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アーティスト・インタビュー

過去の演奏会より

ウェールズ弦楽四重奏団~ベートーヴェン・チクルスV&VI

クァルテット・ウィークエンド2021-2022

 2019年にスタートしたウェールズ弦楽四重奏団の「ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲チクルス」(全6回)がいよいよ最終章を迎える。多忙なメンバー4人にオンラインで取材した──。
 10月下旬のウィークデーの夜9時。Web会議アプリに最初にアクセスしてくれたのは第2ヴァイオリンの三原久遠だ。スタッフらから「博士」と呼ばれているように、室内楽について広い見識を持つ彼はウェールズの選曲担当。他のメンバーが少し遅れるそうなので、まずは博士に、公演のプログラムについて話し始めてもらった。

[聞き手・文/宮本明(音楽ライター)]

渾身の全曲チクルスがいよいよフィナーレへ
作曲家、演奏者それぞれの歴史を刻む最終章

 2022年2月のチクルスVと3月のチクルスVIで完結する全曲演奏。各回のプログラムは可能なかぎり初期・中期・後期それぞれの作品からピックアップされ、どれか1公演だけに来場した聴衆も、各年代をバランスよく聴けるように配慮されている。その究極が2月の「チクルスV」だ。最初と最後と真ん中。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全16曲中、最初に出版されたのがOp.18の6曲。その中でも最も早く作曲された第3番と、ベートーヴェンが生涯に完成した最後の作品でもある第16番Op.135。そして中期の《ラズモフスキー》のセットから、その真ん中に置かれた第8番Op.59-2というプログラム。

三原:第3番は、Op.18の6曲の中でかなり特別で、最初に書かれたのに一番ぶっ飛んでる(笑)。たとえば第1ヴァイオリンが弾き始める出だしは、始まった瞬間は調性感が薄く、浮遊している感じです。Op.18の他の5曲は最初に調性をバンっと出して始まる。当時はそれが当たり前で、第3番は、古典派の時代にしてはロマンティックな始まりだと思います。
 第4楽章も面白くて、楽譜を見ないで聴くと、何拍子なのかわからないと思います(編注:8分の6拍子だが、メロディの拍節感と小節の拍頭がずれている)。ハイドンなどにもありますけど、そのレベルを超えていて、当時としてはかなり斬新ですよね。
 一方、最後に書かれた第16番もちょっと不思議な曲です。第12~15番の後期の弦楽四重奏曲で極致に到達したベートーヴェンが、第16番ではシンプルな方向に戻っている。最後にもう一度、過去の自分を振り返ったようなところがありますね。
 たとえばフレーズの長さ。第12~15番はフレーズの長さもフレキシブルで、どこに向かうかわからない瞬間があります。だけど最後の第16番は2小節のかたまりだったり本当にとてもシンプルで、3小節とか5小節の奇数のフレーズというのもかなり少ないんです。
 第3番は斬新、第16番はシンプル。そんなふうに、この2曲が向いている方向には、意外と共通点があると思います。

第16番といえば、終楽章の動機に添えられた「ムス・エス・ザイン Muss es sein?(かくあらねばならないか?)」「エス・ムス・ザイン Es muss sein!(かくあらねばならぬ!)」という言葉が有名だ。哲学的なモットーとも、借金にまつわるたわいないお遊びとも言われる謎の言葉。奏者たちはどんなメッセージとして受け取っているのだろう。

三原:僕たちは、演奏があまりファンタジーにならないほうがいいと思っているんですね。ベートーヴェンが何かを伝えたかったのは間違いないですけど、それがどんな意味なのかは、お客様自身が感じること。僕たちはソ-ミ♭-ラ♭という動機に「Muss es sein?」というドイツ語の発音を乗せることだけを考えています。

器楽で、言葉の発音を乗せる?

