2009.5
グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル
第1夜
第一生命ホールを訪れるのは初めてであったが、スタッフの方々の対応もよく、開始時間まであまり余裕のない状態で到着したにも関わらず、すぐ席に着くことができた。会場に入ってからしばらくの間はざわついていたホール内が、演奏の始まる数分前には誰ともなく一斉に静まりかえる様子から、自分も含め観客の期待感や緊張感が高まっていくのが分かり、生の演奏会ならではの雰囲気を早々に感じることができた。
私自身は、チェンバロの演奏をリサイタルで聞くのも会場を訪れるのと同様に初めてであったが、しばらく演奏が進んでルイ・クープランの組曲のクーラントであっただろうか、小気味よくメリハリの利いたリズムによってとてもリラックスできたように感じ、会場全体もそのような雰囲気になったように思われた。その後も普段耳にすることの少ない独特の音色に身を委ね、演奏を楽しんだ。
前半の演奏が終わり、休憩時間には奏者自らによる調律が行われた。鍵盤楽器がその場で調律されること自体が新鮮であったが、多くの観客が休憩時間中も外に出ることなくその光景に見入っていた。後にパンフレットを読んで分かったことであるが、奏者はその日その日のプログラムに合わせて理想となる響きを求めて微妙に異なる調律を行っているとのことであり、それを知らずにいたことが少し悔やまれたが、一音一音丁寧に、しかし素早く調律を行っていく様子が印象的であった。残念であったのは、前方の席には立ち入らないようにとの事前の注意にも関わらず何人かの人々が残り続けていたことであろうか。
後半の演奏では全体的な曲調も前半のプログラムと変わり、再び新鮮な気持ちで聴くことができた。個人的にはデュフリのラ・フェリックスのメロディとハーモニーが特に美しく感じられ、今でも思い起こされる。
演奏が終わると会場から惜しみない拍手が送られ、何度もそれに応える奏者に対してより一層の拍手がホール全体に響き渡っていた。この観客の一体感というのも生の演奏会ならではであろう。
奏者が立ち去った後、多くの観客が興味を示していたのが使用されていたチェンバロについてである。遠目でよく分からなかったが、楽譜も手書きであったという話も聞こえてきて、周囲からは感嘆の声があがっていた。間近で楽器を見ることもでき、聴覚、視覚の両方から最後まで楽しむことができたが、楽器を携帯電話で撮影する人が数多く見られたことや、それをスタッフの方が注意するといったやりとりがあり、演奏を聴き終えた後の満足感が少し薄らいでしまったことが残念であった気がする。観客へのマナーの徹底というのは本来会場に求めるものではないと思うが、リサイタルやコンサートに通いなれていない自分でも気になったこういった部分は、この演奏を前々から楽しみに来られた方にとっては、それ以上であると考えられることから、事前に何らかの対策を講じていただけたらと願う次第である。
演奏や会場の雰囲気は言うまでもなく、とても素晴らしいものであったことから、機会があれば是非また訪れたいと感じた。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル
第1夜
日時: 2009年5月7日(木)19:15開演
出演者:グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
演奏曲:
ルイ・クープラン:パヴァーヌ/組曲ニ短調
パッヘルベル:ファンタジアト短調/3つのフーガ
J.S.バッハ:組曲ヘ短調BWV823/
コラール・パルティータ「おお神よ、汝まことなる神よ」BWV767
アルマン=ルイ・クープラン:ラントレピッド
デュフリ:アルマンドとクーラントニ短調
グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル
第1夜
始まる数分前、会場全体が静かになり、緊張感が漂い始めました。レオンハルト氏登場後、緊張感はより一層高まり、息をするのにも気を使うような静寂がありました。皆が真剣に演奏を聴きたいという気持ちの表れだと感じました。演奏は静かなメロディで始まり、振り返ってみると少し緊張した演奏だったように思います。初めて拍手をするタイミングでレオンハルト氏が座ったまま軽くお辞儀をし、その姿がとてもチャーミングだったので、ほっと一息。観客にも少しリラックスムードが漂い始め、肩の力を抜いて演奏が再開されました。
前半が終了し休憩時間に入ると、レオンハルト氏による調律のため、前寄りの座席の人はほぼホール外やドア付近に移り、その姿を見守ります。レオンハルト氏が静かに調律を始めました...真ん中と低音、そして高音へと次々に合わせていきます。チェンバロはやはり音程がずれるのが早く、まんべんなく調節する必要があります。しかしレオンハルト氏の手にかかれば、すっと整えられていき、それがとても心地よく感じられました。貴重な場面を見せていただきました。
