2006.1
ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
ホールに向かう電車の中で「今日はいつもより早い」ということに気づき、開演時間に間に合うかどうか瀬戸際だったので、JRの新橋駅で降りてタクシーに乗ることにしました。この時、既に7時15分前でした。運転手さんに「7時からトリトンスクエアーの第一生命ホールでコンサートがあるので、近道で」とお願いして、7時数分前にトリトン前に到着し、エスカレーターを駆け登り、開演前ぎりぎりに着席。息を整えている間に、1曲目が始まろうとしていました。ニューイヤーコンサートなんだから、本当は、ゆったりと開演時間がくるのを待てればよかったんだけど、そうはうまくはいきません。1曲目は、記念年であるモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」序曲。昨年の秋、このオペラを見たので、そのときのことを思い出している間に、あっという間に次の曲へ。プログラムによると、2曲目は、モーツァルトのあまり知られていない小曲4曲をチャイコフスキーが編曲して組曲にした「モーツァルティーナ」。ちょっと長めの曲だなと思い始めた頃、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を題材にしていた第3曲でした。この「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、合唱で歌ったことがあったからか、演奏に引込まれていました。つられて歌いそうになりそうなんだけど、そう簡単には歌わせてくれないという編曲。最後の第4曲の最後のほうの管楽器のソロを聴いていたら、このホールで管楽器のコンサート聴いてみたくなっていました。
それまで「この曲、長いな」と思っていたことを忘れていました。そして休憩時間。私にとって、演奏会の楽しみは、休憩時間でもあります。顔なじみの人に会えたとき、つかの間の立ち話は演奏と同じくらい癒されます。一人ででかけた場合でも、美味しい飲み物をいただいたりなど、ちょっとした贅沢な時間です。後半はいよいよ、シュトラウスの名曲とマスネの歌劇「タイス」より"瞑想曲"。ニューイヤーコンサートといえば、ヨハン・シュトラウス。といえば、私の場合、お正月にこたつで、みかん食べながらのテレビ鑑賞というイメージがあります。私自身、ホールに足運んで、ウィンナーワルツを聴く機会というのは、そう滅多にないこと。どう楽しもうかと、かわらばんでの沼尻さんのインタビューを読んでみたら、「お節料理みたいに楽しめば...」とのこと。なるほど。そんなんでいいのね。と、気楽に「この曲、好きだな」とか、「指揮者の動きがおもしろい」などと、楽しんでいるうちに終ってました。でも、なんか足りない。「春の声」も「皇帝円舞曲」も「美しき青きドナウ」も聴いたのに、物足りない。なんでだろう、とにかくアンコール聴きたいと拍手。そういえば、第2部が始まるときの沼尻さんのお話で曲目のことをお話していました。そのこと思い出し、早く聴かせてほしいなと思っていたら、ほどなく登場。演奏されたのは「トリッチ・トラッチ・ポルカ」「ピチカート・ポルカ」「ラデッキー行進曲」の3曲でした。まず、アンコールがあったことを喜び、「ピチカート」の奏法に目と耳を集中してしまい、最後に、沼尻さんは客席に向かっての指揮。客席のお客さんも、ウィーンにいるような雰囲気になっていたような...。楽しんでいたのは間違いない。終った後、帰り支度しながら、まわりのお客さんの表情が楽しそうでした。私も、この3曲があったので、大満足のまま、都バスに揺られて勝鬨橋の夜景を見ながら帰路につきました。第一生命ホールがあるトリトンスクエアーのイルミネーションもなかなか楽しいし、都バスの通るコースも夜景が綺麗。そんなこともホールへ出かける、楽しみのひとつです。
公演に関する情報
ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
日時: 2006年1月20日(金)19:00開演
出演者:指揮:沼尻竜典、トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ
演奏曲:
W.A.モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492より序曲、
チャイコフスキー:組曲第4番ト長調Op.61「モーツァルティアーナ」、
J.シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」序曲、行進曲「ペルシャ行進曲」Op.289、
マスネ:歌劇「タイス」より瞑想曲(独奏 佐 利 恭子)、
J.シュトラウスⅡ:ワルツ「春の声」Op.410、ポルカ「浮気心」Op.319、
ワルツ「皇帝円舞曲」Op.437、ワルツ「美しく青きドナウ」Op.314
ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
モーツアルト生誕250年という記念の年、誕生日を1週間後に控えた今日のコンサートはフィガロの結婚序曲で始まりました。沼尻竜典氏指揮のトウキョウ・モーツアルト・プレイヤーズの演奏も活き活きとしていて、文字どおり新しい年の幕開けにぴったりでした。2曲目はチャイコフスキーがモーツアルトの音楽をもとに作曲したという組曲モーツアルティーナです。初めて聴きましたが「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が美しい響きの管弦楽で現れ、チャイコフスキーもこの曲が好きだったのかと、嬉しいような気持ちでした。続いての曲はピアノの為の変奏曲を管弦楽にしたものです。ピアノでも多彩な表現に富んだ曲で良く弾かれますが、チャイコフスキーの管弦楽曲ではヴァイオリンのソロが活躍し、華やかさを増しているように感じました。木管の柔らかな響きも印象的でした。
