オペラ・声楽界の最前線で活躍するメゾ・ソプラノ林美智子がプロデュース。さらに日本語台詞台本、構成、演出、チラシの題字・イラスト、そしてもちろん出演と、二刀流どころではないマルチウェイでエネルギーと愛情を注いだプロダクション。
2016年の《コジ・ファン・トゥッテ》を皮切りに、2018年《フィガロの結婚》、2022年《ドン・ジョヴァンニ》と上演を重ねてきた「ダ・ポンテ三部作」が、今年5~7月に3ヶ月連続で一挙再演される。
【聴き手・文:宮本 明(音楽ライター)】
――オペラ・ファンがまず驚いたのは、重唱だけで構成するという、自由で大胆な発想のダイジェスト版上演だったこと。しばしばオペラの"華"とされる「アリア」をすべてカットした。
林:どうやったらもっと多くの人にオペラを身近に楽しんでいただけるのかな、と考えたのが始まりです。フルで上演するとどうしても3時間以上かかるオペラを抜粋して短くしたい。でもクォリティは保ちつつ、一番重要な要素は押さえて......。といったら、モーツァルトの場合はやっぱり重唱。アンサンブルの美しさなんですね。もちろんアリアも、キャラクターの心中を深く表すシーンですけれども、なんといってもモーツァルトは、重唱で物語が進んでいくので、それだけでも十分説得力があります。
――たしかに。アリアは物語の時間を止めて、登場人物の心の内を吐露するシーンだ。どんなに情熱的に愛を叫んでも、深い悲しみを切々と訴えても、基本的には独白。ストーリーが進むのは重唱のほう。実際にこの公演を見た印象としても、ドラマ的な説明不足は感じない。逆に、日本語台詞で補うことでストーリーは圧倒的にわかりやすくなる。美しい重唱が満載なので音楽的な不満もない。
しかしここでお行儀よく「美しい重唱をたっぷりお聴かせしますわ」で終わらないのが、舞台人たる林美智子の本領。芸達者な歌手たちの本気の演技に、客席は爆笑に包まれる。
林:あははは。そこは人ありきです。このメンバーが集まったら面白くなっちゃうんですよ。一を言ったら十をわかってもらえる魔法のようなメンバー。人柄も音楽的なことも、共通のひらめきや感性があるので、一緒に笑って通じ合えます。
基本的な台本は私が書いていますが、稽古中にメンバーのみんなが楽しみながらどんどん膨らませてくれるので安心してお任せしていますし、最初からそうなることを想像して、いつもニヤニヤしながら書いています。
――そんな息の合った仲間たちには、「林美智子一座」とでも呼べそうなチーム感がある。
前述のように、このシリーズは2016年の《コジ・ファン・トゥッテ》から始まったのだが、その《コジ》自体の起源はさらにずっとさかのぼる。始めの一歩は17年前(2006年)。「二期会週間 in サントリーホール」で初演された「林美智子の90分の『コジ』!」だった。
その時から不変のオリジナル・キャストが、今回も《コジ》に出演する面々。澤畑恵美(ソプラノ)、黒田博(バリトン)、望月哲也(テノール)、鵜木絵里(ソプラノ)、池田直樹(バス・バリトン)、そしてこのシリーズでは"陰の実力者"の異名が付いているピアノの河原忠之。
林:このシリーズ開始までに《コジ》は2度再演させていただいたのですが、それも含めてずっと同じメンバーなんです。17年間、一人も欠けることなく一緒に歌えることの重みをすごく感じています。
しかも全員が17年分パワーアップしている。声も役のキャラクターも、熟して、幅が広くなって。今回も、さらにちょっと大人な感じの《コジ》になると思いますよ。
そもそもオペラは、やっぱり今の私たちぐらいの年齢になってからのほうが、物語の背景や登場人物の心情を心から楽しめる、しっくり来ると思うんですよね。
――《ドン・ジョヴァンニ》《フィガロの結婚》には新メンバーも加わって、「一座」の仲間の輪はさらに広がっている。芝居だけでなく、歌の面でも実力派揃いなのはいうまでもないが、この上演の場合、重唱のアンサンブル能力も重要なポイントだ。
林:アンサンブル能力というか、聴き合う耳を持っていて、思いやる心を分かち合える人。そこから生まれるハーモニーが、ただの和声ではなくて、私たちにも計り知れないプラスアルファの響きになるんですね。それを重視して、『この人なら!』と思える方々に集まっていただきました。みなさん、音楽愛、モーツァルト愛がハンパなくて。そこが大きいですよね。