調律後比較的すぐに後半の演奏が再開されました。レオンハルト氏は調律のために休む時間がほとんどないはずだけれど、短期間でリフレッシュしたように前半とはまったく違った雰囲気で演奏を始めたのにとても驚きました。偉大な演出家だと思いました。会場の雰囲気もほぐれ、より流れに乗った演奏でレオンハルト氏も熱くなってきた!と感じたのは私だけではなかったのか、2階席に目を移すと前半に比べて観客が前のめりになっていて、惹きつけられていると感じました。
ラストまで情緒溢れる演奏と表情ある曲目ですっかり堪能させていただきました。弾き終わった後しばらく拍手はなりやまず、再び登場したレオンハルト氏が選んだアンコール曲はクープランのロンドーでした。
会場は終始穏やかな雰囲気でしたが、観客は満足に満ちた表情で熱い気持ちを胸に会場を後にしたことと思います。もちろん私もその一人です。レオンハルト氏がこれからも穏やかで熱い演奏を続けてくださることを願っています。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル
第1夜
日時: 2009年5月7日(木)19:15開演
出演者:グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
演奏曲:
ルイ・クープラン:パヴァーヌ/組曲ニ短調
パッヘルベル:ファンタジアト短調/3つのフーガ
J.S.バッハ:組曲ヘ短調BWV823/
コラール・パルティータ「おお神よ、汝まことなる神よ」BWV767
アルマン=ルイ・クープラン:ラントレピッド
デュフリ:アルマンドとクーラントニ短調
エルデーディ弦楽四重奏団〈#79〉
ハイドン没後200年を記念してII
春眠暁を覚えずの頃合に体験する「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」。
プログラムに解説を書かれている蒲生さんは、ハイドンの傑作「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」について、何かを予感をするかのようにいみじくもこう書かれていた。
(ドヴォルジャークの「スタバト・マテル」と並べて)「...どちらも遅い楽章が続くイコール飽きる、退屈する図式がまったく当てはまらない稀な例かもしれない」と...
どんな偉大な傑作を前にしても、僅かな休憩時間にサンドイッチを食べ、ビールを飲む...といった...それは僕も含めて、音楽は人々の日常行為の中に存在する。
まず僕が感じたのは、エルデーディの皆さんが本来持つ、音楽に対する姿勢と「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」という作品が、大変同質性を帯びていたということだ。
それらは、単なるテクニックといった表層的なことを超える。
大聖堂のような荘厳さと、響きわたる音色の厳しさ。序奏の最初の2小節できっぱりと聴き手に伝える。深い呼吸の「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」の「歴史旅」に、この日の僕は、聴き手として安心して、エルデーディに身を委ねることができた。
序奏:introduction(Maestoso ed Adagio)
25小節目から蒲生さんの弾くヴァイオインは既に嘆きっており、30小節目に突入する付点では叫び声に変わる。尋常ではない世界が第1生命ホールの舞台に幕開けされる。
ソナタ1:Largo第一の言葉(父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか知らないのです)では、冒頭の花崎さんの奏でるチェロの派手ではない響きが素晴らしい。人の脈拍を感じさせ、まだ温もりのある体温を感じさせる音色。グリラー弦楽四重奏団でチェロ奏者だったコリン・ハンプトンの「『マタイ受難曲』にひけをとらない名曲と呼んではばからない」の言葉を残したことを、蒲生さんがプログラムに紹介されていたが、思わず頷く瞬間。65小節目~68小節目の4人の音楽の受け渡しでは、オラトリオ版における4名の独唱がそこで歌っているような「言葉」を感じた。
ソナタ2:Grave e cantabile第二の言葉(あなたは今日私と一緒に天国に入ることができます)では、花崎さんのヴァイオリンの分散和音が時に羽毛のように軽く、聴く人を優しさに導く敬虔な瞬間。繰り返される転調に青白い雲から一筋の光が見え隠れするようにも情景を感じた。
ソナタ3:Grave第三の言葉(女よ、これがあなたの息子です。(それからヨハネに)これはあなたの母です)では、細かく制御されたヴィヴラートで奏でる歌が、これから向かう場面への祈りのようにも聴こえ、最後の小節では、Mutter! という音で締めくくられるようにも僕は聴こえた。カルテットでは中々出せない響きではないか?
