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トリトン・アーツ・ネットワーク

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アーティスト・インタビュー

小菅優

小菅優の「ベートーヴェン詣」2018
小菅優&石坂団十郎
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ全曲演奏会 (全2回)

ベートーヴェンのピアノつき作品全曲演奏のプロジェクト「ベートーヴェン詣(もうで)」を行っているピアニスト小菅優さん。今年2回に分けてピアノとチェロのための作品を共演するのは、日本とドイツにルーツを持つ石坂団十郎さん。6月に第1回公演を終え、音楽雑誌など各方面から絶賛を浴びました。12月の第2回公演を前に、小菅優さんにお話を伺いました。

小菅優&石坂団十郎 ベートーヴェン:チェロ・ソナタ全曲演奏会

小菅さんが取り組まれているベートーヴェンの全ピアノ付き作品を取り上げる「ベートーヴェン詣」も3年目ですね。

2016年にピアノ・トリオ(三重奏)を、去年は管楽器とのクィンテット(五重奏)に取り組みました。まずは作品1のトリオから始めました。クィンテットは前からやりたかったのです。作品順にはできないですが、チェロ・ソナタの1番は作品5でベートーヴェンの若い頃の作品です。歌曲にも今年から少しずつ取り組んでいます。ピアノ曲もピアノ・ソナタは全曲演奏しましたが、まだまだたくさんの変奏曲などがありますしね。

チェロ・ソナタは石坂さんと演奏しようというのは最初からのアイデアですか?

これまで新ダヴィッド同盟(水戸芸術館の専属楽団で、小菅さん、石坂さんはメンバー)で共演はしていたのですが、石坂さんのベートーヴェンは素晴らしいものがありましたし、彼は知的でいろいろなことを知っているのですごく勉強になります。彼はリハーサルする過程でもいろいろアイデアがあって、説明の仕方も上手で想像力が豊かですね。ベートーヴェンが何を伝えたかったかや、その時代にどういう音楽を書いていたかも大事になってくるので、彼のようにドイツの言葉で語るような音楽をなさって、その上すぐれた知識を持っている方とベートーヴェンを一緒に演奏したいと思いました。

6月の公演では、お二人ともドイツで語るような音楽だとまさに思いました。リハーサルでもドイツ語で会話されていましたね。

ドイツ語のほうがスムーズに二人で会話ができるので・・・まぁ何語で話すかはあまり気にしていないのですが。

そのような延長上にお二人のデュオがあるように感じました。

私と同じ方向性だなと思うのは、演奏で"余計なことをしない"というか"自然さを大事にする"部分です。彼はたくさんのキャラクターを絶妙な表現で表せる人なんです。なので、自然とベートーヴェンが言いたかったことを、オーバーに表現しなくても、いろいろ削ぎ取って骨格が見える音楽ができる人です。

チェロ・ソナタの難しさは、ベートーヴェンの中でも直接的な音楽ではないところです。例えばピアノ・ソナタの「熱情」や「悲愴」のようにすごく強く訴えてくるわけではありません。12月に演奏するチェロ・ソナタ第5番は45歳頃の作品ですが、たくさんの葛藤があって耳が聴こえないだけでなく身体の病気も進んでいるし、弟が亡くなって甥の世話をしたりすごく大変な時に、それでもへこたれないというか、その中から生まれるやさしさのようなものが感じられます。ピアノの3大ソナタでは味わえない、ベートーヴェンの繊細な魅力がチェロ・ソナタの中に出てきていると思います。

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2018年6月15日公演より(c)大窪道治

6月に弾いたチェロ・ソナタ第4番もそうですが、次の世界へ行ってしまっているような語り方というか・・・。チェロ・ソナタ第1番の若々しいベートーヴェンはすごく挑戦的で、ハイドン先生に師事しながらも反抗している部分もあるのですが、でもごく自然な音楽で、休符や間の取り方などから静けさを大事にしていることが分かります。

ピアノ・ソナタ全曲に取り組んだ後の私にとって面白いのは、そこにチェロが加わるとどうなるのかということです。ピアノは何声でも一人で弾けますが、チェロ・ソナタはピアノがチェロのパートも一緒に弾いたとしても、チェロの音色がないと曲が成り立たないようにできている。「チェロの音域の」という点では、初期の作品はピアノの左手と同じベースラインを弾いている。そこからどんどん発展していってテノールの音域で歌うように、次はソプラノの高音を使ってのメロディーなど、その3音域全部を使ってチェロが歌うようになります。作品102くらいになると、そこにピアノがピアノ・ソナタと同じくらいの音量で加わっても、チェロが下にならないようなバランスが取れている。その発展が作品5(チェロ・ソナタ第1番、第2番)から作品69(チェロ・ソナタ第3番)、そして作品102(チェロ・ソナタ第4番、第5番)とだんだん見えてきます。

