2005.8
古典四重奏団レクチャーコンサートplus#7
「果たしてバルトークはむずかしいか」
第1章~バルトークはどこから来たのか~
私がTANを初めて訪ねたのは今年の7月。今回はサポーターとして2回目の仕事ながらモニターをやらせていただいた。視点は自由ということだったので、今回のレクチャーのテーマ「果たしてバルトークは難しいか」に沿って、どのようにバルトークを理解していったかについて書いていこうと思う。
●開演前
今回、初めて3人のサポーターの方とお会いし、コンサートの準備も手伝うことができた。事務局のみならず、サポーターの方々も手際よく準備していて、TANのボランティアマネジメントが非常にしっかりしていることが印象的だった。
開場前よりお客様がロビーに集まり始める。配布された資料を熱心に読むなど、心待ちにしていた様子が分かった。開場と共に多くのお客様が来場された。今回のコンサート会場はじゅうたん張りのただの会議室に、椅子が並んでいるだけのシンプルなものである。まるで何かの講演会前のように、会議室に人が集まってくる。約100席を用意していたが、予想以上に人が多く、席を増やさなければならないくらいだったらしい。今回は特に女性が多く(約半数?)、また若者も比較的多かったらしい。
以下、レクチャーの内容が続くが、レクチャーの効果がどれほどのものであったか書くために、レクチャー前の私のバルトーク・イメージについて触れておきたい。
私はよくクラシックを聴き、バルトークもオーケストラ曲を中心によく聴いている。また、中学時代に演奏したこともあり、その時の衝撃は忘れられなかった。激しくリズムとクールな響きが特徴的で、クラシック音楽のカッコ良さ、面白さを教えてくれた作曲家の一人である。しかし、6つの弦楽四重奏曲だけは敬遠していた。特別、前衛的でもなく、オケ曲と同じようにリズム、メロディーは魅力的なのに、よく理解できないといった印象だった。今回来場された方も、多かれ少なかれこのような印象を持っている人が多かったのではないかと思う。
●開演・レクチャーの始まり~旋法と和声について~
まず旋法についてということで、人気曲である「ルーマニア民俗舞曲」が演奏された。演奏を聴いてまず思ったことは、奏者一人ひとりの音がはっきりと聴き取れたことである。それは、奏者と客席の距離が近いこと、古典四重奏団は暗譜で演奏するため個々のメンバーの動きがよく見えること、また演奏において各々のメンバーが適度に主張し合えるよう気をつけつつアンサンブルしているからかもしれない。
次に、弦楽四重奏曲の中で使われる旋法が演奏された。ハンガリー生まれのバルトークは、ハンガリー、ルーマニア、バルカン半島、北アフリカなど様々な民謡を採取した。彼は自らの作曲において、ただその民謡のメロディーを用いるだけでなく、それを分析・消化することで彼のオリジナルな旋法を発見し、自由自在に扱おうとしたらしい。後でも触れることになるが、バルトークはそのような土着の民謡の分析から、リズム、対位法においても新境地(従来の西洋音楽の枠の中でのことだが)を開いた。
そのような旋法の弦楽四重奏曲第3番の2楽章のメロディーがピックアップされて演奏された。長調、短調でもない、素朴で瑞々しい雰囲気のメロディーであり、どこの国のものかは分からないが、アジアの東に住んでいる私たちが親しんでいるものであったように感じた。
続けて、全パートで同2楽章が演奏された。ここで面白いと思ったのは、メロディーがよく聴こえるかと思っていたのが、むしろ掛け合いやリズムが浮かび上がって聴こえるようになったことであった。旋法というひとつの取っ掛かりができたことで、音楽の全体像が見えたような気がした。レクチャーで細かく音楽を解剖して聴かせた意味の一つはここにあったのだと思う。
次に和声についてのレクチャーとなった。バルトークの6つの弦楽四重奏曲はどれも個性的で、印象派っぽいもの、無調っぽいものなど和声的にも様々なものがある。ここでは、いくつか特徴的な楽章と、それに関連があると思われる作曲家の曲が演奏され、バルトークがどの作曲家から影響を受けたのか、感じてもらおうとする試みがなされた。私が感じた限りでは、ワーグナーの無限旋律より起承転結がはっきりしていて、ドビュッシーの印象主義より泥臭く、ヴェーベルンの音列主義より生気があるような気がした。いずれも、他の作曲家の影響をうけつつも、バルトークの個性がはっきりと現れているように感じることができた。
●レクチャー~リズムと対位法について~
