2005.10
ふたりでコンサートⅡ
~オペラの名曲を聴きながら素敵な時間をおふたりで~
「そろそろ夫婦ふたりの時間を持ちたいけれど、なんとなく照れくさい。
そんなおふたりが音楽を聴くことで昔に戻って
これからの時間を楽しむきっかけになりますように。」
プログラムの表紙に書かれていた上記のコンセプトにはちょっと対象外だったが、オペラにはそれ程興味のなかった彼が「行ってみようか」と言うので、「ふたりでコンサートⅡ~オペラの名曲を聴きながら素敵な時間をおふたりで~」に足を運んだ。満員となったホールには、ご年輩のカップルでまさに「ふたりでコンサート」している方が大勢いらしており、通常の客層とは一味違った雰囲気。もちろん、我々のような若い(?)カップル、そして友人同士なども多かった。
コンサートは、バリトンの折江忠道が引導役となり、曲にまつわるエピソードや出演者の紹介、音楽の楽しみ方等、ユーモアたっぷりの巧みな話術で進行された。前半は出演者4人がそれぞれお好きな曲を選んだという歌曲やオペラ、ミュージカルナンバーなどを披露。ライトアップされたステージに、出演者はワイン片手に歌ったり、踊ったり、飲んだり、酔っ払ったり(?!)。我々観客も何だかグラス片手に聴いているような気分になり、ホール全体リラックスした雰囲気に包まれた。前半の最終曲、シュトラウスの「こうもり」から《公爵様、あなたのようなお方は》では、現在最も注目されているソプラノの一人高橋薫子が、ピュアでのびやかな声を響かせて爽快に笑い飛ばし、その豊かな表現力に魅了された。
「コンサートホールで、出演者と観客が同じ時間を共有しあうことは素晴らしいし、まして隣に愛する人がいるならばこんな幸せな事はない」。こんな折江氏の言葉で始まった後半は、オペラの名曲がズラリと並んだプログラム。
ビゼーの《カルメン》では、セクシーな深紅のドレスに身を包んだ若手メゾ・ソプラノの河野由美子が観客席の間を練り歩き、何だか照れくさそうに硬直している男性客を挑発して歌うと、会場内から小さな笑い声がおこる。また、プッチーニの名アリア《星は光りぬ》では、まだ20代にして今後の活躍が期待される若手テノール平尾憲嗣が、張りのある歌声を披露し、ホール内の温度も徐々に上がってきた。モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」から《お手をどうぞ》は、ツェルリーナ役ソプラノ高橋氏を折江氏が誘惑する二重唱で、「のぶりん(高橋氏)みたいに上手くて、若くて、可愛いい人が相手役だと稽古していても疲れないのですよ」という折江氏の発言通り、息のあった美しい歌声が会場内に響き渡った。
そして、ついに最後は4人全員が登場。ヴェルディの「リゴレット」から四重唱《いつかあなたに会った時から》を、まさにオペラの醍醐味を見せ付けるがごとく、それぞれが表情豊かに歌い上げると、満員の観客からは割れんばかりの拍手と「ブラヴォー」の連呼。続くアンコールの「オー・ソレ・ミーオ」で、会場内のヴォルテージは最高潮を迎え、コンサート終了直後には、ステージと観客席が確かに一体化したような、地鳴りのようなものを聞いた気がした。
そんな中、二階中央の観客席にふと目をやった私。皆何だか顔をほころばせて拍手されているのがわかった。それはもちろん、(今流行りの)お笑い芸人を見て突発的に笑っている表情でもないし、その瞬間だけを楽しんでいるのともチョッと違う。心が満たされた時に自ずと内面から湧き上がってくる、そんな表情だ。愛する人と心満たされる時間を共有すること、「ふたりの」人生を豊かにする一期一会の花が、色鮮やかに咲いた瞬間だったのかもしれない。
公演に関する情報
〈ライフサイクルコンサート16〉
ふたりでコンサートⅡ
~オペラの名曲を聴きながら素敵な時間をおふたりで~
日時: 2005年10月30日(日)15:00開演
出演者:高橋薫子(ソプラノ)、向野由美子(メゾ・ソプラノ)、
平尾憲嗣(テノール)、折江忠道(バリトン)、奥谷恭代(ピアノ)
演奏曲:
第1部
ロドリーゴ:お母さん、ポプラの林へ行ってきた~「4つの愛のマドリガル」より
ロッシーニ:約束、クルティス:忘れな草、
Rロジャース:魅惑の宵~ミュージカル「南太平洋」より/
シャル・ウイ・ダンス~ミュージカル「王様と私」より
レハール:君はわが心のすべて~オペレッタ「ほほえみの国」より、
カールマン:来てくれジプシー~オペレッタ「伯爵夫人マリッツァ」より、
J.シュトラウス:十人十色/侯爵様、あなたのようなお方は~オペレッタ「こうもり」より
第2部
G.ドニゼッティ:いとしい妙薬!僕のもの!~オペラ「愛の妙薬」より、
G.ビゼー:ハバネラ~オペラ「カルメン」より、
