ボロメーオ・ストリング・クァルテット
シェーンベルク・プロジェクトvol.2
報告:須藤久貴/大学院生/1階10列14番
投稿日:2005.11.8
ストラヴィンスキー≪弦楽四重奏のためのコンチェルティーノ≫はリズミカルな短い曲だ。これが「序曲」に当たる。≪プルチネルラ≫のフィナーレのように勢いが良くてとても親しみやすい。半音ずらして重音でスケールが最初と最後に弾かれたのが印象的だ。プログラムのインタビューで語ったヴィオラの元渕舞さんの言葉。「ストラヴィンスキーでは、不協和音を作る音をヴィオラが弾くことが多い。それを間違った音に聞こえないように、不協和させるのが大事な仕事です」。
シェーンベルク≪弦楽四重奏曲第2番嬰ヘ短調 op. 10≫はまるで「協奏曲」だ。なぜなら後半の第3・第4楽章で星川美保子さんのソプラノが加わったからである。3月にボロメーオは長大な≪第1番≫を演奏したが、今回の≪第2番≫も彼らは音楽を体全体で表現していた。第2楽章に元渕さんが虚空を仰ぐように体の重心を浮かせながら弾いていたり、第1ヴァイオリンのニコラス・キッチン氏の身ぶりがときおり激しくなったり、見ているだけでも飽きるということがまったくない。星川さんの加わった後半ではクァルテットとソプラノの息づかいがお互いにとても噛み合っていて、糸を紡ぐように丁寧に音楽を作り上げていた。初めに溜めて抑制しつつやがて、ふわあっとふくらませていく歌い方は、第1・第4楽章でのボロメーオの音の出し方に照応しているようで、理性的にコントロールされている。
しかし何と言っても素晴らしかったのは、第4楽章のソプラノの最後の2行の詩句――「私は聖なる焔からはじけるほんのひとすじの閃光/私は清らかな声にとどろくかすかなこだま」である。ゲオルゲの詩「没我」から採られた詩行において「私」は、別天地に遊ぶように山の裾を昇り、ついには水晶に輝く海のような雲へと到達して、天上にて遊泳する。そこで発せられたのがこの2行である。星川さんもボロメーオもここで明らかにスイッチが切り替わったかのように急速にクレッシェンドしながら、ひたすら雲の上へと突き進んでいく。星川さんは美しい叫び声を上げつつ、彼方へと消えていく。後奏として残るのは間奏にも聴かれたチェロの半音階的な低徊である。――静かに演奏が終わると僕たち聴衆は30秒以上にも及ぶ沈黙を守っていただろう。第1ヴァイオリンのキッチン氏が構えていた楽器を降ろすまで、静寂の中にゆっくりと余韻を感ずることができたのである。
休憩を挟んで演奏されたドヴォルザーク≪弦楽四重奏曲第13番ト長調 op. 106≫は、いわばメインの「交響曲」。しかめっ面はもうやめて明るく、ときに感傷的に聴かせてくれた。第2楽章でのキッチン氏の歌はのびのびとしていて気持ちよかった。去年6月に彼らがブラームスを弾いたときにも感じた、彼の朗々たる歌いっぷりだ。短調へ転じたときのイーサン・キムさんのチェロも、伴奏している音型の細部を逐一、丁寧に歌っているのが印象的だった。こうした細かいところへの気配りが、全体の印象を違ったものに見せてくれるものなのだ。
アンコールにはモーツァルト≪弦楽四重奏曲第14番ト長調≫のフィナーレ。フーガから始まるテーマは清らかに駆け抜けていった。最後に勢いよくフォルテで一度終わったふりして、短いピアノのコーダが付いているのはモーツァルトのご愛嬌。周りの人はみんな、終わりを待たずに拍手しそうになっていたのがおかしかった。
演奏会が終わってみれば何と、ストラヴィンスキーからモーツァルトまで時代は徐々にさかのぼって演奏されていることに気が付いた。まさによりどりみどりの秋の味覚を堪能した気分。たとえシェーンベルクに馴染めなかったとしてもドヴォルザークの親しみやすい旋律に心地よさを感じた人もいるだろうし、僕みたいにシェーンベルクが聴きたかったという人も相当数いただろう。この日のメニューは多彩で、いろんな人がいろんな音楽を楽しむことのできた演奏会であったと思う。
公演に関する情報
〈クァルテット・ウェンズデイ#43〉
ボロメーオ・ストリング・クァルテット
シェーンベルク・プロジェクトvol.2
日時: 2005年11月2日(水)19:15開演
出演者:ボロメーオ・ストリング・クァルテット
[ニコラス・キッチン/ウィリアム・フェドケンホイヤー(Vn)、
元渕舞(Va)、イーサン・キム(Vc)]
星川美保子(ソプラノ)
演奏曲:
ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のためのコンチェルティーノ
シェーンベルク:弦楽四重奏曲第2番嬰ヘ短調作品10
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第13番ト長調作品106