2006.6.21
第7回「パオロ・ボルチアーニ賞」国際弦楽四重奏コンクール
優勝者ワールドツアー
パヴェル・ハース・クァルテット
「第一生命ホールって,こっちでいいんだよね?」
トリトン・スクウェアへ続く歩道を渡りきったところで,こんな話をする二人の若い女性がいた。
今日は,クァルテット・ウェンズデイ(以下SQW)の日。それも2005-06年の最後の日だ。
幕を飾るは,チェコのパヴェル・ハースQ。
観客の入りはホールの5分の2のほどか。SQWの日のいつかで見たことがあるような......といった,背広を着込んだ初老の弦楽四重奏ファンから,ラフな格好の20代とおぼしき若い人,ヴァイオリンケースを担いだ音大生(あるいは若手ミュージシャンか),EU人の男性と日本女性のカップル等々,日常の町なみの風景を切り取った場面が,そっくりこのホールに移ってきたかのような印象を受ける。2000年に「パオロ・ボルチアーニ賞国際弦楽四重奏四重奏コンクール」で最高位入賞を果たした美女たちの姿も客席にあった。
当日のプログラムは,(1)モーツアルト:弦楽四重奏四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」,(2)パヴェル・ハース:弦楽四重奏曲第2番op.7「"オピチー・ホリ"から」,そして(3)ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」。
初めて聴くパヴェル・ハースQ。音がたくましい。各々のソロの部分もさることながら,特にユニゾンが分厚い。たとえば,2曲目の「"オピチー・ホリ"から」第4楽章のクライマックスのところ。曲全体を通して,一つひとつの楽器が,"オピチー・ホリ"というモラヴィアからボヘミア間の一地域で起こる様々なシーンを表現する。各楽章に付けられたタイトルを並べるとこうなる。第1楽章:風景。第2楽章:馬と荷馬車と御者。第3楽章:月と私。第4楽章:荒々しい夜。
これらの,移りゆく明と暗を弾き分けるのだ。第1楽章では,第2vnの,あたかも湖沼か川面の揺らぎのような旋律に乗り,第1vnが心の襞をさらけだすかように唄い始める。第2楽章では,vaとcelloによる,町の騒々しさが伝わってくる表現に下支えされ,リズムが転々と変わっていく。第3楽章は,何かが起こる前の静けさだ。雲間から差し込む月光,そしてその光はいつしかヴェールに閉ざされる。と思いきや,一瞬の光! しかし,それはまた雲に隠されてしまう。第4楽章は冒頭から激しい。一人ひとりの音がソリストのように際立つ。しかし,目を閉じて聴くと,4つの音は「1つ」の音にアンガジェする。己と全体,あるいは全体と己のアンガージュマン。それが見事に結晶されるのがクライマックスだったのである。
恥ずかしながら,このクァルテットがその名を冠した「パヴェル・ハース」の名前は知らなかった。そして,この「"オピチー・ホリ"から」が1925年の作品というのも,もちろん初めて教わった。1920年代というのは,政治的,社会的,そして文化的に一つの研究対象になっているものである(「祝祭と狂乱の日々」「ジャズエイジ」「モダーン」と称せられる時代ですね。日本でいうと,大正モダニズムの時期です)。そういった時期の作曲家・作品の名前を知り,それを味わうことができるというのもコンサートに通う大きなの喜びの一つなのである。
「大きなの喜びの一つ」の中には,未知のミュージシャンとの出会いもある。
個人的な趣味で言えば,もう少し微妙な陰影があればと思う向きもなくはなかったが(それはフランスものが好きな私のたわごとです。こういう個人的な趣向が入るのは,必要悪だと思って読み飛ばしてください),それをおいてもなお,ずっとつきあっていきたいサウンドだと思った。
圧倒的なのは,個人・クァルテットの音の圧力。しかし押し付けがましいのではない。「品がよい」のである。そのバックグラウンドは,客席から想像するに,ふだんの「生活」が出ているからではないのか。またチェコという風土から来る伝統を引き継ごうという「意思」の現れなのか。あるいは20世紀の名曲を,21世紀に生きているクァルテットが新たな息吹を吹き込もうかという「創造性」なのか。
まだこの原稿をまとめる段階で,その「品のよさ」が何処から出ているのかは分からない。ただ,アンコールで,嬉しそうに楽器を奏でているヴィオラのニクル氏を見て,とても楽しく思った。だから,パヴェル・ハースQが奏でるサウンドからこれからもずっと何かを感じたい。また今,前世紀の悪夢でアウシュビッツに行かざるをえなかった名作曲家の名前も,ずっと覚えておきたいし,これから勉強していきたい。
パヴェル・ハース氏,静かに眠っていますか。21世紀の俊英と,アートNPOのおかげで,2006年6月14日にあなたの作品に出会うことができ,「何か」を考える機会に巡り会うことができました。ここ,日本で。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#49〉
