古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
報告:小川泰史/大学院生/1階10列29番
投稿日:2005.10.5
8月末のレクチャーコンサートの対になる、第一生命ホールでのコンサートである。古典四重奏団によるバルトーク弦楽四重奏全曲演奏会。6セットある弦楽四重奏曲のうち、前半の3セットが順々に演奏されるプログラムである。
恥ずかしながら、今回が初めての第一生命ホール訪問となった。開場数分前に受付に行くと、既に何人かのお客様が待っていらっしゃった。開場と共にホールへ向かう。私の席は一階の右中央、お客様はだんだん増えてくる。レクチャーコンサート同様、女性の方が多いように思えた。バルトークには以外にも女性のファンが多いかもしれない。男性は50~60代の方が多いように思えた。また、今回は第一生命の内定者(女性のみ)も研修?ということで会場に来ていた。しかしその他の若い世代は少なかったように思う。
今回の曲目の詳細はホームページに載っているプログラム・ノートに譲ろう。古典四重奏団、第一バイオリン奏者である川原さんによる密度の濃い曲目紹介で、バルトークの生涯と作品の歴史的背景、民謡収集家と自然観察家2つの側面、各曲の紹介が簡潔に述べられていたように思う。特に、自然観察家としての側面の紹介で、バルトークが好んで用いた自然界の数学的要素(黄金分割など)をイラストつきで説明されていて、この作曲家の奥深さが良く分かった。
このようなコアな客を唸らせる資料がある一方で、SQWサブテキストというキャッチーなプログラム・ノートも入っていた。「元祖ワールドミュージックはこちら」というタイトルではじまり、押井守監督の「イノセンス」を引き合いに出し、私たちが今聴いている音楽にもバルトーク精神が垣間見えること、色々な音楽に触れている私たちの方がバルトークを理解しやすいのではないかと書かれていて、共感できる文章だった。対象者によって2種類のプログラム・ノートを作ることは、この演奏会では必要だったと思う。
照明が降りて、古典四重奏団が舞台に登場し、拍手に包まれ、やがて演奏が始まった。
弦楽四重奏曲 第1番
一楽章冒頭はゆっくりと始まる。Vn、Vcがゆったりと呼吸しながら、線がからみあって、大きくうねっていくような音楽である。この冒頭からの集中力はハンパではなく、ホールの聴衆もいっさい音をたてずに音楽に吸い込まれていくような感じがした。私自身は、改めてバルトークの弦楽四重奏曲を「発見」したように思った。というのは、CDでは冷たい響きとして聴こえていた音が、ホールでは血が通った肉体のような生き生きとした音として、まるで別の音楽のように聴こえたからである。また、古典四重奏団が暗譜でお互いを見合いながら演奏しているだけあって、息が合っていて、まるで4人が弓を片手にダンスしているようにも見えた。演奏する姿をいざ観てみると、バルトークが実際に東欧の農村を練り歩いた上で作曲を行った人だということが感じ取れた。人間というか、いきもののエネルギーを感じるのである。
2、3楽章とアタッカで続くが、ここでは古典四重奏団の個性と音楽がとてもマッチしているように感じられた。前回のセミナーで田崎さんがおっしゃっていたが、バルトークの弦楽四重奏曲には様々な要素が詰め込まれている。この第1番も同じことが言えて、熊が踊っていたり、少女が舞っていたり、ドビュッシーが顔を出したりと様々なキャラクターが次々と現れるようで、それを表現すべく和声、対位法、リズムも精緻に作られている(もっとも、この第1番が最もシンプルかつストレートだと後で感じたのだが)。そのような音楽の全体像を感じることができたのは、古典四重奏団の高いアンサンブル能力によるものだと思う。この第1番のようにすべてのパートがメロディーを弾いているような曲であっても、4人のメンバーが曲のことをよくよく理解していることもあり、歌うところ、主張するところ、他のパートと合わせるところなど絶妙なバランスが素晴らしいと思った。
欲を言えば、もう少し音色の弾き分けが欲しかったように思う。確かに、曲の構造を浮かび上がらせるためには一つのメロディーにこだわりすぎる必要はないかもしれないが、これだけ魅力的なメロディーが花開く曲であるのだから、音色に変化をつけた方がより豊かな音楽に聴こえるのではないかと思う。