休憩をはさんで、田崎さんと会場との質疑応答の時間となった。田崎さんの説明はとても分かりやすく、会場とのやりとりの中で古典四重奏団との距離が縮まった気がした。このレクチャーが終始明るい雰囲気だったのは、田崎さんの穏やかな人柄に負うことが多いと思う。
このリズムのレクチャーにおいても田崎さんの説明が上手だと思った。ここのレクチャーでは、バルトークがよく用いた変拍子(4・2・3拍子など)を説明するのに、分解したりゆっくりと弾いくことで会場との一緒にリズムを覚えようとする雰囲気が感じられた。また、あるリズムを弾いて「何のリズムだか分かりますか?」と会場に投げかけることで、会場の聴き手に考える時間を与え、レクチャーに参加する気持ちにさせることができたと思う。ワークショップ型のシンポジウムのように、参加者意識を持たせることが上手いと思った。
バルトークは土着の音楽にある不可分なリズムを好んで用い、「西洋の狭い世界の中でのリズムを解き放った」らしい。そのようなリズムが日本の相撲太鼓のリズムとてもよく似ていて、20世紀の音楽が何が新しくて何が古いのか、改めて考えさせるきっかけとなった。
最後の対位法のレクチャーを受けるあたりでは、だいぶバルトークの音楽がわかるようになった気がした。前に説明した3つの軸すべてを把握できたわけではないが、曲の構造が分かるようになったと思う。
●感じたこと
レクチャーを通して強く印象に残ったことは2つある。
1つは、演奏に対する集中力の高さである。レクチャーコンサートは、言葉で説明する部分と演奏する部分に分かれているのだが、穏やかに説明していた古典四重奏団のメンバーが、いざ演奏を始めるとなると一瞬で切り替え、鬼のような集中力で弾ききってしまう。これは、普段ホールで演奏する奏者がどれほどテンションで音楽に向かっているのか垣間見ることでき、クラシック音楽の面白さをさらに感じることができた。
もう1つは、音楽は頭だけで理解するものではない、ということである。理論的なレクチャーを受けた後に書くのは、恐縮なのだが、レクチャーの最後やった弦楽四重奏曲第3番第3楽章を聴いた瞬間、今までのレクチャーで教わったことをすべて忘れてしまった。和声とか対位法とかを通り越して、音楽全体のエネルギーにやられてしまい、頭が真っ白になるほど集中して聴いてしまったのだった。
これはもしかしたら、このレクチャーを通してバルトークへの理解が深まり、曲の全体像に感動することができたのかもしれないし、もしかしたら、「ホンモノの音楽は理論を超えても感動するものだ」ということに気づかせてくれるための、田崎さんからの隠されたメッセージだったのかもしれない。
このような巧妙なレクチャーにはまってしまった私は、「果たしてバルトークはむずかしいか」の問いに対して「NO」と言えるし、会場の皆さまの満足した顔を見たところ、同じことを感じた人は多かったのではないかと思う。これから始まる古典四重奏団のホールでの演奏がとても楽しみになったレクチャーコンサートであった。
公演に関する情報
古典四重奏団レクチャーコンサートplus#7
「果たしてバルトークはむずかしいか」
第1章~バルトークはどこから来たのか~
日時: 2005年8月27日(土)15:00開演
場所: トリトンスクエアX棟5階第2会議室
出演者:古典四重奏団
オープンハウス2005~世界は踊る!~
恐る恐るの第一歩
7月に行なわれたオープンハウスのボランティアに今回初めて参加しました。社内のネット上に時々掲示される「ボランティア募集!」の案内を見ては気になっていたのですが、音楽に造詣が深いわけでも、イベント運営の場数経験も少ない私にできるだろうか......となかなかエントリーできずにいたからです。
初参加者もお客さまにしないスタッフ
しかしながら私の不安は杞憂に終わりました。都合で当日しか参加できなくても、各パートごとの役割分担を常連・ビギナーとの組み合わせでスムーズに運営できるようにきちんと体制が組まれていたのです。その一方で初参加者の意見もとりいれる柔軟さもあり、とりあえず持ち場にいてねというのでもなく、即スタッフの一員として動けるような自然な流れができあがっていることに感激しました。
当日初参加の者であっても、エレベーターでお客様が上がっていらっしゃる姿にワクワクしたり、楽しそうに回っていらっしゃるお客様を見て嬉しく思ったり、ニコニコとお帰りになる姿に"ありがとうございました"と心から言わせてしまうのですから!
