2007.6
クラシックはじめのいっぽ チェロ編
平日の、しかも昼間のコンサートに行くのはもしかしたら人生で始めてのこと。さて、どんなコンサートになるのやら。チェロを弾く友人を誘って出かけてみると、開場前のロビーには、ベビーカーを押したママさんの姿もチラホラ。
一曲目は黛敏郎(昔、「題名のない音楽会」の司会をしていらっしゃいました)の『BUNRAKU』。初めて聞いた曲でした。ピアノ伴奏の無い、いわゆる無伴奏の曲ながら、ピチカートでは三味線を表していたのか、そのピチカートが指板に当たる音は、正に撥で弦を弾いているような音がしました。早いパッセージは義太夫が語るが如く、まるで本当に文楽の舞台を見ているような感じを味わえる曲でした。20世紀のチェロ曲は面白い、の一言につきました。
その後、藤原さんはチェロが、もともとは伴奏に使われた楽器であること、そして、メロディーを弾くようになっていったことなどチェロの歴史の説明をしながら、ヘンデルの『ラルゴ』、バッハの『アリオーソ』、『音楽の捧げものからのコラール(一般的には『主よひとの望みの喜びを』などといわれていますが)』、『無伴奏チェロ組曲第1番より前奏曲』を演奏されました。
演奏曲はヘンデルから、どんどん新しい時代に進んでいくのですが、バッハの後、プログラムには無いベートーベンのソナタを触りの部分だけ弾いてくださいました。そういえばベートーベンには、チェロでさっと弾く小品が無いような・・・。
その後はエルガーの『愛の挨拶』、フォーレの『シシリアーノ』、サン=サーンスの『白鳥』と曲名を知らないまでも、誰もが耳にしたことがあるであろうチェロの名曲が続きます。そしてリストの『忘れられたロマンス』、チャイコフスキーの『感傷的なワルツ』、ドヴォルザークの『わが母の教え給いし歌』で締めくくられました。
藤原さんは、曲の合間合間にお話を交えてくださったのですが、決して話すのが得意なご様子ではありません。それでも、チェロという楽器の素晴らしさを伝えようと、一生懸命に話してくださったのも印象的でした。
一日の中で、人は一時間又は60分という時間をどのように過ごしているでしょう。仕事に没頭していたり、テレビを見ていたり、お散歩をしていたり、色々なことができるでしょう。その一時間、たまには音楽に浸ってみるのも素敵な時間の過ごし方だなぁ、と思わせる「クラシックはじめのいっぽ」。
来年の4月からはシリーズ化され、続々と大物の方も登場される予定となると、「はじめのいっぽ」の人ばかりに楽しんでいただくわけにはいかない!とも思ってしまった私でした。
公演に関する情報
〈ライフサイクルコンサート#23〉
クラシックはじめのいっぽ チェロ編
日時: 2007年5月31日(木)11:30開演
出演者:藤原真理(Vc)、倉戸テル(Pf)
演奏曲:
黛敏郎:BUNRAKU
ヘンデル:ラルゴ
J.S.バッハ:カンタータ第156番からアリオーソ/無伴奏組曲第1番から前奏曲
エルガー:愛の挨拶
フォーレ:シシリアーノ
サン=サーンス:白鳥
リスト:忘れられたロマンス
チャイコフスキー:感傷的なワルツ
ドヴォルザーク:わが母の教え給いし歌
エルデーディ弦楽四重奏団
シューマン弦楽四重奏曲全曲演奏会
クァルテット・ウェンズデイで、今や名物になりつつある小冊子がある。この「SQWサブテキスト」と題された刷物は、当夜の聴き所や、曲の背景を、とても平易な文章で、且つ、筆者の弦楽四重奏に対する深い愛情を滲ませ乍、私達に教えて呉れる。その語り口からは「本日は、遠い処をようこそ御出で下さいました」と、ゆっくり茶を煎れ、それを客に勧め乍、この宿の由来や、土地の来歴などを話す旅館の女将を彷彿とさせる。