作品5の時はやはりピアノ中心な書き方をしていますが、12月公演で演奏する作品69(チェロ・ソナタ第3番)は本当にベートーヴェンが熟してきた時代です。また面白いのは、ピアノ・ソナタ作品57の「熱情」を書いたあとに、ベートーヴェンはしばらくソナタは書いておらず、弦楽四重奏曲や協奏曲があり、その後に書いたのがチェロ・ソナタの第3番です。そうやって色々なジャンルの作品を書いた後に、チェロの音色を活かしてもっともっとオーケストラ的な音作りができた作品です。最初、チェロのソロからはじまってピアノが加わって、自然でありながら本当に胸が騒ぐような、胸がいっぱいになるようなワクワクするような・・・とくに人気のある曲ですがやはりそこまでチェロの音色が開花して、ピアノと合わさってピアノの下を弾いたり上を弾いたり、そういったこと全部含めて素晴らしいソナタだなと思います。また、チェロ・ソナタの中でアダージョの楽章(緩徐楽章)は第3番しかありません。

意外ですね、チェロだから歌わせるのかなと思ったら

12月に演奏をするチェロ・ソナタ第3番、第5番にはバッハという背景があります。第5番の3楽章に出てくるフーガもそうですが、第3番の対位法とか。やはり彼の敬愛する音楽家からの影響や、チェロやピアノといった楽器のことは関係なく、自分の音楽の発展のために昔の作品をもう一度見直して新しい自分を見出して行こうという意欲が感じられる作品ですね。ベートーヴェン全体を考えてもチェロ・ソナタはすごく重要な作品です。

チェロ・ソナタが聴き手にとってもよかったなと思うのは、ベートーヴェンの初期と中期と後期と全然違う時期の彼の作品を聴けるというところかなと。作品100を超えたあたりからのベートーヴェンはやはり特別で別世界だと感じます。

後期の中でもだいぶ違うんですよね。作品90あたりのピアノ・トリオ第7番(大公トリオ)はすごく暖かいというか、こんなに暗い人生を送っていてもそれでも光を見出していたことが感じられる、私のすごく大好きな時代です。

モーツァルトも大好きですが、モーツァルトはすごくオペラ的ですべてがあまりに自然で、ベートーヴェンのほうが私にとっては土臭いというか人間臭いというか、すごくいろいろな失敗をして、楽譜とかもぐちゃぐちゃで不器用なところがすごく共感できます。歌曲の「遥かなる恋人に」とか、自分の求めているところに突っ走りながらも一歩引くような、なんだか遠く離れた人を想うだけでいいみたいな。すごく内面的で最後に断言して終わらないんですよね。オクターブで音が上がっていっているのに、デクレッシェンドが書いてあったり、そういうところは本当に弾くのは難しいのですが、チェロ・ソナタでもそういう部分があります。普通クレッシェンドして上がっていくようなところを引くというか・・・。

ベートーヴェンの音楽は急にピアノになったりフォルテになったり、迷いがあるのかなと感じることもありますね。

しつこく断言するときもあったり(笑)。でもやっぱり「ハッ」と思わされるような、力が抜けるような瞬間がありますね。いろんな演奏を聴いていても、どの方たちも全然違う演奏をするのにそれぞれ魅力的に聴こえる作品ですよね。

つい訴えかけたくなることもありますけど、余計なことをしないのがいいんですかね。

ベートーヴェンの中でもしつこく訴えかけないといけない時もたくさんありますが、引くところも大事だなと感じます。そういうことを考えていると、どこが余計でどこまで必要なのかを頭で解釈するというよりも、本当にベートーヴェンが書いたことをやればいいと思いますが、それをやるだけでも難しいですよね。すごく指示が細かいんです。その指示を読んでいくと、ただそれをやるだけでなくて、どうしてこう書いてあるんだろう?どうしてここは急にフォルテになるんだろう?と、弾いていても読んでいてもだんだんとわかってきます。他の作品と比べたりしても見えてきます。メロディーを語っていても、きれいにふにゃっとクレッシェンドしてデクレッシェンドするというのではなく、思いっきりバーッと突っ走って急にピアノにするというところに彼の訴えたいものがあるのだと思います。必ずしもきれいにまとめるのでなく、もちろん余計なことをしないということも大事ですが、汚い世の中を表したり、どこかに壁があってそこにぶつかるみたいなそういうのって大事だと思います。

ベートーヴェンの前にチェロ・ソナタを書いた作曲家はいませんね。チェロが通奏低音じゃなくてメロディー楽器としてピアノと本当に対等になったというのはベートーヴェンからですよね。

そうですね。それまで低音がここまでメロディーを歌うということが考えられなかった。ピアノ・トリオ第5番「ゴースト(幽霊)」はチェロ・ソナタ第3番の後に書かれましたが、ベートーヴェンのあの辺りのチェロの活躍って全然違うんですよね。それはやっぱりチェロ・ソナタ第3番があったからだと思います。

いまの私たちからみると、チェロは「歌う楽器」というイメージがありますけど、当時はきっとなかったでしょうね。今回、チェロ・ソナタ第3番の1楽章初稿版を弾いていただきますけど、楽譜を見た時に最初ピアノパートだったところがチェロパートに変わったりと、どちらに歌わせるか、どちらに何をさせるかということをすごく考えたことが分かりますね。
小菅さんは初稿版を演奏されるのは今回が初めてですか?