G.プッチーニ:星は光ぬ~オペラ「トスカ」より、
G.ロッシーニ:今の歌声は心にひびく~オペラ「セビーリャの理髪師」より、
G.ヴェルディ:プロヴァンスの海と陸~オペラ「椿姫」より/
四重唱「いつかあなたに会った時から」~オペラ「リゴレット」より
ふたりでコンサートⅡ
~オペラの名曲を聴きながら素敵な時間をおふたりで~
トリトン・アーツ・ネットワークが主催する演奏会は、基本的には全てシリーズとしての位置付けがあるそうな。10月30日日曜日の午後、第一生命ホールで行われた「ふたりでコンサートⅡ」は、「ライフサイクル・コンサート」に分類されている。その意味がどうあれ、「コンサートを中心とした休日の生活サイクル」としてパッケージが作れるオプションが様々に用意されていたことは確かだ。
この演奏会を「理想的」にモニターするためには、以下のようでなければならぬ。
まず、夫婦者か友人とでの参加。ペアチケットを購入し、自宅最寄り駅から電車を乗り継ぎ、午前11時に地下鉄月島駅6番出口に集合。佃在住TANサポーターさんの先導で、佃島のあちこちを眺め歩き、隅田川縁を歩き、軽くランチ。ホールの客席に座り、終演後はトリトンのレストランで東京湾岸の夜景を眺めながらディナーを頂く...という筋書き。これでペアチケット食事電車賃込みでお二人様1万5千円くらいかしら。熟年夫婦の秋の日曜日の楽しみとすれば、妥当なところだろう。
そんなレポートが出来れば理想なんだろうが、筆者のその日の実態たるや以下。
まず、地元佃在住のオッサンがひとり、チャリチャリと自転車を転がしてトリトンまで行く。自転車置き場に留め、フードコートでハロウィン装束の子供らが行進するのを呆然と眺めつつ焼き鳥丼を喰らい、本屋を覗き、ホールへ向かい演奏会を鑑賞。終るや、時計を覗きつつ連絡先に電話を入れ、相手に渡すものを渡し、家に飛んで帰って別の場所で7時から始まる某弦楽四重奏団マスタークラスに向かうべく地下鉄月島駅へ。いやはや。
「ライフサイクルコンサート/ふたりでコンサート」の趣旨に反するのは明瞭。だから、このレポートは、意図された聴衆対象ではない場所からの感想である。
なにはともあれ、2階横から客席を見渡せば、ほぼ満員。スタッフに拠れば、聴衆の実数は600弱。そのうちペア券は100セットほどというのだから、「ライフサイクル・コンサート/ふたりでコンサート」としての趣旨は伝わっているといえるだろう。嫁さんと一緒にオペラの歌なんて演奏会に来ちゃったよ、という感じの恥ずかしげなオジサンたちもチラホラ。数は少ないが熱心な聴衆が集まる「クァルテット・ウェンズディ」の客席を見慣れた目には、普段とは相当に違ったホールの雰囲気である。ロビーから眺める佃や銀座方面の風景を携帯電話のカメラで記念撮影をしたり、あれが聖路加タワーで向こうが銀座、あっちが新橋のコレドで......なんて珍しそうに話し合っているご夫婦の姿も。おお、夏の住吉神社の例大祭で一緒に浴衣で御輿を担いだ町内会役員の豆腐屋さんご夫妻がいるではないか。「第一生命ホールって、一度行ってみたかったんだけど、なかなか機会がなくてねぇ」と、自宅の方を眺めていらっしゃる。
で、音楽である。バリトン折江忠通が司会進行を務めつつ、藤原歌劇団がこの日のために選んだ若手・実力派歌手が四声部並び、次々と声を披露する。お話で客席を笑わせ、ワイン瓶一本を小道具の狂言まわしにさりげない情景を描き、ミュージカル・ナンバーでは舞台で踊り、さらには客席から登場した赤いドレスのカルメンが奥様と連れ立って来たお父さんを誘惑しドギマギさせる。さすがにオペラに慣れた方々、大人の芸である。こんなオペラアリア集の演奏会は、客席の方がある程度以上「楽しんでやるぞ」と気構えていないとしらけてしまうものだけど、さすがにこの日の聴衆は判っている。このような「大人の雰囲気」が作れる演奏家は、案外いない。それに乗れる聴衆も、案外といないもんなのだけど。
というわけで、孤独なオジサンのレポートはこれにて終了。
あ、ひとつ付け加えておきましょう。晴海の新しい第一生命ホールでは、このようなイタリア系声楽のコンサートは珍しいようだ。でも、日比谷の旧第一生命ホールを回顧できる音楽ファンならば、あの場所が誰よりも声楽家に、特にイタリア系の歌い手たちに愛された場所だったことを、記憶しているだろう。旧第一生命ホールは、帝劇裏の便利な歌曲リサイタル会場だったのだ。近所の帝国ホテル住まいの藤原歌劇団創設者藤原義江を筆頭に、長門美保や柳兼子、果ては鮫島有美子まで、数多くの歌手達があの重厚な空間に声を響かせていた。それに、長くイタリア声楽コンクールの会場だったのだ。藤原歌劇団の古株には、お堀端の旧第一生命ホールを懐かしく想い出す者も多かろう。
