エルデーディ弦楽四重奏団〈#77〉
ハイドン没後200年を記念してI
「カルテットの形(かたち)」エルデーディ弦楽四重奏団
エルデーディ弦楽四重奏団の写真を見ると、メンバーの立ち位置、皆さんの表情が絶妙に、
そして、自然体に収まっているな、という印象を僕に与える。
誰かが突出しているのでもなく。良い具合に、ちょっぴりシンメトリー。
カルテットには、それぞれの形がある。
リーダーが形式通り1stヴァイオリンであったり、チェリストがリーダー格である場合や、
4名全員が対等のソロイストである形も。それぞれに面白いが、
写真であったり、
座り方であったり、
解説の署名であったり、
ステージでのマナーであったり、
4人の日頃が、音楽以外の側面でも随所に出てくるところに、興味が尽きない。
絶妙なバランスのエルデーディの皆さんは、ハイドンをどのように聴かせたか?
その結果を書く前に、ハイドンのカルテットについて、僕が感じるところを少し。
弾き手の日常の音楽に対する接し方、取り組み方が極めて直接的に出てくる・・・
アンサンブルを組む人たちの全てが出てくるのが、ハイドンのカルテットではないか?
後に続くベートーヴェンのフォルテ、スフォルツァンドで勢いに任せることも(一面的)、
あるいは、ブラームスのように旋律で媚(暴言失礼!)を売ることも(一面的)、
淡い味わいのハーモニーを愉しませるシューベルト(一面的)・・・そのいずれも
「決定打」としてハイドンにはないのだ。
その代わりに、
きちんと強弱を。きちんとリズムを。きちんと休符を。きとんとスラーを。
でも・・・それだけではちっとも面白くない。
「マジメ人間ユーモアを求む」みたいなことを、4人でやるのはおかしいくらい難しい。笑
スーツの着こなしやネクタイの締め方、靴とのコーディネイト・・・全てお約束通りのなのに、
お洒落を感じさせるか否かということと、少し似ているかも知れぬ。
要は、音楽の「センス」が問われるのではないか?
今日演奏された作品順に感じたことを書き綴ると、
72番ハ長調op.74-1(Hob.III-72)
第1楽章Allegroは、やや緊張感が先行する硬い感じもあったが、だからゆえに、
しばらくして訪れる18小節目dolceの歌い方が印象に残った。
随所のトリルもセンスが光る。推進力に富みながら軽いとても典雅なトリル。
137小節目では、蒲生さんと花崎淳生さんの2つのヴァイオリンで、大きな牡丹を
咲かすような表現が素敵。
第2楽章Andantino(grazioso)は、蒲生さんの伸びやかなG線と、
花崎薫さんのノンヴィヴラートに徹した旋律の歌い方がとても美しい。
が、それにもまして、桐山さんの変幻自在なヴィオラが魅惑的だった。
11小節近く連続で弾くオクターヴのリズムのニュアンス! 時に影に。時に光を与え
・・・ちょっとしたその間合いに、存在感を大きく感じた。実際、大柄の方なのですが・・・。
第3楽章Menuet:Allegroは、テンポが徐々にアップしてゆくように感じられた(錯覚?)。
随所に出てくる3連符のたたみかけ方も軽妙そのもの。
そして、91小節目からの蒲生さんが弾くスタッカートはふわりとしていてなんともお洒落。
第4楽章Finaleは、容赦なく徹底されたスタッカートアッサイ(極めて、非常に)が、
僕には、ときに違和感を感じるほど。しかし、その後のVivaceの飛翔は、何とも軽やか。
183小節目フェルマータ後における、ヴァイオリンの花崎淳生さんの間合いが、
リピート前後で変化があって楽しく、蒲生さんの小さなカデンツァが作品に彩りを添える。
73番ヘ長調op.74-2(Hob.III-73)
第1楽章Allegro spiritosoは、4人の皆さんのリラックス度合いが、より増しているように
感じられたが、演奏は「精神を込めて」という指定が厳格に優先されている印象。
従って、93小節から頻出するトリルたちは、優美な世界とは異なる重い表現に徹底。
第2楽章Andante graziosoは、蒲生さんが解説に書かれていらっしゃる通り、
ハイドンお得意の変奏曲。変奏曲について僕が勝手に感じるところを書くと、
スイスの名工の手による、精緻な腕時計の内部構造を覗くような感覚だろうか。
花崎薫さんは、目一杯のヴィヴラートで旋律を開陳して、精密な仕掛けの中に、
極めて優美な華を咲かされた。
第3楽章Menuetでは、いかにもハイドンらしさのある楽しい音型が満載。
僕はTorio部分の、花崎淳生さんの弾く切々としたメロディーと、
蒲生さんのオブリガードが「どちらもフォローしあう」という風合いで、とても楽しく聴けた。
素晴らしい瞬間だった!