はい、初めてです。石坂さんの提案で。まだ弾いてみていませんが。 『ホルンとピアノのためのソナタ』もたぶんベートーヴェン自身がチェロのために編曲したであろうと言われていますが、楽譜がいろいろ修正されていて、こんなに大胆に変えられるのはベートーヴェンしかいないだろうとも言われています。また、『《魔笛》から「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲』はピアノにすごく面白い動きをさせるというか、6月公演でのヴァリエーションもそうでしたけど、やっぱりモーツァルトの影響ってすごいなと思います。

ヴァリエーションをどんどん作っていくのは得意だったんでしょうね。

天才的ですよね!短調にしてもクロマティックな和声の使い方だったり、ベートーヴェンならではのアイデアがたくさんあります。皮肉だったり、ロッシーニのオペラとわざと似たようなことを書いたりとか。

第一生命ホールの印象はいかがですか?

私たちはすごく弾きやすくて、ふわっと包まれるような感じで弾きやすいです。

6月の公演で石坂さんと初めてデュオで演奏されて、どんな印象を受けましたか?

そうですね、デュオになったからといって他の編成ととくに変わりはないのですが、すでに信頼関係があったので、気を遣わないで話し合えたり、ベートーヴェンに対する私たちの方向性がぴったり合うので、あまりぶつかることもなく、もっとぶつかったほうがいいんじゃないかと思うくらい(笑)。性格は全然違うので、団十郎さんはやさしいというか、私の方が攻撃的な性格なので・・・。

え~!そうは見えません(笑)。小菅さんもとてもやさしそうなイメージです。

じゃあそのイメージのままにしておいてください(笑)。
12月は曲が違うので、例えばチェロ・ソナタ第3番の2楽章は激しい面もあるので、また2人の前回とは違う面が出てくると思いますし、もう少しぶつかり合うような面も出てくると思います。

前回も本当にお二人は自然で、まさに室内楽だと感じました。ドイツ語で語るのと日本語で語るのとは違いますか?

全然違いますね。音楽に例えるからとかではなく、なんにしてもドイツ語はもっと直接言えます。日本語のほうがずっと柔らかいですね。言葉のニュアンスが日本語に訳すと難しいです。ベートーヴェンの手紙も原語で読むのと日本語に訳してあるものとちょっと違います。やっぱりベートーヴェンは熱い人で、「ハイリゲンシュタットの遺書」などは読んでいるとつらいですが、でもやっぱり自分の使命を追及する肯定的な姿勢は尊敬するところです。ハイリゲンシュタットに行った時に、皮肉にも本当に綺麗な場所だと感じました。ウィーンとはまた違って安心する場所でもあったのかなと思いました。

いろいろなお話を伺えて、12月の公演がますます楽しみになってきました。
最後に、ピアノを習っている子どもたちに向けて、練習のコツなどあれば

私が子どもの頃に楽しかったのは、曲の一つ一つに物語を付けたりすることです。最初にそうしたのはバルトークのミクロコスモスだったのですが、絵や物語を考えて、音楽から何が想像できるかなど、母とよくやっていましたね。練習は嫌になったことはないです。

小菅さんが子どもの頃ベートーヴェンの曲で好きになった曲は?

ピアノ・ソナタのOp.10-1でしょうか。ハ短調の曲ですが、子どもながらに何か感じるものがありました。子どもの頃に自分の中へ感情的に伝わってくるものが多かったのはベートーヴェンですね。もっと小さいころはフランスの印象派とか好きだったんですけど。あと、10歳の頃にベートーヴェンのピアノ・トリオ第1番を弾きました。当時、ドイツに行くきっかけになった交流コンサートで、同じ世代の子たちと演奏してすごく楽しかったんです。その時に、人といっしょに弾く室内楽の楽しさを感じたのが、今につながっています。
例えば、コンクールの課題曲だけに取り組むのではなくて、自分がどの曲を弾きたいかを考えて取り組むと楽しいと思います。この曲が好き! という気持ちがまずあってこそ芸術への情熱が生まれるのだと思います。

大人も子どもも生のコンサートにたくさん来て、自分の好きな曲を見つけて欲しいですね。

石坂団十郎さんのインタビューはこちら