私は何時も早めに自席に着き、プログラムに挟まったこのサブテキストを先ず読む事にしている。それは、普段、オーケストラ曲を専らに聴いている私にとって、親しみのある作曲家の室内楽曲であっても、始めて接する曲には変りはない。そこで、既存の作曲家体験と、これから始まる未知なる曲とを如何に結び付けるべきか、という"鍵"を与えて貰おうと、そうするのである。
今宵のSQWはエルデーディQによる、シューマン弦楽四重奏全曲演奏会。「故きを温ねて...~シューマンの1842年」と題された当夜のサブテキストはゆっくりと、やさしく語り出す。
『そこには、さらっと「ハイドン、モーツアルト、ベートーベンの弦楽四重奏研究に没頭」と書いてあります。シューマンさんは勉強熱心だったんですねぇ...ということ以上の大事なことがここで起こっているのです。つまり、彼は過去の作曲者の作品を、文献を解読するように詳細に研究し、論文という形でその位置づけを発表し、その上で自らこの合奏形のための作品を書き上げる、ということを行っています。』
(出典「SQWサブテキスト その25」、NPOトリトンアーツネットワーク)
シューマンは自らをベートーベンの弟子を以って任じている。この言からも察する事が出来る様に、詰り、尊崇する師や、過去の巨匠達の遺産を整理し、その目録を作成た上で自らの資産にして行く、という過程を第一から第三カルテットで"追体験"できるのだな......。これこそ私にとって、未踏なる「シューマンの弦楽四重奏」と謂う世界を開いてくれる貴重な"鍵"なのである。後はエルデーディ四重奏団の演奏に、唯身を委ねる丈で良い。
4人が3曲のカルテットを見事に奏し終えた。拍手をし乍、隣で聴いていた知り合いの某婦人が大きく頷つつ、話し掛けて来た。
「そうね。サブテキストにある『今日のシューマンは、纏めて聴く意味があるのです。少なくとも、作曲者自身この3曲を纏めて書いたのには、意味があるのです。』という言葉、全くその通りだったわね」
この婦人同様、今夜も私の心の中に又一つ、重要な"音楽の鍵"が増えた。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#56〉
エルデーディ弦楽四重奏団
シューマン弦楽四重奏曲全曲演奏会
日時: 2007年5月9日(水)19:15開演
出演者:エルデーディ弦楽四重奏団
[蒲生克郷/花崎淳生(Vn)、桐山建志(Va)、花崎薫(Vc)]
演奏曲:
シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41の1、同第2番ヘ長調作品41の2、
同第3番イ長調作品41の3
エルデーディ弦楽四重奏団
シューマン弦楽四重奏曲全曲演奏会
メンデルスゾーンを聴いて以来のエルデーディ(メンバー個別ではそれぞれ聴いていますが)の公演。しかも今回はあまり大きくは取り上げられないシューマンの弦楽四重奏曲を一夜のうちに弾いてしまう貴重な試みでしたが、どうしてもピアノ曲や歌曲等の印象の強いシューマンが、弦4者によるファンタジーをどのように描き出していたのか興味津々でした。
第1番イ短調
第1楽章アンダンテエスプレシーボでは冒頭アンダンテでファンタジーに満ちたたっぷりめの弾き始めから急激にヘ長調にアレグロ転調する鮮やかなギアチェンジ。独特のたたみかけるような第1主題では第1ヴァイオリンが幅広くたっぷりと歌っていました。「ターンタタ、ターンタタ」と語る辺りはやや盟友メンデルスゾーンの作りを思わせましたが、たたみかけていくような半音刻みが加わるとやはりそこはシューマン。フーガのリズムには実はクララ(キアリーナとも?)と呼びかけているような響きが感じられ、これがいわばキーワードのように展開部分も続いていきました。第2楽章スケルツォプレストではベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番フィナーレ冒頭を思い起こさせるような鋭く躍動的な刻みを聴かせていました。