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アーティスト・インタビュー

小倉貴久子&川口成彦(フォルテピアノ)

雄大と行く 昼の音楽さんぽ 第27回
小倉貴久子&川口成彦 フォルテピアノ・デュオ

 《雄大と行く 昼の音楽さんぽ》、ご好評いただきまして今シーズンもバラエティ豊かにお届けしておりますが、10月8日の第27回は、フォルテピアノ(ピアノのご先祖にあたる楽器です)2台のデュオ・コンサート、という珍しくも愉しい機会となります。

 鍵盤に紡がれるモーツァルトの喜びと哀しみを、彼の聴いていた音色で‥‥。早世の天才作曲家・モーツァルトが残した2台クラヴィーア(=鍵盤楽器)のための傑作たちを、まさに彼の時代に使われていたフォルテピアノの演奏でお愉しみいただく、というリサイタルです。
 ――現代のグランド・ピアノとは構造も響きも音色も(びっくりするほど)異なるフォルテピアノ。その名手である小倉貴久子さん&川口成彦さん師弟の共演という、ありそうでなかった夢の演奏会なのです。

 2台だからこその驚くべき豊かさと、個性が2つ響き合うからこその奥ゆき深い明晰さと‥‥ウィーン系フォルテピアノの見事な復元楽器ならではの気品と軽やかさ、しなやかな歌心の交差と昇華が、瑞々しく新しい時間を広げます。
 モーツァルトが鍵盤2台に拓いた可能性はもちろん、彼に大きな影響を与えたヨハン・クリスティアン・バッハ(有名な大バッハの末子です)の作品も併せてお聴きいただき、愉しみの視界もより遙かに!
 ――コンサートを前に、小倉貴久子さんと川口成彦さんのおふたりに、お話を伺いました。

[聞き手/構成:山野雄大(音楽ライター)]

◆遂に実現!貴重なフォルテピアノ・デュオを、名手ふたりで

まずは、フォルテピアノの魅力を広く伝えてくださっている、素晴らしい演奏家のおふたり‥‥師弟でもあるおふたりを、このシリーズにお迎えできることを、感謝申し上げたいと思います。
 今回は、モーツァルト作品と、彼に影響を与えたヨハン・クリスティアン・バッハの作品という面白いプログラムですが、なにしろ〈フォルテピアノ・デュオ〉という演奏会そのものが、とても珍しいものですから、お客さまにも愉しい経験をしていただけると思います。

小倉: 川口君のことは、幼少期からとは言いませんが(笑)彼が藝大の2年のときに副科でフォルテピアノを取られたときから知っているので、どこか息子のような気持ちもありつつ(笑)、いま本当に素晴らしい演奏家になられましたね。
 私がやっていたコンサート・シリーズ《モーツァルトのクラヴィーアのある部屋》にも、ドゥセック[ドゥシーク]がゲスト作曲家の回に出ていただいて[第16回、2015年3月]。連弾の作品を演ったんですが、この時から、川口君と2台クラヴィーアの作品を演りたいなと思っていたんです。川口君が留学していたこともあったりと、うまくタイミングが合わなくて‥‥今回やっと実現するということで、これはもう、川口君とモーツァルトを演るのがぴったりなんじゃないかと思いました。

川口: ありがとうございます。小倉先生から、モーツァルトとヨハン・クリスティアン・バッハの作品というプログラムをご提案いただいて、僕も凄く嬉しくて。
 僕は大学2年生のとき、小倉先生の演奏によって、フォルテピアノの世界に魅了されたんですが、特に衝撃を受けたのが、小倉先生のモーツァルトだったんです。先生の演奏会に行くといつも幸せな気分になっていたんですが、特にモーツァルト演奏の大ファンで‥‥今回、モーツァルトの〈2台のフォルテピアノのためのソナタ〉という素晴らしい名作を弾かせていただけるというのも、本当に嬉しいです。

そもそも、フォルテピアノという楽器‥‥モダン・ピアノが誕生する前の鍵盤楽器を、生のコンサートで聴いたことがない、というかたも多くいらっしゃるのではないかと思います。
 バロック音楽の時代に愛されたチェンバロ[=弦をはじいて音を出す鍵盤楽器]に代わって、大バッハの時代に登場したのが、フォルテピアノ[=ハンマーで弦を叩いて音をだす鍵盤楽器]です。
 このフォルテピアノは、いろいろな製作家によって改良されながら、多くの作曲家によって、新たな作品世界をひらかれてゆきます。
 モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン‥‥と続いてゆくフォルテピアノ音楽の世界から、今回のデュオ・コンサートでは、モーツァルトの作品を中心にプログラムを組んでいただきました。