第4楽章Finaleでは、決して簡単ではない難儀で細やかなアーティキュレーションを、
Prestoで疾走する様子は痛快だ。269小節目からを分散和音で、突進感は最高潮へ。
74番ト短調op.74-3(Hob.III-74)「騎手」
僕は、本日の曲目の中で、表現の濃さが格段に際立っていたのは「騎手」と感じた。
第1楽章Allegroの冒頭からして楽しませてくれる。
「騎手」のニックネームの由来となった音型の後に登場する休符も、リピート前後で
ニュアンスが僅かに違う。僕は聴いていて思わずニヤリとした。だが、その休符に続く
桐山さんのヴィオラと花崎淳生のヴァイオリンが奏でる、何気ない振りをして変化に
富んだ箇所(12小節目)。「妖しい」魅力さえ僕は感じてしまう。そう「妖しい」なのです。
第2楽章Largo assaiは、更に濃密な味わい。蒲生さんのヴァイオリンからは、
まるで大型協奏曲の緩徐楽章を聴くのに近い情感の深さや、優美ささえ感じた。
第3楽章Menuet:Allegrettoは、さらりと軽く。しかし、55小節目で弾かれる音型は、
これまた微妙なアゴーギグがあり、エルデーディの皆さんの手による、とても練れた
表現であることを思わせる。
第4楽章Finale:Allegro con brioでは、まさに「生気がみなぎった」疾走感が素晴らしい。
本日の白眉だったと感じた。
アンコールとして、同じハイドンの第22番二短調op.9-4(Hob.III-22)から
第3楽章Adagio-cantabileが演奏され、聴く者の心を満足させたのではないかしら。
さて、エルデーディの皆さんの師であるアマデウス・カルテットには、
ハイドンの素晴らしい録音が残されているが、比較的新しいところでは、
コダーイ・カルテットが、全集録音という意欲的な成果を出している(NAXOS 8502400)。
僕は、コダーイの録音を聴き、そして、今日のエルデーディの皆さんの演奏に接して、
日頃聴くCDに、新たな観点が加わり楽しみの幅が増えたのは事実だ。
そのような経験や作業は、僕に限らず特に珍しくないことだと思う。
そして、エルデーディ・カルテットのCD(Pau Records PAU-0001やPAU-0002)もある。
いずれは、本日の『第2アポニー四重奏曲』なども収録されセットで聴かせて下されば、
と淡い期待をするくらい、エルデーディ・カルテットの見事な形(かたち)を楽しんだ。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウィークエンド 2008-2009 Galleria〉
エルデーディ弦楽四重奏団〈#77〉
ハイドン没後200年を記念してⅠ
日時: 2009年2月22日(日)15:00開演
出演者:エルデーディ弦楽四重奏団
[蒲生克郷/花崎淳生(ヴァイオリン) 、桐山建志(ヴィオラ)、花崎 薫(チェロ)]
演奏曲:
ハイドン:弦楽四重奏曲第72番ハ長調op.74-1 Hob.III-72
ハイドン:弦楽四重奏曲第73番ヘ長調op.74-2 Hob.III-73
ハイドン:弦楽四重奏曲第74番ト短調op.74-3 Hob.III-74「騎手」