――そのアンサンブル重視の方向性は、第一生命ホールの大きさや響きともぴたりとフィットした。このホールで歌う重唱は、大劇場のオペラ上演でのそれとはまったく違う感覚だという。
林:音響、演技の距離感、お客様の近さ。みんなには『丸裸の感じだよ』って言ってます(笑)。"粗(あら)"があると全部聴こえてしまう。いっさい隠せないからお互い責任持って歌いましょうねと。その緊張感はすごいです。
おかげさまで、お客様が心地よいと感じてくださる、ハッと思ってくださるということは、私たち全員が一致して創造しているもの、醸し出している何かがあるのかなと思います。
――室内楽ホールでの上演だが、「演奏会形式」というイメージとはかなり違う。歌手たちは(ときどきピアニストも?)しっかりと演技する。ただし衣裳はコンサート仕様。舞台装置は椅子だけ。
林:もちろんオペラというのは総合芸術ですし、私はゼッフィレッリを観て育った世代なので、オペラといえばあの豪華絢爛な舞台のイメージがあります。
でも、椅子さえあればなんとかなると思ったんです。舞台の転換や、照明だけでは立体的にならないところも、椅子さえあれば!と。初演の時、池田直樹さんにクルマを出していただいて、二人でアンティーク屋さんに買いに行ったんですよ。
それでオペラが成り立つのは、もう役が入ってらっしゃる方々ばかりだから。新しいメンバーも含めて、この方々だからこそ、舞台装置や衣裳がなくても、キャラクターとして存在していただけます。
――舞台装置がないぶん、大きな字幕を出せるというナイス・アイディアも生まれた。通常の劇場用字幕装置ではなく、舞台正面に堂々と吊り下げられたスクリーン。その大型画面の利を生かして、演者の頭上に、いわばマンガの吹き出しのように日本語訳が映し出される。
林:あの字幕がわかりやすいから行ってみようというお客さんもいらっしゃいます。オペラを観に行って、つい字幕のほうに見入ってしまうという経験は誰しもあると思うのですが、この方式なら、舞台を見ながら自然に字幕が目に飛び込んできます。さらに、何行も表示できるので、登場人物が同時に別々の言葉を歌う重唱にはベスト。監修の三ヶ尻正先生のマジックです。練習にも立ち合って、各自の立ち位置や歌い出しのタイミングに合わせるように工夫してくださっています。
――彼女の劇場好きは筋金入りだ。
林:中学生の頃から、蜷川幸雄さんのシェイクスピアが大好きで何度も観に行っていました。その経験は生きていると思います。役者さんが客席の中から登場したりするのを、この一体感は何だろうとドキドキワクワクしながら観ていたんですね。野田秀樹さんもそうですが、演劇の世界は、客席を巻き込むことがよくありますよね。開演前から出演者がロビーを歩き回ったりしていたりすると、ホールに入った途端に作品の世界に引き込まれるような気がします。
このシリーズでも、コロナ禍の前は客席で歌ったり演技したりという演出を取り入れていました。それは歌い手の生の声を身近で体験してもらうという、このシリーズの醍醐味のひとつでもあったので、今はまだ難しいかもしれませんが、いつかぜひ復活させたいなと思っています。
――「ダ・ポンテ三部作」は喜劇オペラだが、そこに共通するのは慈悲と救いだと語る。
林:モーツァルトの時代も私たちの現代も、人々が求めていること、訴えているのは、いま生きているということだと思います。この3作もその強さを持っている。そしてモーツァルトのすべてのオペラがそうだと思うのですけど、最後に必ず救いがある。許すということ。人生の大きな課題ですよね。いま、コロナ禍や戦争のこともあって、社会が殺伐としていますよね。だからこそ余計に、それができるのとできないのとでは、まったく異なった結果になると思うのです。モーツァルトには慈悲と救いがあります。
三部作の上演を重ねてきて、私たちの中でもその思いが深くなっています。その目に見えない重さや大きさが音や声に乗って、お客様に届くものも、前回とはまた違うものになるのではないかと思います。すでにご覧いただいた方にはその違いを感じていただけるはずです。そしてもちろん、初めての方、オペラを初めてご覧になるという方が、一瞬でも楽しかった幸せだったと思っていただけること、今度はオペラ全編を観てみたいと感じていただけることが、私たちの喜びです。続けさせていただけることに本当に感謝しています。