小倉: モーツァルトの2台ピアノのための作品はとても素晴らしいのですが、フォルテピアノを2台並べて演奏するコンサートというのは、そう開催できるものでもありません。今回、川口君と演奏させていただくということになって、「これは絶対モーツァルトがいい!」と思ったんです。

聴かれるかたも、ぜひにと期待するところです。

川口:僕自身も、連弾の経験はあるけれども、フォルテピアノ2台のコンサートは初めてじゃないかなぁ。友達と室内楽コンクールで弾いたことはあるんですが、お客様に聴いていただくコンサートでは初めて。フォルテピアノを2台並べた演奏というのは、とても贅沢な機会だと思っていますし、とても楽しみです。walter_dulcken_2.jpgのサムネイル画像


◆2つのフォルテピアノ、異なる個性の豊かさ

今回は、そんな貴重な機会のために、モーツァルト時代の楽器をもとに現代の製作家によって復元された、貴重なフォルテピアノが2台並ぶわけですが‥‥ちょっと楽器についてのお話を伺いたいと思います。

川口: 同時代のものですが2台まったく違う楽器なんです。小倉先生がお持ちのクリス・マーネが製作したヴァルター[1795年(復元楽器)]と、もう1台が太田垣至さんが製作したデュルケン[1795年(復元楽器)]というふたつ、それぞれ音色が違うんです。

ヴァルターのほうは、小倉さんの数々のCD‥‥たとえば『輪舞(ロンド)~モーツァルトの輝き~』[ALM Records]といった素敵なアルバムでも《トルコ行進曲つき》ソナタなど、ヴァルターによる演奏をお聴きいただくことができますが、デュルケンのほうはどのような印象でしょうか。

川口: デュルケンのほうは昨年、とある演奏会で初めてその楽器を使わせていただいたんですが、ブリリアントな印象を受けました。
 もちろん繊細な表現もできる一方で、華やかさもあったので、ピアニシモの部分とフォルティシモとの部分とで、表現の幅がかなりできるのではないかなと。先生のヴァルターもそうなんですが、同じく表現の幅が広いといっても、また全然違う種類のものです。
 これは、声楽家のかたが、ひとりひとり声が違うのと似ていて、「マリア・カラスいいよね‥‥」「バルトリもいいよね‥‥」といったそれぞれの歌手の魅力があるのと同じです。ピアニストにとっての楽器は、歌手の声帯と一緒。太田垣さんのデュルケンは、きらきらした印象がありました。

なるほど。分かりやすいたとえですね。

川口: ただ、これは2回目に弾いてみて印象が変わることもありますし、それもまた楽器の魅力です。また、弾く作品によっても、「あ、こんな表現も出来たのか!」と思うことが毎回あるので、今度も、前回使ったときとは違う発見がたくさんあるような気がしています。
 また、その楽器だけで完結するわけでなく、今回のようにもう1台別の楽器があるとき、そちらから影響を受けるかも知れないですから、それも楽しみですね。

小倉:  今回は、フォルテピアノ2台の置き場所を変えるわけではないので、曲によっては奏者が往き来して、私がデュルケンを弾くこともあるし、川口君が私のヴァルターを弾くこともあると思います。
 デュルケン[ドゥルケン]という製作家、シュタインという製作家の影響を受けていたんですけれども、今回の楽器は太田垣さんが割としっかり作られたので、シュタインよりもがっちりした重みもあるんですけれど‥‥といっても、フォルテピアノという楽器そのものが、現代のピアノに比べれば軽い音に聴こえるんじゃないかと思うんですが(笑)。
 フォルテピアノはホールの響きによってもずいぶん印象が違いますが、私の感覚では、今回の第一生命ホールは、すごくリッチな響きになるんじゃないかと思います。


