィナーレはピアノ協奏曲第27番変ロ長調にも見られた「朗らかな諦めの境地」をも描いており、アレグロにテンポが上がり長調に転調してもどこか一歩引いて静かに思いにふけるような印象でした。
アンコールでは一変して当夜のお祝いムードに更に華々しさを添えるような明るいアンサンブルを聴かせ、場内からも熱い拍手が送られました。
いよいよ来週は"誕生日"を迎える第一生命ホール。思い出に残るひとときとなりますように!!
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈特別コンサート〉
ウイーン・フィルメンバーによる室内楽演奏会
日時: 2006年11月10日(金)19:15開演
出演者:ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団
[ライナー・キュッヒル(Vn1)/エクハルト・ザイフェルト(Vn2)、
ハインリヒ・コル(Va)、ゲラハルト・イーベラー(Vc)]
マルティン・ガブリエル(Ob)
ウォルフガング・シュルツ(Fl)
ロベルト・バウアーシュタッター(Va)
演奏曲:
オール・モーツァルト・プログラム:
弦楽四重奏曲変ロ長調K.172
オーボエ四重奏曲へ長調K.370(368b)
フルート四重奏曲ニ長調K.285
弦楽五重奏曲ト短調K .516
スージー・ルブラン、ダニエル・テーラー
&アリオン・バロック・オーケストラ
さて、当夜の演奏はチェリスト指揮者率いる20名足らずのオーケストラに男女ソリ(ソプラノのスージー・ルブラン&カウンターテナーのダニエル・テーラー)が各1名という割合こじんまりしたものでしたが、なかなかどうして幅広い響きでぐいぐいと引き込まれていきました。冒頭「サウル」シンフォニアはメサイアでもお馴染みのヘンデル節付点が比較的滑らかに弾き出されました。オーケストラによっては付点を強調するあまりやや重めになる傾向もありますが、アリオンバロックは軽やかに(但し軽々しくではなく)付点フレーズを演奏していました。続いて夭折の作曲家ベルゴレージの悲しみの聖母。消えかかる命の灯の中で力を振り絞って書かれた本作は、そのある種のすさまじさを感じさせぬ優美なもので、旋律もラテン語テクストに寄り添うように付されていました。独唱二人が交代で歌い進めていく中で、キリスト受難を嘆く聖母マリアの様子を通して白鳥の歌を綴った作曲者の心の悲しみが自ずと浮かび上がっていきました。キリスト受難14場面の絵を巡り祈るならわしは展覧会の絵のキリスト教典礼版とも申せそうなものを思い起こさせました。当夜のアリオンバロックは原作の響きを充分尊重した上で、滑らかな弾き口でアンサンブルを聴かせてくれました。曲毎に調性が微妙に変わっていき、聖母の陰影が浮かばれる巧みな構成でしたが、締めくくりに据えられた一節では前半は悟りの境地を静かに語り、後半アーメンでは一転してたたみかけるような情熱的な歌唱と演奏でした。そのあまりもの落差に少々驚きましたが、むしろこのぐらい差があった方がベルゴレージらしいのかもしれません。生死隣り合わせの中で生きてきたベルゴレージの生き様が荘重な宗教曲の形を借りて現代に具現化されていました。
後半はヘンデルのオペラアリアの数々が歌われましたが、入退場が「演技」としてそのまま演奏につながっていきました。「ロデリンダ」でも危な気ないA-Hの高音でヒロインの女王の悲しみ切なさを歌い出していました。続く「セルセ」はニ長調に調性を変えて柔らかさを加えたカウンターテナーの響きがふんわりとホールに行き渡っており、個人的にお気に入りの「リナルド」ではブライトマンとはまたひと味違うオブリガードを聴かせてくれました(ちなみに愛聴のカレーラスは"奇を衒わない"歌い口ですが)。ソロ歌唱もさる事ながら「わたしはあなたを抱きしめる」(後でアンコールでも取り上げられた)「あなたの顔に」では躍動感に満ちたオーケストラにのって強→弱→強のメリハリ利いた歌唱でしたし、「いとしい人!かわいい人!」では冒頭呼び交わし部分の緩やかなテンポ運びと付点・3連符の織り交ざった中での重唱が楽しめました。また、トロメーオの狂喜じみた「おまえの驕りをたたきのめし」では2度のffを交えつつ巻き舌にもおどろおどろしさを込めて高音の次には突如ストンとオクターブ落としてみたり本当に"叫んで"みたりと聴き応え充分でした。嗚呼、歌手は役者の部分もあるんだなと感じ入った次第です。
アンコールは本編中のオペラアリア2曲が再び。ステージ中央で寄り添うように二重唱を聴かせてくれましたが、消えいく声の響きの中に倒錯の美しさを感じさせるのはさすが。その昔映画「カストラート」のカルロの歌声に聴き手の女性達が気絶していく場面をふと思い出しました。能楽でも女性役を男性能楽師が演ずる時、また宝塚歌劇でも男性役を女性が演ずる時がありますが、当夜聴かれた演奏はいわゆるジェンダーなんぞというものを軽々と超えた、聴き応えのあるものでした。発せられる声と姿とがまるで正反対という中にあって、その場限りの刹那にしばし我が身を預けるというひとときでした。
