アドヴェントセミナー&クリスマスコンサート
報告:小川泰史/大学院生(比較組織ネットワーク学)/2階C3列3番
投稿日:2006.01.16
アドヴェント・セミナーの集大成、クリスマスコンサートである。このコンサートはセミナー受講生が10日間におよぶ練習を経て、最後に成果を出す場である。(セミナーの模様は別のモニター原稿があるので参考に)
クリスマスということもあって、会場はとても多くの方が来られていた。親子連れや学生など年齢層も様々で、会場がいつもよりにぎやかな雰囲気だった。私も友人を引き連れて騒いでいたのでその雰囲気づくりに一役買ったのかもしれない。
個人的には、これからプロの演奏家となっていく同世代の学生がどのような音楽をつくるのか興味があった。モニターということもあり、また奏者の真剣さも伝わり、演奏は集中して聴くことができた。
一曲目はモーツァルトのアダージョとフーガ・ハ短調である。この曲は講師なしで完全に受講生のみの弦楽合奏だった。曲は低音の荘厳なアダージョから始まった。ます気づいたことは音色がいつもホールで聞くようなプロの演奏とは違うことだった。透き通った響きをしているが、少し線が細いような感じで、学生オケでもなければ大人たちの弦楽合奏でもない、不思議な清涼感があった。演奏は、やはりよく練習しているだけあってお互いをよく聴き合い、アンサンブルができているように感じた。そのためフーガもお互いが掛け合っている姿が見え、曲の構造が浮かんでくるような演奏だったと思う。一方で、お互いが探り合っているようにも聴こえ、もう少し前に進むような推進力が欲しかったように思う。あと、冒頭の緊張感というかキレのようなものがフーガでも続けばなお良かった。
二曲目はヤナーチェクの弦楽のための組曲。23歳(!)の時の作品である。曲は6つに分かれている。1曲目(モデラート)は冬の森の中にいるような、みずみずしい曲だった。1stバイオリンの音が抜きん出て聴こえ、モーツァルトの演奏にはなかった勢い、熱いものを感じた。2曲目(アダージョ)ではっきりと分かったのだが、この曲から一緒に弾き始めた講師の松原さんが他のバイオリンの受講生をぐいぐい引っ張っていた。他の奏者をあおり、「リーダーシップとはこういうものだ!」「もっと表現できるぞ!」と演奏しながら示しているようだったし、それに受講生が応えて才能が引き出されているように聴こえた。この曲ではビオラの演奏にも光るものがあった。3曲目(アンダンテ・コン・モト)は、演奏が素晴らしく、曲に聴き入ってしまった。ヤナーチェクは20世紀に入ってから作られた晩年の曲が有名で、私もそれしか聴いたことがない。その音楽の魅力は、よく「植物の細胞の増殖」に例えられる、うごめくような生命力、そして素朴なうたごころであると思う。23歳でのこの作品は、晩年の作品の毒気を抜いたような感じで、素直でうたごころにあふれていて好感が持てた。4曲目(プレスト)はよく全般的にアンサンブルができていた。ただ、決めるとこは決めるようなハッとした瞬間が欲しかったように思う。5曲目(アダージョ)は、こまかいニュアンスにこだわりすぎず、よく楽器を響かせ、おおらかにうたってほしかった(2階席だからそう感じたのかもしれないが)。6曲目(アンダンテ)は心に残る演奏だった。ホールの雰囲気も良く、お客様も演奏に聴き入っているように思った。
このヤナーチェクの演奏では、「すごい!」と思える瞬間が何度かあった。演奏は全般的に丁寧で、柔らかい印象だった。ただ、自分をさらけ出すようなエネルギーや、個人の自発性が他の奏者の自発性を呼ぶような面白さも同時に表現できればなお良かったと思った。