◆第一生命ホールで聴く、フォルテピアノ・デュオの魅力OguraKikuko_1.jpg

小倉さんはこれまでも、第一生命ホールで幾度もフォルテピアノの演奏を重ねてこられましたね。

小倉: 私は第一生命ホールができてすぐの頃に《モーツァルトの世界》というコンサート・シリーズをさせていただきまして[2004年1・4・9月の全3回開催]、これは第1回がソロ、第2回が室内楽、第3回がコンチェルトというコンサートでした。
 その後も《モーツァルトのクラヴィーアのある部屋》シリーズでも、第一生命ホールで演奏させていただきました。

註釈を入れさせていただきますと、小倉貴久子さんの《モーツァルトのクラヴィーアのある部屋》というコンサート・シリーズは、2012年から2019年にかけて、近江楽堂で開催されました。
 毎回、モーツァルトと関わりのある作曲家などを〈ゲスト〉として迎える構成で、モーツァルトとゲスト作曲家によるクラヴィーア作品、室内楽、連弾、歌曲などが演奏されて大好評を博したシリーズです。
 全40回のうち、2015年12月の第20回記念公演、2017年11月の第30回記念公演、2019年12月のファイナル・第40回記念公演は〈クラヴィーアコンチェルト〉の回として第一生命ホールで開催されています。

小倉: 今回のコンサートでは、2台のフォルテピアノを向かい合わせに置いて弾くことになりますが、絶対的な音量という点でフォルテピアノは、現代のピアノに比べて大きいわけではありません。しかし、倍音が豊かな感じがあります。
 ダンパー[=弦の振動をとめることで音を止める装置]が弦をふわっとおさえていたり、弦の材質も、現代のピアノが鋼鉄弦で強い張力を持っているのに対して、フォルテピアノの弦は柔らかい鉄弦や低音域の真鍮弦が弱い張力で張られていますから、ちょっとギャラントな、雅な響きがするんです。
 それが2台並びますと、響きはクリアではあるんですが、2台が対決するような響きではなく、混ざってゆくような融合性も表現できるのではないかと思います。

川口: 昔のピアノの魅力は〈音色の多様性〉にあると思います。
 現代のピアノは、たとえばスタインウェイとベーゼンドルファーを並べたとして、もちろん楽器の違いはあるんですけれども、古い楽器に比較するならば、概して音色は似ています。
 ところが、昔の楽器は、楽器ごとの個性もすごく強いので、現代の2台ピアノと、フォルテピアノを2台並べたときの演奏とで比べると、さらにカラフルに感じられると思うんです。それが楽しみですね。


◆〈聴いていて幸せになる音楽〉――モーツァルトとJ.C.バッハ

今回は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)が遺した、2台のフォルテピアノのための作品を3曲。それに加えまして、彼にも影響を与えた先輩にして心の師ともいえる作曲家、ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735~1782/大バッハの末息子)の作品をお聴きいただきます。
 こうして、影響関係にあるふたりの作曲家をあわせて聴いていただけると、魅力もより際だって感じられると思いますから、とてもいい選曲をしていただいた‥‥と感じます。

小倉: 私も、《モーツァルトのクラヴィーアのある部屋》シリーズを通して、そこでモーツァルトと関連する作曲家をいろいろ取り上げました。全40回であまりダブらず、35人を取り上げたんです[詳しくは、小倉さんのウェブページ https://www.mdf-ks.com/mozart-concertseries/ に一覧あり]。
 そのなかで、ヨハン・クリスティアン・バッハは2回出てきたんですけれども[2012年7月の第3回、2017年11月の第30回]、彼はやはりモーツァルトに最も影響を与えている作曲家ですし、共通点として、ある意味で〈ユートピア的な精神〉といいますか、音楽を聴いてとても幸せになるという世界を持っているふたり‥‥とても希少なふたりだと思います。
 ですから、モーツァルトのムード、雰囲気にヨハン・クリスティアン・バッハはとても良く合っていると思います。歳の差はけっこうあるふたりですけれども‥‥ちゃんと計算していませんが、私と川口君の歳の差と同じくらいじゃないかなぁ。

川口: そうなんですか!?(笑)

小倉: クリスティアンとモーツァルトは意気投合して、クリスティアンは幼いモーツァルトを膝の上に乗せて連弾をしたりと、仲が良かったようですね。

モーツァルトの評伝などを読んでいると、ヨハン・クリスティアン・バッハとの出逢いや彼から受けた影響、というのは必ず出てくるわけですが、彼の作品を聴く機会というのは、モーツァルト好きのかたでも、意外になかなか無いのかも知れません。でも、素敵な音楽ですよね。

