2007.7
オープンハウス 2007
台風が近づく7月14日の朝、およそ100名のサポーターが集まり、オープンハウスの一日が始まった。名札に付いていたおそろいの音符のブローチが可愛くて、嬉しくなる。後から、オープンハウスが始まってみると、参加してくださったアーティストの方もこのブローチを着けてくださっているのに気づき、また嬉しくなった。
まずは、去年は聴けなかったオープニング演奏へ。親しみのある曲ばかりで、家族連れのお客さんも楽しんでいたようだった。できればもう少したくさんのお客さんに聴いてほしかった。開演前の様子はあまり観察できなかったけれど、2階にいらしたお客さんへの呼び込みの時間が少なかったように感じた。
12時のオープン前、グランドロビーの立て看板へ。ここでオープンハウスお薦めの楽しみ方を書いたチラシをゲット。手書きで4つの楽しみ方を提案してあり、どのプランにしようか迷う。このプランではプランによりスタート時間が違うので、お客様が入場するタイミングでそれぞれに楽しめるようになっている。私は『歌好きな貴方は』のプランを楽しんでみることにする。開場待ちをするお客様たちに混じっていると、期待でわくわくした気分が伝わってきた。たくさんのお客様がいらしてくださいますように。
12時、お客様ともに会場へ。パンフレットをはじめ会場内のサインやタイムスケジュール、バックステージツアーの旗や名札が青で統一されていた。この青の秘密は後に参加したバックステージで明らかになる。パンフレットだけでなく、4階と5階にそれぞれ全体のタイムスケジュールが掲示されているので、入場直後や次はどこへ?というときに便利だと思った。また、ホールでのマナーが学べるように、注意事項が入場してすぐの4階中央に大きく掲示してあったのも、ただ、楽しむだけでない感じでいいと思った。
では、お客様に続いて5階のホールへ。田村さんのピアノコンサートでは調律の様子を実際にピアノの横で体験でき、ピアノの構造のお話あり、ベルを使って田村さんと共演を楽しむ企画ありと盛りだくさんのコンサート。中でも、ベルを使ってお客様と田村さんが演奏したカノンは、ベルだけの練習では『これでどんな曲になるの?』っていう顔をしながらベルを振っていたお客さんも、田村さんのピアノが入ってくると『おお~!』っていう顔になって、楽しくなっているのが伝わってきて、座って聴いていらしたお客さんも楽しくなってくる、そんなコンサートだった。
続いてはお薦めプラン2番目のバックステージツアーの予約をとって、プラン1番目のロビーdeクラシックサロンへ。今年始まったこの企画、サポーターの尾花さんがホストとなってTANディレクターや演奏家の方々のお話が間近で楽しめ、またその前後の企画がより楽しめるようにできている。菅家さんの演奏が待ち遠しくなった。
次は予約していたバックステージツアーへ。全体のスケジュールの進行に合わせて、押していた企画に参加していたお客様のためにスタート時間を調整されているところ、進行台本が持ちやすいサイズで作られているところがよかった。また、『ここは普段は関係者のみが入れるところです』という言葉に、お客さんが『特別なのね!』とわくわくしている姿、さまざまなホールの仕掛け(青の秘密も含め)の説明に感心して興味深く見ていらっしゃる姿が印象的だった。人気があったのはやはり楽屋などステージの裏の部分で、演奏が終わったばかりのアーティストの方とすれ違ったり、普段は見ることができない神棚や楽屋を覗くことができてお客様も満足そうだった。これだけ見て廻ってだいたい30分程度に収まっているのがとてもよいと思った。また、ツアーに参加できなくても会場内のあちこちに場所の名前と簡単な説明書き(ルビつき)が書いてあり、ホールについて知ることができるようにもなっていてよかった。各ブースでの企画、アナウンス体験・楽器体験等の紹介にもなり、次はあそこに行ってみよう!というお客様の興味を誘う構成になっていた。今年、人気により回数が増やされたというのも納得。少し残念だったのはツアー参加者が縦横に広がってしまうことがあったので、コンパクトに集める工夫をすればもっとよくなると思う。