そんな過去の日がちょっとだけ蘇ったような、一瞬のデジャヴ。そんな感慨を抱いたのは、他に誰もいなかったかもしれないけど。
公演に関する情報
〈ライフサイクルコンサート16〉
ふたりでコンサートⅡ
~オペラの名曲を聴きながら素敵な時間をおふたりで~
日時: 2005年10月30日(日)15:00開演
出演者:高橋薫子(ソプラノ)、向野由美子(メゾ・ソプラノ)、
平尾憲嗣(テノール)、折江忠道(バリトン)、奥谷恭代(ピアノ)
演奏曲:
第1部
ロドリーゴ:お母さん、ポプラの林へ行ってきた~「4つの愛のマドリガル」より
ロッシーニ:約束、クルティス:忘れな草、
Rロジャース:魅惑の宵~ミュージカル「南太平洋」より/
シャル・ウイ・ダンス~ミュージカル「王様と私」より
レハール:君はわが心のすべて~オペレッタ「ほほえみの国」より、
カールマン:来てくれジプシー~オペレッタ「伯爵夫人マリッツァ」より、
J.シュトラウス:十人十色/侯爵様、あなたのようなお方は~オペレッタ「こうもり」より
第2部
G.ドニゼッティ:いとしい妙薬!僕のもの!~オペラ「愛の妙薬」より、
G.ビゼー:ハバネラ~オペラ「カルメン」より、
G.プッチーニ:星は光ぬ~オペラ「トスカ」より、
G.ロッシーニ:今の歌声は心にひびく~オペラ「セビーリャの理髪師」より、
G.ヴェルディ:プロヴァンスの海と陸~オペラ「椿姫」より/
四重唱「いつかあなたに会った時から」~オペラ「リゴレット」より
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会2
始めに断っておくと、私とバルトークの弦楽四重奏曲は、8年前位に購入したノヴァーク弦楽四重奏団のCDでチラリと聴いたきりの極めて浅い付き合いだ(もちろん、漠然とした印象しか思い出せない)。今回、コンサートへ出掛ける直前に、そのCDを何とか探し当てて、第6番の冒頭部分を少しだけ耳に残した。古典四重奏団についても、雑誌の記事で見かける事はあっても、演奏を聴くのは今回が初めてである。そんな、いわゆる予備知識ほとんどゼロの私が、いかにして本コンサートを楽しんだのか、以下はそのレポートだ。
客席に着くなり、プログラムノートに目を通すわけだが、ヴァイオリンの川原さんご自身が書かれていたので、演奏者の声として興味深く読み進めた。やがて、舞台には集中した面持ちの古典四重奏団の姿がポツポツと現れる。譜面台のないステージが緊張感をより煽り立てているように見えた。(ああ、何だかスリリング)
さて、第4番。初めて聴いた古典四重奏団の演奏は、決して攻撃的にならず、躍動感をもちながらも緻密にもとめて上げている印象をもった。第4番の第1楽章、緊迫感に満ちた冒頭モチーフに続き、半音階的な動きや無調的で強烈に和声がぶつかり合う場面も、決して狂気的に聴こえてこなかった。全体の中心となる第3楽章は、深い闇夜の霊気の中で、即興的に民族的な歌が朗々と流れているイメージが頭に浮かび、田崎さんのチェロが紡ぐその柔らかな肉声にしばし耳を傾けた。すべてビチカートで演奏される第4楽章は、終盤で何だか津軽三味線を聴いているような気分に...(私だけかもしれないけれど。でも、バルトークだったらチョッとだけあり得るかしら?!)最終楽章は、(たぶん)第1楽章で聴いたような素材が展開され、「どんな風に終わるのか」少し期待していたら、第1楽章と全く同じ終止でみごと帰還した。本当に厳密なまでのシンメトリック(対象性)構造。このまとまり感って、何だか人間に安心感を与えてくれるものだ。
第5番は、4番よりも調性的で、楽章間のシンメトリックも4番よりは分かりやすく聴けた。第1楽章の古典四重奏団の演奏は、威厳に満ちた冒頭部分、ヴィオラの三輪さんが川原さんの動きをジーッと見ながら演奏しているのが印象的。暗譜していなければ、なかなか出来ないことだもの。第2楽章は、調性的なハーモニーが、思索的にゆったりと進行し、その中をさまよい歩くのびやかなヴァイオリンの音色がとりわけ美しかった。第3楽章は、プログラムノートによれば、舞踏リズム(ブルガリアリズム)を全面的に用いていており、こんな不均等なリズムでよくぞ踊れるものだなんて始めは思ったが、いつしか血が騒ぎ出したかのようにのめり込んでいく(笑)。そして何といっても第5楽章が面白い。第1楽章と同様に4人の息の合った冒頭のモチーフがとんどん切迫して展開されていく。中間部には第1楽章のモチーフ(待ってました!)がフーガの形で登場し、古典四重奏団の演奏にも緊張感がひた走ったが、非常に整然とした印象だった。終盤は、4つの楽器の生々しい叫び声が途切れると、いきなり子どもの民謡みたいな歌が、奇妙な歪みをもって現れる、これは夢か幻か・・・。「今の何?」なんて思う間も無く、時間芸術とは酷なことに、アッという間にフィナーレに向かって怒涛の勢いで再び流れ込んでいってしまった。