川口: 僕の場合、現代のピアノだけ演っていたら、ヨハン・クリスティアン・バッハの音楽に触れる機会は、もしかしたら無かったかも知れません。小倉先生のもとでフォルテピアノを始めて、古楽の世界に浸るようになってから、ヨハン・クリスティアン・バッハという作曲家がモーツァルトに影響を与えて、その彼の音楽もまた非常に魅力的で‥‥ということを知りました。
 僕がクリスティアンの曲で最初に知ったのは、作品5のソナタ集でした。こんなに美しい曲を書いた人がいたのか‥‥という喜びが凄くありました。今回、お客様のなかにももしかしたら、モーツァルトだけではなく、クリスティアン・バッハの音楽にも触れて、「こんな人がいたのか!」と、12年前の僕のように、感動してくれるかたもいらっしゃるのではないかな‥‥と思います。ですから、彼の曲がひとつ入っているのも、とてもいいプログラムだなと思っていますし、一人でも多くのかたに知っていただければいいなと思っています。


◆〈ロンドンのバッハ〉の愉しい魅力

ヨハン・クリスティアン・バッハは、音楽家をたくさん輩出したバッハ一族のなかでも、ちょっと他の兄弟とは違う活躍をしたひとですね。
 イタリアに留学したのちに、イギリスにわたってオペラなどで大活躍、定期公演を繰り広げるなど、とても広い人気を誇った人でもあります。
 〈ロンドンのバッハ〉と呼ばれたこの人の音楽は、有名なお父さんのヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽とは、かなり印象の異なるものですが、おふたりからご覧になって、クリスティアンの音楽の魅力、をどのようにお感じになりますか?

小倉: やはり〈人を楽しませる〉という魅力がとてもある作曲家だと思います。当時、ロンドンで作曲家のアーベルと一緒に定期演奏会シリーズをやったりしましたから、聴く人たちがどのように音楽を受容するか、ということをよく考えていました。
 〈耳を楽しませる〉ために、難しすぎることはしない。ただ、なかにはカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ[1714~1788/大バッハの次男。ハイドンら後進に影響を与えた]の作品からの影響もある作品もあって、いま私たちが聴くと「かっこいいな!」と思うような曲ですが、クリスティアンとしてはおそらく、そういったスタイルよりもむしろ、耳に心地良い作品をめざしたのではないでしょうか。

たしかに。

小倉: 〈耳に心地良い〉というと、芸術的なレベルが低いのでは‥‥と思われてしまうかも知れませんが、そうではなくて、〈耳に心地良い〉というのは、当時の音楽として凄く新しく、生命力に満ちているものだったと思います。
 そういう意味で、時代の空気感を掴んでいるとも言えますし、今でいう〈ポピュラー作曲家〉のようなところがある、それがクリスティアンの音楽の魅力なのではないかと思います。

川口: 僕も先生と同じ気持ちですね。
 あと、音楽史の本などをみると、クリスティアン・バッハは〈歌うアレグロ〉を発明した、ということを書かれることがあります。実際そうなのか、僕は根拠が分かりませんけれども、確かにそれはクリスティアン・バッハの魅力のひとつだと思うんです。
 速い楽章でも、カンタービレ[歌うように]がある。ただ速いだけではなく、旋律の美しさがある。それが、ある意味でモーツァルトにも引き継がれた部分なのかな、と僕は感じるんです。

今回のコンサートでも、そのあたりぜひ、聴き比べていただきたいポイントですね。

川口: 小倉先生もおっしゃったように、クリスティアンの音楽には新しい時代の〈聴きやすさ〉があって、そのひとつは〈メロディ〉なのかな、と思います。僕がクリスティアン・バッハの音楽に魅了された理由のひとつが、彼の生み出した旋律なんです。
 それに、シンプルだということも魅力のひとつですね。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの音楽はとても複雑ですけれども、クリスティアンのほうはシンプル。ふたりを比較すると、カール・フィリップのほうが〈深い〉とか言われますけれども、〈シンプル〉であることも美しさのひとつですよね。

バッハ一族のなかでも、クリスティアンだけはイタリア・オペラに憧れて、遂にはオペラ作曲家になってしまったりと、歌への衝動というのは他の兄弟よりも強かったのではないかと思いますし、そういう点でもモーツァルトと共鳴しあうところがあったのかも知れませんね。


