ウイーン・フィルメンバーによる室内楽演奏会
報告:齋藤健治/月島在住・編集者/1階18列21番
投稿日:2006.11.15
今世紀の幕開けとともに誕生したアートNPO・TAN。本日はその活動を支えてきた会員のための,特別プログラムである。
用意された曲目は全編モーツァルト。それも「クァルテット・ウェンズデイ」などを企画してきたTANらしく,室内楽で構成された。演奏するのはウィーンフィルのメンバーである。
客席の様子は,仕事帰りとおぼしき人々に若者の姿も混じり,1階は9割ほどは埋まったかのように,空席は残り少ない。2階席の状況ははっきりとはつかめないものの,コンサートの合間にロビーに立って眺めれば,階段を下りてくる長い列が目に入ってくる。
演奏は計4曲。1曲目は,「弦楽四重奏曲 変ロ長調 K.172」。第1楽章アレグロ・スピリトーソの滑り出しは軽やかに,第2楽章アダージョはしなやか。第3楽章メヌエット,第4楽章アレグロ・アッサイと,音にふくよかさが増してくる。厚みがありながらも,押しつけがましさは感じられない。上質のカシミヤの生地に,そっと包まれているかのよう。
2曲目「オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370(368b)」は,けれん味のないサウンド。音を音として感受し,そのまま味わうことを許されるならば,かすかなまどろみの時間が立ち現れてくる。たとえば,祖父母の家で過ごした幼い頃。それは,ただあるがままの空間を漂うことが可能となる一つのものとして挙げてもよいだろう。そこでは,"そこにあるもの"をそのまま受けとめられる。自分を防御したり,他から借りてきたような思想・思考は,そのような場ではひとまず措くことができる。
そして,こうした,気持ちをナチュラルな状態に戻す機会があるということは,生活の中にゆとりをもたらす。
しかし時に音は,人の心を,静かだけれども深く揺さぶることもある。今晩では,3曲目「フルート四重奏曲 ニ長調 K.285」第2楽章アダージョが,そう。古い歌曲を歌うかのようなフルートのソノリテが,記憶の底に巣くっていた出来事を揺り起こし,脳裏で再会させる。それは愛しい人の笑い顔や,暗い闇,胸を和ませるものであったり,あるいは締めつけるもの。モーツァルトを聴いている今,それと脈絡もない個人的なものとがなぜ結びつくのだろうかと座席で一人戸惑ってしまう。だが,過去に経験した一つひとつのことの延長線上に今があり,昔を大切に思うのならば,日々を充実させなくてはならないことにも思いが及ぶ。このようにして音は,生活に精気を与えもする。
休憩をはさんだ4曲目は「弦楽五重奏曲 ト短調 K.516」。ヴィオラがもう1本加わる。第1楽章アレグロの端正なメロディ,第2楽章メヌエットは憂いをしのばせ,第3楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポはユニゾンの厚みに魅了される。そして第4楽章アダージョ―アレグロは静けさから軽やかさへと徐々に明るさを帯びていく。
大掛かりで,きらびやかで,めくるめくような音の洪水で,記念の年を飾るコンサートもよい。しかし,決して大きな声ではないけれど,親密な音色で迎えてくれる場所もある。人によってそれを優雅だと感じたり,平静な時間を取り戻したりする。だがそれらは一点で共通しているのだ。暮らしの幅を広げるという意味において。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈特別コンサート〉
ウイーン・フィルメンバーによる室内楽演奏会
日時: 2006年11月10日(金)19:15開演
出演者:ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団
[ライナー・キュッヒル(Vn1)/エクハルト・ザイフェルト(Vn2)、
ハインリヒ・コル(Va)、ゲラハルト・イーベラー(Vc)]
マルティン・ガブリエル(Ob)
ウォルフガング・シュルツ(Fl)
ロベルト・バウアーシュタッター(Va)
演奏曲:
オール・モーツァルト・プログラム:
弦楽四重奏曲変ロ長調K.172
オーボエ四重奏曲へ長調K.370(368b)
フルート四重奏曲ニ長調K.285
弦楽五重奏曲ト短調K .516