バックステージツアーに引き続き、舞台裏を楽しむ企画、舞台機構レクチャーへ。ホール内のあちこちにあるスピーカーのどこから音が聞こえるか耳を澄ませたり、ステージ上に用意されたいろんな機材のスイッチを押したり、コードの巻き方を習ったりと単に舞台機構を見るだけでなく、舞台スタッフさんのお仕事の体験もできて、大人にも子供にも大人気の企画だった。また、ステージプログラムの中間に組み込まれていたので、全体の進行状況にあわせて時間を調節できるようになっていた。
そしていよいよ、菅家さんのコンサート。気が付けばホールにたくさんのお客さんが集まっていて、オープンハウスの盛況さが伺えた。サロンで聞いたエピソードを思い出しながら聞くと、楽しさも倍増、ちょっと得した気分になった。情熱的な歌声をたっぷり楽しんだ後には菅家さんと会場のみんなでいっしょに歌うコーナーも設けられていて、とても楽しかった。
最後を飾る弦楽四重奏の前に、今日のお客様が700人を越えたことが発表される。見回せばホールの1階も2階もたくさんのお客様で埋まっていた。全体の締めくくりにホールにみんなが集まるような、そしてスタッフも集まってきてみんなで最後の演奏を聴くことができる構成になっていることに気づく。
大雨の中、たくさんのサポーターとお客様が集まって本当によかった。参加した人が前より少しでもホールを好きになりますように。
公演に関する情報
オープンハウス 2007
日時: 2007年7月14日(土)
第31回ロビーコンサート
今回で31回を向かえたロビーコンサートは、このコンサートを
楽しみにしてくださるファンの方が開場時間の前からロビーに
たくさん並んでいただいて、お客様には遠方よりお越しの方もいて
あらためて「継続は力なり」と思いました。
私は今回、初めて司会&レポートという大役を仰せつかり始まる前から
とても緊張していました。
開場とともに次々にお客様が入場されてあっという間に満席になり
立ち見もたくさん出るほどの盛況でした。
いよいよ開演の時間になり、私のつたないアナウンスの後
チェロの藤原真理さんと、ピアノの倉戸テルさんの登場です。
藤原真理さんはロビーコンサートにはもう何回も出演されていて
ファンの人も多いとおもいます。
演奏が始まるとピーンと張り詰めた空気がロビーに流れます。
チェロが優しく奏でピアノが力強く追いかけます。
藤原真理さんのチェロは真剣で一生懸命なので、ロビーにいるのに
ホールで聞いている感覚になります。
今回、プログラムの最後の欄にこのロビーコンサートの主旨が書かれて
いました。
「バギーに乗ったお子様からお年寄りの方まで幅広い年齢の皆様に
お楽しみいただけたら・・・」
そうです。色々な事情のお客様が40分という短い時間、同じ場所で
同じ音楽を聴いて豊かな時間を過ごしていただくことにこのコンサートの
意味があるように思います。
今日いらしたお子様の中から未来の世界的チェリストやピアニストが
誕生するかも・・・・・。
公演に関する情報
第31回ロビーコンサート
日時: 2007年7月5日(水)
場所: 第一生命ホールロビー
出演者:藤原真理(チェロ) 倉戸テル(ピアノ)
パイゾ・クァルテット
このクァルテット名は「私は弾く」という意味との事。作品を単に演奏するというのにとどまらず、作品を通して自分の音楽を弾くという姿勢が人一倍強く感じられる面々の演奏会に際し、広報担当さんや他のサポーター仲間からも単なるイケメン・美女のグループではないですよとの"忠告"をいただき、いざ本番に。
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番ハ短調