休憩後はシュトラウスのこうもり序曲で始まりました。ウイーンの雰囲気たっぷりの曲に、たちまちホールの中が華やぎました。ペルシャ行進曲では、タンバリンの音が、目から下をベールで隠した踊り子が足首につけた鈴をならして踊っている様を想わせます。ウイーンの人々はオリエンタルなものにエキゾチックな魅力を感じていたのでしょうか、そう言えばモーツアルトも、ベートーヴェンもトルコ行進曲を書いています。
続いてはタイースの瞑想曲。オペラ「タイース」で、主人公がそれまでの放埒な生活を続けるか信仰の道に入るか苦悩する場面で奏でられる間奏曲ですが、佐分利さんのヴァイオリンは、甘く叙情的なだけに留まらず、オペラの場面にふさわしい深いものが感じられる演奏だったと思います。最後の高音の美しさが心に残りました。
そして再びシュトラウスのワルツとポルカの演奏です。お馴染みの美しいメロディーと軽快で楽しいリズムに、自然と体がスイングして動きそうでした。ウィンナーワルツの特徴である2拍目の『溜め』の具合がちょうど良く、節度と品格のある演奏と感じました。チェロのソロが好演だったと思います。
アンコールには3曲を演奏して下さいました。トリッチ・トラッチ・ポルカでは沼尻氏のスマートな指揮ぶりに魅了されましたが、続くピチカート・ポルカはオーケストラに任せ、舞台下手に座ってしまわれました。オーケストラの方々が真剣な顔でコンサートミストレスの手元を見つめ、気持を一つにして見事に演奏し終えると、コンサートミストレスの端正な美しいお顔も、この時ばかりはほころんだように見えました。合奏の醍醐味を目の当たりにして、演奏者をうらやましく感じたところにタイミング良くラデツキー行進曲です。会場の我々も手拍子で参加させていただきました。手拍子も立派に一つの楽器になり得ます。ピアニシモからフォルテシモまでディナーミクを表現して、演奏参加の満足感を得る事ができました。
楽しい音楽を聴いて幸せな気分となり、ウィンナーワルツのリフレインが頭の中を駆け巡っています。沼尻さんも仰っていらしたように、『今年も頑張ろう』とつぶやきつつ帰途につきました。
公演に関する情報
ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
日時: 2006年1月20日(金)19:00開演
出演者:指揮:沼尻竜典、トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ
演奏曲:
W.A.モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492より序曲、
チャイコフスキー:組曲第4番ト長調Op.61「モーツァルティアーナ」、
J.シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」序曲、行進曲「ペルシャ行進曲」Op.289、
マスネ:歌劇「タイス」より瞑想曲(独奏 佐 利 恭子)、
J.シュトラウスⅡ:ワルツ「春の声」Op.410、ポルカ「浮気心」Op.319、
ワルツ「皇帝円舞曲」Op.437、ワルツ「美しく青きドナウ」Op.314
ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
開演前、クラリネットの音合わせをしてらっしゃる演奏者を見ると、偶然にも知人で、まずびっくりしました。オーケストラ等で活躍されているとは聞いていたのですが、コンサートにはお伺いしたことがなかったので、笑顔で開演を待つ様子を拝見し、私まで嬉しくなりました。
演奏が始まってからは新春らしい楽しく華やかな旋律を楽しんでいると2時間はあっという間ですね。「タイス」の瞑想曲は、穏やかなメロディーが好きで就寝前に聞いていたりするのですが、生の演奏で聞くと、やはり歌劇の曲だけあって、同じ曲とは思えない迫力でした。チャイコフスキーの組曲は、初めて聴いたのですが、今で言うと、チャイコフスキーによるモーツアルトの「カバー」であり、「コラボレーション」なんですね。いつの時代も、音楽の作り方には共通点があるのだなあと興味深く思いました。どの曲も明るく晴れやかで、本当に楽しめました。そして、指揮者の沼尻さんのユーモラスなパフォーマンスと軽やかな口調も会場全体を盛り上げてくれましたね。
曲自体の話ではないのですが。晴海トリトン、並木のイルミネーションがとてもきれいでした。動く歩道もあって駅からもアクセスしやすいですし、ホールの大きさもちょうどいですね。ただ、トリトンスクエアのお店は5時半開店のところが多くて、7時開演のコンサートの時は、5時に開店してくれたら早めに着いて食事をしたり一休みしやすいのでは、と思いました。
公演に関する情報
ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
日時: 2006年1月20日(金)19:00開演
出演者:指揮:沼尻竜典、トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ
演奏曲:
W.A.モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492より序曲、
チャイコフスキー:組曲第4番ト長調Op.61「モーツァルティアーナ」、
J.シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」序曲、行進曲「ペルシャ行進曲」Op.289、
マスネ:歌劇「タイス」より瞑想曲(独奏 佐 利 恭子)、
J.シュトラウスⅡ:ワルツ「春の声」Op.410、ポルカ「浮気心」Op.319、
ワルツ「皇帝円舞曲」Op.437、ワルツ「美しく青きドナウ」Op.314
ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
アウトリーチの反対はなんというの?
