2012.11.17
東京混声合唱団特別演奏会
武満徹の全合唱曲 山田和樹指揮による東京混声合唱団特別演奏会
ヤマカズこと指揮者の山田和樹が「ブザンソン指揮コンクールで優勝します。」と宣言して結婚披露宴の出席者の度肝を抜いた上でその優勝宣言を現実のものとし、東混との優勝記念コンサートを第一生命ホールで行ったのが、2010年4月だったが、そのコンサートのモニターとして自分が書いた文章を引用させていただく:
>ステージから引き揚げてまだ1分もたたないうちに缶ビールで全員が乾杯していた。それも飛びっきりの笑顔で。まさに東混は自分達と音楽を作ってきたヤマカズの大指揮者へのデビューに立ち会ってこれ以上の幸せがないという雰囲気で今、ノリにのって光り輝いている。
それから2年半の間、ベルリンを住まいに欧州のメジャー・オーケストラを軒並み振ってスイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者を務めるだけでなく、我が国でも日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、また小沢征爾の代役としてサイトウ・キネン・オーケストラを指揮し今年の夏にはオペラ公演デビューも果たすなど、いつ休息しているのか心配になるほどの全速力でヤマカズは突っ走っており、まさに昇り竜の勢いである。
このように数々のオーケストラを振るそのヤマカズが「東京混声合唱団とは2004年以来、委嘱初演を含む定期演奏会から青少年を対象とした音楽鑑賞教室に至るまで、200回を超える共演を重ねており、CDもこれまでに8枚リリースしている」(当日のプログラムノートより)というほど両者が密接な関係であることは、たとえば、彼の手兵オケとも言える横浜シンフォニエッタに通う熱心なファン等には案外知られていないのかもしれない。
ここ第一生命ホールではかつて、東混を指揮していた岩城宏之が演奏を終わってアンコールの時、くるりと指揮台の上で客席に向き直り、「この第一生命ホールの響きが余りに素晴らしいので気に入った。だからこのホールください。」と言った程、美しい合唱の響きがすることで知られている。その特徴は最強音の迫力はホールの隅々まで轟きわたり、最弱音のハーモニーが実に味わい深く響く音響空間だというものである。これは舞台から最後部の座席までの距離が近く、横に膨らむ楕円形のため舞台と客席との親密な関係性が可能になるのだ。
このように勢いのある指揮者が響きの素晴らしいホールで、その特徴を隅から隅まで把握している合唱団と共に、「武満徹の全合唱曲」の演奏会を指揮すればどのような演奏になるか、それは始まる前から大いなる期待に胸を膨らませるものになる。更に当日、武満徹夫人と娘さんが臨席されていたのだから、この日の演奏がどのようなものになったかは敢えて記さなくとも想像して頂けよう。
当日プログラムノートにヤマカズは「武満徹さんの合唱曲を全曲演奏することは、自分にとって大きな挑戦です。」と記している。その通り、指揮者譜面台がなく全て暗譜して指揮していたが、それほどこの日の演奏会には期するものがあったということであろう。
MI・YO・TAは浅間山の麓の長野県北佐久郡御代田町のことで明治時代に駅が出来た古い街だが今はしなの鉄道線しか止まらない。ここに武満徹の山荘があって数多くの曲がここで生れている。プログラムの順番を変更して演奏会の冒頭に持ってきたのだが、「思い出がほほえみ 時を消しても あの日々の歓び もう帰って来ない」という歌詞のところで既に涙腺が刺激されてしまう。3分余りの小さな曲だがそのあまりの儚さが胸を打つ作品だ。
男声合唱のための「芝生」は、ハーヴァード大学グリークラブからの委嘱で作曲されたが、難しすぎて彼らでは演奏できなかったという。「技巧的にかなり難しい」と武満徹自身は書いているが、歌うテクニックとして高度なものが要求されるというよりも、曲想を掴むことが困難だったのではないだろうか。それが証拠に田中信昭指揮の法政大学アリオン・コールではたいへん上手に初演されたというのだから。
男声六重唱のための「手づくり諺」はキングス・シンガーズの委嘱によって作曲された作品で、瀧口修造の詩がとてもポップで途中で歌われるソロが印象的だった。