終演後の客席ではあちらこちらでスタンディングオベーション。前日に続いての公演なのに歌い手も弾き手も大変集中していました・・・・そして何よりも聴衆も!!ここで感じられたのは、演奏の送り手が最善尽くして演奏・演技するのは望まれる事なのですが、それに加えそれらを受け止める聴き手・来場客側も当日の公演の出来映えに少なからぬ影響を持っているんだなという事です(曲と曲の合間の拍手タイミングを含めて)。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈TAN's Amici Concert〉
スージー・ルブラン、ダニエル・テーラー&アリオン・バロック・オーケストラ
日時: 2006年11月8日(水)19:15開演
出演者:スージー・ルブラン(ソプラノ)、ダニエル・テーラー(カウンター・テナー)、
ヤープ・テル・リンデン(指揮)、アリオン・バロック・オーケストラ
演奏曲:
ヘンデル:オラトリオ「サウル」HWV53より抜粋
ペルゴレージ:スターバト・マーテル(悲しみの聖母)
ヘンデル:歌劇「ロデリンダ」HWV19より/序曲HWV337/歌劇「セルセ」HWV40より
「オンブラ・マイ・フ(木陰はかくも)」/歌劇「リナルド」HWV7aより「嘆くままにして
ください」/歌劇ジュリオ・チェザーレHWV17より「嵐で」「あなたの激しい気性を」ほか
古典四重奏団 ドヴォルザーク弦楽四重奏曲選集Ⅰ
九つの交響曲やスラブ舞曲集等で親しんできた私にとって、ドボルザークにはそんな印象が強かった。又、先日このコンサートに併せ催された同団に依るレクチャーコンサートもその「村祭り的」な部分に焦点を置いたものだったから、今夜の演奏会にもドンドンヒャララ、ドンヒャララを期待して臨んだのだが......。
演奏が始まると、どうもそうでないらしい。音楽の表情もどちらかと言えば控えめだし、大体、プログラムの並びも一風変わっている。陽気な落とし噺を聞きに来た積りが、何時の間にか人情噺めいている。この場に持ってきた先入感と現実とがごちゃ混ぜになり、頭と耳とが追いつかぬ侭、休憩になって仕舞った。
ホールの外へ出て、煙草に火を点けていると、ふと一陣の海風を感じた。気付けば先月のそれより、随分と冷たい。その風から底墓とない寂しさを覚えた瞬間、亡くなった母方の祖父が何気なく頭に浮かんで来た。
母の実家は下野の山里である。そこへお盆やお正月に行くと、祖父が茶の間の決まった席に端坐し、煙草を燻らしつつ「良く来た。達者け」とはにかむ様に言うのが常だった。その光景が私にとっての大好きな「田舎」だったし、また此処へ来る事が出来たのだ、と実感出来る喜びの一時だった。
『嗚呼、そうか。変わらぬものが何時でも其処に有るからこそ「故郷」であり、それを想う事で生まれるのが「郷愁」なのではないか』
そんな感慨に浸っていたら、ホールのベルが後半の開演を告げ始めた。
今夜のメインとなった11番のクァルテットの楽章が進む毎に、段段と古典四重奏団が演奏に込めたメッセージが解る様な気がして来た。
プログラムの冒頭にチェコで生まれ育ったドボルジャークが異邦人として、新大陸で書いた12番『アメリカ』を置き、次ぎに最も彼の母国的な要素が強調されている10番。そして最後に普遍的古典音楽と、郷土の歌が必要に迫られて融和された11番を据えたのは、現代人の「郷愁」をテーマとしたのではないか。即ち、一人上京し、慣れぬ土地で「故郷」を遠くに想う。月日と共に増す孤独と幾多の苦難から里心に駆られるも、結局は今有る生活故に、止むに止まれず都会に順応して行く...。演奏も、「ドボルザークのチェコ」という単色を以って表現するのではなく、聴いている個々人が持つ「故郷」から、多色な「郷愁」を追想することでこのテーマを共感して欲しい、という言わば「演出」の為に態と客観的な立場を取ったのか。それも休憩の際、さりげなく語り掛けてきた秋風の様に...。
終始、圧倒的大音量で迫り来る大管弦楽曲と比べ、この「ソット・ボ―チェ(囁く様に)」に畳み掛けてるカルテットの訴求力は、より心の深い部分に振幅して来るように感じてならない。当夜も古典四重奏団に多くを教わった。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈クァルテット・ウェンズデイ#50〉
古典四重奏団 ドヴォルザーク弦楽四重奏曲選集Ⅰ
日時: 2006年10月18日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真(Vn1)/花崎淳生(Vn2)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番へ長調作品96「アメリカ」、
第10番変ホ長調作品51、第11番ハ長調作品61