〈フェスタ第6日 #71〉昼下がりの19世紀
この演奏一曲にて千秋楽―メンデルスゾーン弦楽八重奏曲―
グァルネリ・デル・ジェス作「バロン・ビッタ=ゴールドベルグ」。男爵の尊称を以て遇される名ヴァイオリンを携えた米国の俊英ボロメーオ・ストリング・クァルテットと、春秋に富む我国屈指の四銃士、クァルテット・エクセルシオ......SQWフェスタを締めくくるに相応しいこの競演、否、大一番が今や始まろうとしている。曲はメンデルスゾーン=バルトルディ不朽の名作、弦楽八重奏変ホ長調。二つの弦楽四重奏ががっぷり四に組むのに此程相応しい曲はない。さぁ、どんな勝負を聴かせてくれるのか......堂内に居座る全ての人はこれから展開されるであろう丁々発止を固唾を飲んで待った。
鞭声粛々夜河を過るが如き気迫と緊張を漂わせ乍、強者達が入場して来た。暫しの静寂の後、その張り詰めた空気を一気に解放する様な冒頭で一頭飛抜けて鳴る男爵の響きに私は唖然とした。それは既にヴァイオリンの音でなく明らかに人の声、それも威厳に満ちた貴人の肉声なのだ。流石は男爵の御者を務めているボロメーオの面々、主人を気持ちよく語らせる為に絶妙なバランスで会話を取り持つ。その持て成しを受け一層尊厳を増した男爵の威風に圧倒され、土俵際へ追い遣られたエク......あ、危ない、と思った正にその時である。私は第二チェロを務める大友氏の背中に気焔が上がるのをはっきり見た。そして譜面台越しに火の付いた様な両の眼を同士にしっかと差し向け乍
「負けてなるものか。ここが働き処ぞ。皆、押せ押せ、押し捲れ」
大音声の叱咤が籠められた目差しに、エクの三人は奮い立ち、捲土重来を期し突き進み始めた。対する男爵は流石、百戦錬磨の古強者。好敵手いざご参なれと、その怒濤の様な猛進に単騎なりとも立ち向かおうとする。その雄々しさ、その逞しさに名器の名器たる所以を感じたのは私丈ではないだろう。私はその火花の散る様な凄まじさに圧倒され乍、エクの迸る情熱と男爵の潔さに目頭を熱くした。
二つのクァルテットという境を越えた八人の奏者が、持てる全ての力と業を尽くし華々しい終結音を奏し終えた刹那、聴衆の感激が賞賛の嵐となって舞台上の勇者達を襲う。その歓呼は天上を衝き、拍手は驟雨が如く堂内に響き渡った。嘗てこの第一生命ホールで此程迄の喝采があっただろうか。少なくとも私はそれを知らない。
こう云う演奏会に立ち会うと心底草臥れる。然し、此こそ生きた音楽の醍醐味なのだ。私は真っ赤になった掌を握りしめ、気持ちの良い疲労感に浸った。
公演に関する情報
<クァルテット・ウィークエンド08-09 フェスタ>
〈フェスタ第6日 #71〉昼下がりの19世紀
日時: 2008年6月8日(日)15:00開演
出演者:ボロメーオ・ストリング・クァルテット
ニコラス・キッチン/クリストファー・タン(ヴァイオリン)
元渕舞(ヴィオラ) イーサン・キム(チェロ)
クァルテット・エクセルシオ
西野ゆか/山田百子(ヴァイオリン)
吉田有紀子(ヴィオラ) 大友肇(チェロ)
演奏曲:
シューベルト:弦楽四重奏曲第12番ハ短調D.703「四重奏断章」[演奏:クァルテット・エクセルシオ]
シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調op.41-1
メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲変ホ長調op.20[+クァルテット・エクセルシオ]