いよいよ最終曲、バルトークの最後の弦楽四重奏曲である第6番は、アメリカへ亡命する前年に書かれたとの事、祖国への告別の思いなどが、各楽章の冒頭に置かれた「メスト(悲しげに)」の部分に託されている。第1楽章冒頭、ヴィオラの三輪さんがそのメストの旋律を、孤独に、それでいて愁訴するような力強さも残して奏でられた。しかし、楽章が進むにつれ、メスト部分はより深遠な悲しみに落ち込んでいく。ついに最終楽章では4つの楽器全体がメスト主題に支配されることで、人間バルトークの痛切な情感が私の胸に押し寄せてくる。最後に第1楽章と同様、三輪さんがメストを弾くが、それは既に力なく、虚無感すら覚えるようなもので、何か人間の未来をも危惧しているかのごとく、ひたすら、不安に、悲しく、聴こえてきた。
・・・というわけで、予備知識ゼロの私だったが、バルトーク弦楽四重奏曲第4番から6番までの明確な個性や構造(といっても、1度聴いただけでそんな正確にはわからなかったけれど)、何だか血が騒ぐようなリズム、どこか懐かしくなるような民謡の数々、古典四重奏団の推進力と緻密で真摯な演奏、決して汚さない音色と溶け合う響きなど、私の勝手な創造力も手伝って思いがけず幾つかの発見を生んだ。そして何よりも、第6番の最終楽章で、自分の感性が研ぎ澄まされていくような、何かそんな感覚に包まれた事は、コンサート空間で聴くことの醍醐味。
演奏直後の古典四重奏団の表情は、第6番に引きずられたように憂色が濃かったけれど、2、3回目のカーテンコールの際に、川原さんと三輪さんの表情がゆるみ、控えめな笑みを浮かべていた。この瞬間、何だか私は彼らをとっても応援したくなって、より一層力を込めて拍手を送ってしまった。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#42〉
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会2
日時: 2005年10月12日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真/花崎淳生(Vn)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
バルトーク:弦楽四重奏曲第4番Sz91、
弦楽四重奏曲第5番Sz102、弦楽四重奏曲第6番Sz114
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会2
内奥からの感情は、それを強調するよりもさりげなく語るほうが、返って際立つということがある。細部に気を留めなければうっかり聴き逃してしまうけれども、注意深く耳を澄ましていると、意外な創意や工夫に驚いてしまう。バルトークはわざとらしく強調したり、いかにもという素振りを見せないから、初めて聴く人は距離感を覚えるかもしれない。しかしながら、ゲームはルールを知れば必ず楽しめるものである。森に入り込んで踏み迷うことがあったとしても、地図とコンパスさえあれば、私たちはどこを歩いているかを知ることができるだろう。
10月1日に開かれた古典四重奏団のレクチャーコンサートは、いわばバルトークの森を案内するコンパスであった。演奏を伴いながら、クロアチアの民謡がベートーヴェン≪田園≫に酷似していることを記したバルトークの論文の紹介に始まり、≪田園≫第2楽章の内声に出てくる水の流れのような音型を、バルトークの弦楽四重奏曲第6番第3楽章の中間部に照らし合わせてみたり、第4番第3楽章のヴァイオリンに「確実に鳥の声」(チェロの田崎瑞博さん)を聴き取ることができると解説された。自然描写的なモティーフだけではなく、バルトークには「宇宙」が広がっている。バッハの≪フーガの技法≫が「大宇宙」ならば、バルトークの第4番第2楽章は「小宇宙」、まるで「万華鏡の世界」だという(しかもバルトークの楽譜は厳密で偶然性の介在を許さないから難曲だという)。第5番第1楽章のコーダに出てくるカノンを「巨大なクロスワードパズル」と田崎さんは表現し、最後に第6番全体を「自己との対話」と位置付けた。全楽章とも冒頭に"Mesto"(悲しげに)と記された同一のモットーから音楽が始まるこの曲の特殊性を強調し、第4楽章はカノン風でありながら「しかし相手が歌い終わる前に重なり合い、一度も協和していないのに美しい」と田崎さんは述べられた。