~豊海小学校リング・アンド・リンク「沼尻氏&トウキョウ・モーツァルト・プレイヤーズ」
1月20日に第一生命ホールで開催される沼尻竜典指揮トウキョウ・モーツァルト・プレイヤーズ(TMP)の「ニューイヤー・コンサート」は、TANというNPOが始めて主催する新年演奏会である。出演は沼尻竜典率いるTMP。東京都下三鷹市の公共文化施設「風のホール」を拠点にしている室内オーケストラだ。
この演奏会には、もうひとつ重要なミッションがあった。財団法人日本音楽財団助成事業「親子を定期的にクラシック演奏会に招待する事業」のひとつとして、TANが一昨年から実施している「リンク&リング」なるプロジェクトである。
一言で言えば、「演奏家が学校に行き、その後、関心を持った子供にホールに来て貰う」プロジェクト。アウトリーチ活動とホールでの本番演奏会を積極的にリンクさせる試みである。無論、単に出かけた学校の子供らに来て貰うだけではなく、アウトリーチでのワークシートや、招待した子供らのためには演奏会で専用の配布物など、かなりのスタッフワークが必要とされる事業のようだ。TANのような専任スタッフと専門家を抱えた文化サービスNPOでなければ、なかなか引き受けにくかろう。
今回のプロジェクトで特徴的なのは、アウトリーチするのが器楽奏者や声楽家ではなく、指揮者のみだったこと。ミネソタ管以来お馴染みの大フィル監督大植英次、東フィルのチョン・ミュン・フン、最近では都響のデプリーストなど、オーケストラを伴わぬ指揮者が単身で出向き、学校のブラスバンドやオーケストラを指導するタイプのアウトリーチは、これまでTANでは殆ど扱っていないはず。初めての試みかも。
本番の前日、リコーダーやらピアニカやらも含むアンサンブル用に音楽の先生が編曲した「運命」第1楽章を、1年間かけて練習しているという豊海小学校4,5年生のところに趣いたプロの指揮者沼尻氏が、どんな指導をしたかは知らぬ。ただ、先生に率いられて第一生命ホールにやってきた50数名の生徒達に向けて、まだ私服ながらちゃんと楽器も用意して席に着いたオーケストラの前に登場した沼尻氏が発した第一声は、「ハイ皆さん、昨日はお疲れ様でした」。なんだかプロの音楽家を相手にしてるみたいな、とっても日常的な風景に見えたから不思議。
本日の本番演目に「運命」はない。子供達のために、夜の本番前の総練習の始めに、特別に「運命」第1楽章をお手本演奏する、という趣旨である。数ヶ月前、この演奏会とアウトリーチプロジェクトについて沼尻氏にインタビューをした際の言葉をそのまま引用し、この特別公開リハーサルの説明とさせていただく。
「(オーケストラは)学校は行きません。向こうから来て貰う。僕は、最初から来て貰わなきゃダメだと思うんです。そのために僕が三鷹のホールの人に言ったのは、ちゃんとチケットも印刷しろ、ということ。それをひとりひとりに配る。何が嫌かって、ああいうところに行くと、先生が、はいそこから詰めて、って、出席番号で詰め込まれたりする。あれは屈辱的ですよね、子供としては。僕は小さい頃はそう思ったね。そうじゃなくて、やっぱりひとりひとりのお客さんとしてチケットを貰って、自分で席を捜して座る。そういうところから始める。劇場に来たときの、最初に席を捜すワクワクする気持ちから味わって貰いたいし。学校にオーケストラが行っちゃったら、それは授業の中の時間にあったっていうい記憶しか残らないでしょう。劇場に来るというのは、ある種の文化の凝縮された狭い空間に入るということ。バブルの頃にDCブームというのがありましたよね。コムデギャルソンのお店に入る、というところでまず勇気がいるじゃないですか。生意気そうなマヌカンに睨まれただけで逃げちゃう、とか(笑)。でも、今、そういうお店も変わってきてるでしょ。プライドは下げないけど、普通の人に入って貰おうとしている。まあ、これは僕のアイデアですよ。これまで1回しかやってないし、定着しているわけじゃない。」
今回のプロジェクトでは、この沼尻氏の言葉がそのまま実現された。学校からトリトンブリッジを渡り、第一生命ロビー下に集まるまでは先生に引率されている。でも、そこでTANディレクターから「みなさん、チケットは自分で一枚づつもってるかな」と問われ、はあああい、と特別に摺られたチケットを高く掲げる様子は、ホントに嬉しそうだ。どこか普段と違う場所に行く晴れがましさ。それが学校から見える高層ビルの間にあるホールという特別な場所である楽しさ。入口ではもぎりのお姉さんがチケットをもぎってくれるし、ちゃんと開演前にはホールに開演チャイムが鳴るし。ホントに豊海小学校の「運命」演奏家諸君のための特別コンサートだ。ロビーから眺める風景は、見慣れた隣町のいつもと違う俯瞰図。
で、沼尻氏が登場し、まずは楽器紹介。おっとその前に、「みんな、じゃあ上に上がってきて」と、生徒を楽器の後ろに集めてしまう。楽器紹介はワイワイガヤガヤ。フォーマルな感じは一気に吹っ飛んじゃったけど、みんな面白そう。うううん、日本中どこの音楽祭に行っても若者連中と飲み仲間になっちゃうコントラバスの黒木さんは、やっぱり小学生にも人気者みたい。もう取り巻きの男の子連中をつくってる。
ひとしきり楽器紹介を終え、「これから演奏しますから、好きなところで聴きなさい」と指揮者が言うと、殆どの子供達が自分に与えられたチケットの席にいそいそと戻っていく。沼尻氏の目論見は成功、ということなんだろう。
目の前で自分らが練習している曲のプロの演奏を聴いたあと、親が同伴で残りたい子供たちにはGPが公開されていた。今日は部活はなし。それはそうでしょう。ちなみに、夜の演奏会に来ると手を挙げた小学生は5名とのこと。約1割という数字は、多いのか少ないのか。
※
数時間後の本番。ニューイヤーコンサートだからなのか、いつものTAN主催演奏会よりも15分早い7時開演だ。それにしても、客席に子供の姿が多い。そもそもTAN主催の第一生命ホールでの演奏会、急激に聴衆の高齢化が進み、あちこちで問題となっている最近のホールにしては珍しく、極めて年齢層が広い。特にそれが今日は際立った。東京のメイジャーコンサートホールではなくて、まるで地方の公共ホールみたい。三鷹という東京近郊をホームベースとしている団体に敢えて隅田川を渡って貰ったのは、「地域密着でたまたま都心にあるローカル民間ホール」を目指すこの場所のあり方とも関係しているのだろう。