三原:たとえば言葉で「Muss」を発音するとき、まずくちびるを閉じて、それが離れるときに[m]の音になるわけですよね。それを僕たちは右手に託します。発音の立ち上がりのスピードをボウイングの速さで表現するイメージ。「sein」なら、[z]と引きずる摩擦音の、重い感じをイメージする。
 これはバーゼルに留学して、ライナー・シュミット先生(ハーゲン・クァルテット)に教えていただいたことです。授業では実際に、シューマンの《詩人の恋》を歌わされました。「♪Im wunderschönen~」を君たちはどう弾くかと。もちろん弦楽四重奏曲に言葉がついているわけではないんだけれども、音楽が言葉と密接に関わっているのは間違いありません。発音のイメージを共有することで、結果的にクァルテットとしてきちんとした音楽になるのではないかと思っています。それは徹底的に叩き込まれました。
 たとえばベートーヴェンがsfz(スフォルツァンド)で厳しい和音を書いていたとしたら、それはたぶん「schön(beautiful)」とか「wunderbar(wonderful)」ではなく、「nein!(no!)」や「nicht(not)」ですよね。そのイメージを共有できていれば、あとは丁寧に発音を揃えていけばいいわけです。
 
第8番(ラズモフスキー第2番)Op.59-2は、2008年のミュンヘンARD国際音楽コンクールでも弾いた、ウェールズと関わりの深い作品。彼らはこのコンクールで、東京クヮルテット優勝以来、日本人グループとして38年ぶりの入賞となる第3位に輝いた(三原は加入前)。

三原:この曲は出だしがとても面白くて。和音を2つ鳴らしたあと、主題を転調して繰り返すのですが、その転調が、専門用語でいうと「ナポリの六の和音」の関係になっているんです。これがモーツァルトだったら、一曲の中に1箇所か2箇所、一番おいしいところに取っておくような、しゃれたハーモニーなんですね。ところがベートーヴェンはそれを開始わずか5秒後ぐらいで出しちゃう(笑)。「え? あなた、それを最初に出すの?」っていう。
 僕はそこに、「自分にとって過去のものなど、なんら特別ではない。もっと新しいことをやりたいんだ」というベートーヴェンの意思表示を感じるんです。もちろんベートーヴェンはどの作品も未来志向だと思いますけど、この曲はそこがとても魅力的です。

「コンクールでは、その最初の和音2つでずれたんですよ(苦笑)」
ここでそう話しながら加わってくれたのは第1ヴァイオリンの﨑谷直人。ミュンヘン・コンクールのファイナル・ラウンドの話だ。

﨑谷:あの2音は今でも覚えています。もちろん、勉強不足もあったと思いますけれども、連戦の疲れみたいなのが出たんですよね。セミ・ファイナルまでで出し切ったというか。
三原:僕はラジオで聴いてました。ずれたなんていうのは全然覚えてないけど。みんな若かったのもあると思うけど、本当にすごい、いい意味でピリピリするようなテンションでした。鮮明に覚えてますね。
﨑谷:若かった! 21歳の頃ですからね。いま若いクァルテットが何組も出てきてるけど、それよりさらに若かったので。

そんなウェールズ弦楽四重奏団の足跡と、より密接にリンクしているのが、3月の「チクルスVI」のプログラムだ。2010年にバーゼルに留学してライナー・シュミットのもとで最初に学んだ第2番Op.18-2。帰国後、一から自分たちの力で取り組んだ第5番Op.18-5。そしてクァルテット結成時に初めて取り組んだ第12番Op.127で全曲演奏を結ぶ。