そしてもうひとつ密かに抱いていた不安、"常連となっている人々のコミュニティがしかと出来上がり、新参者は入りにくいのではないか"というものもまったく無用の先入観であったことも付け加えさせていただきます。
学生の方からリタイヤし第二の人生(?)を楽しまれている方まで、まさに老若男女・経歴も経験もさまざまな方々の集まりで、スタッフとして働いていらっしゃる姿から学ばせていただくことは多かったように思います。
案ずるよりも産むが易し!?
ボランティア・サポーター活動に興味がありつつも、どうしようか悩んでいるあなた! ぜひ一度、第一生命ホールのボランティアに参加されることをお勧めします。初心者でも参加しやすい体制が整っているので、安心して参加できるうえ充実した経験を得ることができますよ!!
公演に関する情報
オープンハウス2005~世界は踊る!~
日時: 2005年7月16日(土)12:00~18:00
出演者:東京シティ・バレエ団(山口智子、加藤浩子ほか)
bell voix Quartette(弦楽四重奏団)
北インド古典舞踊「ヤクシニィ・カタックセンター」
スロヴァキア少年少女民族舞踊「シャリシュ」
演奏曲:
東京シティ・バレエ団によるヴィヴァルディ「四季」
(演奏:bell voix Quartette、朗読つき、構成・演出・振付:石井清子、
舞台監督:淺田光久)他
林光・東混 八月のまつり26
ここなら息ができる。小説にのめり込んで、いつしか登場人物と会話している錯覚になるみたいに、林光さんの音楽を聴いていると、この世界でなら存分に呼吸できるような気がするのだ。日ごと生活していると自分自身には義務や嫌悪、世事には惨事、時おり眼をそらせたくもなるけれど、ほんの短い間でも代え難く美しい瞬間があるなら、そのときばかりは、軽々と乗り越えることができるだろう。音楽は悲しみの蹴り方を僕たちに教えてくれる。
林光さんの目は未来を向いている。古代ローマの詩人ヴェルギリウスを引き合いに出しながら「原爆へのプロテストだけではなく、未来に向かって語りたい」と冒頭に述べた。野球の話で和やかに始まった去年の「八月のまつり」とは打って変わって、林さんには何か思いつめた表情が漂っていた。 ≪原爆小景≫の張りつめた雰囲気は曲が終わるまで続いた。楽章の間も聴衆はほとんど咳一つしないような静けさ。去年よりも東京混声合唱団の響きは鋭さを増したように思われた――第2章<日ノ暮レチカク>の、ソプラノの高いGの音が糸をピンと張ったように歌うとき、あるいはトゥッティで不協和音が大きくうねりながら圧倒的な力で空間をえぐるとき。第3章<夜>から第4章<永遠(とわ)のみどり>へは、ほとんど間を置かずに入った。終章の平和への祈りは、それまで8月6日の一日を追っていたのとは違って、大きな時間の隔たりがある。それを音楽は一瞬で超克していくかのようだ。原爆から復興へのこの隔絶はあまりに大きいから、抜け落ちた長い時間が逆に意識せられてくる。僕たちはこの「行間」に込められたメッセージを読み取らなくてはいけない。
この日はさらに、 ≪とこしへの川 ―混声合唱、ヴァイオリン、ピアノのための≫が世界初演され、長崎の原爆を主題とした竹山広の短歌8首が2つの楽章に分けて歌われた。山田百子さんのヴァイオリンはオブリガートというよりも、一見すると合唱とは無関係に動いているようだった。「くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川」から始まる2つめの楽章は、寺嶋陸也さんのピアノが簡潔でリズミカルに動き出し、やがて音楽全体がひとつに収斂していく。「飛沫にひらく千の口見ゆ」と歌いながら曲調は明るくなっていくのが、アイロニカルにさえ思える。
≪林光ソングブック≫でようやく肩の力を抜いて聴いていられる。林さんが話したように、後半は「悲劇に対して希望を持てるようなテーマ」。親しみやすい愛唱歌が歌われた。<椰子の実>でテノール・ソロの朗らかさに舞台はパッと華やぐ。<ゴンドラの唄>の間奏で寺嶋さんのピアノは、ぐっと音量を落とし丸くおぼろげに響きを変える。歌い手たちの、のびのびと微笑んだ表情。<早春賦>の間奏にモーツァルト<五月の歌>を挿入した林さんにはエスプリがある。<うた>は特によかった。勇ましく、簡明な3拍子の有節歌曲で、じりじりと曲の終わりへ盛り上がる。心が高揚して「うたはどこでおぼえた たたかいを知っておぼえた」と、こぶしを振り上げ一緒に歌い出したくなる勢いだ。そしてこれに対照的な<ねがい>のおだやかな充溢。