「フィガロの結婚」序曲に始まり、珍しいチャイコフスキーのモーツァルトへのトリビュート「モーツァルティアーナ」が前半。後半はコンミストレスの佐分利を独奏とする「タイスの瞑想曲」(独奏者が座ったままでした)を挟み、正月らしいヨハン・シュトラウスⅡのワルツ、ポルカ、行進曲の名曲が並ぶ。全体にちょっとヴィブラートが強いかなぁ、という気もしたのは、三鷹とは随分と響きが違うホールとのマッチングなのかしら。それにしても、話をしているときはどこか醒めたところがある'マエストロ沼尻'、指揮台に立つとすっかり熱血漢で、指揮姿を視ているだけで音楽が出てくるような気持ち良さ。面白いキャラクターの指揮者さんですねぇ。小規模編成のシュトラウスって、管楽器やリズムの切れがハッキリして、これはこれで舞踏音楽らしくて楽しいこと。よく聴くと指揮者は細かいことをいろいろやってるけど、うるさくならないのは立派です。
最初のアンコール「トリッチ・トラッチ・ポルカ」を終え、続く「ピチカート・ポルカ」では、曲の名前を伝えたら、指揮者はリズムにのせて下手に下がっちゃう。そしてコンサートを締める定番中の定番「ラデツキー行進曲」。'マエストロ沼尻'はもういきなり聴衆の方を向き、最初から最後まで手拍子を指揮、コントロールしておりましたとさ。
客席には子供も、近所のオバチャンも、それからTANスタッフの家族の顔も沢山。マニアは評論家はあまりいないけど、こういう演奏会もあるべきなんだろうなぁ。
公演に関する情報
ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
日時: 2006年1月20日(金)19:00開演
出演者:指揮:沼尻竜典、トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ
演奏曲:
W.A.モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492より序曲、
チャイコフスキー:組曲第4番ト長調Op.61「モーツァルティアーナ」、
J.シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」序曲、行進曲「ペルシャ行進曲」Op.289、
マスネ:歌劇「タイス」より瞑想曲(独奏 佐 利 恭子)、
J.シュトラウスⅡ:ワルツ「春の声」Op.410、ポルカ「浮気心」Op.319、
ワルツ「皇帝円舞曲」Op.437、ワルツ「美しく青きドナウ」Op.314
モンテヴェルディ・ガラコンサート
最先端ニューイヤー・コンサート
1月16日、第一生命ホールで「ニューイヤー・コンサート」が開催された。今時の季節、あちこちの文化施設がこの名前でおめでたい演奏会を行うのは、いつのまにやら恒例になっているようだけど、この晴海の場所で、トリトン・アーツ・ネットワークが主催なり共催なりして行うのは始めてじゃないかしら。今年は週末にも主催のそれが控えているようだし。さて、この晩の新年演奏会は、ひとことでいえば「ニューイヤー・オペラコンサート」である。なぜかNHKが松ノ内に全国放送を続けたおかげで、いつのまにかオペラ歌手がオーケストラ伴奏でオペラアリアなどを歌い上げ自慢の喉を披露するイベントは、新年の定番となっている(完全に日本独自の文化のようだが)。この日に第一生命ホールで披露されたのも、作りは同じ。オーケストラ、というわけにはいかないが、著名オペラ指揮者が統率する歌劇場のアンサンブルが、傑作オペラの抜粋や、限りなくオペラに近い独唱を披露するのだ。
ひとつだけこの演奏会がそんじょそこらの「ニューイヤー・オペラコンサート」と違ったのは、披露されるのがヴェルディではなく、モンテヴェルディ、ということ。
それだけの違いである。でも、決定的な違い。要するに、今、音楽ファンの間で最も最先端の流行となっている「バロック・オペラ」なのだ。「オルフェオ」、「ウリッセの帰還」、「ポッペアの戴冠」の3大傑作から名場面を抜粋。さらにはオペラにも匹敵する劇的なソロカンタータの傑作「アリアンナの嘆き」まで。アンサンブルを披露してくれるのは、モーツァルト以前のバロック歌劇上演では世界的に高い評価を受けるドロットニングホルム歌劇場の歌手と同オーケストラのバロックヴァイオリン2丁。テオルボを弾きつつ全体を統率するのはヤコブ・リンドベルイ。同歌劇場での世界最初の歌劇ペリ「エウリディーチェ」上演で絶賛されたバロックオペラの第一人者である。チョン・ミュン・フンが指揮するNHKニューイヤー・オペラコンサートにも匹敵する豪華なラインナップ。正しく21世紀の最先端ニューイヤー・オペラコンサートだ。
音楽の内容については、別の方がモニターなさるだろうから、そちらをご覧あれ。背景に黒い屏風を立て、そこを出入りするだけの簡素極まりない舞台だが、歌手の表現力と演技で場面を作り上げる。恐らくはフィレンツェ・カメラータで世界で最初のオペラが始まったときには、ちょうど第一生命ホールの空間程度のメジチ家の一室が使われ、こんな風な演技が成されたのだろう。後にヴェネチアの裕福な商人やフランス絶対王朝の宮廷が派手な見せ物に堕落させる前の本来のオペラのあり方に接するには、丁度良い規模である。
それにしても、ディスクやらDVDでは大人気、マニアも多いはずのこのジャンルである。レベルの高さはマニアであればあるほど判るはずだ。どうして晴海の夜会場が聴衆で溢れかえらないのかしら。「セネカの死」の絶唱を聴き、新年に相応しい安らぎと独特の厳しさを感じながらも、不思議に思ったものである。このメンバーで北とぴあ音楽祭ででも上演すれば、古楽愛好家が日本中から押し寄せるはずなのに。オーセンティシティ趣味と抜粋は相反するのかしら。もったいないこと。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
モンテヴェルディ・ガラコンサート
