ロベルト・シューマン没後150周年記念
漆原朝子&迫昭嘉のシューマン
報告:須藤久貴/大学院生/1階5列6番
投稿日:2006.07.13
漆原朝子さんと迫昭嘉氏のリサイタルを聴いて思ったことは、ここでなら一緒に呼吸することができるということだった。まるで着ている衣服が身体にちょうどなじむみたいに、しっくりくる演奏なのだ。それはおそらく、シューマンのヴァイオリンソナタでは、二つの楽器の動きが密接に絡んでいるからでもあるだろう。同じ音型も多いし、旋律の後半をピアノが代わりに受け持つことも多いからだ。しかしそれ以上に漆原さんの演奏で際立っていたのは、まるで声に出して歌っているような、一音一音の丁寧さであったと思う。ヴァイオリンの呼吸に合わせながら、僕はシャドーイングをするみたいに、漆原さんの弾くフレーズを、ひとつずつ噛み砕くように聴いていくことができたのだ。
迫さんのピアノは、抑制しながらもバスのラインを際立たせるように弾いていた。特に初めのヴァイオリンソナタ第1番では、漆原さんに合わせてだいぶ抑えているように思えたが、次第に二人の気質の違いが明らかになってくるようで面白い。というのはプログラム最後のヴァイオリンソナタ第2番では、迫さんがヒートアップしてくるのが目に見えて分かったからだ。聴きながら少しハラハラしてしまうくらい、かなり激しい演奏だった。
前半の二曲目に演奏されたヴァイオリンソナタ第3番は、シューマンがライン川に飛び込む前の年に作曲されたものだが、改めて聴き直してみると、高みを求めて上っていこうとするシューマンの心の叫びが伝わってくるようだ。たとえば第1楽章では、上昇する音型が繰り返され、漆原さんのヴァイオリンからも、眉間にしわを寄せるような真面目さが強調されるのだけれど、他方、第4楽章では洒脱なピエロのように、くるりと軽く降りてきて、今までの葛藤を煙に巻いてしまうみたいなおかしさがある。いわゆるFAE(frei, aber einsam 自由に、しかし孤独で)のテーマを歌った第3楽章は、この演奏会の白眉だったと思う。ゆったりと大らかでありながら物悲しくて、切ない気持ちになった。
演奏会は<東京の夏>音楽祭の関連公演ということもあって、満席に近い盛況ぶりだった。なお、アンコールではシューマン≪森の情景≫から<予言の鳥>と、ブラームス<F.A.E.のソナタのためのスケルツォ>の二曲が演奏されたが、これもまた好演だった。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
ロベルト・シューマン没後150周年記念
漆原朝子&迫昭嘉のシューマン
~ヴァイオリンとピアノのためのソナタ全3曲&3つのロマンス~
日時: 2006年7月7日(金)19:15開演
出演者:漆原朝子(ヴァイオリン)、迫昭嘉(ピアノ)
演奏曲:
シューマン:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番イ短調 作品105、
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第3番イ短調遺作、
ヴァイオリンとピアノのための「3つのロマンス」作品94、
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番二短調作品121