アンコールに武満徹<死んだ男の残したものは>。ジャズ風に林さんはアレンジしている。よく知られた版とは違って、詩の重みによって過度に深刻になることを避けているようだが、しまいはユニゾンで静かに沈潜していく。そして宮澤賢治の<星めぐりの歌>。電球で模した星が瞬き、澄んだ歌声が響いたあとに、ピアノの後奏と呼応して舞台の明かりも消えていく。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
林光・東混 八月のまつり26
日時: 2005年8月3日(水)19:15開演
出演者:林 光(指揮)、寺嶋陸也(ピアノ)、山田百子(ヴァイオリン)、
東京混声合唱団
演奏曲:
林 光作曲/原民喜詩:原爆小景、
林 光作曲/竹山広 詩:とこしえの川-混声合唱、ヴァイオリン、ピアノのための
(2005委嘱作品世界初演)、
林 光ソング集:早春賦(中田章)/曼珠沙華(山田耕筰)/椰子の実(大中寅二)/
ゴンドラの唄(中山晋平)/明日ともなれば(詩・ロルカ)/うた(詩・佐藤 信)/
ねがい(詩・佐藤 信)
オープンハウス2005~世界は踊る!~
私は今年5月に行われたティーンエイジャーコンサート2005に制作スタッフとして参加させていただいて、コンサートのスタッフは大変だけれど楽しくて達成感のある素敵な仕事だなと思い、今回のオープンハウスにも参加させていただきました。
私たちのティーンエイジャーコンサートでもバックステージツアーをやらせていただいてホールの事は大体把握できていたので、今回は少し余裕を持って、私自身楽しむことが出来ました。
今回のオープンハウスでは、バレエ・弦楽四重奏・インド舞踊・スロヴァキア民族舞踊の4種類のアーティストをお迎えして、グランドロビー・ホールロビー・ステージ・リハーサル室の4箇所で各々、素晴らしいステージを披露していただきました。
私が担当したのはスロヴァキア民族舞踊団シャリシュの皆さんのアテンドです。
スロヴァキア民族舞踊は、いわゆるフォークダンスの仲間で、男の子と女の子が2人1組で踊ったり、男の子だけの踊りがあったり、女の子だけの歌があったりと可愛いステージが繰り広げられます。また、ヴァイオリンやクラリネット、アコーディオンのメロディは聴いているだけで楽しくなってしまうような、陽気で明るい音楽です。
それでは、アクシデント満載な一日をおっていきたいと思います。
朝11:00。楽屋口。
シャリシュの皆さんの楽屋入り予定時刻だったのですが...待てど暮せど来ない。30分過ぎて本当はグランドロビーに移動している時間なのに!と思っていると、綺麗な民族衣装を着ている子供達がタクシーに乗ってやってきました。よかったと思ったのもつかの間、通訳さんがいなくて喋れない!!何とか身振り手振りで子供達を楽屋へ案内したのですが、まだ人数が足りません...。あたふたしていると、どうやら他のメンバーはグランドロビーに直行した模様。遅く着いた通訳さんやマネージャーさんと共にグランドロビーに向かい、朝のピンチを抜け出しました。
各ステージの前にはリハーサル時間が設けられていましたが、常日頃から歌ったり踊ったりするのが普通になっている彼らにはリハーサル時間は必要ないようなので、移動時間を少し遅らせて休み時間を少し増やすことにしました。これがのちのち、大きな後悔を生むはめに...。
グランドロビーのステージが終わり、次のホールロビーでのステージまでの短い休み時間何をしているかなぁと覗きに行けば、女の子は紅茶を飲みながらおしゃべりをしていたり、男の子は少し踊ってお腹がすいたのかサンドウィッチを頬張っていたりと、8歳から16歳までの少年少女たちの可愛い一面が見られました。そしてここで通訳さんが用事でいなくなってしまいましたが、多少の英語が通じることがわかったのでちょっと一安心しました。
休み時間の悲劇。
次のホールロビーでのステージも盛況のうちに終わり、楽屋に戻った後は約2時間の空き時間が。この空き時間で私もお昼ご飯を頂き、マネージャーさんの申し出でバレエを鑑賞することになったシャリシュの皆さんを迎えに楽屋へ向かうと......誰もいない...?
