古典四重奏団 ドヴォルザーク弦楽四重奏曲選集Ⅰ
報告:尾花 勉/1階7列26番
投稿日:2006.11.6
九つの交響曲やスラブ舞曲集等で親しんできた私にとって、ドボルザークにはそんな印象が強かった。又、先日このコンサートに併せ催された同団に依るレクチャーコンサートもその「村祭り的」な部分に焦点を置いたものだったから、今夜の演奏会にもドンドンヒャララ、ドンヒャララを期待して臨んだのだが......。
演奏が始まると、どうもそうでないらしい。音楽の表情もどちらかと言えば控えめだし、大体、プログラムの並びも一風変わっている。陽気な落とし噺を聞きに来た積りが、何時の間にか人情噺めいている。この場に持ってきた先入感と現実とがごちゃ混ぜになり、頭と耳とが追いつかぬ侭、休憩になって仕舞った。
ホールの外へ出て、煙草に火を点けていると、ふと一陣の海風を感じた。気付けば先月のそれより、随分と冷たい。その風から底墓とない寂しさを覚えた瞬間、亡くなった母方の祖父が何気なく頭に浮かんで来た。
母の実家は下野の山里である。そこへお盆やお正月に行くと、祖父が茶の間の決まった席に端坐し、煙草を燻らしつつ「良く来た。達者け」とはにかむ様に言うのが常だった。その光景が私にとっての大好きな「田舎」だったし、また此処へ来る事が出来たのだ、と実感出来る喜びの一時だった。
『嗚呼、そうか。変わらぬものが何時でも其処に有るからこそ「故郷」であり、それを想う事で生まれるのが「郷愁」なのではないか』
そんな感慨に浸っていたら、ホールのベルが後半の開演を告げ始めた。
今夜のメインとなった11番のクァルテットの楽章が進む毎に、段段と古典四重奏団が演奏に込めたメッセージが解る様な気がして来た。
プログラムの冒頭にチェコで生まれ育ったドボルジャークが異邦人として、新大陸で書いた12番『アメリカ』を置き、次ぎに最も彼の母国的な要素が強調されている10番。そして最後に普遍的古典音楽と、郷土の歌が必要に迫られて融和された11番を据えたのは、現代人の「郷愁」をテーマとしたのではないか。即ち、一人上京し、慣れぬ土地で「故郷」を遠くに想う。月日と共に増す孤独と幾多の苦難から里心に駆られるも、結局は今有る生活故に、止むに止まれず都会に順応して行く...。演奏も、「ドボルザークのチェコ」という単色を以って表現するのではなく、聴いている個々人が持つ「故郷」から、多色な「郷愁」を追想することでこのテーマを共感して欲しい、という言わば「演出」の為に態と客観的な立場を取ったのか。それも休憩の際、さりげなく語り掛けてきた秋風の様に...。
終始、圧倒的大音量で迫り来る大管弦楽曲と比べ、この「ソット・ボ―チェ(囁く様に)」に畳み掛けてるカルテットの訴求力は、より心の深い部分に振幅して来るように感じてならない。当夜も古典四重奏団に多くを教わった。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈クァルテット・ウェンズデイ#50〉
古典四重奏団 ドヴォルザーク弦楽四重奏曲選集Ⅰ
日時: 2006年10月18日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真(Vn1)/花崎淳生(Vn2)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番へ長調作品96「アメリカ」、
第10番変ホ長調作品51、第11番ハ長調作品61