第7回「パオロ・ボルチアーニ賞」国際弦楽四重奏コンクール
優勝者ワールドツアー
パヴェル・ハース・クァルテット
「第一生命ホールって,こっちでいいんだよね?」
トリトン・スクウェアへ続く歩道を渡りきったところで,こんな話をする二人の若い女性がいた。
今日は,クァルテット・ウェンズデイ(以下SQW)の日。それも2005-06年の最後の日だ。
幕を飾るは,チェコのパヴェル・ハースQ。
観客の入りはホールの5分の2のほどか。SQWの日のいつかで見たことがあるような......といった,背広を着込んだ初老の弦楽四重奏ファンから,ラフな格好の20代とおぼしき若い人,ヴァイオリンケースを担いだ音大生(あるいは若手ミュージシャンか),EU人の男性と日本女性のカップル等々,日常の町なみの風景を切り取った場面が,そっくりこのホールに移ってきたかのような印象を受ける。2000年に「パオロ・ボルチアーニ賞国際弦楽四重奏四重奏コンクール」で最高位入賞を果たした美女たちの姿も客席にあった。
当日のプログラムは,(1)モーツアルト:弦楽四重奏四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」,(2)パヴェル・ハース:弦楽四重奏曲第2番op.7「"オピチー・ホリ"から」,そして(3)ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」。
初めて聴くパヴェル・ハースQ。音がたくましい。各々のソロの部分もさることながら,特にユニゾンが分厚い。たとえば,2曲目の「"オピチー・ホリ"から」第4楽章のクライマックスのところ。曲全体を通して,一つひとつの楽器が,"オピチー・ホリ"というモラヴィアからボヘミア間の一地域で起こる様々なシーンを表現する。各楽章に付けられたタイトルを並べるとこうなる。第1楽章:風景。第2楽章:馬と荷馬車と御者。第3楽章:月と私。第4楽章:荒々しい夜。
これらの,移りゆく明と暗を弾き分けるのだ。第1楽章では,第2vnの,あたかも湖沼か川面の揺らぎのような旋律に乗り,第1vnが心の襞をさらけだすかように唄い始める。第2楽章では,vaとcelloによる,町の騒々しさが伝わってくる表現に下支えされ,リズムが転々と変わっていく。第3楽章は,何かが起こる前の静けさだ。雲間から差し込む月光,そしてその光はいつしかヴェールに閉ざされる。と思いきや,一瞬の光! しかし,それはまた雲に隠されてしまう。第4楽章は冒頭から激しい。一人ひとりの音がソリストのように際立つ。しかし,目を閉じて聴くと,4つの音は「1つ」の音にアンガジェする。己と全体,あるいは全体と己のアンガージュマン。それが見事に結晶されるのがクライマックスだったのである。
恥ずかしながら,このクァルテットがその名を冠した「パヴェル・ハース」の名前は知らなかった。そして,この「"オピチー・ホリ"から」が1925年の作品というのも,もちろん初めて教わった。1920年代というのは,政治的,社会的,そして文化的に一つの研究対象になっているものである(「祝祭と狂乱の日々」「ジャズエイジ」「モダーン」と称せられる時代ですね。日本でいうと,大正モダニズムの時期です)。そういった時期の作曲家・作品の名前を知り,それを味わうことができるというのもコンサートに通う大きなの喜びの一つなのである。
「大きなの喜びの一つ」の中には,未知のミュージシャンとの出会いもある。
個人的な趣味で言えば,もう少し微妙な陰影があればと思う向きもなくはなかったが(それはフランスものが好きな私のたわごとです。こういう個人的な趣向が入るのは,必要悪だと思って読み飛ばしてください),それをおいてもなお,ずっとつきあっていきたいサウンドだと思った。
圧倒的なのは,個人・クァルテットの音の圧力。しかし押し付けがましいのではない。「品がよい」のである。そのバックグラウンドは,客席から想像するに,ふだんの「生活」が出ているからではないのか。またチェコという風土から来る伝統を引き継ごうという「意思」の現れなのか。あるいは20世紀の名曲を,21世紀に生きているクァルテットが新たな息吹を吹き込もうかという「創造性」なのか。
まだこの原稿をまとめる段階で,その「品のよさ」が何処から出ているのかは分からない。ただ,アンコールで,嬉しそうに楽器を奏でているヴィオラのニクル氏を見て,とても楽しく思った。だから,パヴェル・ハースQが奏でるサウンドからこれからもずっと何かを感じたい。また今,前世紀の悪夢でアウシュビッツに行かざるをえなかった名作曲家の名前も,ずっと覚えておきたいし,これから勉強していきたい。
パヴェル・ハース氏,静かに眠っていますか。21世紀の俊英と,アートNPOのおかげで,2006年6月14日にあなたの作品に出会うことができ,「何か」を考える機会に巡り会うことができました。ここ,日本で。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#49〉
第7回「パオロ・ボルチアーニ賞」国際弦楽四重奏コンクール優勝者ワールドツアー
パヴェル・ハース・クァルテット
日時: 2006年6月14日(水)19:15開演
出演者:パヴェル・ハース・クァルテット
[ベロニカ・ヤルツコヴァ/カテリナ・ゲムロトヴァ(Vn)、
パヴェル・ニクル(Va)、ペテル・ヤルシェク (Vc)]
演奏曲:
モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」
パヴェル・ハース:弦楽四重奏曲第2番作品7"オピチー・ホリ"から
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」