そうです、私がお昼を頂いていた15分の間に子供達はもちろん、演奏を担当していた大人たちも会場の外に出て行ってしまったのです。
通訳さんから、暇になると脱走するよ。と言われていたのですが、会場の外に出るとは...。その後、捜索隊を出し、会場の下にある雑貨店でぬいぐるみに釘付けになっていた子供達と、いつもの習慣で陽気にビールを飲んでいた大人たちを発見しました。
会場に戻り、バレエを鑑賞するために客席に入った私たちですが、思いのほかお客様に入っていただいて席はほとんど無い状態。すると少年達は空いてる座席を探して座り、少女達を膝に座らせて鑑賞していました。微笑ましい姿に、それまで走り回って緊張していた気分が和みました。
少しバレエを鑑賞し眠たくなったのか、シャリシュの子供達は楽屋に戻ることに。それからステージまでの間はスロヴァキアから一緒に来ていた友達と楽屋で楽しそうにおしゃべりをしていました。
今度はメインステージへ。
会場が今までより広くなって動きやすくなったので、シャリシュの皆だけではなく客席からお客さんを連れ出し一緒に踊ることに。老若男女関係なく、ステージに上がった人たちは楽しそうに踊っていました。
リハーサル室。
そのまま流れるように水を補給しつつリハーサル室へ。リハーサル室ではお客さんと踊ることをメインに考えてお客さんが集まるまで少し休憩を取る事に。メインステージではインド舞踊が行われていたのでなかなか人は降りてきません。いつの間にやら始まっていたダンス大会には、TANのスタッフや今回のボランティアスタッフの顔が多く見られました。他人事のように廊下でその様子を見守っていたスタッフも見逃さないシャリシュの少年少女たち。不意に手を引かれて中に連れ込まれて焦るスタッフの顔もちらほらありました。
10分ほどその様子が続いたところで、たくさんのお客さんが降りていらっしゃいました。そうなると、さらに賑やかさを増したリハーサル室は、みんなのステップで床が揺れ、陽気な音楽と笑い声で大盛況のうちに一日のステージの幕を閉じたのでした。
熱の覚めやらぬ間に楽屋に戻り、片付けを終えたシャリシュの皆さんを楽屋口までお見送りすることに。
別れ際に流暢な日本語で「ありがとうございました。」と言われて、日本初来日なのにすごいなぁと最後の最後で感心させられました。
結局最後まで逃げ切り一緒に踊らなかった私ですが、この日一日でスロヴァキアがとっても好きになりました。また彼らの陽気な笑い声が日本で聞ける事を楽しみに待ちたいなと思います。
公演に関する情報
オープンハウス2005~世界は踊る!~
日時: 2005年7月16日(土)12:00~18:00
出演者:東京シティ・バレエ団(山口智子、加藤浩子ほか)
bell voix Quartette(弦楽四重奏団)
北インド古典舞踊「ヤクシニィ・カタックセンター」
スロヴァキア少年少女民族舞踊「シャリシュ」
演奏曲:
東京シティ・バレエ団によるヴィヴァルディ「四季」
(演奏:bell voix Quartette、朗読つき、構成・演出・振付:石井清子、
舞台監督:淺田光久)他
林光・東混 八月のまつり26
~第一生命ホールと歴史のつながりを思い出させる日
いきなり結論。TANの活動費用がギリギリまで減り、共催できる演奏会がたったひとつになった場合、迷わず協力すべきなのが、この「八月のまつり」であろう。この演奏会は、それほどTANにとって重要だ。正確に言えば、TANにとって、ではなく、第一生命ホールにとって、である。その空間が「第一生命ホール」を名乗る限り、必ずや背負わねばならぬ歴史への責任が、この年に一度のコンサートの会場となることなのだもの。
