2010.8.9
林光・東混 八月のまつり31
忘れない。
怖い。苦しい。悲しい。辛い。自分の心と体が痛い。絵よりも怖い。でも美しい。二度と繰り返してはいけない。
――76年9月、修学旅行の事前学習の一環として、『原爆小景』の「水ヲ下サイ」を高校2年生に聞かせた。前年のNHK全国学校音楽コンクール全国大会の録音が役立った。
そもそも『原爆小景』との出会いは72年8月。所属の早稲田大学混声合唱団員と共に「夏の東混は刺激的だ」との先輩の声にひかれ、客演指揮者の原田氏、ヴォイストレーナーの山田茂氏等々のご出演もあって、文化会館へ。本格的な合唱に触れたことのない自分には、何もかもが新鮮だった。そこに『原爆小景』がきた。この曲が、自分の合唱のもう一つの原点となった。爾来、夏といえば『原爆小景』。
生で聞くのは実に35年ぶりだが、今回の聴衆はシニアの方が多かった。銀髪に戦後65年の重みを感じる。その中で、小学生と中学生と思しき姉妹が何組かと、大学生らしいグループが幾つか眼を引いた。高校生にも相当ハードなこの曲に触れさせようとの親御さんの見識の高さ。若い人たちの意欲と素直な感動。なんだか嬉しく、ほほえんでしまった。
「永遠のみどり」は、今回初めて聴いた。伸びやかな瑞々しい声の紡ぐ気負わない素直な音の重なりは、「ひろしまのデルタ」にしたたる「とはのみどり」そのもの。柔らかな若緑の照明と相俟って無限の広がりを感じた。前日、「芥川也寸志メモリアル オーケストラニッポカ」による、深井史郎『平和への祈り』の合唱に出たのだが、第4楽章の〈ただならぬ 苦患(なやみ)の後に/よみがえる 生命あり、/苦しみの極まるところ/やすらひと 慰めの光あり〉のところで感じたものは、〈死と焔の記憶に/よき祈よ こもれ〉と同じ生命の蘇りと祈りだったのだ。そして、上手の譜面台に置かれた1本の白百合。慰霊碑に手向けられた献花の如く清らかで美しかった。
先の高校生の感想はまだある。「アメリカの人に聴いてほしい。」――演奏に先立って、林光氏は、「忘れない。忘れてはいけない。」とおっしゃった。原爆投下。被爆。この事実を私たち人間は忘れてはならない。核使用の国の人を責めるのではない。こんな苦しみ、悲しみ、痛み、怖さが、65年前に人の手によって一方的にもたらされたことを知ってほしいのだ。そして感じてほしい。高校生と同じく自分の心で。もとより戦争で幸せになれるはずはなく、今は戦争即核使用、人類滅亡へとつながる。同じことが起きようとしている。押しとどめるのは今。人間の声のちから、東混の『原爆小景』のちからで。
恒例の「林光・東混 八月のまつり」。魂鎮めのまつりのみならず、私たちに未来への進む力を与えてくれる今宵のまつりであった。
「きりっとした」東混による「へなっとした」小歌。『花靱』、もー最高!!中世のマドリガルに匹敵する艶やかさと軽やかさに酔った。終曲【歌えや】はnigro spiritualのようなswing感あり、ブロードウェイのダンスナンバーのノリで思わず体もswing。これぞ「八月のまつり」の締めにふさわしい躍動感と生命力が漲っていた。『閑吟集』は大好きで、今回のお目当てだった。思いのたけは次の機会に。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
林光・東混 八月のまつり31
日時: 2010年8月9日(月)19:00開演
出演者:林光(指揮) 東京混声合唱団 寺嶋陸也(ピアノ) 古賀満平(照明)
演奏曲:
林光:原爆小景(原民喜 詩)
水ヲ下サイ (1958)/ 日ノ暮レチカク (1971)/ 夜 (1971)/ 永遠のみどり (2001)
林光:花靱-閑吟集によるコンチェルト-新作初演-「人の姿は花靱」、「優しさうで、逢うたり
や嘘の皮靱」
林光(作曲)木島始(詩):混声合唱、ピアノ、一対の笛のための「鳥のうた(1982)」 春うらら/
ゆきかう渡り鳥/空の文字消える名まえ/見守るつらさ/啄まれた
いひと/すばらしい嘘/おとずれ待ち/たよれる星/たねは旅する
林光・東混 八月のまつり31
作品と言う媒介を通して後世の人に感情を間接的にも経験させ、当時の記憶を「残す」。
それが作品の意図ではなかろうか。