﨑谷:ライナー先生のところに行って、僕らのスタイルはミュンヘンのコンクールの頃までとガラッと変わったのですが、その最初。今の僕らの基盤を練習した曲だなと思います。第2番は最初にやりなさいと言われたよね? あとはシューマンの第3番か。
三原:そうだね。細かくやったのはその2曲かな。
﨑谷:バーゼルではとにかくクァルテットだけをずっと弾いていました。2年半ぐらい、毎日何時間もやってたよね。
三原:週に1日だけ休みを作ったけど、あとは毎日5時間ぐらいは弾いてた。
﨑谷:今みたいに無駄話するでもなく(笑)。大変だったけど楽しかった。当時の演奏って今聴き返してもすごくクォリティが高くて、自分でもびっくりします。集中して、いつでもどんな状態で弾いても崩れないぐらいまで練習していたので。その代わり、何か起きた時に対応する力は今のほうがあるかもしれないですね。それぞれいろんな経験を積んで、より面白いというか、チャレンジングなことができていると思います。柔らかくやれるようになった。そこは留学中とは違うかな。
 第5番ってどのタイミングでやったんだっけ?
三原:たしか南大沢で......。
﨑谷:ああ!やったねえ。
三原:﨑谷君が第5番を弾いてみたいって言ったんだと思う。日本に帰ってきて最初に自分たちで一から取り組んだ作品じゃないかな。
﨑谷:そうかもね。初期作品って、僕の中ではそんなにフットワークの軽い作品じゃない。意外と嫌なんだよね。
三原:とくにファーストはね。
﨑谷:弾くのも難しいし、アンサンブルの感覚とか、けっこう難しいよね。

20210115VerusQuartet_IMG_7485.JPG「遅くなりました。横溝です」
「冨岡です」
ヴィオラの横溝耕一とチェロの富岡廉太郎が登場。4人が揃ったので、話題をウェールズ弦楽四重奏団の原点である第12番Op.127へ。2006年にクァルテットを結成したとき、まさに最初に音を出したのがこの作品だった。

﨑谷:僕はそれまでソロの勉強ばかりしてたので、クァルテット自体、初めて弾いたんじゃないかな。桐朋のソリスト・ディプロマに入って、富山で東京クヮルテットのマスタークラスを受けるために同じ世代の仲間で組んだのが最初なんですけど、僕はベートーヴェンの弦楽四重奏曲が何曲あるかさえ知らないようなスタートでした。4人で弾くんだから、音も少ないだろうと思っていたら、とんでもない。弾くこと自体がソナタの比ではないぐらい難しくて驚きました。それが最初の印象です。今思うと、第12番を最初にやるなんてとんでもない話なんですけど(笑)。
三原:普通はベートーヴェンの後期からは始めないですね。
横溝:選曲のきっかけは、僕が参加した奥志賀高原の室内楽セミナーなんです。廉太郎もいて。そこで同世代の仲間たちが第12番を弾いてたんですね。ええと、チェロの辻本玲ちゃんと......。
富岡:ヴァイオリンは千葉清加ちゃんと守屋剛志君。ヴィオラは朝吹園子ちゃんじゃない?
横溝:そうそう。その演奏が衝撃的だったんですよ。演奏がというか、正直言って僕は曲さえ知らなかったので、最初のマエストーソを聴いて、なんだ!この曲!?と。ベートーヴェンの時代の人が驚いたであろう感覚に近い感動を得ることができたんだと思います
富岡:あの演奏は良かったよ。感動的だったよね。
横溝:もちろん演奏も素晴らしかった。それで、この曲をやりたい!と思ったんです。難しさなんて何も知らずに、単純に。その直後にこういうメンバーで集まることになって、まずはこれをという感じでスタートしたんですね。クァルテットを知ってる人間だったら、ハイドンとかモーツァルトとか、ベートーヴェンだとしても初期の作品とか。もしくはロマン派のこてこてのものに取り組むんでしょうけど、僕はもうOp.127をやりたいと思っちゃってたので。
 やってみると、﨑谷も言ったように、こんなに難しいのかと。弾くのも難しいし、誰が何をやっているかを知れば知るほど難しい。最初にとんでもないものに手をつけちゃったなという感じはありました。取り組んですぐに、奥志賀で弾いてた辻本玲ちゃんにレッスンしてもらったりもしましたね。玲ちゃんが好きなコカコーラを謝礼代わりに(笑)。
富岡:メシ行ったよね。中華に。仙川のウェイウェイに。
横溝:そうか、それぐらいのことはしたか(笑)。VerusStringQuartet5_(c)SatoshiOono.jpg