敗戦が還暦を迎えようとするいま、ちょっと、歴史の話をしよう。演奏会の中身の評価は、別のモニターがなさってくれるということなので。
「八月のまつり」とは、「初演団体東京混声合唱団が、作曲者林光の指揮で、年に一度『原爆小景』を歌う日」だ。普段は神社の奥に奉納され、表に晒されることはないけれど、人々の心の奥底に常に存在している大事なものが、封印を解かれて、表に出てくる瞬間。文字通りの「祭り」である。
どのような形であれ、「原爆小景」を語ることは、歴史を語ることになる。第一生命ホールとすれば、お堀端の第一生命館内旧第一生命ホールで初演された数々の新作の中でも、飛び抜けた傑作のひとつ。なにしろ第1曲「水ヲ下サイ」は、前年に書かれた武満徹の「弦楽のレクイエム」と並び、1950年代に日本作曲界が生んだ最高傑作なのだ。
初演された1958年、日本初のプロ合唱団の東京混声合唱団は、自身が熱心なアマチュア声楽家だった第一生命保険相互会社会長の個人的な支援を受け、旧第一生命ホールを拠点に活動していた。定期演奏会や重要な特別演奏会、社内イベントへの参加、はたまた社歌録音への参加に至るまで、今ならばさしずめ「レジデント合唱団」とでも呼べそうな関係だったのである。
戦後13年目、敗戦直後から有楽町近辺の様々な舞台で異才ぶりを発揮していた俊英作曲家林光のヒロシマ原爆を題材にした作品が、これまた俊英指揮者岩城宏之により本拠地での第10回定期演奏会で委嘱初演される。その場所は、原爆を投下した責任者たる連合軍の日本占領総本部の講堂であり、朝鮮戦争で再び原爆を用いようとして解雇さえたマッカーサー元帥が執務室を出て右に曲がり、連日足を運んだカトリック礼拝所だったことは、いまさら言うまでもない。
初演の時点で、この音楽と「第一生命ホール」を巡る歴史は、既に多層的に広がっていたのである。
「水ヲ下サイ」の演奏史を記す余裕はない。が、この猛烈にインパクトの強い作品は、急激にレベルを上げていった日本のアマチュア合唱団に頻繁に取り上げられ、一気に広まった。そして高度成長が終わり、音楽の前衛にある程度の見通しが付いた頃、リゲティ風の第2曲と、ベリオ風シアターピースの赴きもある第3曲が付け加えられ、この3曲が20世紀の「原爆小景」となって定着した。高校生からアマチュア、プロまで録音も10種類を超える。
オイルショックで高度成長に水がさされ、戦後平和教育という言葉が消え去りつつあった1980年、林光が原爆記念日(昔はこういう言い方をしたものである)の頃に「原爆小景」をメインに据えた演奏会を始めた。「八月のまつり」の始まりである。当時東混が本拠地としていた文化会館で始まり、第2回から第4回までをイイノホールで過ごした夏の歌のまつりは、1984年の第5回から第7回までを、旧第一生命ホールに戻っている。この頃、東混が懐かしいかつてのお堀端の本拠地に帰るのは、このときだけだった。1987年には前年秋にオープンしたサントリーホールに移り、旧第一生命ホールが取り壊された翌1988年からは、これまた前年暮れにオープンしたカザルスホールに居を定める。そして、2003年夏、「原爆小景」は再び第一生命ホールへと帰ってきた。日本で初めての、イラク戦争について歌った音楽の初演と共に。
東混が「八月のまつり」をカザルスホールから新第一生命ホールに移すと知ったとき、ホールのオープニングから関わったスタッフのひとりは、涙しそうになったという。平和主義者の名を冠した民間ホールに長くいたのは、決して偶然ではなかったはずだ。八月に「原爆小景」が鳴るホールが、東混にとって、そして東京の文化にとってどのような意味を持っているかを察すれば、スタッフの気持ちも理解できる。