ちょうど彼自身の「クライスレリアーナ」フィナーレを更に加速したような印象。"間奏曲"を思わせるトリオ部分では夢見るような甘い調べがサラサラと流れていきました。第3楽章アダージオでもまた夢見るような旋律が流れていましたが、こちらは表向きの静けさにドラマティックな面をも込められており、聴いている側もそれとなくセンチメンタルな感覚に捉われました。第1ヴァイオリンのピチカートが不思議な安らぎを覚える歌を奏で、オペラの間奏曲のように楽曲全体に彩を添えていたように思われました。第4楽章プレストでは冒頭から交響的で、その後も休みなくフーガが続いていきましたが、この構成でバレエ音楽も構築出来そうだなとさえ思わせました。モデラートではバグパイプのような4人の響きに、コラール風な音作りが加わり、コーダでは入る直前にやや"ためらい"の弾き口を加えて、その後徐々に加速していくというスリルも味わう事が出来ました。
第2番へ長調
第1楽章アレグロヴィヴァーチェでのライン交響曲冒頭を思わせるような推進力が新鮮でしたし、続く第2楽章アンダンテでは出だしがメンデルスゾーンのピアノソナタ第1番冒頭のような夢見るような旋律の美しさを前面に出していました。室内楽は何といっても書くパートとの対話あってこその演奏なのでしょうが、チェロの下支えの上にテーマが断片的に弾き継がれていく部分はその近しさをよく表していたと思います。第3楽章スケルツォプレストではアンダンテからプレストへと突如展開する"シューマン的突発フレーズ"を危な気なく弾き進めていきました。続く第4楽章アレグロコンヴィヴァーチェでは快活に溢れコーダにズンズン向かっていくその大きな推進力が聴き所だったと思います。「型に入って型を出る」ではないですが、古典派のような表向きからさっと外へ流れ出てくるシューマンのポエジーのほとばしりさえも感じられました。
第3番イ長調
第1楽章冒頭アンダンテでは旋回するテーマが徐々に外へと広がっていく部分にクララへの思いがこの上なく込められているように思われてなりませんでした。再現部でチェロ→第1ヴァイオリンへの旋律リレーでも小刻みな動きながらもそこに静かな熱さが込められた作曲者の心情がよく描き出されていました。第2楽章アジタート・アダージオと趣を大いに異にする変奏楽章でも、第1変奏での細かく刻む旋律が鮮やかに響き、また第2変奏ではチェロから順次鋭くタテに切り込むような部分ではジュピター交響曲フィナーレを思い起こさせ、一方第3変奏ではシチリアーノさえ浮かべさせる第1ヴァイオリンの切々とした旋律の響きも印象に残りました。第4変奏ではチェロの幅広い響きに乗ってヴァイオリンの劇的な展開に豊かな色彩も加わっていましたし、第5変奏では転調で一転静かな夕べの水面を思わせるアンサンブルを聴かせていました。第3楽章アダージオモルトでは不思議な安らぎに満ちており、"歌師"シューマンが相当に入れ込んで書き進めたであろう姿が思い浮かばれました。展開部でヴィオラとチェロがヴァイオリンと対話する部分ではあたかも両手を交差してピアノを弾いているような印象さえ抱かせ、またヴィヴァルディ「四季」のような穏やかな旋律の流れを汲んでいましたし、その後は再びすっと響きが心に入っていきました。チェロのピチカートも上パートを包み込むように支えている印象で、この部分にはある種の懐かしささえ感じさせました。フィナーレ楽章のアレグロモルトヴィヴァーチェでは冒頭テーマの舞曲のような刻みに続いて軽快にして快活な、チェロと第1ヴァイオリンとの小気味良い響きのキャッチボールが繰り広げられ、中間ヘ長調部分では思わずギャロップしたくなるような(?)軽やかさが加わり、この部分にはカルウォヴィッチの組曲フィナーレまでも思い浮かべていた程でした。弦の全体的な弾き口やリズム取りが素朴なポーランド音楽を思わせ、いずれも協調しつつもタテのリズムがはっきりと打ち出された、動きのある演奏を聴かせていました。これ程色彩豊かな楽想を編み出せる作曲者シューマンに驚かされると共に、当夜一気に弾き切った4人の心地良い緊張感に満ちた快演に酔いしれた次第です。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#56〉