◆2台でいっそう豪華絢爛!――〈2台のフォルテピアノのためのソナタ〉NaruhikoKawaguchi_1(C)FumitakaSaito (2).jpg

いっぽう、モーツァルトのほうですが、2台作品でなんといっても有名なのは、〈2台のフォルテピアノのためのソナタ ニ長調〉K448 ですね。

小倉: これはモーツァルトがアウエルンハンマー[ピアニスト、作曲家。オーストリアの実業家の令嬢ヨーゼファ・バルバラ・アウエルンハンマー。モーツァルトの弟子]のために書いた曲ですが、モーツァルトは、恋愛感情というわけではなく好きだったんじゃないですかね、彼女のことが。クラヴィーアもとても上手かったようですし、彼女もモーツァルト自身も楽しんで弾けるように書かれたソナタ‥‥という風に思います。

この曲はふたりの奏者・2台のフォルテピアノで演奏されますが、一方でモーツァルトは、1台の楽器にふたりの奏者が並ぶ〈連弾〉のための作品もあれこれ書いています。奏者の腕が4本あるのは同じですが、できることはそれぞれ全然違いますよね。

川口: 〈2台ピアノ〉のための音楽は、モーツァルト以前でしたらバッハにもありますし、盛んではあったと思うんですけれども、楽器を2台並べて弾く、ということにエンターテイメント的な要素があったのではないか、とも思います。

どこにでも楽器が2台ある、というわけでもなかったでしょうしね。

川口: 〈2台ピアノ〉の場合、たとえば交響曲の2台ピアノ編曲版などいろいろ試みられていましたが、それでもふとした時にエンターテイメントになりやすいんですよね。特に19世紀後期以降の2台ピアノ作品では、どうしてもショータイム的になる音楽が多い印象が僕にはあるんです。〈連弾〉作品のほうが深みがある、と感じることがあって‥‥。
 ところが、モーツァルトの〈2台ピアノ〉作品の場合、エンターテイメントの要素もある一方で、すごく深い。バッハの〈2台の鍵盤のためのコンチェルト〉もそうですけれど、ただただお客様にエキサイトしていただくだけのものにとどまらない芸術性がある。このソナタも、交響曲を思わせる性質もあって、2台の楽器でなければ描けない世界にもなっている。そうした作品の深さに、さすがモーツァルト‥‥凄いな、とつくづく思います。

モーツァルトの連弾作品と比べても、違うと。

川口: モーツァルトの連弾作品も素晴らしいですけれども、こちらはより一層豪華! という感じがします。‥‥連弾だと、どうしても低音と高音とでふたりが分かれて弾きますが、2台の場合、ふたりの奏者がそれぞれ全ての声部を支配できている上にありますから、低音も2倍になりますし、豪華絢爛になります。
 その豪華絢爛さをモーツァルトは、音響としても作品の効果としても、とても上手く使っているように感じます。


◆連弾の愉しみ/2台ピアノの喜び

小倉: モーツァルトは〈ヴァイオリン伴奏つきのクラヴィーア・ソナタ〉というジャンルで作曲しています。ヴァイオリンのパートはそれほど難しくなく、あんまり練習していない男性が、共演したい女性の鍵盤奏者と共演するにはとてもいい娯楽だったと思うんですが(笑)、こうしたジャンルのように、〈演奏する〉ということ自体が、出逢いであったり楽しみであったりした時代だったわけです。今のように娯楽が多い時代ではありませんから。
 音楽が〈人に聴かせる〉ことだけではなく、〈一緒に演奏することを楽しむ〉という点でも重要だった時代ですよね。こういう時代にあって、モーツァルトが〈連弾〉のための作品を書き出した頃も、ちょっとそういう〈一緒に演奏することを楽しむ〉の傾向があったように思います。隣あっているふたりの右手と左手が重なって‥‥みたいな楽しみをわざと作っているのではないかと(笑)。

川口: (笑)

