SQWシリーズ > 2007.2
クァルテット・エクセルシオ
ラボ・エクセルシオ 世界めぐりvol.6イギリス編
以前彼らの演奏を聴いたのが北欧プログラムだったので、あれからどれ程ごぶさたしてしまったのだろうか。ちょうど日程も良かったので本当に久しぶりに彼らと音の旅に出る事が出来ました。
まずは今年生誕150周年を迎えるエルガーのホ短調クァルテットから。第1楽章アレグロモデラートでは哀愁のきわみという印象が強く、展開部での特に第1ヴァイオリンが、今にも弦が切れてしまいそうなくらい気合を入れた弾きぶりを見せており、緩急のつけ方が巧みでした。第2楽章ポコアンダンテではイングランドの民謡を思わせる旋律が大変印象的でした。のどかな田園風景を思わせるチェロパートや、展開部でのヴァイオリンのピチカートには後拍にも余韻を漂わせておりましたが、かと言って展開部では過度の興奮を控え変拍子の如く次々と動きをもって弾き進められていくのが印象に残りました。第3楽章アレグロモルトではエルガーの重厚な交響曲を思い起こさせる熱狂的なアンサンブルでした。中間部でのたたみかける場面や「ンタタータタン♪」というリズム支配とたてノリが引き立っておりましたが、そう、エクセルシオの魅力はこのタテのすっきりした刻みにあると思われます。途中テンポの激しい動きにも動ずる事なく良い意味でマイペースの演奏を繰り広げていました。
続くブリテンのクァルテット第1番二長調では、生きていた時代をそれとなく映し込んでいるように思えました。第1楽章アンダンテ~アレグロヴィヴァーチェでは、繊細な祈りを思わせる冒頭部分と激しい音楽とが対峙するインパクトの強い構成で、エクセルシオの面々も真っ向から取り組んでいました。チェロのピチカート余韻を抑え気味に弾く部分は何故かひちりきのような響きを思い起こさせ、琴とひちりきのような趣の調べが第1ヴァイオリン、チェロ、第2ヴァイオリンと順に投げ交わされる旋律部分はまるでグレツキの古風な舞曲モチーフを思い起こさせてくれ、ちょうど音という色をステージ空間に塗り重ねていくように聴きました。第2楽章アレグレットでは作曲者ブリテン特有の張り詰めた行進曲のような印象で、スメタナのモルダウの舞踊テーマを思わせる歯切れ良い刻みを聴かせていましたが、これは不安に怯えるブリテン自身の心そのものを正にあぶり出さんとしていたのかもしれません。第3楽章アンダンテでの瞑想曲部分ではグレツキの悲歌のシンフォニーを思い起こさせる第1ヴァイオリンソロとチェロの息の長さ、3声の歌を聴きながらチェロもまた淡々と自ら歌っていく展開が聴きもので、やはりグレツキの古風な組曲3曲目のように、一面を厚い音でどどっと塗り込めていくような場面では聴き入りました。イギリスでグレツキのシンフォニーがジャンルの境を越えてヒットチャート上位に挙げられたという事もふと思い出したのですが、もしかすると聴き手側の心の奥深くに何か響き合うものがあったのかもしれません。さて、フィナーレのモルトヴィヴァーチェではたたみかけていくようなチェロの激しさと音階を繰り返す所には何故かキラールを思い浮かべました・・・・もっともキラールはある意味で"突き抜けて行ってしまっている"のですが。ブリテンの描き出したアンサンブルにも葛藤という二文字が浮かび上がっているように感じられました。
休憩後はディーリアスのクァルテット第2番「去り行くツバメ」が披露されました。第1楽章では文字通り動きを十分に伴いつつ、穏やかな叙情に溢れて伸びやかな演奏に安らぎを覚えました。続く第2楽章では「素早くかつ明るく」という表記にならい田園舞曲風のメロディラインをヴァイオリンからチェロへののどかなリレーと他3部の寄り添うような様子が鮮やかに描き出し、全体を通じて元気はつらつとしたスケルツォを楽しませてもらいました。第3楽章「去り行くツバメ」ではディーリアス特有のノスタルジーが心を打ち、黄昏の歌を否応なしに思い起こさせるような切なさに満ちていました。フォーレの曲の如く不思議な心地良さを持つ和音進行がまた魅力的でした。フィナーレは再び「きわめて素早く」陽気な田園舞曲が繰り広げられました。こういう曲では冒頭が歯切れ良く入らないと美しくないのですが、第1ヴァイオリンによる陽気な歌い口がグングンとアンサンブルを積極的に引っ張っていました。
無事音の世界巡りから戻った面々はホッとした様子でアンコールに「愛の挨拶」を披露してくれましたが、ヴィオラが旋律を弾くのは初めて聴きました。何とも暖かさに満ちたひとときでした。さて、今度はどういう旅路を見せてくれるのでしょうか?