日時: 2006年1月16日(金)19:15開演
出演者:ムジカマーノ
【音楽監督:ヤコブ・リンドベルイ、
ソプラノ:ヘレナ・エック/アンナ・エミルソン/マリア・コヘイン、
テノール:ヨーハン・リンデロート/コニー・ティマンダー、
バス:ヘンリク・ビョーク、
ヴァイオリン:マリア・リンダル/エヴァ・リンダル】
演奏曲:
モンテヴェルディ:オペラ「オルフェーオ」/「ウリッセの帰郷」/
「ポッペーアの戴冠」より、「愛と戦いのマドリガーレ集」より
モンテヴェルディ・ガラコンサート
生まれて初めて聴くバロック声楽に包まれて、それが何の違和感もなく入ってくることに、新鮮な驚きを与えて頂いた演奏会でした。クラシック音楽という、長い歴史を持つ音楽のなかですら最初期に位置づけられる時代のモンテヴェルディの音楽から、私たちが心から美しいと感じ、感動する部分を抽出し、少しも完成度を損なわず隅々までわからせてくれるような配慮が、隅々にまで感じられました。
プログラムは、音楽監督でありキタローネ・バロックギター奏者であるヤコブ・リンドベルイさんが、「モンテヴェルディのオペラの最も美しい部分」と、「大好きなマドリガーレ」を選んだものでした。歌劇のクライマックスは、どれも激しく、鮮烈なものでした。これらの曲を歌ったスウェーデンの若い歌手6人(名ソプラノ3名、テノール2名、バス1名)は、リンドベルイさんがこのプログラムに最も適した声を探し求め選んだそうです。
プログラムの前半はマドリガーレから始まり、歌劇「オルフェーオ」からオルフェウスがエウリディチェの死を告げられ、幸福の絶頂からどん底へと突き落とされる場面で終わりました。休憩をはさみ、後半は再度マドリガーレですっかり引き込まれたところで、歌劇「ポッペーアの戴冠」からセネカの死の場面、そしてポッペーアがアルナンタの腕の中で眠りにつく場面......というように、歌劇の劇的な場面に観客が自然に入りこむ事が出来るよう構成された演奏会で、自然な流れと波の高まりのなかで少しも飽きることなく最初から最後まで夢中で聴き入ってしまいました。
最初のマドリガーレ「天と地と」は、歌手6人全員が、代わる代わる声を重ねながら、繰り返し詩の言葉を歌い上げていきます。6人の多彩な声が一行一行詩を歌っていくとき、詩の言葉の韻(tace-affrena-mena-giace)が繰り返し現れながら、同じ言葉の音の中にある無限の色彩をめくるめくように展開していきます。それらの韻と、完成された美しさを持つ不思議な対位法が、音の響きの多彩さの中に、驚くべき統一感を与えていました。
歌手の個性の違いは、最初のマドリガーレからすっかり伝わってきました。そして、ひとりひとりの声をじっくり聴きたい、と思ったところで、数名あるいは一名で歌われるマドリガーレが期待通りに続きます。どの歌手も、言葉の余韻が持つ翳りのようなものに、とても敏感な印象を与えてくれます。言葉が高く歌われるとき、また、低く唸るように歌われるとき、音符には書きこめない声の厚み、暖かく生々しい響きが、抑制と充実をもって使い分けられていました。特にソプラノのアンナ・エミルソンさんにこれを特に強く感じました。またすべての歌手から、バロック声楽に共通するのか、北欧独特のアクセントがあるのか、内面からじわじわと暖かいものがこみ上げてくるような、内面的で神秘的な翳りを感じました。
また歌劇では、こういった声の使い分けが、劇的な感情の表出に最大限に生かされていました。「オルフェーオ」でオルフェウスが絶望する場面の、情景の劇的な移りかわりは、単に登場人物の感情が移り変わるだけでなく、辺りの風景までいっぺんに昼から夜の闇に移り変わってしまったかのように劇的で、登場人物の言葉を歌うことで、これだけの世界を表現できることにただ驚くばかりでした。
ほかにも印象に残った事がいくつかあります。演出や衣装替はささやかながらも気が利いていて、音楽も不純物が無く、核心をしっかり味わわせてくれるものでした。選び抜かれたモンテヴェルディの「音楽の花々」は、私たちの心に身近なものとして、又印象深く届いてきました。よい演奏会を聴くことができました。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
モンテヴェルディ・ガラコンサート
日時: 2006年1月16日(金)19:15開演
出演者:ムジカマーノ
【音楽監督:ヤコブ・リンドベルイ、
ソプラノ:ヘレナ・エック/アンナ・エミルソン/マリア・コヘイン、
テノール:ヨーハン・リンデロート/コニー・ティマンダー、
バス:ヘンリク・ビョーク、
ヴァイオリン:マリア・リンダル/エヴァ・リンダル】
演奏曲:
モンテヴェルディ:オペラ「オルフェーオ」/「ウリッセの帰郷」/
「ポッペーアの戴冠」より、「愛と戦いのマドリガーレ集」より
モンテヴェルディ・ガラコンサート
お恥ずかしながら、オペラやプロの合唱をホールで聴いた経験が殆どありません。そんな私の、このコンサートでの一番の感動は、"人間の声とは、これほど美しいものなのか"ということでした。バロックの歌、歌唱法については、まったく知識も持ち合わせておりませんが、キタローネの演奏と共に、音楽監督でもあるリンドベルイが「このプログラムの演奏に最も適した声の質を探し求め、スウェーデンの若い歌手たちを選びました」ということも功を奏していたかもしれません。(プロフィールによれば、みなさんバロックの専門家のようでした)
プログラムは前半にマドリガーレ(マドリガル)を5曲、その後に歌劇「ウリッセの帰郷」より数曲、そしてまたマドリガーレ、最後に歌劇「オルフェーオ」より数曲。休憩を挟んで後半はまたマドリガーレ5曲に、歌劇「ポッペーアの戴冠」より抜粋、最後にマドリガーレという内容でした。
マドリガーレは世俗歌曲などと訳されたりしていますが、モンテヴェルディの作品は牧歌的なものから劇的なものまで様々です。このコンサートの一番最初の曲「天と地と」は、ヴァイオリン2本、キタローネによる通奏低音の伴奏にソプラノ3人、テノール2人、バス1人の6声でしたが、あっという間に彼らの声に魅了されてしまいました。ホール全体に6つの声が溶け合って、響いてきました。