混声合唱のための「風の馬」はチベットの習俗を撮った写真から触発された曲で、「高原の広い空間に、一条の縄が張られ、それに色とりどりの民族衣装の切れ端が結ばれ、吊り下げてある。やがて風が吹いて、その縄に垂れ下がった色彩豊かな布が一斉にたなびいて、高原の冷たい澄んだ空気の中ではたはたと音を立てる。ひとびとは、その布のたなびく方へ移り進んで行く。『風の馬』とは、その布が結ばれた縄のことを指す。」(当日のプログラムノートより)高原の景色を思い浮かべ空想の翼を広げて聴くと、女声の吐く息で表現される微風や、最後の女声のffの疾風など、風にも種類が多くあることが想像される。
第2部の混声合唱のための「うた」ではすっかり趣きを変えて、アマチュア合唱団でも楽しく歌える耳に心地よい感傷的なメロディーのものが多い。この中には2年半前のブザンソン優勝記念コンサートでもいくつか歌ったものもあり、東混にとっては十八番と言っても良いものばかりで、リラックスして聴けた。
この「うた」は武満徹が作・編曲した12曲からなる合唱曲だがすべて無伴奏で、混声8部合唱によって歌われる。 映画やラジオ、舞台など、異なる機会のために作られた曲を作曲者自身が合唱曲に編曲したものでこの中の11曲が東混の委嘱による作品である。
「小さな部屋で」は川路明作詞で高度経済成長期の前の、貧しくとも心は豊かだった当時を思わせるような佳作。「島へ」(井沢満作詞)はめぐりあいを求めて島を探すという素直に希望を持たせるものである。「さようなら」(秋山邦晴作詞)は曲集の中では最も古い時期にオリジナルが作られたもので、これが武満徹の作品だということは黙って聴いているだけでは分からないような親しみやすい曲想である。
武満自身が作詞した作品群の中で「小さな空」は特に人気のあるものだが、静かな曲想で音の波が寄せては引いていくようで心地よいだけでなく「青空みたら 綿のような雲が 悲しみをのせて 飛んでいった」という武満自身による作詞も味わい深い。「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」も敢えてカタカナ表記にしているのが面白い。「翼」の歌詞にも「風よ 雲よ 陽光よ」とあるように武満の作品には自然現象をテーマにしたものが数多くあるが、それは御代田の山荘で作曲したことと深い関係があるのだろう。夢見るような憧れが良く歌い込まれていた。「○と△の歌」の詞で人を食ったような「地球ハマルイゼ 林檎ハアカイゼ 砂漠ハヒロイゼ」と歌い出すところが滑稽である。
谷川俊太郎作詞の作品も数が多い。「うたうだけ」はスイング感覚で酒場で歌われるような曲調、「恋のかくれんぼ」ではその詩の面白さも充分に味わえる歌唱であった。「見えないこども」は聴いただけではこれが武満の作品とは信じられないようなピアノバーで弾かれるような大衆性が感じられるのに詞の含蓄は深くその解釈は一筋縄では捉えきれない。「死んだ男の残したもの」はそれまでの第二部のどの曲とも質的に異なる最も深刻な詞であり曲想も切なく、心に迫る歌唱力は東混の実力を示して余りあるものだった。アンコールで歌われた林光編曲の同作品はピアノ伴奏(Pf:ヤマカズ)ということもあり、ダイナミックな盛り上がりには恐ろしさすら感じさせる合唱であった。
演奏順を変更されて当日最後に歌われたのが「さくら」である。これはかつて武満が中国を訪問した際に歓迎のために歌われたことがきっかけで編曲されたものだが、日本古来の素朴で豊かなうたが聴こえてくると懐かしさがこみあげてくるような、東混団員の共感がよく感じられる歌声であった。
童心に帰って自然の中を飛び回るような山田和樹の指揮棒に乗せられて、東混団員の歌声は思うがままに自由に飛翔し、客席からの拍手とアンコールの大きな声はホールの親密な空間も相俟って、舞台と客席との一体感を象徴していた。あっぱれ、「ヤマカズ+東混」に拍手!
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
東京混声合唱団特別演奏会
武満徹の全合唱曲 山田和樹指揮による東京混声合唱団特別演奏会
日時:2012年11月17日(土) 15:00 開演
出演:山田和樹(指揮) 東京混声合唱団