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トリトン・アーツ・ネットワーク

第一生命ホールを拠点として、音楽活動を通じて地域社会に貢献するNPO法人です。
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アーティスト・インタビュー

レオンコロ弦楽四重奏団 ヨナタン・昌貴・シュヴァルツ(ヴァイオリン) 近衞麻由(ヴィオラ) 

ボルドー国際弦楽四重奏コンクール2022優勝記念ツアー

 コロナ後に、メイジャーな室内楽大会としては最初に再開された2021年6月のパオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールで最高位、翌22年4月のロンドン・ウィグモアホール国際弦楽四重奏コンクールで優勝を飾る。続く7月にはボルドー国際弦楽四重奏コンクールでも優勝し、コロナ後の主要大会で全て最高位を獲得するという空前の成果を収めるレオンコロ弦楽四重奏団。23年シーズンからは、複数コンクールの優勝ツアーで欧州内あちこちで演奏を重ねる大活躍ぶりだ。(2023年4月20日 ドイツ・ホンブルクにて)
[聞き手/文:渡辺和(音楽ジャーナリスト)]

20240427Leonkoro_(C)PeterAdamik_IMG_3559.jpeg◆若きプロとしての日々

若いプロの団体として仕事を始めてみて、いかがですか。

近衞:コンクールのプレッシャーはないですけど、明後日のコンサートはボルドーで優勝したからなんで、プレッシャーはまだあったりします。2021年にホントに小さい会場に行ったら、元アルバン・ベルクQのエルベンさんがお客さんにいらしたりして、どこに行ってもレベルをキープしなければいけない(笑)。そういう経験を重ね、どのコンサートも同じと思うようになりました。今日これからリハーサルするときも、一昨日上手くいかなかったところは...って、全部同じレベルで弾けるように。今しんどいのは、もう5週間くらい家にいないこと。ずっと鉄道で動いていて、明日は鉄道ストなので大変です。


そんな過酷なスケジュールでも、まだ弦楽四重奏をやりたいですか。

ヨナタン:オーケストラは凄く好きです。安定した収入があるし、ひとつの街に住んで旅をしなくて良い。素晴らしい指揮者やソリストと演奏出来るなど、利点は沢山あります。ですが、自分で決められることはなにもない。ベルリンフィルだってそうです。それに人間関係は自分で選べません。みんなと一緒にやっていかねばならない。私たちは、今度の日曜日にウィグモアホールで演奏します。あのステージの上に立ち、多くの人々の前で、自分を表現出来る。素晴らしいことです。オーケストラで弾いていたら、自分を表現することは出来るでしょうが、人は自分を判ってくれない。だから、僕のエゴなのかもしれませんね。

近衞:四分の1のエゴだけど(笑)。

ヨナタン:自分らのキャリアを組織し、作るのがとても楽しいんです。毎年が違っています。沢山の発展もありますし、友情も作っていける。素晴らしい音楽家やソリストとコラボすることもできる。今年は70とか80回も演奏してますから、世界を少し見ることができます。少し、ですけどね(笑)。でも、クァルテットを続けるには、最初には多くの情熱と多くの時間を捧げる必要があります。

近衞:親戚、おじいさんおばあさんの前でオフィシャルなコンサートを弾いたことがないので、日本は凄く楽しみです。


20240427Leonkoro_(C)PeterAdamik_IMG_3557.jpeg◆コロナ禍の日々にオンラインで練習を続けました

なぜ弦楽四重奏をやろうということになったんでしょう。

近衞:メリット、デメリットはありますけど、レパートリーですよ(笑)。他の3人はユースオーケストラとかをいっぱいやってて、弦楽四重奏ができるとは夢にも思ってなかった。弦楽四重奏のキャリアは始めから求めてできるものではないですから、ここまで来たならやっちゃう(笑)。


ベルリンで学生として始めたんですね。

ヨナタン:ベルリン芸術大学は室内楽が必須で、ヴァイオリンの先生が元アルテミスQのハイメ・ミュラー先生でした。アルテミスQのレッスンを受けるなら弦楽四重奏で行きたい、というのが始まりです。

近衞:最初、私は第2ヴァイオリンでした。2019年にふたつマスタークラスを受け、小さな室内楽コンクールがあってそこで優勝し、もしかして続けられるかな、と思いました。そのあとにミュラー先生のマスタークラスを受けに行ったら、たまたま元アルバン・ベルクQのピヒラー先生がいらして、気に入って下さり、教えたいからマドリッドに来ないか、と声をかけていただきました。そこで、続けようと本気になった。


そうこうするうち、世界がコロナになってしまった。

近衞:そうです。そこでリハーサルの時間ができました。
ピヒラー先生が何でも良いからヴィデオを送ってくれと言ってくださり、レコーディングし、送って、オンラインでレッスン受けて、という風に普通に続けていました。


若い人達はどうするんだろう、ってみんな心配してましたよ。

近衞:クァルテットによってでしょうけど、私たちは6月くらいから4人が集まってやってました。誰も室内楽はできないから、学校も大きな部屋も空いてたし、ホールも空いていて、利用出来ました。今と比べたら便利だったです(笑)。


そういう状況でのレッスンとは、こっちで弾いて、映像とか音とかを送って、ミュラーさんとかピヒラーさんが「そのテンポはどういうこと」とかコメントする、というものですか。

近衞:ええ。「そのイントネーション!」とか。普通に、先生が聴きながらレッスンしました。そういうオンラインのレッスンが役に立ちましたね。ピヒラー先生がいなければ、どこまで続けていられたか。あると思ったコンクールがキャンセルになってモティヴェーションも低下したりしましたけど、その間のレッスンで「これはやらなければいけない」というのがあったおかげで、リハーサルが続けられました。20240427Leonkoro_(C)NikolajLund_3.jpg

 2020年春節からイースター頃に始まったコロナ禍で、世界は「人と人との接触禁止」という異常事態に陥った。演奏者間での秒単位の精密なコンタクトが不可欠な室内楽にとって、演奏禁止令にも等しい。実質的に丸一年以上続いたそんな冬の時期に、ベルリンで黙々と練習に励む若きヴァイオリンとチェロの兄弟がいた。幼年期に愛読した兄弟が難関に立ち向かう絵本"Lionheart"を「レオンコロ」とエスペラント語読みし、獅子の心で音楽に邁進する若者達は、コロナ明けの欧州室内楽界の超新星となる。そしていよいよ、兄弟のパーティが仲間の故郷日本へとやってくる。