第1楽章アレグロでは突風が吹くような勢いを感じさせ、これほどまでにザクザクと弾き進めるものなのかと驚かされました。第2楽章スケルツォではヴァイオリンからビオラ、チェロ、第1ヴァイオリンと弾き継がれるフーガの小気味よい刻みが印象的でした。一見豪放きわまりない弾き口に聴こえるのですが、確かな譜読みと弾き込みを経た上でないとばらばらになってしまうリスクもあり、紙一重の演奏をさり気なくやってのける彼らの腕前に感心。第3楽章メヌエットでは全体的に速めに弾き進められていましたが、トリオ部分での第2ヴァイオリンの歌が聴きもので、弓の動きも巧みなところにはこの曲を"視覚的にも"楽しませてくれるのを再認識させてくれました。第4楽章アレグロでは第1ヴァイオリンの勢いある入りに続いてメリハリあるアンサンブルを繰り広げていました。プレストでも集中力が全く途切れず一気に疾走していく部分は白眉。何故かここでピアノ協奏曲第3番フィナーレを思い起こしてしまいました(単なる同じ調性というだけでなく)。ここでも彼らの腕の確かさがよく出ており、何でもかんでも疾走というのではなく、どこか冷静に楽曲を捉えている部分も持ち合わせているのがよく伝わってきました。
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」
ある種メロドラマの相も帯びているような本曲で、彼らは豪放さと表情の豊かさを巧みに織り込んでいました。第1楽章アダージオでの憂いに満ちた冒頭旋律はその後葛藤のテーマとして全曲に係り結びのような役割を果たしているように感じられ、あたかも人間模様を描く音楽パズルを解いていくように聴いていました。第2楽章コンモートでのかすれる響きもまた心のきしみを思い起こさせ、ますます感情の揺れ動きが激しさを増していましたが、パイゾの演奏はそのようにめまぐるしい感情の変化の中でも常に集中していたように思われました。第3楽章コンモートヴィヴァーチェでの悲歌はますます悲壮感がいや増しており、やり場のない感情のもつれというものが各楽器の打弦の強さにもよく表されていました。悲劇的フィナーレを迎える第4楽章では激しい感情炸裂を描きつつも一方で深い悲しみを醸し出すヴァイオリンの走りが巧みで、演奏者は単に各々の楽器を巧みに操るのではなく、その響きを通して楽曲に込められたドラマを演じる"役者"としての素養も必要なのだ、と改めて考えさせられました。
ニールセン:弦楽四重奏曲第1番ト短調
彼らの母国の英雄的作曲家の本品は当夜の演奏者と同じくその後の飛躍にもつながる若々しさに満ちた出発作でもあり、パイゾが弾く事で覇気に満ちた演奏となりました。第1楽章アレグロではリズムのビートが一見ベートーヴェンやブラームスさえ思わせる、チェロのたゆたうような刻みに乗って上3部が小刻みに刻み、エネルギッシュさと緩慢さとが相まってシンフォニックな音楽となっていました。第1ヴァイオリンの劇的なフレージングと微妙なテンポの揺らぎ、第1ヴァイオリンのピチカートの刻みとチェロに挟まれた中声部のチャーミングな響きも魅力的でしたし、大河の流れを思わせるようなヴァイオリンの低音旋律や中声部のピチカート、前打音も巧みでごくごく自然に音楽になじんでいました。
第2楽章アンダンテでは裏拍で呼応する辺りは一瞬シューマンを思わせ、緩やかな刻みの美しさには懐かしささえ感じさせる歌が込められており、ここで何故か一瞬メンデルソゾーンの「浮雲」が浮かんできました(一頃練習したような・・・・)。第3楽章スケルツォでは舞曲風のタランテラ曲想には幅広い響きがあり、ポーズ置いてチェロの刻みに乗って上部3者がカーンと爽快なアンサンブル。アクセント加えつつ1つの流れになっており、再現部では更に強音増して表情豊かに舞っていました。フィナーレのアレグロでは歌も織り交ぜつつ推進していくパワーが魅力的で、内面まで掘り下げていったかと思ったら決然として吹き上がったりと、緩急の付け方も大変巧みで、今まで登場してきた楽想全体の「まとめ」部分にふさわしい演奏を繰り広げていました。
当夜は母国の舞曲等のアンコールもいろいろと聴かせてくれましたが、そこに至っても感じられたのは楽譜を弾く、楽器を弾くというのを超えた「自分達を弾く」という事。名は体を表すなぞ言われますが、彼らは穏やかな笑みをたたえつつ圧倒的な存在感を持ってそれを表してくれたのかもしれません。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#57〉
パイゾ・クァルテット
日時: 2007年6月6日(水)19:15開演
出演者:パイゾ・クァルテット
[ミッケル・フトロップ/キアスティーネ・フトロップ(Vn)、
マグダ・スティヴェンソン(Va)、トーケ・モルドロップ(Vc)]