エルデーディ弦楽四重奏団
シューマン弦楽四重奏曲全曲演奏会
日時: 2007年5月9日(水)19:15開演
出演者:エルデーディ弦楽四重奏団
[蒲生克郷/花崎淳生(Vn)、桐山建志(Va)、花崎薫(Vc)]
演奏曲:
シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41の1、同第2番ヘ長調作品41の2、
同第3番イ長調作品41の3
日本音楽集団第187回定期演奏会
~伊福部 昭音楽祭 師に捧げる邦楽コンサート~
今年あたまにMeet the 和楽器で御一緒して以来の音楽集団との対面とあって楽しみにホールへ向かいましたが、入り口辺りに高校生とおぼしき若者達の大群。一瞬ホールの場所を間違えたか?と思ったくらいに雰囲気が異なっていました。勿論、邦楽愛好の方々や他ホールでもお見かけするような方々も来場していましたが、間違いなく普段と様子が激変していました。これはやはり当日来ていたサポーター達も感じていたようで、当日用に用意したプログラムが足りなくなった程、入り口にもロビーにも、早くも熱い空気が流れていました。今年最初のMeet the 和楽器の来場者のみならず、少し前にテレビ放送で紹介されたとの事。メディアの影響は早くて大きいものだなと感じつつホールに進みました。
伊福部さん没後早くも2年が経とうとしているのに、今でもホールのどこかの客席で聴いていて、すっと立ち上がって手を振りそうな雰囲気さえ感じさせました。一部の愛好者でも今回の演奏会の話題が出ていましたが、もし機会が出来たら当夜の感想も聞いてみたいとも思いました。
「交響譚詩」
2年前には師匠伊福部さんの見守る中で愛弟子秋岸さんが師匠との心のコラボレーションとも呼ぶべき音楽集団バージョン誕生を聴く幸運に恵まれましたが、今回はその思いを更に昇華させた、集中力に満ちた演奏でした。第1章では燃えるようなテーマがめくるめくように展開していく冒頭に導かれ、前回初演時にも増してスケールアップしており、笙の強弱や故弓のチャルメラを思わせるフレージングでは我が愛聴曲オラヴァを再び思い起こさせて更にそこを突き抜けていく心地良い快速感を味わいました。笙ソロから尺八へのリレーや、筝と三味線とのかけ合いも快活。また、ステージ上の筝奏者の着物は鮮やかな春の彩りで、いわゆる「伊福部さんを偲ぶ」位置付けの演奏会であっても、全体に明るさに満ち溢れる効果を醸し出していたと思います。
第2章では米澤さんの尺八ソロがシンコペーションと三連音を心地良く奏で、これに和風サックスを思わせる筝のたゆたうような入りが魅力的でした。打楽器の風のざわめきを思わせるような響きが筝の倍音と相まって何とも心に染入るような響き。低音筝が一定間隔で弾く響きには子守唄を思わせるものがあり、ちょうどこの世とあの世をたゆたうような不思議な響きでした。伊福部師匠も耳を傾けていたでしょう。続く横笛の祭囃子のようなフレージングも、尺八の"カデンツァ"もいつも以上に気が入っていたように感じられました。