歌劇「オルフェーオ」の前の「ニンフの嘆き」ではソプラノのマリア・コヘインが可憐な声で愛の苦しみ、悲しみを歌いあげましたが、少し振りも付き、恋に破れたニンフを演じていた姿に引き込まれました。
後半の歌劇の前の一曲「ほんとうのことだ」ではテノールのリンデロートが朗々と歌うのですが、合間合間に合いの手のようなヴァイオリンとキタローネの演奏が入り、そこから歌への受け渡しもなかなか見事なものでした。
さて歌劇のことも書かなくてはなりません。バロック時代の作品なだけに、題材がギリシャ神話、ローマ時代のものである事も面白いものです。ガラ・コンサートと言いつつも、演奏者(歌手)たちは、ちょっとした小道具を使ったり、女性たちは、それほど豪華なものではありませんが、曲にあった衣装に着替えたりして演出も気が利いていました。「オルフェーオ」では、喜びの歌をみんなで歌っていたと思ったら、使者であるヘレナ・エックによって死が伝えられますが、悲しみを見事に表していました。それまでの雰囲気をガラっと変えてしまうのはすごいことだと思いました。最後の「ポッペーアの戴冠」では、それまでの曲では、どちらかといえば縁の下の力持ちの役まわりであったバスのビョークが哲学者セネカを重々しく、存在感たっぷりに、一方ポッペーアのコヘインは無邪気な女性を演じていたのが対照的で楽しめました。
歌い手のことばかりに触れてきましたが、初めてキタローネという楽器も目にしました。リュートの仲間だそうですが、ネック(竿)がとても長い楽器で、低音の撥弦がとてもよく、17世紀ごろの歌の伴奏には通奏低音としてよく演奏されたそうです。今回耳にした、モンテヴェルディの音楽にはヴァイオリンも現代のものでなく、古楽器を使って演奏したことで、非常に効果があったと思いました。
自分からは行かなかったであろう演奏会をモニターさせていただきましたが、非常に良質で、とても素敵な音楽に巡り会えたことに感謝です。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
モンテヴェルディ・ガラコンサート
日時: 2006年1月16日(金)19:15開演
出演者:ムジカマーノ
【音楽監督:ヤコブ・リンドベルイ、
ソプラノ:ヘレナ・エック/アンナ・エミルソン/マリア・コヘイン、
テノール:ヨーハン・リンデロート/コニー・ティマンダー、
バス:ヘンリク・ビョーク、
ヴァイオリン:マリア・リンダル/エヴァ・リンダル】
演奏曲:
モンテヴェルディ:オペラ「オルフェーオ」/「ウリッセの帰郷」/
「ポッペーアの戴冠」より、「愛と戦いのマドリガーレ集」より
第24回ロビーコンサート
弓が弦に触れるや否や、柔らかな音色が拡がった。ロビーの隅々にまで伸びやかに行き渡り、心の奥まで染み通った。
バッハの無伴奏チェロ組曲、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ、全曲に取り組む今川本さんの<バッハシリーズ>。
演奏曲目は、本来チェロ用、ヴァイオリン用に書かれた曲である。これをヴィオラで演奏する際には、ヴァイオリン曲での速いパッセージなどは楽器が少し大きくなるだけで技術的に何倍も難しくなるだろう。逆にチェロのための曲では、低弦の幅広い音を出すのが大変だろうと想像する。川本さんの演奏は、そのような技術的な困難さを微塵も感じさせる事のない、すばらしいものだった。
艶やかな音で始まったプレリュード、歌のあるアルマンド、流れるようなクーラント、陰影に富んだサラバンド、踊り出したくなるように軽快なジーグ。そして最後に到達するシャコンヌは、緊張感に満ちて格調高く、長調に変る瞬間には長い苦悩の後で訪れた安らぎを感じた。
たった1挺のヴィオラで、極限まで楽器を駆使し、これほどの音楽表現を持つ曲を作ったバッハの偉大さにあらためて驚かされる。380年以上も前に作曲されているのに、その後の時代の変化も、地域も、宗教をも超越した普遍性をもって我々を魅了する。今、バッハの作品を聴く事が出来る幸せに感謝の念が湧いてくる。
作曲家の書いた曲、その心を聴き手に伝えてくれるのは演奏家である。川本さんの真摯な演奏があってこそ、バッハの音楽の神髄に触れる事が出来たと言える。演奏家にとって技術的にも精神的にも高度なものを要求されるバッハの音楽、川本さんも『バッハを弾く時は、神に裁判を受けているように緊張する』と話された。立派な演奏をされながら、謙虚な川本さんだった。
無私で向き合う人に、ミューズの神は微笑む・・と感じた今日のコンサートであった。
公演に関する情報
第24回ロビーコンサート
日時: 2006年1月13日(金)
場所: 第一生命ホールロビー
出演者:川本嘉子(ヴィオラ)
演奏曲:
バッハシリーズ 3
J・S ・バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV 1010
プレリュード/アルマンド/クーラント/サラバンド/ブ−レ/ジーグ
J・S ・バッハ:無伴奏パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
アルマンド/クーラント/サラバンド/ジーグ/シャコンヌ
アドヴェントセミナー&クリスマスコンサート
アドヴェント・セミナーの集大成、クリスマスコンサートである。このコンサートはセミナー受講生が10日間におよぶ練習を経て、最後に成果を出す場である。(セミナーの模様は別のモニター原稿があるので参考に)
クリスマスということもあって、会場はとても多くの方が来られていた。親子連れや学生など年齢層も様々で、会場がいつもよりにぎやかな雰囲気だった。私も友人を引き連れて騒いでいたのでその雰囲気づくりに一役買ったのかもしれない。
個人的には、これからプロの演奏家となっていく同世代の学生がどのような音楽をつくるのか興味があった。モニターということもあり、また奏者の真剣さも伝わり、演奏は集中して聴くことができた。