第7回「パオロ・ボルチアーニ賞」国際弦楽四重奏コンクール優勝者ワールドツアー
パヴェル・ハース・クァルテット
日時: 2006年6月14日(水)19:15開演
出演者:パヴェル・ハース・クァルテット
[ベロニカ・ヤルツコヴァ/カテリナ・ゲムロトヴァ(Vn)、
パヴェル・ニクル(Va)、ペテル・ヤルシェク (Vc)]
演奏曲:
モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」
パヴェル・ハース:弦楽四重奏曲第2番作品7"オピチー・ホリ"から
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」
エルデーディ弦楽四重奏団 メンデルスゾーン全曲演奏会2
全曲演奏第1回は聴けなかったものの、この時の評判とスケジュールが合った事も助けとなって今回は聴く事が出来ました。
第2番イ短調
メンデルスゾーン節のメロディラインの美しさもさることながら、めまぐるしい転調や内声部の饒舌な歌い口に初めから引き込まれていきました。
第2楽章ではアダージオの静かな歌い上げる場面や短調で時間差で入ってくる部分の歌が際立っていました。
フィナーレでは歯切れ良さと密度の濃さが相まっており、第1ヴァイオリンのカデンツァが素敵でした。あれだけ長いものをよくぞ集中力を切らさず
に、と驚かされました。
第3番ニ長調
第1楽章では狩の歌を思わせる快活さがよく弾き出されていました。第1ヴァイオリンの歌によどむような3人、転調部分での伴奏が軽やかなのに
奥深いものだったのは、やはり彼らの経験がなせるわざだったのでしょうか。チェロの対旋律と第1ヴァイオリンのメロディが掛け合っており、
ブラームスのヴァイオリン協奏曲のアンサンブルを思い起こさせました。
途中短調になる部分の第1ヴァイオリンのソロが連綿と続くメンデルスゾーン節を聴かせていました。
牧歌風のチェロはよく響かせていました。第4楽章では快活な第1ヴァイオリンに始まり途中順番にパートが重なり合っていく部分が聴き
所でした。低音パートの2名が一気に駆け上がってくる部分は良い意味でスリリングでした。
第6番へ短調
メンデルスゾーンにとっては「白鳥の歌」になったこの曲はさざめくような弾き始めに第1ヴァイオリンが悲痛な叫びを上げて始まりました。
ちょうどここでベートーヴェンの熱情ソナタを思い浮かべていましたが、明らかに違うのは、せまい音域をさまよいたたみかけるように付点音符。
もしかしたらここはメンデルスゾーンの慟哭の場面だったのでしょうか。タンタターンとむせび泣くようなヴァイオリン、チェロの対旋律に他の
3者が伴奏を刻む部分はどれもあの明朗なメンデルスゾーンとは一線を画したもの。緊張感を帯びてひっきりなしにひた走る部分やユニゾン部分
はタテに揃っており、晩年の時の刻みを物語るよう。第2楽章はチェロが主導権をとりシンコペーションの同じようなリズムでタテに突き進むような
展開。ここでシューベルトの即興曲(後半の方)を思い出しました。第3楽章は穏やかな彼岸の境地を表すかのようなチェロの響きが印象的。
他の3者はレクイエムのリベラメを聴くような演奏でした。ヴァイオリンのメロディと中声部の裏拍とチェロの対旋律はその多彩な響きの絵の具を
用いて音の絵を描き出そうとしたのではないかと思わせました。フィナーレはアパッショナータ・フィナーレとでも呼べそうなもので、展開部での
細かい動きとややオリエンタルな部分と第1ヴァイオリンの激しいカデンツァとがいわば入り乱れて弾き進められていました。
ひときわ大きな拍手と多くのブラヴォーの声に包まれての本編に続いてアンコールは作品18の4つの小品からカプリチョ。
いわば大仕事を遂げてほっと肩の力の抜けた、こちらもまた味わいのある演奏でした。
本番後にお会いした皆さんはどなたも気さくに(何故か恐縮!?)サインを下さいましたが、まだまだこれからも開拓しますよ!!との頼もしいお言葉を
伺う事が出来、聴き手としても大変幸福なひとときでした。ホールもこの4名のように更にその響きを熟していって欲しいし、このホールに集う
仲間の一人として誇らしくも感じた当夜でした。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#48〉
エルデーディ弦楽四重奏団 メンデルスゾーン全曲演奏会2
日時: 2006年5月31日(水)19:15開演
出演者:エルデーディ弦楽四重奏団
[蒲生克郷/花崎淳生(Vn)、桐山建志(Va)、花崎薫(Vc)]
演奏曲:
メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第2番イ短調作品13、
第3番ニ長調作品44の1、第6番へ短調作品80