続いて二十五絃筝曲「琵琶行」ではこの初演者でもあり長らく伊福部音楽とも関わってきた野坂さんのソロ演奏。曲冒頭が一瞬「トリスタンとイゾルデ愛のテーマ」のような大胆な音使いで即座に響きの中に入り込みました。日本の楽器には余韻・ゆらぎが魅力的なのですが、夜のとばりがおりたホールという砂丘にあってスポットライトという月の光を浴びつつ、天空の大切な人と筝を通じて心通わせ語らっているような印象を受けました。その昔王侯貴族達がしばし心を躍らせていたであろう筝の持つ典雅な響きに時空を超えて巡り合えた思いがしました。中間部ではギターのつまびきを思わせるような弾き方が聴かれ、風のざわめきを思い起こさせるようなオリエンタルな雰囲気が漂っていました。ステージ上にはただ一人なのに、ホール全体がすっかり懐かしくも不思議な雰囲気に包まれていました。決して前面にテクニックや音量を強く押し出すものではないのですが、伊福部さんが創作で生涯持ち続けた「奥ゆかしさから立ち上がる自然な力」への思いがこの日のステージからも立ち上ってきたように思いました。
「SF交響ファンタジー」邦楽器版は愛弟子の秋岸さんが書き下ろした意欲作ですが、打楽器に素朴な土っぽさを感じました。打楽器と筝による「ゴジラ」のテーマでは各拍あたまに鋭く琵琶の一さしが閃光のように決まっており、オーケストラ版でよく聴き慣れたテーマとも互角の迫力だったのにはすっかり驚きました。調弦や押し手で筝セクションの皆さんの動きも躍動的で、響きのみならず、視覚面でもなかなか堪能出来ました。戦国時代にゴジラがタイムスリップしてもイメージが合いそう。音域や響きが異なる楽器郡がユニゾンでテーマを奏でていく様子は聴き応え十分。中でも筝の低音の迫力を味わえたのが当夜の収穫でした。オーケストラは横に流れていく印象が強いのですが、邦楽器演奏ではむしろビートが強調されてタテのりの印象。笙が随所随所で効果的に用いられていました。
「鬢多々良」
今回は前半でソロ演奏の野坂さんもアンサンブルに加わり、冒頭に何とも艶やかなカデンツァを披露しました。その後筝高音部→筝低音部と続いていき、分散和音の中から低音部分が和製コラールの如く沸き上がって弾き進められ、笙や横笛、竜笛に琵琶とリレーされていきました。ここでのかけ合いは何とも自由な雰囲気に満ちていて、聴いている方も楽しめました。打楽器が筝の低音部分と相まっている部分はまるでピアノのような響きの幅広さを実感し、夢見ているような心地良いひとときでした。長調のような響きになって、裏拍もノリの良い太鼓と筝がアンサンブルを導いていくような勢いで、冒頭のテーマを繰り返しつつ弾き進めていく部分はまるでガムランか、ボレロか、カチャーシーかといろいろと思わせる程、興奮スパイラルが上昇していくのが伝わってきました。
本番後にはあちらこちらからブラボーの嵐。この日は「伊福部讃」記念祝祭コンサートとでも呼べる夕べだったのかもしれません。ホールを出てきたお客さん達は驚きと楽しさに満ちたステージを堪能したように見受けられ、いつまでも熱気が漂っていました。楽屋に向かう団員の方々も一安心しながらもこの特別な夕べにやや興奮が収まらぬ様子。ホール全体がこの日は間違いなく"熱狂の日"だったのかもしれません。
邦楽器の持つさまざまな側面に新たな光を照らし、常に前進を続けている音楽集団。これだから音楽集団"サポーター"は魅力的なのです!!
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
日本音楽集団第187回定期演奏会
~伊福部 昭音楽祭 師に捧げる邦楽コンサート~
日時: 2007年5月25日(金)19:00開演
出演者:日本音楽集団(指揮 田村拓男 客演 野坂惠子)
演奏曲:
伊福部 昭/秋岸寛久編曲:日本音楽集団版「交響譚詩」(2005年)
伊福部 昭:二十五絃筝曲「琵琶行」(1999年)-白居易ノ興ニ效フ-二十五絃筝独奏 野坂惠子
伊福部 昭/秋岸寛久編曲:SF交響ファンタジー邦楽器版(委嘱初演)
伊福部 昭:郢曲「鬢多々良」(1973年)ソロ筝 野坂惠子