古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
報告:須藤久貴/大学院生/1階10列20番
投稿日:2005.10.4
初めから終わりまでひたすらシリアスな演奏会であった。去年の古典四重奏団のモーツァルト「ハイドンセット」公演のような心地よい洒脱さとはまるで異質である。この張りつめた感覚には既視感がある。去年12月のパシフィカ・クァルテットによるエリオット・カーター弦楽四重奏曲全曲演奏会で感じたような、ある種の深刻さのようなものである。肩の力を抜いたり、感傷的な気分になったりするような余地などなく、ひたいにしわを寄せるうちにいつしか我を忘れて音楽に没入しているというような、そういう演奏会だった。
バルトークの全曲演奏会第1回目の当夜は、弦楽四重奏曲第1番から第3番までが演奏された。リズムの複雑きわまるバルトークを、譜面台も立てずに暗譜で演奏してしまう勇気にはつくづく感嘆させられてしまう。お互いに何度も視線を見合わせ、呼吸を読みながら疾走していく古典四重奏団の演奏は、私たち聴くものを圧倒する気迫にあふれていた。第1番の第1楽章は、聴衆の水を打ったような静けさの中で重々しく厳粛であった。演奏は終始安定していて、ヴァイオリンの川原千真さんと花崎淳生さんが席を向かい合って掛け合うところへ、ヴィオラの三輪真樹さんとチェロの田崎瑞博さんが落ち着いて支えている。チェロが時折、高音の旋律を弾いて、アンサンブルの中で際立ってくる。田崎さんの音色はあくまで柔らかく、せっつくような素振りを見せないのが印象的に思えた。そして圧巻だったのは第3楽章である。数十小節にわたって連続する八分音符のE音を、川原さんは2つの弦を使って警報を乱打するかのごとくこの持続音を響かせた。ただならぬ異常さと閉塞感のようなものが胸に迫ってくる。同じモティーフの執拗な強調と繰り返しに息苦しさすら感じてしまう。
後半に演奏された第2番の第3楽章は特に素晴らしいものだった。初めは弱音器をつけて、おそるおそる霧の中を歩んでいくかのようだ。古典四重奏団の音色は内省的で、水底へ静かに沈潜していくかのようであり、協和しない和音であるのにもかかわらず、聴いていてとても美しいと思わせる。
第3番もリズムの巧みさを鮮やかに描き出した演奏であった。第2部のチェロのピチカート、それに続く民謡風の主題に気持ちも晴れやかになり、音域の広いグリッサンドには高揚させられる思いがした。そして最後のコーダで彼らが、疾走するように駆け抜けながら弾き切ったときは、まさに圧巻であった。
バルトークの音楽を聴いていると、安易で感傷的な「美しさ」からは無縁であるようだが、表現の多様性や広がりを感じずにはいられなかった。プログラムの川原さんの解説にあるように、フィボナッチの数列や黄金分割をバルトークは意識していたというが、そのことは少し聴いたぐらいではなかなか理解しにくい面がある。しかし音楽に示された幾何学紋様がたとえ分からなくとも、古典四重奏団の演奏を聴いていたらスッと入ってくるような心地がした。一見すると不協和音の絶え間ない連続の中に、違った「美しさ」を感じることができる。まったく飽きさせることがなかったのは、色彩豊かな彼らの演奏が並外れて素晴らしかったからなのだと思う。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#41〉
古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会1
日時: 2005年9月28日(水)19:15開演
出演者:古典四重奏団
[川原千真/花崎淳生(Vn)、三輪真樹(Va)、田崎瑞博(Vc)]
演奏曲:
バルトーク:弦楽四重奏曲第1番作品7Sz40、
弦楽四重奏曲第2番作品17Sz67、弦楽四重奏曲第3番Sz85