小倉: ですから、現代のピアノのように、鍵盤の数がたくさんある楽器で連弾作品を弾くのと、当時の狭い楽器で弾くのとでは意味が違ってくるんです。相手と密着して弾かないと‥‥というフィジカルな面がある(笑)。モーツァルトは、それでも芸術的な作品を生み出しているのが凄いんですけれども。
 〈2台ピアノ〉作品の場合、残念ながら(笑)そういう面はない。モーツァルトはもしかして、アウエルンハンマーとじゃれ合いたくないから2台にしたのかも知れないけど(笑)、逆に、ジャズのアドリブを投げ合うような、対等に会話を交わしながら進めていける楽しみがあると思うんです。

今回のコンサートでは、ホールに座ってまさに左右ステレオとして2台の演奏を聴けるわけですから、対話の様子もリアルに体感できるわけですね。

小倉: さらに、川口君が言ってくれたように、〈2台ピアノ〉では、〈連弾〉のような役割分担がなくなりますから、作曲するにも、重なり合う音域を制約無く自由自在に使えるわけです。
 今回のコンサートも実は、1曲くらい連弾作品を入れようかなとも思ったんですけど、敢えて2台だけでプログラムを組んでみました。

〈連弾〉と〈2台ピアノ〉の違いが、ぐっと身近に感じられる面白い解説をありがとうございました(笑)。


◆モーツァルトの光と影――〈フーガ〉の魅力

いっぽうで、モーツァルトの作品をお好きというかたでも、今回のコンサートでお二人に演奏していただく〈2台のフォルテピアノのためのフーガ ハ短調〉K426 など、なかなか光があたりにくい作品は、初めてお聴きになるというかたも多いかも知れませんね。
 モーツァルトが故郷ザルツブルクに見切りをつけて、楽都ウィーンへ拠点を移した頃に、バッハやヘンデルの作品を勉強した影響もあって、あれこれフーガを書いていた‥‥という時期の曲だそうで。
 ほんとうに素晴らしい曲だと思いますし、モーツァルトの他の有名曲ともまた違う魅力があると感じますが‥‥。

小倉: モーツァルトの音楽はとても幸せを感じさせてくれますけれども、そのなかに時として〈デモーニッシュ〉な(悪魔的な、憑かれたような)瞬間があるからこそ、幸せがよりいっそう際立つということもあります。
 モーツァルトというのは、ただ根が明るい人というわけではないと思います。お父さんには深く感謝しながらも確執があったり‥‥さまざまな苦労をしている人ですよね。人間の暗い部分を、他の人よりもよく知っているのではないか‥‥という気がするくらいなんです。

わかります。

小倉: でも、暗さにどっぷり浸るのではなくて、だからこそ〈音楽を聴いて幸せになろう〉という思いがあって‥‥それがモーツァルトの音楽の魅力にもなっているように感じます。
 ただ明るいだけではなく、心にぐっと入ってくる。その上で、気持ちが前向きになってくる明るさというか、否定されないような感じがあります。
 そんななかで、今回演奏する〈フーガ ハ短調〉は、モーツァルトの暗い、どよんとした部分もみせてくれる音楽で、ぞっとするような一面もあると思いますし、さらにそこから導かれる世界がある、といった特別な感覚に浸れる曲だと感じています。

川口: モーツァルトのそういった世界を、2台のピアノで演奏する、というのがまた面白いと思うんです。
 連弾や2台ピアノ作品の愉しさって、〈ふたりの演奏者が同じ感情を共有してゆく〉ところにもあります。室内楽の魅力とはそこなんだと思いますが、特に同じピアノという楽器でアンサンブルをするとき、〈相手が自分の分身であるような感じ〉になることが多いんです。
 そのとき、特に連弾ではなく2台ピアノ作品で〈フーガ〉を弾くと、立体感も出ますし、音響的な広がりも凄いなかで、それぞれの奏者が役割を担いながら紡いでゆく‥‥という、演奏におけるその作業がとても面白いんです。
 演奏者としてもやりがいがありますし、聴いてくださるかたも、ふだん聴く鍵盤音楽とはまた違った世界に触れられるのではないか、と思います。


◆フォルテピアノ2台でこそ、際立つ音世界

この〈フーガ ハ短調〉の面白さは、モダン・ピアノでの演奏はもちろん、今回のような、フォルテピアノという楽器で弾かれるからこそ更に際立つ、というものがあるのではないかと思いますが。

