ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
アウトリーチの反対はなんというの?
~豊海小学校リング・アンド・リンク「沼尻氏&トウキョウ・モーツァルト・プレイヤーズ」
1月20日に第一生命ホールで開催される沼尻竜典指揮トウキョウ・モーツァルト・プレイヤーズ(TMP)の「ニューイヤー・コンサート」は、TANというNPOが始めて主催する新年演奏会である。出演は沼尻竜典率いるTMP。東京都下三鷹市の公共文化施設「風のホール」を拠点にしている室内オーケストラだ。
この演奏会には、もうひとつ重要なミッションがあった。財団法人日本音楽財団助成事業「親子を定期的にクラシック演奏会に招待する事業」のひとつとして、TANが一昨年から実施している「リンク&リング」なるプロジェクトである。
一言で言えば、「演奏家が学校に行き、その後、関心を持った子供にホールに来て貰う」プロジェクト。アウトリーチ活動とホールでの本番演奏会を積極的にリンクさせる試みである。無論、単に出かけた学校の子供らに来て貰うだけではなく、アウトリーチでのワークシートや、招待した子供らのためには演奏会で専用の配布物など、かなりのスタッフワークが必要とされる事業のようだ。TANのような専任スタッフと専門家を抱えた文化サービスNPOでなければ、なかなか引き受けにくかろう。
今回のプロジェクトで特徴的なのは、アウトリーチするのが器楽奏者や声楽家ではなく、指揮者のみだったこと。ミネソタ管以来お馴染みの大フィル監督大植英次、東フィルのチョン・ミュン・フン、最近では都響のデプリーストなど、オーケストラを伴わぬ指揮者が単身で出向き、学校のブラスバンドやオーケストラを指導するタイプのアウトリーチは、これまでTANでは殆ど扱っていないはず。初めての試みかも。
本番の前日、リコーダーやらピアニカやらも含むアンサンブル用に音楽の先生が編曲した「運命」第1楽章を、1年間かけて練習しているという豊海小学校4,5年生のところに趣いたプロの指揮者沼尻氏が、どんな指導をしたかは知らぬ。ただ、先生に率いられて第一生命ホールにやってきた50数名の生徒達に向けて、まだ私服ながらちゃんと楽器も用意して席に着いたオーケストラの前に登場した沼尻氏が発した第一声は、「ハイ皆さん、昨日はお疲れ様でした」。なんだかプロの音楽家を相手にしてるみたいな、とっても日常的な風景に見えたから不思議。
本日の本番演目に「運命」はない。子供達のために、夜の本番前の総練習の始めに、特別に「運命」第1楽章をお手本演奏する、という趣旨である。数ヶ月前、この演奏会とアウトリーチプロジェクトについて沼尻氏にインタビューをした際の言葉をそのまま引用し、この特別公開リハーサルの説明とさせていただく。
「(オーケストラは)学校は行きません。向こうから来て貰う。僕は、最初から来て貰わなきゃダメだと思うんです。そのために僕が三鷹のホールの人に言ったのは、ちゃんとチケットも印刷しろ、ということ。それをひとりひとりに配る。何が嫌かって、ああいうところに行くと、先生が、はいそこから詰めて、って、出席番号で詰め込まれたりする。あれは屈辱的ですよね、子供としては。僕は小さい頃はそう思ったね。そうじゃなくて、やっぱりひとりひとりのお客さんとしてチケットを貰って、自分で席を捜して座る。そういうところから始める。劇場に来たときの、最初に席を捜すワクワクする気持ちから味わって貰いたいし。学校にオーケストラが行っちゃったら、それは授業の中の時間にあったっていうい記憶しか残らないでしょう。劇場に来るというのは、ある種の文化の凝縮された狭い空間に入るということ。バブルの頃にDCブームというのがありましたよね。コムデギャルソンのお店に入る、というところでまず勇気がいるじゃないですか。生意気そうなマヌカンに睨まれただけで逃げちゃう、とか(笑)。でも、今、そういうお店も変わってきてるでしょ。プライドは下げないけど、普通の人に入って貰おうとしている。まあ、これは僕のアイデアですよ。これまで1回しかやってないし、定着しているわけじゃない。」
今回のプロジェクトでは、この沼尻氏の言葉がそのまま実現された。学校からトリトンブリッジを渡り、第一生命ロビー下に集まるまでは先生に引率されている。でも、そこでTANディレクターから「みなさん、チケットは自分で一枚づつもってるかな」と問われ、はあああい、と特別に摺られたチケットを高く掲げる様子は、ホントに嬉しそうだ。どこか普段と違う場所に行く晴れがましさ。それが学校から見える高層ビルの間にあるホールという特別な場所である楽しさ。入口ではもぎりのお姉さんがチケットをもぎってくれるし、ちゃんと開演前にはホールに開演チャイムが鳴るし。ホントに豊海小学校の「運命」演奏家諸君のための特別コンサートだ。ロビーから眺める風景は、見慣れた隣町のいつもと違う俯瞰図。