演奏曲:
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番ハ短調op.18ー4、
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第1番「クロイツェルソナタ」
ニールセン:弦楽四重奏曲第1番ト短調 op.13 FS4
グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル 第2夜
演奏が始まる直前、「そういえば、チェンバロをホールで聴いたことあったかな」と考えている間に拍手が静まり、しばらくして演奏が始まると、私の中で珍しいことが起こりました。
初めて聴いた曲なのに、頭の中で楽譜を開いて、ただひたすら目で追っているような、出来もしないのに書き取っているような、ありもしないのに一緒に弾いてるような不思議な感じでした。ワクワク感が止まらない時間でした。そんな感触が、バッハの作品のときだけだったのは、私の音楽力の乏しさによるものなのでしょう。
小学生の頃も大人になっても、バッハの作品を弾いてるとき、譜読みや両手のバランスが難しいから大嫌いだったはずなのに、そんなことを忘れて、音楽に集中していました。休憩のときには、バッハを弾きたくなっているのが我ながらおかしかったくらい、素直に楽しんでいました。
演奏の合間の拍手と、そのときの柔らかい表情とピンとしたたたずまいから、長い間、活躍されてきたからこその観客の思いみたいのを、レオンハルト氏は受け止めていらっしゃるのかなと、感じる演奏会でした。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
グスタフ・レオンハルト
日時: 2007年6月26日(火)19:15開演
出演者:グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
演奏曲:
J.S.バッハ:ソナタ イ短調BWV.967(1703?)/組曲ホ短調“ラウテンヴェルクのための
”BWV.996(プレリュード/アルマンド/クーラント/サラバンド/ブーレ/ジグ)/
4つの小さなプレリュード
パッヘルベル:4つのアリアと変奏曲(1699)
ベーム:組曲 変ホ長調(アルマンド/クーラント/サラバンド/ジグ)/シャコンヌ ト長調/
コラール・パルティータ“おおわが魂よ、大いに喜べ”と変奏曲
フォルクレ:組曲第1番 ラボルド/フォルクレ/コタン/ベルモント/ポルテュゲーズ/
クープラン
グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル 第2夜
今晩の演奏プログラムの第1部の最初は素朴でありながら、どことなく哀しさのある響きの曲から始められた。
プログラム・ノートを執筆された矢澤孝樹氏によれば、本日のプログラムはあまり有名ではないJ.S.バッハの曲で始まるが、それは「ヒマラヤの高峰のような傑作群ではなく、他の作曲家の山脈と稜線でつながる隠れた山々を愛でてこそ、『ドイツ・バロックの一人の作曲家』としてのバッハの姿が見える、とレオンハルトは言いたいかのよう。」とのことである。
その後も、ヨーロッパの邸を巡るような様式美を味わう曲や、川の流れに逆らって魚が尾ひれを動かしながら遡っていくかのような写実的な和音の進行が楽しめる曲などがあり、チェンバロという楽器の持つ多様性を充分味わって休憩となった。
休憩時間にはレオンハルトが自ら調律する際に静寂を保つ必要があるため、聴衆は会場の後方の席に残って遠くからその様子を眺めるか、ホワイエに降りてグラスを片手に外の眺めを楽しむか、二者択一を迫られる。
実は初夏の第一生命ホールの楽しみの一つは、ホワイエでの休憩時間の過ごし方にある。というのもホールの所在地が隅田川の最下流が三又に分かれたうちの二つの流れに挟まれた晴海にある為に、ホワイエからホールの外に出て眺める景色が、実に良い気分転換となるからである。
ホールを背にして右には海に流れ込もうとしている水面が見え、真正面には高層マンション、左前方には大川端リバーシティの高層マンション群、そして左遠方に聖路加タワーや丸の内の高層ビル群まで見渡せるのだ。