一曲目はモーツァルトのアダージョとフーガ・ハ短調である。この曲は講師なしで完全に受講生のみの弦楽合奏だった。曲は低音の荘厳なアダージョから始まった。ます気づいたことは音色がいつもホールで聞くようなプロの演奏とは違うことだった。透き通った響きをしているが、少し線が細いような感じで、学生オケでもなければ大人たちの弦楽合奏でもない、不思議な清涼感があった。演奏は、やはりよく練習しているだけあってお互いをよく聴き合い、アンサンブルができているように感じた。そのためフーガもお互いが掛け合っている姿が見え、曲の構造が浮かんでくるような演奏だったと思う。一方で、お互いが探り合っているようにも聴こえ、もう少し前に進むような推進力が欲しかったように思う。あと、冒頭の緊張感というかキレのようなものがフーガでも続けばなお良かった。
二曲目はヤナーチェクの弦楽のための組曲。23歳(!)の時の作品である。曲は6つに分かれている。1曲目(モデラート)は冬の森の中にいるような、みずみずしい曲だった。1stバイオリンの音が抜きん出て聴こえ、モーツァルトの演奏にはなかった勢い、熱いものを感じた。2曲目(アダージョ)ではっきりと分かったのだが、この曲から一緒に弾き始めた講師の松原さんが他のバイオリンの受講生をぐいぐい引っ張っていた。他の奏者をあおり、「リーダーシップとはこういうものだ!」「もっと表現できるぞ!」と演奏しながら示しているようだったし、それに受講生が応えて才能が引き出されているように聴こえた。この曲ではビオラの演奏にも光るものがあった。3曲目(アンダンテ・コン・モト)は、演奏が素晴らしく、曲に聴き入ってしまった。ヤナーチェクは20世紀に入ってから作られた晩年の曲が有名で、私もそれしか聴いたことがない。その音楽の魅力は、よく「植物の細胞の増殖」に例えられる、うごめくような生命力、そして素朴なうたごころであると思う。23歳でのこの作品は、晩年の作品の毒気を抜いたような感じで、素直でうたごころにあふれていて好感が持てた。4曲目(プレスト)はよく全般的にアンサンブルができていた。ただ、決めるとこは決めるようなハッとした瞬間が欲しかったように思う。5曲目(アダージョ)は、こまかいニュアンスにこだわりすぎず、よく楽器を響かせ、おおらかにうたってほしかった(2階席だからそう感じたのかもしれないが)。6曲目(アンダンテ)は心に残る演奏だった。ホールの雰囲気も良く、お客様も演奏に聴き入っているように思った。
このヤナーチェクの演奏では、「すごい!」と思える瞬間が何度かあった。演奏は全般的に丁寧で、柔らかい印象だった。ただ、自分をさらけ出すようなエネルギーや、個人の自発性が他の奏者の自発性を呼ぶような面白さも同時に表現できればなお良かったと思った。
三曲目はショスタコーヴィチの弦楽四重奏第一番・ハ長調。講師の先生によるカルテットである。1曲目(モデラート)はコミカルな曲だった。演奏で驚いたのは表情の多彩さ。ミーラッラ、レーラッラ、といったごく単純なモチーフも表情豊かであった。音の立ち上がりと音の終わりのちょっとしたニュアンスの付け方が自由自在、といった感じである。2曲目(モデラート)は憂鬱な曲。心が曇った時の雰囲気を作るのはショスタコーヴィチの得意分野であるが、この曲ではビオラのソロがそれを表現していた。このはかないメロディーを歌うことができるのは、もちろん技術的なこともあるが、音楽への理解と共感がなければできないことだろうと思った。3曲目(アレグロ・モルト)は軽やかでコンパクトな曲。弱音器をつけて疾走する。アンサンブルは巧い。4曲目(アレグロ)はスケルツォのような曲だった。彼の交響曲の10番や12番のアレグロに出てくる、速すぎて音が「帯」になって聞こえる音型や、バイオリン協奏曲第1番のスケルツォのような「不健康な軽さ」など、彼の個性と才能が百貨店のように現れる曲だった。演奏はこの曲がもつ面白さを余すことなく引き出していた。
休憩を挟んで、メインプログラムであるシェーンベルグの浄夜が演奏された。受講生、講師全員での弦楽合奏である。照明が降り、静まりかえったホールの中から音楽が浮かび上がるように演奏が始まった。心情の変化がうねるように現れる曲である。余計なことは考えず、音楽の流れに身を任せるように聴いた。この曲は、音のダイナミクスの変化が非常に広い。演奏では、盛り上がってくる部分では雄弁でゾクゾク来るものがあった。一方で、ピアニッシモで弾くところは難しかったのかもしれない。心を押し殺したような緊張感が今一歩という気がした。聴きながらあらためて感じたのは、この曲が古典主義的な形式感とは対極にあり、全体像がわかりずらいということだった。だからこそ聴き手は、音楽が表現している心情やストーリーに入っていけるかどうかで感動の度合いが変わってくるように思う。私自身は、演奏者が表現しようとしている世界に部分的にしか入り込めず、少し消化不良だったのが悔やまれた。演奏者と聴き手が共感するのが難しい曲なのかもしれないと思った。
演奏を聴きながら気づいたことは、私が今まで第一生命ホールで演奏していたプロの演奏と同列で比較して聴いてしまっていることだった。これはたぶん私だけの感覚ではなくて、他の多くのお客様もプロ演奏が聴けると思って来場するし、実際聴いているのだと思う。つまり、セミナー受講生はもう既に社会からの評価を受け、荒波にもまれているのだなと気づいた。
今回の演奏会は、作曲家の若いころの作品を集め、演奏者も若く、聴き手もそれなりに若い人が集まっていた。作曲家は(もちろん事情は異なるけれど)、自分の音楽を追求するために修行の真っ最中であっただろう。受講生も凄まじい練習をしているだろうし、ホールという社会に開かれた場で演奏を重ねることで逞しくなっているのだと思う。また私自身も、自己の専門性をつけるためにヒーヒー言いながら研究しているし、修活が本格化して(笑)、社会との接点が強くなってきている。
アンコールを聴きながら、「若さ」について共通するものが見えてきた気がした。経験が少ない分、新しく学ぶことや状況の変化に敏感になり、それによって迷いだとか、今後の期待が生まれることなのだと思う。不覚にも自分自身を振り返ることになったし、受講生の頑張る姿に感銘を受けた。
公演に関する情報
クリスマスコンサート2005