難曲ではあったが、クァルテットという世界に、若い彼らなりの手ごたえを感じたベートーヴェン体験でもあった。

富岡:その当時、アンサンブルのことをまったく知らない僕らにとって、「相性」だけが重要だったんですね。自分たちはその相性がとてもいいと思いました。何も考えないで最初の和音を出したとき、すごくいい感じだったんです。「おおっ!合うね」みたいなことを言い合って(笑)。このメンバーとだったらクァルテットをやりたいと直感しました。
横溝:冗談でよく、「今のは東京を越えたね」とか言ってたよね(笑)。
富岡:そうそう。東京クヮルテットというのはきっと奇跡の相性なのだろう、それが100パーセントだと思ってたんですよ。アンサンブルの具体的な仕組みとか、どうやったら良いものになっていくのかも知らず。だから毎回、いかに自分たちの音が良いかを味わうためにリハーサルするような感じでした。
﨑谷:全部感覚でやってたよね。今はある程度言葉にできるようになったけど、当時は感覚だけなので、崩れるときはガクッと崩れたし、どうして崩れるのかもわからなかった。
横溝:廉ちゃんの言ってる最初の和音も、ジャーン!と思いっきり鳴らす引き出ししかなかった。
﨑谷:I度(トニック)なのにね(笑)。
横溝:それが自分たちの百点だと信じてやってたからね。ここでめめしい音を出してどうする!みたいな(笑)
富岡:今、﨑谷が「I度なのに」って言ったけど、俺はI度もV度もわかってなくて、全部ドミナントみたいな音で弾きたかった。
横溝:とにかく破壊力みたいなね。僕が初めて奥志賀で聞いた玲ちゃんたちのOp.127の感動を再現するための手段でしかなかったんですね。こうだ!と衝撃を与えるすべしか持っていなかった。
富岡:そうか。奥志賀の感動を俺たちなりに目指したのが、あのやり方だったんだ! あははは(笑)。
﨑谷:最初の頃は自分たちなりにやるしかなかったよね。今の若い子はみんなクァルテットをやるけど、あの頃って、たぶん今ほどじゃなかった。僕らがいて、宮田大ちゃんたちがジュピター・カルテット・ジャパンをやってて......。
富岡:今は当時と比べたら大流行だよね。20201114VerusQuartet_IMG_6617.JPG

現代屈指の室内楽奏者である彼らは、同時にオーケストラの主要メンバーとしても活躍し、オケマンとしてベートーヴェンの交響曲も頻繁に弾いている。4人はベートーヴェンの弦楽四重奏曲をどんな作品群と感じているのだろうか。