レクチャーでお話を聴いていると、彼らのバルトークに対する思いの深さが伝わってくる。だからといって、10月12日「バルトーク全曲演奏会第2回」での古典四重奏団は過度に熱くなったり、冷静さを失ったりはしなかった。変わったリズムをここぞとばかりに強調したり、作為的にわざとらしく弾いてみたりすることを巧妙に避けている。客席に挨拶するときも笑わない。しかし彼らの職人的な音楽家ぶりは落ち着いていて、逆に安心感を生むような気がする。
弦楽四重奏曲第4番は、第3楽章に長いチェロのソロが出てくる。田崎さんはことさらに強く弾いたりはしないが、装飾音を和音のように重ねて弾くところに好みが現れていると思った。第4楽章のピチカートは、ときおり指板へ強く叩きつけるように弦をはじく部分があるが、第1ヴァイオリンの川原千真さんは、これを激しく打ち鳴らし、フレーズの切れ目ごとに右手を大きく円を描くように振り上げていた。
第5番を聴いていると、極限まで速く弾こうとしているみたいで、まるでテープを二倍速で流しているくらい超人的な技だった。第5楽章はテンポが速まったことで逆に、大局的な曲の構造が見えやすくなり、各楽器ごとに分散された音が一つの糸となって半音階的進行を構成している骨組みが浮き上がってきた。そのまま突っ走っていくと思いきや、第2ヴァイオリンの花崎淳生さんがわざと、子供の下手なヴァイオリンみたいな調子で、バイエルに出てきそうな平板なメロディーをノン・ヴィブラートで弾き始めたから、油断しているとびっくりさせられてしまう。他方で、第2楽章のコラールは心を鎮め、敬虔な気持ちにさせるようだった。絶妙なバランスの和音の上に立ちながら、たゆたうように歌う川原さんのヴァイオリンがとても美しかった。
第6番は同じモットーが楽章ごとに演奏されるから耳になじみやすい。ヴィオラの三輪真樹さんのソロは闇夜をそろそろと歩いているようで、これから進んでいく"Mesto"を先触れしているかのようだ。それでいて第2楽章の中間部での南国的な明るい光が射しこむと、チェロの高音の主題に合わせて、三輪さんはウクレレのようにピチカートの和音を勢いよくかき鳴らすのだ。楽章ごと同じ旋律が返ってくるたびに、鏡に映った自分の姿を見つめているみたいで、何だか痛々しい。第4楽章はまさに悲しみに溢れていて、殊に憂鬱になる。末尾に、ヴァイオリンが虚ろに和音を弾きながら、モットーの前半部分をなぞった旋律がチェロのピチカート和音で現れる。田崎さんは初めの和音を強くはじき、残りの音を弱々しく速めにはじいた。あたかも音の先には続きがあるみたいで、その余白の中に何か虚しさのようなものを感じてしまった。
聴衆の反応も9月28日の第1回よりもよかったと思う。前半でも後半でも、何度も「ブラヴォー」といくつもの歓声が飛び、よく音楽を分かっている人が多くいらしていたという印象を持った。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#42〉
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会2
日時: 2005年10月12日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真/花崎淳生(Vn)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
バルトーク:弦楽四重奏曲第4番Sz91、
弦楽四重奏曲第5番Sz102、弦楽四重奏曲第6番Sz114
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
8月末のレクチャーコンサートの対になる、第一生命ホールでのコンサートである。古典四重奏団によるバルトーク弦楽四重奏全曲演奏会。6セットある弦楽四重奏曲のうち、前半の3セットが順々に演奏されるプログラムである。
恥ずかしながら、今回が初めての第一生命ホール訪問となった。開場数分前に受付に行くと、既に何人かのお客様が待っていらっしゃった。開場と共にホールへ向かう。私の席は一階の右中央、お客様はだんだん増えてくる。レクチャーコンサート同様、女性の方が多いように思えた。バルトークには以外にも女性のファンが多いかもしれない。男性は50~60代の方が多いように思えた。また、今回は第一生命の内定者(女性のみ)も研修?ということで会場に来ていた。しかしその他の若い世代は少なかったように思う。
今回の曲目の詳細はホームページに載っているプログラム・ノートに譲ろう。古典四重奏団、第一バイオリン奏者である川原さんによる密度の濃い曲目紹介で、バルトークの生涯と作品の歴史的背景、民謡収集家と自然観察家2つの側面、各曲の紹介が簡潔に述べられていたように思う。特に、自然観察家としての側面の紹介で、バルトークが好んで用いた自然界の数学的要素(黄金分割など)をイラストつきで説明されていて、この作曲家の奥深さが良く分かった。