ソナタ4:Largo第四の言葉(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?)では、最後の力を振り絞った詠嘆の声。12小節目のppで、蒲生さんが絶望の表情を奏でるが、試練を全うするための力強い問いかけが、19小節目からこだまする。桐山さんが静かに弾くヴィオラの音色が、聴き手の心に入り込む。
ソナタ5:Adagio第五の言葉(私は渇く)で聴く、ピツィカートは安堵さえ感じさす明るい調べ。だが、それは諦観の中の安堵。18小節目から聴く耳を刺すような金切り声が、束の間の明るさ吹き飛ばし、苦しみを伴う花崎さんのチェロの音に打ちのめされる。
ソナタ6:Lent第六の言葉(すべては終わった)では、4人の集中心がとてつもなく凄い。彼らが51小節目から織りなす響きは、天国と地上を結ぶ天使の歌であろうか。やがてはエルデーディのメンバーが消え、音楽のみが純粋な形で空間に存在する感覚も。
ソナタ7:Largo第七の言葉(父よ、私の霊を御手にゆだねます)では、紫色の光に包まれるとでもいったら良いだろうか。慈愛に満ちた空気がそこに流れるかのようだ。特に8小節目からは眩い光のハーモニー。エルデーディの皆さんから、かような音色が聴けるとは!最後はpppで目を閉じる。
地震:Presto e con tutta forza(キリスト昇天時の天変地異)は、我々聴き手の目を覚ますような迫力だ。今も昔もちっとも変わらない恐れの感覚。振動、人々の叫び...
エルデーディの皆さんの作品に対する、心からの献身的な態度が、ただただハイドンの偉大さを我々に伝えたくれたように感じた。
ブラボオの声が出たのも納得。ありがとうエルデーディの皆さん。
今回は、「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」の前に、第24番イ長調作品9-6 Hob.III-24と第23番変ロ長調作品9-5 Hob.III-23順で2つのカルテットが演奏された。2作品ともに、十分緻密で奔放で上手くて、容赦ない名人芸が繰り広げられていたのと同時に、作品にも「域」があることを、僕には否応なく感じられました。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウィークエンド 2008-2009 Galleria〉
エルデーディ弦楽四重奏団〈#79〉
ハイドン没後200年を記念してII
日時: 2009年4月12日(日)15:00開演
出演者:エルデーディ弦楽四重奏団
[蒲生克郷/花崎淳生(ヴァイオリン) 、桐山建志(ヴィオラ)、花崎 薫(チェロ)]
演奏曲:
ハイドン:弦楽四重奏曲第24番イ長調op.9-6 Hob.III-24
ハイドン:弦楽四重奏曲第23番変ロ長調op.9-5 Hob.III-23
ハイドン:弦楽四重奏曲op.51「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」