横溝:たとえば齋藤秀雄先生が、自分が死んだときにこれを弾いてくれと言った中にベートーヴェンの後期の作品の緩徐楽章が入っていたそうです。小澤征爾さんもそう言ってるけど、指揮者がシンフォニーじゃなくて弦楽四重奏曲を選ぶところに、なかなか深いものがあると思っています。僕もクァルテット弾きとして、自分の棺にはボロボロになった弦楽四重奏曲のスコアを......。あんまり開かないから僕のはボロボロにならないかもしれないけど(笑)、三原ならボロボロになったベートーヴェンのスコアを棺に納めるんだろうなと思います。そういう意味では、ちょっと聖書的なイメージです。
富岡:弦楽四重奏曲よりシンフォニーのほうが好きだなと感じる作曲家もいるんですけど、ベートーヴェンの場合、僕はまったくその逆ですね。(よく至宝とされる)後期作品があるからということではなく、初期の作品も含めて、すべてそうですね。
三原:アイディア的に、弦楽四重奏曲のほうが明らかに面白い。最初にお話しした第3番の第4楽章とかもそうだし、より革新性が強い感じがしますね。
﨑谷:あと緩徐楽章は弦楽四重奏曲のほうが圧倒的に美しいです。去年録音した自分たちの《ハープ》(第10番)の演奏がすごく好きで、めっちゃ聴いてるんですけど、あんなきれいな緩徐楽章はシンフォニーにはないよね。
富岡:こないだも﨑谷と、なんか《ハープ》って、ちょっとシューマンみたいだねって話してて。発想が新しいよね。
﨑谷:特殊だよね。後期の作品は、それまでのシンフォニーの枠にはまったく収まらない。だからベートーヴェンの弦楽四重奏曲だけで一晩でやると、味わったことがないぐらいハードだし。
富岡:たとえば第13番の終楽章を大フーガで弾いたあとに新しいフィナーレを弾きたいなとか思うんだけど、無理だもんね。疲れてて。
﨑谷:そんな体力ないな。だから今回のチクルスも、申し訳ないけどアンコールなしでやらせてもらっています。プログラミング的にも、三原がストーリーだったり調性だったり、毎回構成を考えてくれてるから、ヘタにアンコール入れるとそれも崩れちゃうし。
第13番の新しいフィナーレは、いつかやることあるのかな?
三原:僕は、ベートーヴェンが最初に書いたオリジナルだからという理由よりも、第5楽章のカヴァティーナとの関係を考えるんだけど。やっぱり最後に大フーガが来たほうが、カヴァティーナも映えると思うんだよね。逆に言うと、新しいフィナーレにすると、カヴァティーナの比重がちょっと重くなりすぎる気がする。
﨑谷:メインがカヴァティーナのほうに行っちゃうっていうこと?
三原:そう。作品全体を見たときに、カヴァティーナが有名だからっていうのもあるけど、やっぱりそっちに重心がかかりすぎちゃう。
﨑谷:なるほど。それでいくと、僕は弦楽四重奏曲を全曲やって、そういう感覚はめちゃくちゃ変わりましたよ。広く全体を見る感覚。たとえばベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第2楽章とか、たぶんクァルテットを経験してなかったら、もう神の領域の音楽みたいに、何かものすごいことを訴えているかのように弾こうとしたと思うんです。でもそれが、いい意味で、ただの一部分になった。曲のある部分にだけスペシャルな何かを持ってくることがすごく減りましたね。
富岡:昔、小林道夫先生と共演してモーツァルトを演奏したとき「あんまり作曲家を尊敬しすぎないで」っておっしゃったよね。尊敬しすぎることで一番大事なことが見えなくなるって。ちょっとわかるよね。
﨑谷:そうだね。やっとわかるようになった。あと、楽譜を都合よく読みなさいと言われたのも覚えてる。書いてある音や記号の一個一個の意味ではなく、もっと俯瞰して、そのパッセージを自分がどう捉えるのか、もっと楽に考えろと言われた。すごくわかるようになりましたね。

最後に、完走目前の今、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲とあらためて向き合った、現在の心境を尋ねた。

﨑谷:並行して進めている全曲録音を聴き直すと、僕は録り直したいところだらけですね。録り終わってから思いついたアイディアがあるし、次に弾くときにみんなに言ってみようかなということがたくさんあります。
三原:新しいレパートリーもあったし、ベートーヴェン全曲をやること自体がやはり大変なことでしたが、でも、ベートーヴェンをやるのだったら、また全曲をやりたいなと思います。ちょっと間を空けてから(笑)。
横溝:幸いにして全員が違うオーケストラにいて、素晴らしい指揮者やソリストから受けるインスピレーションを持ち寄ることができるのがわれわれの強みでもあるので、そういう新しい発見、新しいアイディアを持ち寄って、今後も定期的に取り組んでいきたいし、取り組んで行かなければいけない作曲家です。なにより、僕が最初にOp.127で感じた感動を味わってくれる人が、聴衆の中にもきっといると思うので。ここからがまた次のステップへのスタートだと捉えています。
富岡:お客さんが、僕らの演奏に対してもですが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲自体にすごく興味を持って聴いてくださっている空気をいつも感じて、それが自分のやりがいにもなりました。
全曲チクルスは、今の時点の自分たちが全力を尽くして取り組んだものとして、ものすごく達成感はあります。でも意外と「しばらくベートーヴェンは弾きたくない」とは思わないものなんですね。﨑谷も言ってましたけど、録音の数ヶ月後の編集の時点でさえ、「あ、こうじゃないやり方もあったな」というのが、たぶん4人ともあるので、そういう意味では、やり切ったというのはたぶんずっと来ないと思うんです。ずっと弾いていたい作曲家です。