2013.8.9
東混 八月のまつり
東京混声合唱団特別定期演奏会34
演奏会の冒頭、指揮とピアノを演奏する寺嶋陸也が一人でステージ下手に登場し、
本公演の意義について述べた。
今年は林光が亡くなって二年目になること、「水ヲ下サイ」作曲後55周年になること。そして福島の原発、沖縄の米軍基地、更にはシリアやパレスティナでの紛争に言及し、広島・長崎に原爆が投下されて今年で68年経っても世の中は決して平和的になっておらずむしろ、「冬の時代」で混迷は深まっていることを憂えている、と。
袖に下がってから暫し深い静寂の後、女性が白、男性が黒白の衣装で登場し、原爆小景が歌われた。
■林光:原爆小景(原民喜・詩)
水ヲ下サイ (1958)/日ノ暮レチカク (1971)/夜 (1971)/永遠のみどり (2001)
武満徹が出したCDに≪自選≫映画音楽集というものがある。その中に原爆を扱った映画のために作曲された「黒い雨」という弦楽合奏曲が収められている。たまたま、去年演奏する機会があったが、ピアニッシモから始まり急激なクレシェンドで大きくなる音のうねりが不気味な光景を暗示し、切々としたメロディーで訴えかける被ばくの恐怖が印象的だった。
林光の「水ヲ下サイ」が作曲された1958年は、ビキニ環礁水爆実験による第五福竜丸他の日本漁船の被曝から4年後である。
「水ヲ下サイ
・・・
天ガ割ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
・・・」
その歌詞に歌われる不安をかき立てるような不協和音に、原爆を投下された市民の悲痛な叫びが凝縮されている。
1971年に作曲された『夜』には
「コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨張シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
・・・」
この歌詞を聴く時、どうしても「黒い雨」の映画の中の、被爆の街を逃げまどう主人公の情景が浮かんで来てしまった。それにしてもアカペラでこれだけ複雑かつ深い内容のある「原爆小景」をまさに自家薬籠中のものとして音楽的に歌う東混に脱帽である。
■寺嶋陸也:混声合唱とピアノのための「ふるさとの風に」(2005/2010)(竹内浩三・詩)
1.東京 2.雲 3.三ツ星さん 4.夜汽車の中で 5.海 6.白い雲 7.骨のうたう
この作詞をした竹内浩三はわずか23歳で戦争によりフィリピンで亡くなったという。しかし中学時代から詩作に励み入営中も日記に書き残された詩には、青年のみずみずしい感情を歌われたものが多い。その生涯は近年、NHKでも「シリーズ青春が終わった日 日本が見えない~戦時下の詩と夢・竹内浩三~」として紹介されている。
■歌の小箱
もう直き春になるだろう(1938)(城 左門・詩/山田夏精一雄・曲/林 光・編)
春よ来い(1923)(相馬御風・詩/弘田龍太郎・曲/寺嶋陸也・編)
挿し木をする/水辺を去る(中野重治・詩/林 光・曲/寺嶋陸也・編)
カワセミ/これから百年(鈴木敏史・詩/寺嶋陸也・曲)
会津磐梯山(福島民謡/寺嶋陸也・曲)
音の虹(林 光:詩・曲)
山田夏精が『もう直き春になるだろう』を作曲したのは1938年だった。既に日本は中国との戦争を始めて7年経ち、米国との開戦までわずか3年に迫っている時期でありとてもタイトルの響きにあるような楽観的な時局でなかったのは明らかである。しかしその冬の時代に作られた愛しい人の誕生日を待つ歌詞を、林光は生前、とても愛していたという。
次に歌われた四曲は、忘れられてしまった古き良き昔の日本を思い起こさせる詩や病弱ながら生きていることに感謝するような詩に寄り添うような寺嶋陸也のおしゃれな編曲が印象的であった。
そして最後は林光の詩・曲による「音の虹」でコンサートが締めくくられた。
<アンコール>
星めぐりのうた(宮沢賢治:詞・曲/林光・編)
私は寺嶋陸也を認識したのは古澤巌のアンサンブルピアニストとしてであって、それから四半世紀近く経ち、彼の内面も随分と人間的に深まったように思われる。林光が亡くなって既に2回目を迎えるが、もう彼が引継がないとこのエポックメイキングな名コンサートシリーズ、「原爆小景」を歌い継ぐ、「八月のまつり」は続いていけないのではとすら思うほど、思いの詰まった精神的エネルギーの満々と注がれた演奏会であった。
公演に関する情報
〈TAN's Amici Concert〉
東混 八月のまつり 指揮寺嶋陸也
-東京混声合唱団特別定期演奏会No.34
日時:2013年8月9日(金) 19:00開演
出演:寺嶋陸也(指揮/ピアノ) 東京混声合唱団 立川直也(照明)