弦楽四重奏曲 第2番
休憩をはさんで演奏が始まった。聴き始めてすぐ、第1番とは異なった雰囲気、凝った曲だと感じた。不安を抱えたような内省的な音楽である。一楽章は和声が繊細で、雲が晴れたり覆ったりする様が見えるようである。ピッチカートの上でメロディーが奏でられるなど、響きにも細かな変化があり面白かった。二楽章ではリズムが複雑になり、変拍子が何度も現れた。後半には弱音器をつけ、すさまじい速さで疾走するような部分があり、古典四重奏団の集中力の高い演奏に私を含めホールの聴衆があっけにとられていたように思う。
三楽章はさらにぐっと落ち着く。気だるい夏のような雰囲気の音楽で、短三度?を中心とした響きによって独特の世界が広がっていた。天井が下がってくるような重圧と、そこから発せられる嘆きのようなメロディーが続く。初期のシェーンベルグのように少し表現主義的な音楽である。
心の中がえぐられるように、あれよあれよと沈み込んでいく。いつの間にか田崎さんのチェロ一台だけが残り、指で弦をゆっくりとはじいた。余韻だけが残り、時間が止まったようだった。少ししてから「ブラヴォー」の声と共に、滝のような拍手が湧き起こった。この最後は圧巻で、今回のプログラムで最もいい演奏だったように思う(終了後、他のサポーターの方も皆同じことを言っていた)。
弦楽四重奏曲 第3番
この第3番を続けて聴くころには、耳がバルトークに慣れてきたのか、演奏が聴きやすくなった気がした。終了後に普段バルトークを聴かない方に感想を聴いたところ、同じような印象を抱いたらしく、「全曲演奏会」という形式が、理解を助けるという面では功を奏したことが分かった。
第3番は、前の2曲に比べて無駄なくまとまっている曲のように感じた。加えて、5音階のような我々には馴染み深い旋律が多いので、とっつきやすいのかもしれない。このように余裕をもって聴いていると、古典四重奏団のアンサンブルの巧さにしばしばハッとする瞬間があった。特にこの曲の最後のアレグロは、すさまじいテンションで4パートが錯綜しながら最後まで駆け抜ける。音楽の構造を崩さず、踊りまくるようなエネルギーを放出できたのは、アンサンブルの能力に他ならないと思う。
バルトークの音楽には、生の演奏を聴いてみて初めて感じられることが多いように思う。生の演奏とCDの何が違うかといえば、演奏する姿が見えることと、細かなニュアンスが伝わることだと思う。バルトークの音楽を感じるには、複雑で凝縮された構造を捉える必要があり(サブテキストではメロディーを捕まえられるかどうか、としてある)、その点で奏者の動きやニュアンスから得られることはとても多い。
では、何を感じたかをひとことで言えば、バルトークの音楽の持つ自然、なのだと思う。今回の三曲の中には、自然の風景を描写したり、民謡を用いたものはほとんどない。が、彼が表現しようとした世界には、確かに自然が在る。
プログラムには「バルトークにとって自然界にある黄金比や数列は自然発生した民謡と何の違いもなく」とあり、これら研究は「ただひとつ彼が希求する世界に向かうためのかけがいのない『道しるべ』であったのではないか」とある。彼は、自然界のものの構造や、いきもののエネルギーに不思議な魅力を感じ、音楽の中に彼なりの自然を表現してみせたのだろう。
生の演奏に触れてみると、次々と目まぐるしく移り変わる音楽も、森や海の大きな揺らぎのように、心地よく感じられたのだった。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#41〉
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
日時: 2005年9月28日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真/花崎淳生(Vn)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
バルトーク:弦楽四重奏曲第1番作品7Sz40、
弦楽四重奏曲第2番作品17Sz67、弦楽四重奏曲第3番Sz85