※※
歴史の話が長くなりすぎた。駆け足で、26回目のまつりについて。
いつものように、下手側の譜面代に楽譜と、白い花が客席に向いて置かれている。客席には熟年層が目立つ。このイベントと音楽が、ある世代の人生といかに深く結びついているかを示すかのようだ。若い客は、合唱専門家の学生か、出演者の生徒さん。
これまたいつものように、林光が舞台に登場。短いメッセージ。「映像や文字で語れないものを、音楽で語りたい。...『原爆小景』を繰り返すのは、プロテストだけではなく、未来に向かって、歴史に向かって語ることが目的だから。」
最初に据えられた「原爆小景」、今年の演奏は、例年に比べて終曲に向けた劇性を非常に強調した、とてもメッセージ性の高いものだった。それこそ、マーラーの「復活」終曲みたいな。この曲で語られることを、リアリティがあるものとして感じることができない人々は、この曲をマーラーの「復活」のように歌ってもかまうまい。だって、この曲がそうやってしてでも歌われていく限り、ヒロシマを考えざるを得ないのだから。それこそが、芸術家林光が未来に向けて据えられる最大の仕掛けなんだろうから。
初演となる「とこしへの川」の前で、作曲者は「このテーマ(原爆)で書くことは、もうない」と明言した。コンパクトで明快な曲。ヴァイオリンはオブリガートに近い。長崎のための、第2の原爆小景とも言うべき小品である。林光の原爆テーマの最後の作品が新しい第一生命ホールで再び生まれた事実は、ホールの歴史にとってとても喜ばしい。たまたまとはいえ、そこに山田百子というホールで活動するクァルテットのメンバーが加わっていることも、とても象徴的だし。
後半の「林光ソングブック」、最初の4曲は叙情歌編曲。みんな東混が初演しているけど、「今日のメンバーには初演者はひとりもいません(林)」。客席は笑っているけど、重要なメッセージ。つまり、東混って、珍しくもちゃんと新陳代謝している合唱団だ、ということではないか。東混には、これからの歴史がある。
後半3曲はソングの合唱編曲版。これもみな東混が初演。山田百子のヴァイオリンが付いた「うた」は、ポーランドの歌を意識したというけど、なんのことはない、歌声喫茶風の曲だ。これまた、戦後の歴史の中での響く音楽。
アンコール、没後10年となる武満徹「死んだ男ののこしたものは」の林編曲合唱版。「前衛作曲家で、人々が誰でも口ずさめる歌を書けたのは、武満だけだった。(林)」言葉のひとつひとつが、「死んだ歴史」という言葉の意味が、とりわけ重く響く戦後60年の夏。政争に明け暮れ自壊直前の永田町の人々の前で、みんな、この歌を口ずさもう。
そして最後、いつものように、「星めぐりの歌」。転調ごとに少しづつ遠くなり、馬鹿馬鹿しい人の振る舞いなど置き去りにし、遙か銀河の彼方に消えてゆく、宮沢賢治の言葉たち。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
林光・東混 八月のまつり26
日時: 2005年8月3日(水)19:15開演
出演者:林 光(指揮)、寺嶋陸也(ピアノ)、山田百子(ヴァイオリン)、
東京混声合唱団
演奏曲:
林 光作曲/原民喜詩:原爆小景、
林 光作曲/竹山広 詩:とこしえの川-混声合唱、ヴァイオリン、ピアノのための
(2005委嘱作品世界初演)、
林 光ソング集:早春賦(中田章)/曼珠沙華(山田耕筰)/椰子の実(大中寅二)/
ゴンドラの唄(中山晋平)/明日ともなれば(詩・ロルカ)/うた(詩・佐藤 信)/
ねがい(詩・佐藤 信)