このようなコアな客を唸らせる資料がある一方で、SQWサブテキストというキャッチーなプログラム・ノートも入っていた。「元祖ワールドミュージックはこちら」というタイトルではじまり、押井守監督の「イノセンス」を引き合いに出し、私たちが今聴いている音楽にもバルトーク精神が垣間見えること、色々な音楽に触れている私たちの方がバルトークを理解しやすいのではないかと書かれていて、共感できる文章だった。対象者によって2種類のプログラム・ノートを作ることは、この演奏会では必要だったと思う。
照明が降りて、古典四重奏団が舞台に登場し、拍手に包まれ、やがて演奏が始まった。
弦楽四重奏曲 第1番
一楽章冒頭はゆっくりと始まる。Vn、Vcがゆったりと呼吸しながら、線がからみあって、大きくうねっていくような音楽である。この冒頭からの集中力はハンパではなく、ホールの聴衆もいっさい音をたてずに音楽に吸い込まれていくような感じがした。私自身は、改めてバルトークの弦楽四重奏曲を「発見」したように思った。というのは、CDでは冷たい響きとして聴こえていた音が、ホールでは血が通った肉体のような生き生きとした音として、まるで別の音楽のように聴こえたからである。また、古典四重奏団が暗譜でお互いを見合いながら演奏しているだけあって、息が合っていて、まるで4人が弓を片手にダンスしているようにも見えた。演奏する姿をいざ観てみると、バルトークが実際に東欧の農村を練り歩いた上で作曲を行った人だということが感じ取れた。人間というか、いきもののエネルギーを感じるのである。
2、3楽章とアタッカで続くが、ここでは古典四重奏団の個性と音楽がとてもマッチしているように感じられた。前回のセミナーで田崎さんがおっしゃっていたが、バルトークの弦楽四重奏曲には様々な要素が詰め込まれている。この第1番も同じことが言えて、熊が踊っていたり、少女が舞っていたり、ドビュッシーが顔を出したりと様々なキャラクターが次々と現れるようで、それを表現すべく和声、対位法、リズムも精緻に作られている(もっとも、この第1番が最もシンプルかつストレートだと後で感じたのだが)。そのような音楽の全体像を感じることができたのは、古典四重奏団の高いアンサンブル能力によるものだと思う。この第1番のようにすべてのパートがメロディーを弾いているような曲であっても、4人のメンバーが曲のことをよくよく理解していることもあり、歌うところ、主張するところ、他のパートと合わせるところなど絶妙なバランスが素晴らしいと思った。
欲を言えば、もう少し音色の弾き分けが欲しかったように思う。確かに、曲の構造を浮かび上がらせるためには一つのメロディーにこだわりすぎる必要はないかもしれないが、これだけ魅力的なメロディーが花開く曲であるのだから、音色に変化をつけた方がより豊かな音楽に聴こえるのではないかと思う。
弦楽四重奏曲 第2番
休憩をはさんで演奏が始まった。聴き始めてすぐ、第1番とは異なった雰囲気、凝った曲だと感じた。不安を抱えたような内省的な音楽である。一楽章は和声が繊細で、雲が晴れたり覆ったりする様が見えるようである。ピッチカートの上でメロディーが奏でられるなど、響きにも細かな変化があり面白かった。二楽章ではリズムが複雑になり、変拍子が何度も現れた。後半には弱音器をつけ、すさまじい速さで疾走するような部分があり、古典四重奏団の集中力の高い演奏に私を含めホールの聴衆があっけにとられていたように思う。
三楽章はさらにぐっと落ち着く。気だるい夏のような雰囲気の音楽で、短三度?を中心とした響きによって独特の世界が広がっていた。天井が下がってくるような重圧と、そこから発せられる嘆きのようなメロディーが続く。初期のシェーンベルグのように少し表現主義的な音楽である。
心の中がえぐられるように、あれよあれよと沈み込んでいく。いつの間にか田崎さんのチェロ一台だけが残り、指で弦をゆっくりとはじいた。余韻だけが残り、時間が止まったようだった。少ししてから「ブラヴォー」の声と共に、滝のような拍手が湧き起こった。この最後は圧巻で、今回のプログラムで最もいい演奏だったように思う(終了後、他のサポーターの方も皆同じことを言っていた)。
弦楽四重奏曲 第3番
この第3番を続けて聴くころには、耳がバルトークに慣れてきたのか、演奏が聴きやすくなった気がした。終了後に普段バルトークを聴かない方に感想を聴いたところ、同じような印象を抱いたらしく、「全曲演奏会」という形式が、理解を助けるという面では功を奏したことが分かった。
