クァルテット・エクセルシオ
ラボ・エクセルシオ 20世紀・日本と世界Ⅰ
立春過ぎの牡丹雪が白梅の花弁が如く夜空に咲き乱れた水曜日、悴む手に息を吹きかけながら第一生命ホールの玄関を潜った。外套を預けホール二階の自席に着き辺りを睥睨してみると、先ず女性が割りと多いな、と感じた。又、弦楽四重奏の愛好家も去る事ながら、クァルテット・エクセルシオを『エク』の愛称で呼ぶご贔屓も随分いる様で、その人々が客席越しで互いに挨拶を交わす光景はほのぼとして微笑ましい。全体の客層としては勤めを終えた会社員はいるものの、地元の主婦や児童、学生は少なかった様だ。天候や時期を考えたら仕方の無い事なのかも知れない。
演奏が始まると、一曲目の武満徹《ランドスケープ~弦楽四重奏のための》における聴衆の反応は平常の範疇であったが、クセナキスの《テトラ》ではそれが顕著になった様に思う。或る人は凄まじい音のぶつかり合いに驚愕し、又或る人は耳を覆う様な仕草をし......その一方では現出された響きに圧倒され且つ大感動している......。芸術的判断は個々人に帰結する処が大きい故、一概にどれが正しいとは云えないまでも、今宵集まった聴衆の多くには少々刺激が強かった感も否めない。
後半になると作品が示す特異性よりも、音楽的に、特にクセナキスの《テトラス》を何とか理解し体内へ消化しようという人々の姿勢が会場内に程好い緊張感を生み、その糸が最後の武満《アントゥル=タン~オーボエと弦楽四重奏のための》で解れていくのが表情、或いは雰囲気にも現れていた様だ。然し、全ての演奏が終了し熱心に拍手をしている側では、この演奏をどう評価して良いか解らず、唯呆気にとられている顔もまま伺えた。これも作品が内包する生命力を各々が感得した証左なのだろうと思う。
私個人としては特にクセナキスの演奏に感銘を受けた。それは余もすると強引な"音"の羅列になり兼ねない難解な曲を、クァルテット・エクセルシオが迸る情熱と周到な分析を駆使し"音楽"として聴かせたからである。又、オーボエの古部賢一氏との共演は"管と弦"と云う二つの分野を武満の作品が醸し出す玄妙な世界の中で見事に融合させ、交響的な演奏体としての安定感を齎していた。
この演奏会においてエクセルシオの豊かな表現力と音楽的な構成力、それを可能にした技術力が遺憾無く発揮された処に、私は心からの敬意を払わずにはいられない。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#64〉
クァルテット・エクセルシオ
ラボ・エクセルシオ 20世紀・日本と世界Ⅰ
日時: 2008年2月6日(水)19:15開演
出演者:クァルテット・エクセルシオ
[西野ゆか/山田百子(Vn)、吉田有紀子(Va)、大友肇(Vc)]
古部賢一(Ob)
演奏曲:
武満徹:ランドスケープ1(1960)
クセナキス:テトラ(1990)
武満徹:ア・ウェイ ア・ローン(1981)
アントゥル=タン(オーボエと弦楽四重奏のための)(1986)
クセナキス:テトラス(1983)