モルゴーア・クァルテット
~ショスタコーヴィチ生誕100年記念
ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全曲演奏会Ⅲ&Ⅳ
報告:須藤久貴/大学院生/(全5回通しで)2階C1列1番
投稿日:2006.10.7
前日の二回の演奏会に引き続き、24日午後2時から第3回の演奏会が開かれた。
ショスタコーヴィチ、弦楽四重奏曲第7番嬰ヘ短調(作品108)はそれほど長くない曲で、第1楽章と第3楽章の末尾がほぼ同じ造りになっている。ピチカートに合わせて同じ音を弾く第2ヴァイオリン戸澤氏の、勢いを付けた音が印象に残った。
ショスタコのドイツ語名でのイニシャル(D. Sch)が、音名で執拗にモティーフとして現れる有名な第8番ハ短調(作品110)には、一貫した緊張感が漂っていた。「D-Es-C-H」(レ-ミ♭-ド-シ)は、この曲全体を統一的に示す「記号」として用いられているから、この音を聴くたびに音楽の前面に出過ぎたショスタコの名前を何度も意識せずにはいられない。ツィクルス全体をロマーン(長編小説)と捉えるならば、第8番はノヴェレ(短編小説)だ。この曲に登場する主題は、今までの作曲者自身の作品からの引用が随所に散りばめられている。いわばこの「ノヴェレ」が、「ロマーン」全体を解き明かす鍵ともなっているのではないか、と想像してしまう。第4楽章では、張り詰めた緊張感が持続する中で、美しいチェロの旋律が高音で静かに弾かれた。藤森氏のソロは嵐の吹き荒れる谷間に人知れず咲く花を思わせるような、はかない響きで、天上の調べを聴く心地だった。
ところで今回の演奏会のプログラムノートに林光氏は、こう書いている。「『弦楽四重奏曲第8番』をショスタコーヴィチは三日で作曲した。こういうことをするから、いけないのだ。苦しんでもがいて、腹から絞り出すように創作をするのが、信用されるんだ」――この言葉は、ショスタコを語っているようでいて、林氏自身の音楽を期せずして語っている。≪原爆小景≫が実に半世紀近くもの歳月をかけて完成されていることを思い返すならば、「腹から絞り出すように創作する」というのは彼自身の音楽に対する姿勢の表明でもある。同時に、困難な時代を生き抜き苦しみながらも三日で弦楽四重奏曲一曲を完成させてしまったショスタコに対する深い愛着を述べたものとも言えるだろう。
第9番変ホ長調(作品117)は聴いているだけで面白い。何度も繰り返されるリズムが楽しい。特に第5楽章は圧巻だった。あまりの激しさに驚いた。モルゴーアの四人はひたすら力任せに押し切っていくが、もはや何が行われているのか分からないほどだ。長大に連なる八分音符はテープを早送りしているかのようだが、やがて同じリズムを執拗に刻み続けることで輪郭がはっきりと浮き出てくる。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の最後みたいな、ディオニュソス的な力強さですっかり圧倒されてしまった。
なおアンコールは、3年前に発見されたばかりというショスタコの未完の弦楽四重奏曲(いわゆる「幻の9番」)が演奏された。とても聴きやすく時代を感じさせないポップな雰囲気だった。5回目の演奏会のアンコールでも演奏されたので後にもう一度触れたい。
昼の部は4時前には終わってしまうので、6時半の夜の演奏会までは少し手持ち無沙汰になる。食事をしたりセガフレドでカプチーノを飲んだり、風に吹かれて運河を歩いていた。
さて6時半からの第4回演奏会。
第10番変イ長調(作品118)もとても聴きやすい。第2楽章の激しさに圧倒されるし、第3楽章は叙情的なチェロの旋律が美しい。ゆったりとしたアダージョであるのに、メロディーをフォルテッシモで激しく歌うあたりが面白いのだ。メゾフォルテだったら感傷的だが、激しく哀しさを強調するところに迫力がある。第4楽章のかわいらしいテーマは耳に残る。昔のファミコン音楽みたいなチープさ加減に意外性があるからなのか、やたら耳から離れない音楽だ。
この日の演奏会で取り上げられた曲目は、全般的にどれも聴きやすい。60年代に書かれた9番、10番や12番は音楽に勢いもあって、親しみやすく思われる。第11番ヘ短調(作品122)は7つの短い楽章から出来ているが、音楽の変化が速く、同じモティーフが繰り返されるので聴きやすい。第4楽章のコラールでは、第1ヴァイオリンが無窮に動き回る中を、他の三人が激しく和音をかき鳴らしたのが印象的だった。
最後に演奏された第12番変ニ長調(作品133)は、全15曲のツィクルスの中でももっとも充実した密度の濃い内容だったと思う。狭い音域で幾重にも絡み合う丁々発止のやり取りもよかったし、チェロの安定したソロも聴かせる演奏だった。しかし何より素晴らしかったのは、第1ヴァイオリンのピチカートだった。「張り詰めた糸」のような、という形容は、まさにこういう状態のことを指しているのではないだろうか。他の三人が弓を置き、無音になったところから第1ヴァイオリンの荒井氏は、ただひとり、高音のCとGの音を鋭く手ではじく。決然とした意志が漲っている。ピチカートの単音が間をおいていくつか発音されるとき、ホールの空間の広さが意識されてくる。それから他の楽器が加わり緊張は和らぐが、音楽の流れは元には戻らない。上昇する音型が勢いを得て天を衝く。また2番や3番のような「戦争」状態になり、「タタタタタン」というリズムが特徴的に繰り返される。つばを飲むのも忘れて、うねりに身を任せた。かっこよすぎる終わり方。聴衆の反応もこれまでで一番良かった。
アンコールはヴァイオリン協奏曲第2番の第2楽章が演奏された。今回唯一の、荒井氏による書き下ろしのアレンジだという。ステージから聴衆に語りかけた荒井氏は、さらに「あと二時間もすればショスタコーヴィチの生誕100年ですから、ご家庭でどうぞ(お祝いください)」と付け加えるのを忘れなかった。本当にショスタコが好きなのだろうと思う。
稿をもう一度改めて、27日の最終回について書くことにしたい。
公演に関する情報
〈第一生命ホール5周年記念コンサート クァルテット・ウェンズデイ・スペシャル〉
モルゴーア・クァルテット
~ショスタコーヴィチ生誕100年記念
ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全曲演奏会Ⅲ
日時: 2006年9月24日(日)14:00開演
出演者:モルゴーア・クァルテット
[荒井英治/戸澤哲夫(Vn)、小野富士(Va)、藤森亮一(Vc)]
演奏曲:
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第7番嬰へ短調作品108、
同第8番ハ短調作品110、同第9番変ホ長調作品117
〈第一生命ホール5周年記念コンサート クァルテット・ウェンズデイ・スペシャル〉
モルゴーア・クァルテット
~ショスタコーヴィチ生誕100年記念
ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全曲演奏会Ⅳ
日時: 2006年9月24日(日)18:30開演
出演者:モルゴーア・クァルテット
[荒井英治/戸澤哲夫(Vn)、小野富士(Va)、藤森亮一(Vc)]
演奏曲:
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第10番変イ長調作品118、
同第11番へ短調作品122、同第12番変ニ長調作品133