で、沼尻氏が登場し、まずは楽器紹介。おっとその前に、「みんな、じゃあ上に上がってきて」と、生徒を楽器の後ろに集めてしまう。楽器紹介はワイワイガヤガヤ。フォーマルな感じは一気に吹っ飛んじゃったけど、みんな面白そう。うううん、日本中どこの音楽祭に行っても若者連中と飲み仲間になっちゃうコントラバスの黒木さんは、やっぱり小学生にも人気者みたい。もう取り巻きの男の子連中をつくってる。
ひとしきり楽器紹介を終え、「これから演奏しますから、好きなところで聴きなさい」と指揮者が言うと、殆どの子供達が自分に与えられたチケットの席にいそいそと戻っていく。沼尻氏の目論見は成功、ということなんだろう。
目の前で自分らが練習している曲のプロの演奏を聴いたあと、親が同伴で残りたい子供たちにはGPが公開されていた。今日は部活はなし。それはそうでしょう。ちなみに、夜の演奏会に来ると手を挙げた小学生は5名とのこと。約1割という数字は、多いのか少ないのか。
※
数時間後の本番。ニューイヤーコンサートだからなのか、いつものTAN主催演奏会よりも15分早い7時開演だ。それにしても、客席に子供の姿が多い。そもそもTAN主催の第一生命ホールでの演奏会、急激に聴衆の高齢化が進み、あちこちで問題となっている最近のホールにしては珍しく、極めて年齢層が広い。特にそれが今日は際立った。東京のメイジャーコンサートホールではなくて、まるで地方の公共ホールみたい。三鷹という東京近郊をホームベースとしている団体に敢えて隅田川を渡って貰ったのは、「地域密着でたまたま都心にあるローカル民間ホール」を目指すこの場所のあり方とも関係しているのだろう。
「フィガロの結婚」序曲に始まり、珍しいチャイコフスキーのモーツァルトへのトリビュート「モーツァルティアーナ」が前半。後半はコンミストレスの佐分利を独奏とする「タイスの瞑想曲」(独奏者が座ったままでした)を挟み、正月らしいヨハン・シュトラウスⅡのワルツ、ポルカ、行進曲の名曲が並ぶ。全体にちょっとヴィブラートが強いかなぁ、という気もしたのは、三鷹とは随分と響きが違うホールとのマッチングなのかしら。それにしても、話をしているときはどこか醒めたところがある'マエストロ沼尻'、指揮台に立つとすっかり熱血漢で、指揮姿を視ているだけで音楽が出てくるような気持ち良さ。面白いキャラクターの指揮者さんですねぇ。小規模編成のシュトラウスって、管楽器やリズムの切れがハッキリして、これはこれで舞踏音楽らしくて楽しいこと。よく聴くと指揮者は細かいことをいろいろやってるけど、うるさくならないのは立派です。
最初のアンコール「トリッチ・トラッチ・ポルカ」を終え、続く「ピチカート・ポルカ」では、曲の名前を伝えたら、指揮者はリズムにのせて下手に下がっちゃう。そしてコンサートを締める定番中の定番「ラデツキー行進曲」。'マエストロ沼尻'はもういきなり聴衆の方を向き、最初から最後まで手拍子を指揮、コントロールしておりましたとさ。
客席には子供も、近所のオバチャンも、それからTANスタッフの家族の顔も沢山。マニアは評論家はあまりいないけど、こういう演奏会もあるべきなんだろうなぁ。
公演に関する情報
ニューイヤーコンサート2006
~ウイーンの香りに包まれて~
日時: 2006年1月20日(金)19:00開演
出演者:指揮:沼尻竜典、トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ
演奏曲:
W.A.モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492より序曲、
チャイコフスキー:組曲第4番ト長調Op.61「モーツァルティアーナ」、
J.シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」序曲、行進曲「ペルシャ行進曲」Op.289、
マスネ:歌劇「タイス」より瞑想曲(独奏 佐 利 恭子)、
J.シュトラウスⅡ:ワルツ「春の声」Op.410、ポルカ「浮気心」Op.319、
ワルツ「皇帝円舞曲」Op.437、ワルツ「美しく青きドナウ」Op.314