こうした眺めを楽しむと休憩時間はすぐ過ぎて、第二部はフォルクレの組曲だけを聴くことになるのだが、この曲は最初の曲から低音域をふんだんに使い、重厚で格調の高い宮殿を連想させるような曲や大きな木のある広大な庭園を連想させるような曲が続き、最後のクープランは圧倒的な音楽による「威厳」をチェンバロで築き上げる、という実に多様な響きを味わうプログラムとなっていた。
そしてアンコールとしてJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番ト短調を原典としたシチリアーノ、さらに大きな拍手に応えてのアンコール二曲目はフィッシャーのシャコンヌ ト長調で締めくくられた。
昨年キャンセルされた日本公演のため、今回の来日も危ぶまれたが、舞台の演奏を見聞きする限り、80歳を目前としているとは信じられない程の健在振りであった。第一生命ホールの座席数767席の中で空席になっているところが全く見つけられないほどの超満員の聴衆に丁寧に挨拶するレオンハルトを見ると、更なる来日を切に期待したい。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
グスタフ・レオンハルト
日時: 2007年6月26日(火)19:15開演
出演者:グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
演奏曲:
J.S.バッハ:ソナタ イ短調BWV.967(1703?)/組曲ホ短調“ラウテンヴェルクのための
”BWV.996(プレリュード/アルマンド/クーラント/サラバンド/ブーレ/ジグ)/
4つの小さなプレリュード
パッヘルベル:4つのアリアと変奏曲(1699)
ベーム:組曲 変ホ長調(アルマンド/クーラント/サラバンド/ジグ)/シャコンヌ ト長調/
コラール・パルティータ“おおわが魂よ、大いに喜べ”と変奏曲
フォルクレ:組曲第1番 ラボルド/フォルクレ/コタン/ベルモント/ポルテュゲーズ/
クープラン
グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル 第1夜
演奏家と聴衆の理想的な「共同作業」
これほどまでに畏敬の念のこもった拍手を聞いたのは、いつ以来だろう。熱狂でもない。お義理の拍手でもない。誰もが、今ここで起きた尊い時間の余韻を壊さないよう細心の注意を払いながら、ステージ上の「司祭」を讃える――そんな拍手だった。
6月21日、第一生命ホールで行われた、グスタフ・レオンハルトのチェンバロ・リサイタル東京公演の初日。
昨年にも来日がアナウンスされていたが、残念ながら体調不良のためキャンセルされた。今年79歳。今回、待ちに待った巨匠の来日とあって、767席のチケットは完売であった。満員の第一生命ホールに入るのは初めてだ(失礼!)。
会場の張り紙では、開演は19時15分で、予定終演時刻は21時25分。巨匠、やる気満々である。プログラムはルイ・クープラン、フローベルガー、J.C.バッハ、J.S.バッハ、ラモー、フォルクレと多彩な作品が並ぶ。一体、集まった聴衆のうち何人が、この日演奏される作品のすべてを知っているのだろうか。少なくとも不勉強な筆者は、半分以上が初めて聴く曲だったことを告白しておく。渋いプログラムである。
さて、チケットをもぎってもらった後に手渡されたのは、公演アンケートと主催のトリトン・アーツ・ネットワーク(TAN)の入会案内と、TANの法人&個人会員一覧表、それからいま一方の主催者アレグロミュージックが来年2月に招聘するオランダ・バッハ協会合唱団&管弦楽団の《ヨハネ受難曲》の予告(仮)チラシ。そうか......共催公演だと、曲目や簡単なプログラム・ノートも配られないのね、有料パンフレットを買わないと解説がわからないのね......正直「きっついなー」と思いながら、ホール内部へと入った。