第3番は、前の2曲に比べて無駄なくまとまっている曲のように感じた。加えて、5音階のような我々には馴染み深い旋律が多いので、とっつきやすいのかもしれない。このように余裕をもって聴いていると、古典四重奏団のアンサンブルの巧さにしばしばハッとする瞬間があった。特にこの曲の最後のアレグロは、すさまじいテンションで4パートが錯綜しながら最後まで駆け抜ける。音楽の構造を崩さず、踊りまくるようなエネルギーを放出できたのは、アンサンブルの能力に他ならないと思う。
バルトークの音楽には、生の演奏を聴いてみて初めて感じられることが多いように思う。生の演奏とCDの何が違うかといえば、演奏する姿が見えることと、細かなニュアンスが伝わることだと思う。バルトークの音楽を感じるには、複雑で凝縮された構造を捉える必要があり(サブテキストではメロディーを捕まえられるかどうか、としてある)、その点で奏者の動きやニュアンスから得られることはとても多い。
では、何を感じたかをひとことで言えば、バルトークの音楽の持つ自然、なのだと思う。今回の三曲の中には、自然の風景を描写したり、民謡を用いたものはほとんどない。が、彼が表現しようとした世界には、確かに自然が在る。
プログラムには「バルトークにとって自然界にある黄金比や数列は自然発生した民謡と何の違いもなく」とあり、これら研究は「ただひとつ彼が希求する世界に向かうためのかけがいのない『道しるべ』であったのではないか」とある。彼は、自然界のものの構造や、いきもののエネルギーに不思議な魅力を感じ、音楽の中に彼なりの自然を表現してみせたのだろう。
生の演奏に触れてみると、次々と目まぐるしく移り変わる音楽も、森や海の大きな揺らぎのように、心地よく感じられたのだった。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#41〉
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
日時: 2005年9月28日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真/花崎淳生(Vn)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
バルトーク:弦楽四重奏曲第1番作品7Sz40、
弦楽四重奏曲第2番作品17Sz67、弦楽四重奏曲第3番Sz85
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
初めから終わりまでひたすらシリアスな演奏会であった。去年の古典四重奏団のモーツァルト「ハイドンセット」公演のような心地よい洒脱さとはまるで異質である。この張りつめた感覚には既視感がある。去年12月のパシフィカ・クァルテットによるエリオット・カーター弦楽四重奏曲全曲演奏会で感じたような、ある種の深刻さのようなものである。肩の力を抜いたり、感傷的な気分になったりするような余地などなく、ひたいにしわを寄せるうちにいつしか我を忘れて音楽に没入しているというような、そういう演奏会だった。
バルトークの全曲演奏会第1回目の当夜は、弦楽四重奏曲第1番から第3番までが演奏された。リズムの複雑きわまるバルトークを、譜面台も立てずに暗譜で演奏してしまう勇気にはつくづく感嘆させられてしまう。お互いに何度も視線を見合わせ、呼吸を読みながら疾走していく古典四重奏団の演奏は、私たち聴くものを圧倒する気迫にあふれていた。第1番の第1楽章は、聴衆の水を打ったような静けさの中で重々しく厳粛であった。演奏は終始安定していて、ヴァイオリンの川原千真さんと花崎淳生さんが席を向かい合って掛け合うところへ、ヴィオラの三輪真樹さんとチェロの田崎瑞博さんが落ち着いて支えている。チェロが時折、高音の旋律を弾いて、アンサンブルの中で際立ってくる。田崎さんの音色はあくまで柔らかく、せっつくような素振りを見せないのが印象的に思えた。そして圧巻だったのは第3楽章である。数十小節にわたって連続する八分音符のE音を、川原さんは2つの弦を使って警報を乱打するかのごとくこの持続音を響かせた。ただならぬ異常さと閉塞感のようなものが胸に迫ってくる。同じモティーフの執拗な強調と繰り返しに息苦しさすら感じてしまう。
後半に演奏された第2番の第3楽章は特に素晴らしいものだった。初めは弱音器をつけて、おそるおそる霧の中を歩んでいくかのようだ。古典四重奏団の音色は内省的で、水底へ静かに沈潜していくかのようであり、協和しない和音であるのにもかかわらず、聴いていてとても美しいと思わせる。
