2007.7.3
グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル 第2夜
今晩の演奏プログラムの第1部の最初は素朴でありながら、どことなく哀しさのある響きの曲から始められた。
プログラム・ノートを執筆された矢澤孝樹氏によれば、本日のプログラムはあまり有名ではないJ.S.バッハの曲で始まるが、それは「ヒマラヤの高峰のような傑作群ではなく、他の作曲家の山脈と稜線でつながる隠れた山々を愛でてこそ、『ドイツ・バロックの一人の作曲家』としてのバッハの姿が見える、とレオンハルトは言いたいかのよう。」とのことである。
その後も、ヨーロッパの邸を巡るような様式美を味わう曲や、川の流れに逆らって魚が尾ひれを動かしながら遡っていくかのような写実的な和音の進行が楽しめる曲などがあり、チェンバロという楽器の持つ多様性を充分味わって休憩となった。
休憩時間にはレオンハルトが自ら調律する際に静寂を保つ必要があるため、聴衆は会場の後方の席に残って遠くからその様子を眺めるか、ホワイエに降りてグラスを片手に外の眺めを楽しむか、二者択一を迫られる。
実は初夏の第一生命ホールの楽しみの一つは、ホワイエでの休憩時間の過ごし方にある。というのもホールの所在地が隅田川の最下流が三又に分かれたうちの二つの流れに挟まれた晴海にある為に、ホワイエからホールの外に出て眺める景色が、実に良い気分転換となるからである。
ホールを背にして右には海に流れ込もうとしている水面が見え、真正面には高層マンション、左前方には大川端リバーシティの高層マンション群、そして左遠方に聖路加タワーや丸の内の高層ビル群まで見渡せるのだ。
こうした眺めを楽しむと休憩時間はすぐ過ぎて、第二部はフォルクレの組曲だけを聴くことになるのだが、この曲は最初の曲から低音域をふんだんに使い、重厚で格調の高い宮殿を連想させるような曲や大きな木のある広大な庭園を連想させるような曲が続き、最後のクープランは圧倒的な音楽による「威厳」をチェンバロで築き上げる、という実に多様な響きを味わうプログラムとなっていた。
そしてアンコールとしてJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番ト短調を原典としたシチリアーノ、さらに大きな拍手に応えてのアンコール二曲目はフィッシャーのシャコンヌ ト長調で締めくくられた。
昨年キャンセルされた日本公演のため、今回の来日も危ぶまれたが、舞台の演奏を見聞きする限り、80歳を目前としているとは信じられない程の健在振りであった。第一生命ホールの座席数767席の中で空席になっているところが全く見つけられないほどの超満員の聴衆に丁寧に挨拶するレオンハルトを見ると、更なる来日を切に期待したい。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
グスタフ・レオンハルト
日時: 2007年6月26日(火)19:15開演
出演者:グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
演奏曲:
J.S.バッハ:ソナタ イ短調BWV.967(1703?)/組曲ホ短調“ラウテンヴェルクのための
”BWV.996(プレリュード/アルマンド/クーラント/サラバンド/ブーレ/ジグ)/
4つの小さなプレリュード
パッヘルベル:4つのアリアと変奏曲(1699)
ベーム:組曲 変ホ長調(アルマンド/クーラント/サラバンド/ジグ)/シャコンヌ ト長調/
コラール・パルティータ“おおわが魂よ、大いに喜べ”と変奏曲
フォルクレ:組曲第1番 ラボルド/フォルクレ/コタン/ベルモント/ポルテュゲーズ/
クープラン
グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル 第1夜
演奏家と聴衆の理想的な「共同作業」
これほどまでに畏敬の念のこもった拍手を聞いたのは、いつ以来だろう。熱狂でもない。お義理の拍手でもない。誰もが、今ここで起きた尊い時間の余韻を壊さないよう細心の注意を払いながら、ステージ上の「司祭」を讃える――そんな拍手だった。
6月21日、第一生命ホールで行われた、グスタフ・レオンハルトのチェンバロ・リサイタル東京公演の初日。
昨年にも来日がアナウンスされていたが、残念ながら体調不良のためキャンセルされた。今年79歳。今回、待ちに待った巨匠の来日とあって、767席のチケットは完売であった。満員の第一生命ホールに入るのは初めてだ(失礼!)。
会場の張り紙では、開演は19時15分で、予定終演時刻は21時25分。巨匠、やる気満々である。プログラムはルイ・クープラン、フローベルガー、J.C.バッハ、J.S.バッハ、ラモー、フォルクレと多彩な作品が並ぶ。一体、集まった聴衆のうち何人が、この日演奏される作品のすべてを知っているのだろうか。少なくとも不勉強な筆者は、半分以上が初めて聴く曲だったことを告白しておく。渋いプログラムである。