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈クァルテット・ウェンズデイ#53〉
クァルテット・エクセルシオ
ラボ・エクセルシオ 世界めぐりvol.6イギリス編
日時: 2007年1月31日(水)19:15開演
出演者:クァルテット・エクセルシオ
[西野ゆか/山田百子(Vn)、吉田有紀子(Va)、大友肇(Vc)]
演奏曲:
ブリテン:弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品25
エルガー:弦楽四重奏曲作品83
ディーリアス:弦楽四重奏曲「去りゆくツバメ」
クァルテット・エクセルシオ
ラボ・エクセルシオ 世界めぐりvol.6イギリス編
今宵は『ラボ・エクセルシオ、世界めぐりvol6、イギリス編』と銘打った、一寸風変わりとも云える演奏会である。エク(クァルテット・エクセルシオの略称にして愛称)は六年前よりこのシリーズを始め、南半球、北欧、アジア、ロシア、イタリアと世界を音楽で旅をして来た。そして今夜、イギリスを最後の訪問地として、一先ず草鞋を脱ぐ事となる。
拍手に迎えられ、4人の旅人達が姿を表した。その装いは黒が基調だが、清楚な中にも華やかさが漂う。
暫しの沈黙を経て、一曲目、エルガーのホ短調カルテットが少しく影を含む音色で始まった。私には事ある毎に「昔は良かった」と、繰り返す、老人の回顧談を聞いている様で、曲自体は余り関心しなかった。然し、その老人臭を節度あるポルタメントや、美しいピアニッシモ、ボーイングの工夫等で中和させようとする、エクの発意には好感が持てた。
二曲目はブリテン28歳の作品、第一カルテット二長調である。先程のエルガーとは打って変わって、冒頭から『生きるべきか、死ぬべきか』と云うウェルテルの様な、若さ故の葛藤が極度の不協音となって聴いている私の耳を襲う。一楽章での「狂気」、二楽章での「不安」、三楽章の「祈り」......。世界大戦最中という時代背景の違いはあるものの、この曲の中に込められた「内なる声」を、当時の作曲者と略同じ世代であるエクが共感を以って掬そうとしているのが犇々と伝わってくる。特に終楽章での目に見える様なアーティキュレーションは、それを感じさせるには余りあった。
休憩を挟み、最後のデーリアス「去りゆくツバメ」が演奏された。凡ての楽章に付けられた表題、また、全篇に渡る幻想的な雰囲気からもこの曲が後期ロマン派の影響を受けている事が解る。同じくイギリス・ロマン派の詩人ワーズワースを彷彿とさせる自然描写が、エクの持つ『音のパレット』から生み出される驚く程多様な色相を用いて彩られて行く。特にたゆとう様な4楽では
唯、音楽に身を委ねていれば良い、と云う幸福感を久々に満喫出来た。
会場内が、未だ何とも云えない暖かさに包まれている侭、アンコールの、エルガー『愛の挨拶』が演奏された。普段、Vnに依る名旋律として広く膾炙した曲だが、今日はVaの独奏という椿らしい版で、最後迄聴衆を楽しませて呉れた。
内田百鬼園が著した『阿房列車』という名紀行文がある。その中で新潟へ訪れた際、百鬼園先生が地元の若い新聞記者から今回の目的は、と質問を受けた一齣に
「阿房列車の取材ですか」
知らないかと思ったら、そんな事を云い出した。
「それは家に帰って、机の前に坐ってからの事で、今ここでこうして君のお相手をしている事とは丸で関係はない」
「でもそうなのでしょう」
「そうでないと云う必要もないし、そうだと考える筋もない。要するにそんなことは、後の話さ」
「そうですか」
「帰ってからの事だよ」
(内田百鬼園著『阿呆列車』、内田百鬼園集成1、2002年10月発行、筑摩書房、pp307~308)
今夜、凡てのプログラムを聴き終わり、この一節が頭を過った。つまり、エクは単にイギリス音楽の観察文的な演奏ではなく、そのから受けた印象や感取を、エク独自の語法で
イギリスを音楽的に再現したのだと感じたからだ。若しかしたら、これこそVcの大友さんがプログラム内のエッセーで繰り返し述べていた『新しいなにかを作り出す』と云うことなのかな、と思い乍。
公演に関する情報
第一生命ホール5周年記念コンサート
〈クァルテット・ウェンズデイ#53〉
クァルテット・エクセルシオ
ラボ・エクセルシオ 世界めぐりvol.6イギリス編
日時: 2007年1月31日(水)19:15開演
出演者:クァルテット・エクセルシオ
[西野ゆか/山田百子(Vn)、吉田有紀子(Va)、大友肇(Vc)]
演奏曲:
ブリテン:弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品25
エルガー:弦楽四重奏曲作品83
ディーリアス:弦楽四重奏曲「去りゆくツバメ」