2007.6.13
クラシックはじめのいっぽ チェロ編
平日の、しかも昼間のコンサートに行くのはもしかしたら人生で始めてのこと。さて、どんなコンサートになるのやら。チェロを弾く友人を誘って出かけてみると、開場前のロビーには、ベビーカーを押したママさんの姿もチラホラ。
一曲目は黛敏郎(昔、「題名のない音楽会」の司会をしていらっしゃいました)の『BUNRAKU』。初めて聞いた曲でした。ピアノ伴奏の無い、いわゆる無伴奏の曲ながら、ピチカートでは三味線を表していたのか、そのピチカートが指板に当たる音は、正に撥で弦を弾いているような音がしました。早いパッセージは義太夫が語るが如く、まるで本当に文楽の舞台を見ているような感じを味わえる曲でした。20世紀のチェロ曲は面白い、の一言につきました。
その後、藤原さんはチェロが、もともとは伴奏に使われた楽器であること、そして、メロディーを弾くようになっていったことなどチェロの歴史の説明をしながら、ヘンデルの『ラルゴ』、バッハの『アリオーソ』、『音楽の捧げものからのコラール(一般的には『主よひとの望みの喜びを』などといわれていますが)』、『無伴奏チェロ組曲第1番より前奏曲』を演奏されました。
演奏曲はヘンデルから、どんどん新しい時代に進んでいくのですが、バッハの後、プログラムには無いベートーベンのソナタを触りの部分だけ弾いてくださいました。そういえばベートーベンには、チェロでさっと弾く小品が無いような・・・。
その後はエルガーの『愛の挨拶』、フォーレの『シシリアーノ』、サン=サーンスの『白鳥』と曲名を知らないまでも、誰もが耳にしたことがあるであろうチェロの名曲が続きます。そしてリストの『忘れられたロマンス』、チャイコフスキーの『感傷的なワルツ』、ドヴォルザークの『わが母の教え給いし歌』で締めくくられました。
藤原さんは、曲の合間合間にお話を交えてくださったのですが、決して話すのが得意なご様子ではありません。それでも、チェロという楽器の素晴らしさを伝えようと、一生懸命に話してくださったのも印象的でした。
一日の中で、人は一時間又は60分という時間をどのように過ごしているでしょう。仕事に没頭していたり、テレビを見ていたり、お散歩をしていたり、色々なことができるでしょう。その一時間、たまには音楽に浸ってみるのも素敵な時間の過ごし方だなぁ、と思わせる「クラシックはじめのいっぽ」。
来年の4月からはシリーズ化され、続々と大物の方も登場される予定となると、「はじめのいっぽ」の人ばかりに楽しんでいただくわけにはいかない!とも思ってしまった私でした。
公演に関する情報
〈ライフサイクルコンサート#23〉
クラシックはじめのいっぽ チェロ編
日時: 2007年5月31日(木)11:30開演
出演者:藤原真理(Vc)、倉戸テル(Pf)
演奏曲:
黛敏郎:BUNRAKU
ヘンデル:ラルゴ
J.S.バッハ:カンタータ第156番からアリオーソ/無伴奏組曲第1番から前奏曲
エルガー:愛の挨拶
フォーレ:シシリアーノ
サン=サーンス:白鳥
リスト:忘れられたロマンス
チャイコフスキー:感傷的なワルツ
ドヴォルザーク:わが母の教え給いし歌
エルデーディ弦楽四重奏団
シューマン弦楽四重奏曲全曲演奏会
クァルテット・ウェンズデイで、今や名物になりつつある小冊子がある。この「SQWサブテキスト」と題された刷物は、当夜の聴き所や、曲の背景を、とても平易な文章で、且つ、筆者の弦楽四重奏に対する深い愛情を滲ませ乍、私達に教えて呉れる。その語り口からは「本日は、遠い処をようこそ御出で下さいました」と、ゆっくり茶を煎れ、それを客に勧め乍、この宿の由来や、土地の来歴などを話す旅館の女将を彷彿とさせる。
私は何時も早めに自席に着き、プログラムに挟まったこのサブテキストを先ず読む事にしている。それは、普段、オーケストラ曲を専らに聴いている私にとって、親しみのある作曲家の室内楽曲であっても、始めて接する曲には変りはない。そこで、既存の作曲家体験と、これから始まる未知なる曲とを如何に結び付けるべきか、という"鍵"を与えて貰おうと、そうするのである。
今宵のSQWはエルデーディQによる、シューマン弦楽四重奏全曲演奏会。「故きを温ねて...~シューマンの1842年」と題された当夜のサブテキストはゆっくりと、やさしく語り出す。
『そこには、さらっと「ハイドン、モーツアルト、ベートーベンの弦楽四重奏研究に没頭」と書いてあります。シューマンさんは勉強熱心だったんですねぇ...ということ以上の大事なことがここで起こっているのです。つまり、彼は過去の作曲者の作品を、文献を解読するように詳細に研究し、論文という形でその位置づけを発表し、その上で自らこの合奏形のための作品を書き上げる、ということを行っています。』
(出典「SQWサブテキスト その25」、NPOトリトンアーツネットワーク)
シューマンは自らをベートーベンの弟子を以って任じている。この言からも察する事が出来る様に、詰り、尊崇する師や、過去の巨匠達の遺産を整理し、その目録を作成た上で自らの資産にして行く、という過程を第一から第三カルテットで"追体験"できるのだな......。これこそ私にとって、未踏なる「シューマンの弦楽四重奏」と謂う世界を開いてくれる貴重な"鍵"なのである。後はエルデーディ四重奏団の演奏に、唯身を委ねる丈で良い。
4人が3曲のカルテットを見事に奏し終えた。拍手をし乍、隣で聴いていた知り合いの某婦人が大きく頷つつ、話し掛けて来た。
「そうね。サブテキストにある『今日のシューマンは、纏めて聴く意味があるのです。少なくとも、作曲者自身この3曲を纏めて書いたのには、意味があるのです。』という言葉、全くその通りだったわね」
この婦人同様、今夜も私の心の中に又一つ、重要な"音楽の鍵"が増えた。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#56〉
エルデーディ弦楽四重奏団
シューマン弦楽四重奏曲全曲演奏会
日時: 2007年5月9日(水)19:15開演
出演者:エルデーディ弦楽四重奏団
[蒲生克郷/花崎淳生(Vn)、桐山建志(Va)、花崎薫(Vc)]
演奏曲:
シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41の1、同第2番ヘ長調作品41の2、
同第3番イ長調作品41の3