だがしかし、それは自分の早計だった。要は、レオンハルトの演奏に耳を傾けさえすれば、それぞれの作曲家がどんな性格で、それぞれの作品がどんな発想から生み出され、どんな様式を持っているのか、すべて直感的に伝わってくるような感覚にさせられるのだ。音は人なり、なのだ。もちろんレオンハルトの演奏は、近ごろの若手チェンバロ奏者に多い、外面的に"おしゃべり"な語り口とはかけ離れている。肩の力は完全に抜け切り、飄々とステージに姿を現し、微動だにせず鍵盤に向かい、指先の微妙な感覚による違いとレジスターの操作で――ときどき、極度に作品のなかに入りこんだ唸り声が聞こえるが――作曲家の個性と作品の特性が際立つ音世界を築き上げるのである。レオンハルトの演奏は、まさに弦の震えがそのまま作曲家と奏者の魂の震えとなった「入我我入(にゅうががにゅう)」の境地だった。第一生命ホールは、チェンバロの演奏を聴くにはいささか広いホールだが、聴衆の、1音1音を聴き逃すまいとする集中した"気"が、ホールのなかで息苦しいほどに凝縮されていた。
この公演は、アレグロミュージックとの共催のため、休憩中の作法も、アレグロ流が貫かれた。つまり、チラシに明記されている「お客様のプライベートな時間をより大切にしたいため、弊社主催のコンサートでは、1989年より開演および休憩後のベルを鳴らしておりません。また1997年のよりアナウンスもとりやめました。定時になりましたら、お席へお就きください」という方式である。チラシにはその他にも「休憩時に出演者自身による調律が行なわれます。調律には静寂を保つ必要がありますので、10列目より前方への尾立ち入りはご遠慮ください」といった文言もある。いわば聴衆への"注文の多いコンサート"なのであるが、前列の聴衆は休憩に入った瞬間、「このあと調律が始まるんだよ」と言いながら、そそくさと退いた。客席中央の通路では、レオンハルトの発する音ならば、たとえ調律の音でも聴き逃すまいというストイックな聴衆と、「えー、演奏家が調律もするんだー」という好奇心旺盛な客が混在し、遠巻きに調律場面を見守っていた。そして開演5分前になると1階のロビーでくつろいでいた聴衆も、誰からともなくホールに戻っていった。レセプショニストは小声で遠慮がちに「間もなく開演でございます」と言ってはいたけれど、この呼びかけがなくても当夜の聴衆なら自主的に客席に戻ったであろう。それくらい見事な聴衆っぷりであった。
ここから言えるのは、わが国のコンサートが、いかに企業の招待でわけもわからずやってきた聴衆と、おのぼり客への「お節介」とで成り立っているかということだ。本当に熱心な聴衆なら、そんなベルやアナウンスなど必要がなく、聴衆は自主的に行動を起こし、何の支障もきたさず、後半のプログラムを始められることがわかったのである。ヨーロッパなんか、そんなところが多いのだから。
リサイタルは結局、J.S.バッハのイギリス組曲とパルティータからのアンコールを含めて21時すぎにはお開きとなったが、この空間のなかにいろんな要素が凝縮されていたので、へとへとになった。今回のリサイタルは、レオンハルトの文字通り入魂の演奏と、意識の高い聴衆との「少しでもいい空間、環境を作りたい」という共同作業によって、稀にみる名舞台になった。このような音楽会を、また第一生命ホールと、そこに集った聴衆と味わたいと思った。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
グスタフ・レオンハルト
日時: 2007年6月21日(木)19:15開演
出演者:グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
演奏曲:
ルイ・クープラン:組曲イ短調(フローベルガーを模したプレリュード/アルマンド/クーラント/
サラバンド/メヌエット/ピエモンテーズ)
フローベルガー:憂鬱を紛らわすためにロンドンで作られたプラント/ジグ/クーラント/
サラバンド
J.C.バッハ:プレリュード ハ長調
J.S.バッハ:プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調BWV.998
ラモー:やさしいプラント/メヌエット/エンハーモニック
フォルクレ:組曲第5番よりラモー/レオン/モンティニ/シルヴァ/ビュイッソン