HWAUM Chamber Orchestra
報告:小川泰史(おがわやすし)/大学院生/2階C2列1番
投稿日:2005.12.5
オーケストラはそれぞれ個性をもっている。例えば音色。フランスのように各楽器の音が際立ち、まるで室内楽を聴いているようなオケ。ロシアのように全体としては少しくすんでいて、金管楽器が咆えまくるオケ。またオーケストラの個性は指揮者の個性にも反映される。指揮者が作曲家を尊重し、スコアに書かれた音符をできるだけ客観的に読み取ることを重視する場合。スコアを読みつつも、ある程度は独自の解釈を入れ、また本番での即興性を大事にする場合。大雑把に言えば、音楽への解釈が客観的か主観的かという話である。
今の時代、どちらかといえば客観性重視の演奏に人気があるように思う。スコアを隅々まで表現することで、埋もれていた音がクリアになって聞こえてくるのはそれはそれで面白い。その一方で、主観性重視のアクが強い演奏もひそかにブームになっているように思う。バティスとメキシコ州立交響楽団のコンビが注目を集めているが、まだこのような指揮者がいて、こんな音のするオケがあったのか!という感動がある。今回の演奏会はまさに後者の感動があった。
今回演奏したファウム・チェンバー・オーケストラは韓国を代表する弦楽オーケストラである。指揮者は置かず、団員同士の話し合いで音楽を作るスタイルである。神戸公演に引き続いて、第一生命ホールでの公演だった。
一曲目のペク・ビョンドンは初めて聴く作曲家だった。韓国の現代作曲家である。曲は、弦楽合奏のための「折れた背骨」~フリーダ・カーロへのオマージュ。演奏前に「折れた背骨」がどんな絵だったか思い出せなかったのだが、彼女らしい肉体的で血が滴るようなゾクゾクする絵ではないかと勝手に想像していた。曲は一台のコントラバスの突然の慟哭から始まる。他の弦楽器の間をビオラがつぶやくようにメロディーを奏でる。弦楽器の中を一台のコントラバスとビオラが独立して現れては消える。ただメロディーラインは一本筋が通って力強さがある。現代曲特有のもやもやっとした細かい動きは少なく、線と線の交じり合いがはっきりしてシンプルな響きがした。高橋悠治に似てなくもない。この曲の中で、ビオラはフリーダ・カーロを。コントラバスがカーロの生涯の恋人となるディエゴ・リベラを象徴しているらしい。時折現れる二つの楽器のソロはゴツゴツしていて流れるような美しさはない。しかし、淡々と奏でるそのメロディーの中に、二人の血や乾いた情念など、人間らしいものがあるように感じた。
二曲目はボッテシーニのバイオリンとコントラバスのための協奏的大二重奏曲。19世紀イタリアのコントラバス奏者、兼作曲家である。これも初めて聴く作曲家だった。曲はイ短調、憂いを帯びた合奏で始まる。ファウムCOの特徴の一つは非常に勢いがいいことだと思った。一曲目は作品の抑制的な性格に隠れてよく分からなかったのだが、この曲になった途端にオーケストラのキャラクターが現れたと思う。作品はもともと二台のコントラバスのためのものだったらしいが、後に一台をバイオリン用に編曲して今回の編成になったらしい。バイオリンとコントラバスが横に並んでいるだけでも面白く、協奏するという音楽もまた面白い。
合奏の後にすぐコントラバスのソロとなった。チェロに似た音色だが、低音の響きに重みがあるように感じる。弾いている姿は楽器にしがみついて、大きな相手に柔道技をかけているようにも見える。しかし、目をつぶって聴けばチェロかビオラかというほどの軽やかに弾いていて、コントラバスという楽器の別の姿を見た気がした。またバイオリンもより軽やかに弾いて、コントラバスとのデュオを楽しんでいるように思った。曲はモーツァルトのような開放感と優雅さがあり、一方でパガニーニのような集中力と瞬発力が求められる超絶技巧が随所に現れる。しかしファウムCOと二人のソリストはあくまで明るく優雅。そして攻めの姿勢を貫いた。これには会場もおおいに盛り上がった。
プログラム最後の曲はチャイコフスキーの「フィレンツェの思い出」。弦楽六重奏曲の弦楽合奏版である。ここでは曲に対しての印象より、ファウムCOのキャラクターの方が強烈に印象に残ったのでそれを中心に書きたい。
第一楽章は激しい舞曲で始まった。ここでは再びファウムCOの嵐のような勢いに驚かされた。縦の線は個々の能力に任せて、曲の大きな流れを大切にしている感じである。また、テンションが高い。ファウムCOのように指揮者を置かずに演奏するオーケストラはいくつかある。オルフェウスCOはその代表例だが、彼らはよりコンパクトに音をまとめ、アンサンブルを精緻にすることを心がけているようで、ファウムとは対称的だと思った。両オーケストラとも、指揮者不在で、「民主的」な話し合いを大事にしている。しかし、練習の進め方、求める音楽の違い、国民性など様々な要素があってファウムらしい音楽が作られていることに気づかされた。
二楽章では、ファウムCO各奏者の歌心を聴くことができた。バイオリン、ビオラ、チェロのソロとパートで豊かなメロディーが現れるのだが、各々の個性を大事に歌っていたように思う。これは指揮者がいないオーケストラの特徴なのかもしれない。一方で、静かな雰囲気がもう少し出てもいいと思った。静けさを作りだすのはあまり得意でないのかもしれない。三、四楽章を聴いて改めて感じたのはファウムCOの音色。少しロシアのオーケストラに似ていて、淡い色合いで素朴である。今回の曲が、ロシアもので、しかもオーケストレーションがシンプルな曲だったからそう感じたのかもしれないが、アンコールでも同じように感じた。
帰り際、ロビーでTANの「でぃれくたぁー」の方が、ニコニコしながら「面白かったでしょう?」と声をかけてくださった。その時、私はハッとして、ファウムCOが個性的なオーケストラであると改めて気づいたのだった。
TANは人と人、文化と文化など様々な交流を大切にしている。私は韓国についてだいたいのことは知っていると思っていたのだが、実はよく分かっていないことに気づかされたのだった。今回私は、ホールの中に居ながらにして韓国の文化との交流ができた。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
HWAUM Chamber Orchestra
日時: 2005年11月24日(木)19:15開演
出演者:ファウム・チェンバー・オーケストラ
[ペ・イクファン(Vn)/マティアス・ブッフホルツ(Va)/
ニクラス・エピンガー(Vc)/文屋充徳(Cb)]
演奏曲:
ペク・ビョンドン:弦楽合奏のための「折れた背骨」~フリーダ・カーロへのオマージュ、
ボッテシーニ:ヴァイオリンとコントラバスのための協奏的大二重奏曲
(ペ・イクファン[Vn]、文屋充徳[Cb])、
チャイコフスキー:「フィレンツェの思い出」ニ短調(弦楽合奏版)