林光・東混 八月のまつり31
忘れない。
怖い。苦しい。悲しい。辛い。自分の心と体が痛い。絵よりも怖い。でも美しい。二度と繰り返してはいけない。
――76年9月、修学旅行の事前学習の一環として、『原爆小景』の「水ヲ下サイ」を高校2年生に聞かせた。前年のNHK全国学校音楽コンクール全国大会の録音が役立った。
そもそも『原爆小景』との出会いは72年8月。所属の早稲田大学混声合唱団員と共に「夏の東混は刺激的だ」との先輩の声にひかれ、客演指揮者の原田氏、ヴォイストレーナーの山田茂氏等々のご出演もあって、文化会館へ。本格的な合唱に触れたことのない自分には、何もかもが新鮮だった。そこに『原爆小景』がきた。この曲が、自分の合唱のもう一つの原点となった。爾来、夏といえば『原爆小景』。
生で聞くのは実に35年ぶりだが、今回の聴衆はシニアの方が多かった。銀髪に戦後65年の重みを感じる。その中で、小学生と中学生と思しき姉妹が何組かと、大学生らしいグループが幾つか眼を引いた。高校生にも相当ハードなこの曲に触れさせようとの親御さんの見識の高さ。若い人たちの意欲と素直な感動。なんだか嬉しく、ほほえんでしまった。
「永遠のみどり」は、今回初めて聴いた。伸びやかな瑞々しい声の紡ぐ気負わない素直な音の重なりは、「ひろしまのデルタ」にしたたる「とはのみどり」そのもの。柔らかな若緑の照明と相俟って無限の広がりを感じた。前日、「芥川也寸志メモリアル オーケストラニッポカ」による、深井史郎『平和への祈り』の合唱に出たのだが、第4楽章の〈ただならぬ 苦患(なやみ)の後に/よみがえる 生命あり、/苦しみの極まるところ/やすらひと 慰めの光あり〉のところで感じたものは、〈死と焔の記憶に/よき祈よ こもれ〉と同じ生命の蘇りと祈りだったのだ。そして、上手の譜面台に置かれた1本の白百合。慰霊碑に手向けられた献花の如く清らかで美しかった。
先の高校生の感想はまだある。「アメリカの人に聴いてほしい。」――演奏に先立って、林光氏は、「忘れない。忘れてはいけない。」とおっしゃった。原爆投下。被爆。この事実を私たち人間は忘れてはならない。核使用の国の人を責めるのではない。こんな苦しみ、悲しみ、痛み、怖さが、65年前に人の手によって一方的にもたらされたことを知ってほしいのだ。そして感じてほしい。高校生と同じく自分の心で。もとより戦争で幸せになれるはずはなく、今は戦争即核使用、人類滅亡へとつながる。同じことが起きようとしている。押しとどめるのは今。人間の声のちから、東混の『原爆小景』のちからで。
恒例の「林光・東混 八月のまつり」。魂鎮めのまつりのみならず、私たちに未来への進む力を与えてくれる今宵のまつりであった。
「きりっとした」東混による「へなっとした」小歌。『花靱』、もー最高!!中世のマドリガルに匹敵する艶やかさと軽やかさに酔った。終曲【歌えや】はnigro spiritualのようなswing感あり、ブロードウェイのダンスナンバーのノリで思わず体もswing。これぞ「八月のまつり」の締めにふさわしい躍動感と生命力が漲っていた。『閑吟集』は大好きで、今回のお目当てだった。思いのたけは次の機会に。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
林光・東混 八月のまつり31
日時: 2010年8月9日(月)19:00開演
出演者:林光(指揮) 東京混声合唱団 寺嶋陸也(ピアノ) 古賀満平(照明)
演奏曲:
林光:原爆小景(原民喜 詩)
水ヲ下サイ (1958)/ 日ノ暮レチカク (1971)/ 夜 (1971)/ 永遠のみどり (2001)
林光:花靱-閑吟集によるコンチェルト-新作初演-「人の姿は花靱」、「優しさうで、逢うたり
や嘘の皮靱」
林光(作曲)木島始(詩):混声合唱、ピアノ、一対の笛のための「鳥のうた(1982)」 春うらら/
ゆきかう渡り鳥/空の文字消える名まえ/見守るつらさ/啄まれた
いひと/すばらしい嘘/おとずれ待ち/たよれる星/たねは旅する