モルゴーア・クァルテット
~ショスタコーヴィチ生誕100年記念
ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全曲演奏会Ⅴ
報告:須藤久貴/大学院生/(全5回通しで)2階C1列1番
投稿日:2006.10.8
ショスタコーヴィチの15曲に連なる大長編の「物語」を、5回の演奏会にわたって聴いてきたが、たどり着いた着地点は意想外に静かなものであった。第1番のみずみずしさ、第2番の溢れる力強さといった、初期の明るさは時代を下るごとに失われていくようだ。第9番や第12番には、ふさぎ込む表情に交互して感情の激しい発散があった。しかし第13番から第15番までが取り上げられた最後の演奏会では、ただひたすらに眼鏡の奥を曇らせて沈み込むショスタコーヴィチの横顔が見えるだけである。彼はため息をつくことすらも抑制して、じっと静かに何かをこらえているかのようだ。
先に「同じ作曲家の違った側面」と書いたが、第5回の演奏会で感じたのは、もはやショスタコが「叫ばない」ということだった。第13番変ロ短調(作品138)では、大仰に構えて声高に主張するということがない。ジャズを模した軽快なリズムで少しだけハッスルしてみるものの、根は暗い。暗さは曲の終わりまで連なっているが、最後にヴィオラのソロが出てくる。時折、第2ヴァイオリンがコル・レーニョ奏法で小さく「コツン」と叩く音がする以外は、長い間ヴィオラの小野氏の音しか響かない。いつのまにかヴィオラは高みを目指して進んでいる。指板の押さえられるポジションがもはやない、というほどの高音を小野氏の左指は押している。音程がやや不安定にすらなる。真ん中の「ド」から約3オクターブ近く離れた高い「シ♭」を、小野氏は一生懸命に弾いているのだ。息も絶えだえに、必死で弾いている。あまりに高い音だったから、後から同じ音の列に加わったヴァイオリンとの音程のほんの少し差が、逆に音楽の切実さを刻んでいるように思えて、ただただ切なくなった。
続いて演奏された第14番嬰ヘ長調(作品142)には、明るさがあり叙情的な響きも持ち合わせている。第1楽章も第3楽章も、四人がいっせいに弾くことがあまりないのが特徴的だ。第2楽章で中声部二人のピチカートに合わせて弾くチェロと第1ヴァイオリンの二重奏がひときわ美しい。甘美でハワイアンな感じがする。いかにもな歌謡曲風「愛の二重唱」の雰囲気である。ピチカートもウクレレのような俗っぽい響きすらあるのだけれども、親しみやすいメロディーをいったん聴いてしまうと、「のどの渇き」を意識させられる。渋い顔をしてショスタコを食べるのもいいが、やっぱり甘い飲み物も欲しくなるのだ。
最後の第15番変ホ短調(作品144)は、ひたすら静かな音楽だ。第1楽章冒頭の第2ヴァイオリンの旋律は、日本の古い民謡のような哀しい響きがする。印象的なのは第2楽章の不気味さだ。第3番終楽章にも気味の悪さがあったが、輪をかけてもののけじみている。人魂がゆらりゆらりと漂っているようだ。単音ばかりで四人の音はあまり重ならず、常に静かな響きがしている。四人の対話というより、異なるモノローグを聴いているかのようだった。重苦しい孤独さを感じてしまう。
何だか月の裏側まで歩いてきてしまったような気分だ。第1番のような清冽な印象を期待して聴き続けるうちに、いつのまにか深く深く心を閉ざして考え込んでいくショスタコーヴィチの思索に引き込まれていってしまったかのような錯覚に陥る。彼の音楽を端的に「歪んでいる」と言ってしまうのはたやすいが、そんな簡単にも片付けられない。現代にあって、そもそも歪んでいない人というのもいないだろう。多かれ少なかれ、みな歪んでいる。プログラムのエッセイに第1ヴァイオリン荒井氏が書いているように、「彼が自身に忠実であろうとするほどに音楽はいびつになってい」くのだと思う。と同時に、その「いびつさ」は表現の可能性を広げることにも役立った。「歪んでいる」と考えることはできるが、「形式や構成の自由さ」、と積極的に捉えたいと思う。
アンコールでは、まずチェロソナタ(作品40)の第1楽章から第2テーマをアレンジしたものが演奏された。そして、第3回演奏会でも弾かれた未完の弦楽四重奏曲「幻の9番」が再演された。ショスタコーヴィチの自筆譜は第1楽章の225小節までしか残っていないのだが、225小節目以降を別人が補筆して完成された稿も、最近出版されている。モルゴーア・クァルテットは律儀に225小節目までを演奏した。展開部らしき部分が盛り上がりを見せ始めたあたりで、唐突に曲は終わる。書かれなかったけれども、本当はその先に音楽の続きはあるのだ。
未完の弦楽四重奏曲を以って、モルゴーアがこの長大なツィクルスを締めくくったのは象徴的だ。ショスタコーヴィチの音楽は閉じられないまま残される。はるか彼方まで軌跡を描いていくのを私たち聴衆は見送りながら、これから幾度となく、彼を想って空を見上げることになるだろう。モルゴーアは、エスペラント語で「明日」という意味である。
公演に関する情報
〈第一生命ホール5周年記念コンサート クァルテット・ウェンズデイ・スペシャル〉
モルゴーア・クァルテット
~ショスタコーヴィチ生誕100年記念
ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全曲演奏会Ⅴ
日時: 2006年9月27日(水)19:00開演
出演者:モルゴーア・クァルテット
[荒井英治/戸澤哲夫(Vn)、小野富士(Va)、藤森亮一(Vc)]
演奏曲:
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第13番変ロ短調作品138、
同第14番嬰ヘ長調作品142、同第15番変ホ短調作品144