三曲目はショスタコーヴィチの弦楽四重奏第一番・ハ長調。講師の先生によるカルテットである。1曲目(モデラート)はコミカルな曲だった。演奏で驚いたのは表情の多彩さ。ミーラッラ、レーラッラ、といったごく単純なモチーフも表情豊かであった。音の立ち上がりと音の終わりのちょっとしたニュアンスの付け方が自由自在、といった感じである。2曲目(モデラート)は憂鬱な曲。心が曇った時の雰囲気を作るのはショスタコーヴィチの得意分野であるが、この曲ではビオラのソロがそれを表現していた。このはかないメロディーを歌うことができるのは、もちろん技術的なこともあるが、音楽への理解と共感がなければできないことだろうと思った。3曲目(アレグロ・モルト)は軽やかでコンパクトな曲。弱音器をつけて疾走する。アンサンブルは巧い。4曲目(アレグロ)はスケルツォのような曲だった。彼の交響曲の10番や12番のアレグロに出てくる、速すぎて音が「帯」になって聞こえる音型や、バイオリン協奏曲第1番のスケルツォのような「不健康な軽さ」など、彼の個性と才能が百貨店のように現れる曲だった。演奏はこの曲がもつ面白さを余すことなく引き出していた。
休憩を挟んで、メインプログラムであるシェーンベルグの浄夜が演奏された。受講生、講師全員での弦楽合奏である。照明が降り、静まりかえったホールの中から音楽が浮かび上がるように演奏が始まった。心情の変化がうねるように現れる曲である。余計なことは考えず、音楽の流れに身を任せるように聴いた。この曲は、音のダイナミクスの変化が非常に広い。演奏では、盛り上がってくる部分では雄弁でゾクゾク来るものがあった。一方で、ピアニッシモで弾くところは難しかったのかもしれない。心を押し殺したような緊張感が今一歩という気がした。聴きながらあらためて感じたのは、この曲が古典主義的な形式感とは対極にあり、全体像がわかりずらいということだった。だからこそ聴き手は、音楽が表現している心情やストーリーに入っていけるかどうかで感動の度合いが変わってくるように思う。私自身は、演奏者が表現しようとしている世界に部分的にしか入り込めず、少し消化不良だったのが悔やまれた。演奏者と聴き手が共感するのが難しい曲なのかもしれないと思った。
演奏を聴きながら気づいたことは、私が今まで第一生命ホールで演奏していたプロの演奏と同列で比較して聴いてしまっていることだった。これはたぶん私だけの感覚ではなくて、他の多くのお客様もプロ演奏が聴けると思って来場するし、実際聴いているのだと思う。つまり、セミナー受講生はもう既に社会からの評価を受け、荒波にもまれているのだなと気づいた。
今回の演奏会は、作曲家の若いころの作品を集め、演奏者も若く、聴き手もそれなりに若い人が集まっていた。作曲家は(もちろん事情は異なるけれど)、自分の音楽を追求するために修行の真っ最中であっただろう。受講生も凄まじい練習をしているだろうし、ホールという社会に開かれた場で演奏を重ねることで逞しくなっているのだと思う。また私自身も、自己の専門性をつけるためにヒーヒー言いながら研究しているし、修活が本格化して(笑)、社会との接点が強くなってきている。
アンコールを聴きながら、「若さ」について共通するものが見えてきた気がした。経験が少ない分、新しく学ぶことや状況の変化に敏感になり、それによって迷いだとか、今後の期待が生まれることなのだと思う。不覚にも自分自身を振り返ることになったし、受講生の頑張る姿に感銘を受けた。
公演に関する情報
クリスマスコンサート2005
日時: 2005年12月24日(土)16:00開演
出演者:松原勝也/鈴木理恵子(Vn)、川崎和憲/市坪俊彦(Va)、
山崎伸子/藤森亮一(Vc)、星秀樹(Cb)、
アドヴェント弦楽合奏団
演奏曲:
W.A.モーツァルト:アダージョとフーガ ハ短調Kv.546
ヤナーチェク:弦楽のための組曲
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番Op.49
シェーンベルク:浄夜Op.4(弦楽合奏版)