漆原朝子&迫昭嘉デュオ・リサイタル
~ベートーヴェン・プログラム~
報告:須藤久貴/大学院生/1階10列32番
投稿日:2005.07.6
何とよい選曲だろうと思う。ベートーヴェンの「春」と「クロイツェル」と言えば、クラシック・ファンなら、一度は夢中になって何度も録音を聴いた経験を持っているだろう。あまり知られていない名曲を聴くときの感動は大きいけれど、誰でも知っている名曲もやっぱり聴いてみたくなる。それも素晴らしい演奏家の手によって!
漆原朝子さんは、ソナタを一曲一曲それぞれ別個のものとして弾いてはいないように思える。三曲のソナタは絡み合っていて、あたかも大きなひとつの大曲であるかのように、全体が俯瞰された演奏である。「クロイツェル」第1楽章の頂点へと用意周到に計算されていたことは、当夜の演奏を聴いたものなら得心されるに違いない。
迫昭嘉さんの伴奏は、極めて抑制された控えめな漆原さんに終始合わせているようだった。迫さんに師事している友人は、「以前聴いた伴奏ではかなり激しかったので、今回はだいぶ違っていて意外でした」と話していた。
初めに≪ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第5番ヘ長調Op.24「春」≫が演奏された。第1楽章では、高みへと上っていく音型と高みから深い底へ下っていく音型との対比が明確に強調されていた。漆原さんのヴァイオリンが上へ上へと向かっていくと、それを迫さんのピアノが一音で断ち切り、そして下っていく。何という好ましい緊張感だろう。また、春の暖かさが戻ってくるような第4楽章はとても率直で、抑えつけてしまうよりは春の晴れやかさをいっぱいに謳歌しているかのようだった。ニ短調に変わったところで漆原さんが音を抑制したのは、彼女らしい対比の妙技だろう。
有名な二つのソナタに挟まれて演奏された≪第8番ト長調Op.30-3≫を聴くと、第2楽章が弾きたくてこの曲を選んだのだろうなあ、と思えてきた。緩急の対比の鮮やかな演奏で、この変奏曲がゆっくりと四分音符で演奏されたかと思うと、十六分音符に変わる。迫さんのピアノも重く三連符を引きずっていたのが、勢いを取り戻した川の水のように流れていく。風がふっと吹き込んで心を軽やかにさせてくれる。
後半の≪第9番イ長調Op.47「クロイツェル」≫の第1楽章は、まさにこの日の演奏の頂点だった。ホ短調に転調し強くピアノが旋律を弾き、それに呼応するヴァイオリンがピツィカートで楔を打ち込む。それに続いて高音の16分音符を激しくかき鳴らす。壮絶なまでの真摯さがある。漆原さんは今までの抑制を離れ、ここぞとばかりに弾き切った。
「クロイツェル」は、「春」のように気持ちが晴れやかになり心が暖まるというような類の音楽ではない。聴く者の眉間にしわを寄せさせ、深刻にさせずにはおかない音楽である。この「本気さ」というものが漆原さんの音からは滲み出ていた。
しかしこの壮絶さには救いがある。穏やかな第2楽章の変奏曲の中に、落ち着いた漆原さんの音を聴いたとき、緊張が緩和する思いがした。
三年前に神戸の松方ホールでシューマン全曲演奏会を聴いた折に、二つのソナタのあとに≪3つのロマンス≫が演奏された。意外なまでにあっさりした表現と、続いて最後に弾かれた≪第2番≫の激しさの対比に感嘆したことがあったが、当夜の演奏会も、緩急あるいは解放と抑制の対照性のはっきりと現れた演奏であったと思う。
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【TAN編集部より】
須藤さんのレポート文中にありました、3年前の神戸・松方ホールでのシューマン「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」全曲演奏会と同プログラムにて2006年の七夕に第一生命ホールで「ロベルト・シューマン没後150周年記念 漆原朝子&迫昭嘉のシューマン~ヴァイオリンとピアノのためのソナタ全3曲&3つのロマンス~」演奏会を開催します!孤独の中から生み出された真摯で高貴な、そして純粋な魂の結晶を、時代を超え二人の名演奏家があなたの心に届けます。是非ご期待ください。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
漆原朝子&迫昭嘉デュオ・リサイタル~ベートーヴェン・プログラム~
日時: 2005年6月24日(金)19:15開演
出演者:漆原朝子(ヴァイオリン)、迫昭嘉(ピアノ)
演奏曲:
ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第5番へ長調op.24『春』、
ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第8番ト長調op.30-3、
ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第9番イ長調op.47『クロイツェル』