さて、チケットをもぎってもらった後に手渡されたのは、公演アンケートと主催のトリトン・アーツ・ネットワーク(TAN)の入会案内と、TANの法人&個人会員一覧表、それからいま一方の主催者アレグロミュージックが来年2月に招聘するオランダ・バッハ協会合唱団&管弦楽団の《ヨハネ受難曲》の予告(仮)チラシ。そうか......共催公演だと、曲目や簡単なプログラム・ノートも配られないのね、有料パンフレットを買わないと解説がわからないのね......正直「きっついなー」と思いながら、ホール内部へと入った。
だがしかし、それは自分の早計だった。要は、レオンハルトの演奏に耳を傾けさえすれば、それぞれの作曲家がどんな性格で、それぞれの作品がどんな発想から生み出され、どんな様式を持っているのか、すべて直感的に伝わってくるような感覚にさせられるのだ。音は人なり、なのだ。もちろんレオンハルトの演奏は、近ごろの若手チェンバロ奏者に多い、外面的に"おしゃべり"な語り口とはかけ離れている。肩の力は完全に抜け切り、飄々とステージに姿を現し、微動だにせず鍵盤に向かい、指先の微妙な感覚による違いとレジスターの操作で――ときどき、極度に作品のなかに入りこんだ唸り声が聞こえるが――作曲家の個性と作品の特性が際立つ音世界を築き上げるのである。レオンハルトの演奏は、まさに弦の震えがそのまま作曲家と奏者の魂の震えとなった「入我我入(にゅうががにゅう)」の境地だった。第一生命ホールは、チェンバロの演奏を聴くにはいささか広いホールだが、聴衆の、1音1音を聴き逃すまいとする集中した"気"が、ホールのなかで息苦しいほどに凝縮されていた。
この公演は、アレグロミュージックとの共催のため、休憩中の作法も、アレグロ流が貫かれた。つまり、チラシに明記されている「お客様のプライベートな時間をより大切にしたいため、弊社主催のコンサートでは、1989年より開演および休憩後のベルを鳴らしておりません。また1997年のよりアナウンスもとりやめました。定時になりましたら、お席へお就きください」という方式である。チラシにはその他にも「休憩時に出演者自身による調律が行なわれます。調律には静寂を保つ必要がありますので、10列目より前方への尾立ち入りはご遠慮ください」といった文言もある。いわば聴衆への"注文の多いコンサート"なのであるが、前列の聴衆は休憩に入った瞬間、「このあと調律が始まるんだよ」と言いながら、そそくさと退いた。客席中央の通路では、レオンハルトの発する音ならば、たとえ調律の音でも聴き逃すまいというストイックな聴衆と、「えー、演奏家が調律もするんだー」という好奇心旺盛な客が混在し、遠巻きに調律場面を見守っていた。そして開演5分前になると1階のロビーでくつろいでいた聴衆も、誰からともなくホールに戻っていった。レセプショニストは小声で遠慮がちに「間もなく開演でございます」と言ってはいたけれど、この呼びかけがなくても当夜の聴衆なら自主的に客席に戻ったであろう。それくらい見事な聴衆っぷりであった。
ここから言えるのは、わが国のコンサートが、いかに企業の招待でわけもわからずやってきた聴衆と、おのぼり客への「お節介」とで成り立っているかということだ。本当に熱心な聴衆なら、そんなベルやアナウンスなど必要がなく、聴衆は自主的に行動を起こし、何の支障もきたさず、後半のプログラムを始められることがわかったのである。ヨーロッパなんか、そんなところが多いのだから。
リサイタルは結局、J.S.バッハのイギリス組曲とパルティータからのアンコールを含めて21時すぎにはお開きとなったが、この空間のなかにいろんな要素が凝縮されていたので、へとへとになった。今回のリサイタルは、レオンハルトの文字通り入魂の演奏と、意識の高い聴衆との「少しでもいい空間、環境を作りたい」という共同作業によって、稀にみる名舞台になった。このような音楽会を、また第一生命ホールと、そこに集った聴衆と味わたいと思った。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
グスタフ・レオンハルト
日時: 2007年6月21日(木)19:15開演
出演者:グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
演奏曲:
ルイ・クープラン:組曲イ短調(フローベルガーを模したプレリュード/アルマンド/クーラント/
サラバンド/メヌエット/ピエモンテーズ)
フローベルガー:憂鬱を紛らわすためにロンドンで作られたプラント/ジグ/クーラント/
サラバンド
J.C.バッハ:プレリュード ハ長調
J.S.バッハ:プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調BWV.998
ラモー:やさしいプラント/メヌエット/エンハーモニック
フォルクレ:組曲第5番よりラモー/レオン/モンティニ/シルヴァ/ビュイッソン