ボロメーオ・ストリング・クァルテット
シェーンベルク・プロジェクトvol.3
報告:齋藤健治/月島在住・編集者/1階10列22番
投稿日:2006.12.21
とはいえ,ボロメーオSQを聴くこと自体が初めてのことでもあった。2002年6月5日以来,本日が5回目の登場だからチャンスはいくらでもあったのになと思いながらも,「バロン・ヴィッタ」が彼らのサウンドを聴く機会を与えてくれた。ホールに入ればいつもながらの平静な雰囲気。名器登場でも特に変わった様子はなく,TAN職員・サポーター諸氏が普段通りに歩いている。席に座りあたりを見渡せば,聴衆の入りは1階席が5分の2ほどのよう。
曲は前半2曲・後半1曲。ゴリホフ「テネブレ」で本日のプログラムは始まった。ヴィオラとチェロの緩やかな響きが透明感と安らぎを形作りながら,ニコラス氏弾く「バロン・ヴィッタ」を初めて聴く。豊かだ。細かに心を震わせていくといったものではなく,大きな手で気持ちを捉え,その状態を持続させ,揺さぶり,遠い高まりへと運んでくれる。たとえばドストエフスキーを読んだ後,自分の立ち位置がこれまでとは違う次元にいるような気分にならないだろうか。そんな力強さを覚えたのである。
しかしながら,そもそもボロメーオSQに接したことがなかったので,このサウンドが彼らの表現に内在しているものなのか,「バロン・ヴィッタ」が秘めているものなのか,あるいはこの両者が融合することによって引き出された響きなのか等々と頭をめぐらすことになる。はて,正解はどうなのだろう。否,正解なぞはなから求めないほうがよい。いま味わうべきことは「バロン・ヴィッタ」がそこにあるということ,目の前でボロメーオSQが弾いているということ,ホールが響かせ,それを聴衆が受けとめているということ,それらを感じとることが,この時間を一層豊かにしてくる――このようにしてコンサートは心を自由に拓いていく。
シェーンベルク「弦楽四重奏曲第4番op.37」の後の休憩の間はサポーター/モニターとして大活躍されているA氏がやって来て,「実はちょっとおもしろいことをサポーター仲間と考えているんですよ」と話す。なんだろうと考えながら再び席につくと後半はベートーヴェン「弦楽四重奏曲第16番ヘ長調op.135」。なんと生き生きとし爽快さと躍動感にあふれた演奏だろう。そして「魅せる」。それはアンコール「ラズモフスキー第2番」第4楽章で一層膨れ上がれ,ステージは,大きく,揺れる。四脚のイスと譜面台しかない簡素な舞台にもかかわらず,そこに描き出されるはカラフルな色彩とたわわに実った田園の風景。そんな錯覚を,覚える。観客はそして,「ブラヴォー!」と強く応える。
終演後は先の「おもしろいこと」を聞くために,朝潮運河にかかる晴月橋近くの居酒屋でサポーターの方々と集う。お顔に見覚えがあるものの言葉を交わすのは,A氏以外は初めての方ばかりだ。終電が近づき,BさんとCさんは慌てて帰途につかれたためか荷物を忘れていった。それを預かるDさん。聞くと,古くからの知り合いではなく,TANのサポーターを始めてからのつきあいであるという。この,信頼ある人と人とのつながり。それは「音楽」が引き寄せた,人と人とのつながりである。
そして私がその席に居合わせることができたのは,紛れもなく「バロン・ヴィッタ」を聴きたいということから始まったのだ。
古く3世紀も前のクレモナで生まれ,いくつかの戦争を切り抜け,この春まではアメリカの博物館で眠り,21世紀に愛弟子の手で奏でられるようになったこの名器。それが東京・湾岸でも人を呼ぶ。「ゴールドベルク氏はこのつながりを彼岸からどのように眺めているんだろう」。サポーター諸氏と再会を約した後,夜の空を眺めて,そう思った。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈クァルテット・ウェンズデイ#52〉
ボロメーオ・ストリング・クァルテット
シェーンベルク・プロジェクトvol.3
日時: 2006年12月13日(水)19:15開演
出演者:ボロメーオ・ストリング・クァルテット
[ニコラス・キッチン(Vn)、クリストファー・タン(Vn)、
元渕舞(Va)、イーサン・キム(Vc)]
演奏曲:
ゴリホフ:テネブレ
シェーンベルク:弦楽四重奏曲第4番作品37
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135