第3番もリズムの巧みさを鮮やかに描き出した演奏であった。第2部のチェロのピチカート、それに続く民謡風の主題に気持ちも晴れやかになり、音域の広いグリッサンドには高揚させられる思いがした。そして最後のコーダで彼らが、疾走するように駆け抜けながら弾き切ったときは、まさに圧巻であった。
バルトークの音楽を聴いていると、安易で感傷的な「美しさ」からは無縁であるようだが、表現の多様性や広がりを感じずにはいられなかった。プログラムの川原さんの解説にあるように、フィボナッチの数列や黄金分割をバルトークは意識していたというが、そのことは少し聴いたぐらいではなかなか理解しにくい面がある。しかし音楽に示された幾何学紋様がたとえ分からなくとも、古典四重奏団の演奏を聴いていたらスッと入ってくるような心地がした。一見すると不協和音の絶え間ない連続の中に、違った「美しさ」を感じることができる。まったく飽きさせることがなかったのは、色彩豊かな彼らの演奏が並外れて素晴らしかったからなのだと思う。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#41〉
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
日時: 2005年9月28日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真/花崎淳生(Vn)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
バルトーク:弦楽四重奏曲第1番作品7Sz40、
弦楽四重奏曲第2番作品17Sz67、弦楽四重奏曲第3番Sz85
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会其の一
SQW2005-06シーズンのカルテットウェンズデイがスタートした。そして、シリーズ最初の演奏を飾るのが、古典四重奏団によるバルトーク。正直なところ、個人的にはバルトークのカルテットはこれまであまりなじめなかった。いつだったか、駿河台のホールでバルトークを聞いたことがあった。いい演奏だったが、やっぱりバルトークに距離感を感じていた。そんなわけで少しばかりの不安と、余裕を持って聞いてみたいという気持ちから会社を一時間早く切り上げ、同僚の冷たい視線を背に感じながらホールに向かった。
結論からいうと、とても素晴らしい演奏であった。なんて書くといかにも安っぽい。しかし、適当な言葉が私には見つからないのである。第1曲目から、こんな弾き方をしていたら3曲目まで体力が持つかしら?と思うようなハイテンションの演奏。曲の激しい所では4人が火花をちらし、静かなところでは、とても暖かいものを感じた。3曲の四重奏曲の中には、ハイドンやモーツァルトのような4声が重なった時のきれいな響きが鳴る訳ではないけれど、それでも今回のバルトークは、きれいだったし、私が今まで持っていたバルトークの距離感をなくしてくれた。3曲ともよかったが、個人的には、第2番の第3楽章の終わり方が感動的であった。
古典四重奏団は、今回も暗譜で演奏した。聞いていると「骨の髄まで楽譜を知ってます」という風にも思えたし、特に4人が無理に合わせようと思わないでも、自然に合っているように感じられた。またこの日は、聴衆と演奏家が一体化したとても素晴らしい一夜でもあったように思う。
コンサートの後、サイン会があり、その後、レセプッション。いい音楽で腹一杯だったが、喉は乾いていた。そして、他のTANサポーターの方たちも多数参加されていたのでレセプションに参加した。演奏家の方の話を聞いたり、一緒に演奏を聞いた方と話をしていると、ついつい時間のたつのもわすれてしまった。
レセプションで、「演奏がよかった」と話していたら、非常に迷惑な話かも知れないけど極めてつきなみな言葉で、「演奏がよかった」とか、小泉首相みたいに「感動した」みたいなことをどこか残したくなってしまいTANスタッフに相談したら「是非に」とのこと。お恐れながら、この「タンモニ」に駄文を書いてしまいました。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#41〉
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
日時: 2005年9月28日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真/花崎淳生(Vn)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
バルトーク:弦楽四重奏曲第1番作品7Sz40、
弦楽四重奏曲第2番作品17Sz67、弦楽四重奏曲第3番Sz85