日時: 2005年12月24日(土)16:00開演
出演者:松原勝也/鈴木理恵子(Vn)、川崎和憲/市坪俊彦(Va)、
山崎伸子/藤森亮一(Vc)、星秀樹(Cb)、
アドヴェント弦楽合奏団
演奏曲:
W.A.モーツァルト:アダージョとフーガ ハ短調Kv.546
ヤナーチェク:弦楽のための組曲
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番Op.49
シェーンベルク:浄夜Op.4(弦楽合奏版)
アドヴェントセミナー&クリスマスコンサート
~アドヴェントセミナー受講生による室内楽コンサートを聴いて
アドヴェントセミナーは、今年で5年目になります。このセミナーは、弦楽器を対象に9月にオーデイションがあり、それに選ばれた受講生達が、一流の講師に徹底的な指導を受けることを狙いとしています。
そして、クリスマスイヴの本番コンサートに向けて結成されたのがアドヴェント弦楽合奏団です。今日は、本番前のロビーコンサートです。今回の受講生にとっては、ロビーコンサートといっても初の晴れ舞台といえます。特に今回のロビーコンサートは、通常とは異なり、弦楽室内楽5曲で2時間の本格的コンサートです。平日の昼時でもあり、企画サイドとしては、聴衆を若干少なめに予想し80席ほどの椅子を用意しましたが、杞憂でした。急遽、予備の椅子を20席加えるほどでした。一部立ち見のお客様もありました。
1曲目・・シューベルト弦楽四重奏曲第10番変ホ長調D87
第2楽章のリズムが楽しい。第3楽章はいかにもシューベルトらしく、メロデイの豊かさに引き込まれる感じであった。第4楽章もリズム感が心地よい。
演奏は、音符に忠実でいかにもキチットした真面目な演奏という感じでした。2曲目以降も含めて、上質な室内楽でした。各曲に、講師が参加されて要所を引き締めていたということでもあろう。しかし、欲をいえば何か一つ足らない感じでした。これは、全曲の受講生ついて感じた私見でありますが、技術を別にしても、講師の先生達と相違しているのは、その演奏スタイルです。加えて表情です。これらは、プロの卵ととしてこれから成長して行くために経験していく過程であると思いますが。しかし、熱心さ、ひたむきさは良く伝わってきました。
2曲目・・ボッケリーニ弦楽五重奏曲ハ短調op37-1
講師を含めて全員女性であり、衣装がとてもカラフルで楽しい。
第1楽章は、ゆっくりしたテンポで始まり、一転アップテンポになり魅力的なリズムに引き込まれる。第2楽章は、日本の歌曲風牧歌的なメロデイで、癒される感じでした。
ボッケリーには、18世紀後半の作曲家で、優雅で明るい曲調に特徴があり且つ、当代随一のチェロ奏者であったといわれています。それだけに、チェロの特徴を活かした楽しい美しい曲でした。演奏も、これを裏付ける熱演でありました。ボッケリーニが好きになりました。
3曲目・・コダーイセレナーデへ長調op12
コダーイは、20世紀前半にかけて活躍したハンガリー出身の作曲家。バルトークとも付き合いがあったとのことです。現代作曲家にありがちな構えて聴くような曲ではなく、とても幻想的な雰囲気が印象的でした。特に、第2楽章のヴィオラで始まるメロデイがファンタジックでした。
トリオの中ではやはり、1stヴァイオリンが抜きん出ていたのは、当然か。聴衆の中に
、講師の鈴木理恵子さんの演奏を聴きにきたんです、という方がいたのも肯けるところでした。これがコダーイなんだ。いい演奏でした。
4曲目・・モーツアルト弦楽五重奏曲ト短調K516(第1.第3楽章)
これは、私の最も好きな室内楽曲でもあります。モーツアルトには、600曲を超える曲があります。(ケッヘルでは626)その中でも短調の名曲が多いといわれています。
代表的な曲として、交響曲第40番(ト短調)、ピアノ協奏曲K466(二短調)、レクイエム(二短調)それにこの弦楽五重奏曲(ト短調)等々です。しかし、モーツアルトの曲には、圧倒的に長調の曲が多いのです。短調の曲は一割くらいです。でも、印象深いのは、短調の曲ではないでしょうか。
演奏は、第1楽章の短調の特徴をうまく引き出したいい演奏でした。松原講師のリードが目立っていました。天才モーツアルトが紡ぎだした悲しみのメロデイ、余韻を残した演奏でした。
なお、長調と短調の比較を体感としてつかむには、同時期に作曲された弦楽五重奏曲第3番(ハ長調)と聴き比べてください。違いは、一目です。
5曲目・・ドヴォルザーク弦楽五重奏曲第2番ト長調op77(第1.第2楽章)
本日唯一のコントラバス登場。これで弦楽器のそろい踏み。コントラバスが入ることにより、曲の多様性が増す。
優美なメロデイの中にリズムを強調したドヴォルザークらしい曲で、演奏も好演でした。
受講生達は、12月14日からほとんど毎日本番に備えてのリハーサルが21日まで続きました。それも1日のリハーサル時間が長時間に亘りました。皆さん初めての経験とのことでした。出身大学、演奏団体もバラバラなのに、本番直前にはガッチリ一本化しました。とても良い体験でした。とは、受講生の言葉でした。
松原先生を中心として講師の先生方の熱意ある指導で、ここまでの水準にレベルアップしたのでしょう。技術的には、まだこれからでしょうが、熱心さがすぐ目の前で直に伝わる。これもロビコンの魅力でしょう。
これだけの内容と時間をかけての演奏。これが無料。クリスマスツリーをバックにしての演奏。まさにクリスマスプレゼントでした。受講生の皆さん、講師の先生たちありがとうございました。
公演に関する情報
アドヴェントセミナー受講生と講師の室内楽によるロビーコンサート
日時: 2005年12月22日(木)
場所: 第一生命ホールロビー
出演者:アドヴェントセミナー受講生・講師
演奏曲:
シューベルト:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調D87
ボッケリーニ:弦楽五重奏曲ハ短調op37-1
コダーイ:セレナーデへ長調op12
モーツアルト:弦楽五重奏曲ト短調K516(第1.第3楽章)
ドヴォルザーク:弦楽五重奏曲第2番ト長調op77(第1.第2楽章)