しがみつく様にしつこい暑さが一休みした日の昼下がり、当日夜の「八月のまつり」にモニターとしてお誘いを頂いた瞬間、自分の心の中に躊躇が無かったと言えば嘘になる。この「八月のまつり」の恒例ともいえる、林光氏の『原爆小景』を聴くことにどこか抵抗感を感じていた事は否めない。
先の戦争の終結から65年、日本は、(様々な捉え方はあるにせよ)対外的な戦争を経験せずに復興・発展から停滞を経て今に至る。その中で育ってきた小生の世代は、戦争経験世代からすると三世代、つまり自分を直接育てた親すらも戦争を経験していない。
その小生が家庭や諸教育機関で受けてきた戦争や被爆国としての教育は、「知ることが義務」という体裁を取り、原爆の悲惨さ、殺しあう事の哀しさなどを、絵画や映像、文学など様々な形で小生達に知識として「知ることを求めて」きた。止める事の出来ない時間軸の中で、遠く離れつつある消せない事実を学ぶことが「義務」教育だったのである。幸福な事に平和を享受している小生は、それが故に自国の戦争を過去の事象としてしか捉える事の出来ない中で、その悲惨さ・哀しさを知るのは幼い頃から心を痛ませる「義務」だった。
原爆小景を聴く事は「義務」を再び体験する事であり、それを忌諱する芽が自分の心の中に生えたのは否めない事実だが、その芽を摘み取り、ホールへと足を向けたのは、過去を知り記憶を「残す」ことが我々の責務であると言い聞かすもう一人の自分もいたから(そのもう一人の自分を育てることが、戦争教育の一環だったのかもしれないが)。
芸術のどの分野であっても、戦争や原爆を題材に扱った作品は、その表現で求めている物は「美」ではないような気がする。作品の目的は、その表現形態を介して、そこで起こった事実や表現者の中に湧き起こった感情を「残す」こと。恐れ・苦しみ・悲しみ・痛み・怒り・諦め・絶望・渇望...、作品に接した時に湧き起こる感情は、作者の意図したものだろう。作品と言う媒介を通して後世の人に感情を間接的にも経験させ、当時の記憶を「残す」。それが作品の意図ではなかろうか。
この日も、「原爆小景」の中で歌われる死の淵に落ちつつある人の声は、当時の凄惨さを語りかけ、聴く者に心苦しいまでの感情喚起を促した。体が焼かれた痛み、一瞬の間に起こった殺戮への疑問、生への執着と諦観、水への渇望、そして永久のみどりへの希望。原民喜が書き綴り、林光が曲を付けた作品は、強く、容赦なく訴えかけてきた。その意味で、演奏は生々しいまでにインパクトのあるものであった。
演奏会はその後、林光氏の新作などに続き、最後は日本のおなじみの歌曲で締めをくくった。プログラムとして曲が進むにつれ、曲としての興味深さや美しさが先行するようになり、そして最後には耳慣れた曲で終り、会場としては「やっぱり歌はいいね」という雰囲気で終演を迎えた。
しかし、個人としては「原爆小景」で受けたインパクトが徐々に薄れていき、演奏会が終わった時に何が「残った」かが曖昧になってしまったという印象は拭えない。
一つ一つの作品は素晴らしいものだったし、貴重な体験をさせてもらえた。だが、小生の思う曲の主眼が「残される」ものだったかどうかは分からないまま帰路につく事になった。
殺戮兵器として生まれた核兵器は、威嚇道具、そして抑止力として利用されながら、現在では政治的プロパガンダの材料にまで使われるに至った(意図の有無に関わらず、それによってノーベル平和賞が動いたのも1回ではない)。どのように利用されようが、物質として核兵器が残っている世の中で、唯一の被爆国である日本は何を「残す」のか。
そんな事を考えさせられる演奏会だった。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
林光・東混 八月のまつり31
日時: 2010年8月9日(月)19:00開演
出演者:林光(指揮) 東京混声合唱団 寺嶋陸也(ピアノ) 古賀満平(照明)
演奏曲:
林光:原爆小景(原民喜 詩)
水ヲ下サイ (1958)/ 日ノ暮レチカク (1971)/ 夜 (1971)/ 永遠のみどり (2001)
林光:花靱-閑吟集によるコンチェルト-新作初演-「人の姿は花靱」、「優しさうで、逢うたり
や嘘の皮靱」
林光(作曲)木島始(詩):混声合唱、ピアノ、一対の笛のための「鳥のうた(1982)」 春うらら/
ゆきかう渡り鳥/空の文字消える名まえ/見守るつらさ/啄まれた
いひと/すばらしい嘘/おとずれ待ち/たよれる星/たねは旅する