〈クァルテット・ウィークエンド2010-2011“Festa”〉
ミロ・クァルテット 第2日
同じ街に住み、週6日も顔を会わせ、同じ場所で働く。
そのような生活を何年も続けてきたクァルテットだからこそ出来る音楽なのだろうと思う。
もう5月も終わろうという日曜日の昼下がり、日毎の寒暖の差が激しい東京で、太平洋を越えてきた4本の弦楽器の調子は大丈夫だろうか。
そんな事を考えながら潮香る運河を超え、トリトンスクエアに到着。あちらこちらとエスカレーターを登りながらホールに近づき、最後のエスカレーターに身を委ねている時、後ろには息を切らせた女性が同行者に対して「建物の中でホールに着くまでで迷っちゃって...」と説明をしていた。
この女性の心境に関しては小生もとても理解できる。小生も第一生命ホールに初めて来たときは、建物内でホールへ辿り着く事が出来ずに些か慌てた記憶がある。小生は決して「ホール」や「小屋」と呼ばれる施設に不慣れではないつもりではいるが、第一生命ホールのような「複合施設の中のホール」というのは、スムーズにたどり着けない事が多い。
ここ以外にも関東近郊だけでも複合施設の中のホールは各所にあり、そこに辿り着くまでに一度は迷った事がある人は決して少なくないのではないかと思う。
勿論、それぞれの施設で親切な館内案内は設置されており、それに従えば迷わず辿り着けるはず。しかし現実には、今日の女性のような人もいるわけで、そこには何らかの要因がある。その要因の考察を始めると文字数が跳ね上がってしまうのでそんな無益な事はしないが、複合施設のホールというのは定期的に「ホールへの行き方が分かりづらかった」という意見を寄せられるのだろうなぁ、という感慨にふけった。
そのような感慨から我に返り、入口でプログラムをもらい、客席で演奏を楽しむ。演奏の内容への考察は、小生の様な一介の素人リスナーの論ずるところではなく、専門家の方々にお任せするし、朝日新聞の夕刊にも取り上げられているが、稚拙ながら感じた事を一つ記させてもらえば、手で触る事が出来てしまうのではないかと思うほどの質量感のあるサウンドで会場が満たされていた。楽器から発せられた空気の振動が一つのまとまりとなって、「音波」という単純な現象を超えて人の鼓膜だけでなく、肌全体にぶつかってくる。そのような感覚を覚える演奏だった。同じ街に住み、週6日も顔を会わせ、同じ場所で働く。そのような生活を何年も続けてきたクァルテットだからこそ出来る音楽なのだろうと思う。
今日のプログラムは『アメリカへの旅』という、各時代のアメリカに住まう作曲家が、その時代のアメリカや自身の心情を描写した曲を集めたプログラム。19世紀、20世紀、21世紀から1曲ずつ選曲するという、一見すると挑戦的ともとれるプログラム。4日間にわたるフェスタの中でも、異彩を放っているように感じる演目だが、クァルテットでこのような機会に恵まれるのはやはりTANだなと思う。4人の弦楽器奏者が『クァルテット』であることのアイデンティティーともいえるベートーヴェンのプログラムから始まり、各日でテーマを持って選曲し、そのクァルテットの芸術性を様々な角度から捉えることのできる4日間。この日もミロにとっては欠くことの出来ない大切な一側面であり、ミロにしか出来ない音楽だったのだろう。
昨年のカルミナの時にも感じたことだが、世界のリーディング・クァルテットとも呼べる団体で、このように多岐にわたるプログラムを楽しませてもらえた事に本当に感謝したいと思う。素晴らしい演奏を聴かせてくれたミロ・クァルテットと、オーガナイザーに心から感謝したい。
公演に関する情報
クァルテット・ウィークエンド2010-2011“Festa”〉
ミロ・クァルテット
《アメリカへの旅》
日時: 2010年5月30日(日)14:00開演
出演者:ミロ・クァルテット
〔ダニエル・チン/山本サンディー智子(ヴァイオリン) ジョン・ラジェス(ヴィオラ)
ジョシュア・ジンデル(チェロ)〕
演奏曲:
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番ヘ長調op.96 B.179 「アメリカ」
ケヴィン・プッツ:クレド(2007)(日本初演)
ジョージ・クラム:ブラック・エンジェルズ(1970)