小倉: 現代のピアノは、弦が交差して[斜めに重なりあって]張られていますが、フォルテピアノは平行弦[弦が平行に張られている]です。
 この平行弦の楽器は、高音域・中音域・低音域のそれぞれに音の個性がはっきりしているので、対位法的な書法の音楽に適している、といえます。現代のピアノでこうした曲を弾くときは、内声部が混沌としないように少し控えたり、といったこともするのです。
 たとえばシューマンの作品など、対位法的な書法で書かれているところもありますが、あれは正に平行弦のフォルテピアノが目の前にあったから出来た作品なのではないかな、と思います。
 モーツァルト〈フーガ〉でも、平行弦の楽器が2台並ぶことによって編み出されてくる〈対位法の魅力〉というのがあって、これはやはり、現代のピアノで聴くのとは、かなり違うのではないかと思います。

なるほど。

川口: 先ほど小倉先生がおっしゃったように、平行弦であることによって、音色の多様性が出てくるだけでなく、さらに、違う楽器が並ぶことで、よりシンフォニックな世界になるんじゃないかなと思いますね。
 僕はこの〈フーガ〉を今回初めて弾くのですが、すごく演ってみたかった作品なので、とても愉しみですし、その前、最初に演奏する〈ラルゲットとアレグロ〉[変ホ長調 K deest]は、友達と弾いたことはあるんですが、これも素晴らしい作品です。

これは、楽譜が途中で切れてしまったままの曲なので、後世の人が書き足したかたちで演奏されるわけですね。
 補筆のヴァージョンが幾つかあるなかで、今回はロバート・レヴィン補筆版、というものをお聴かせくださいます。この版を選ばれた理由は?

小倉: わたしはモーツァルト学者としてのレヴィンをとても尊敬していて、モーツァルトのいろいろなスタイルをよく知っているかたなので、この補筆版がいいなぁと思ったんです。

川口: 僕は昔このレヴィン版を一度弾いたことがあるんですけれども、レヴィンさんにもお会いしたことがあって、本当に凄い脳みその持ち主で‥‥もう信頼しかない、という感じでした(笑)。レヴィンさんが言うなら、という信頼しかありませんから、楽譜の版について何か言うことはできません(笑)。


OguraKikuko_2.jpg◆川口成彦さんが語る、小倉貴久子さんの魅力

話ががらりと変わって恐縮なんですが‥‥おふたりは師弟関係でもあるわけですが、お互い音楽家として共演するにあたって、お互いをどのようにお感じになっておられるのか、相手が訊いていないという仮定のもとに(笑)ご自由にお話いただければと思います。

川口: 畏れ多いんですけれども(笑)。
 僕はもともと古楽器に興味がなかった人間で、十代の頃はとにかく近代作品が好きで、ラフマニノフとかスクリャービン、あるいはアルベニスやグラナドスといったスペイン音楽‥‥脳みそがそればっかりになっていたんです。
 ですから当時は、モーツァルトやベートーヴェン、ハイドンの作品には、どうしても親しみが感じられなかったんです。どうしてもそれを克服したくて、いろいろなCDを聴いたりしていたんですが、やっと古典派音楽を愉しいと思えるようになったきっかけが、小倉先生の演奏だったんです。
 先生のレッスンも本当に愉しくて‥‥小倉先生じゃなかったら、たぶん副科実技も1年だけとって次の年はやめていた可能性もあります(笑)。

やめられては我々が困るところでした(笑)。素晴らしいレッスンだったのですね。

川口: 古楽器ってどうしてもアカデミックになりやすいので、僕の周りでも、古楽器に難しいイメージを持ってしまう人が未だに多いのですが、小倉先生の音楽には、そういうところを乗り越える魅力があります。「アカデミックさを備えながらもこんなに愉しいんだ!」という‥‥当時の人たちの感じていたような音楽を聴く幸せ、をダイレクトに伝えて下さる演奏家です。
 だから、古典派音楽が苦手なかたも、小倉先生の演奏を聴けば、一気に魅了されると思います。小倉先生の演奏会に行くと、絶対に笑顔になれる(笑)。そういうことがあったのが、フォルテピアノやってみたいな、と思ったひとつの大きな要因だったと思います。

そうした出逢いと刺激があって、川口さんの世界がたいへんに広がったのは素晴らしいことで‥‥ですから、これまでいろいろレコーディングもされていて、《さすらい人幻想曲》や〈即興曲集〉などシューベルト作品を集められたアルバム[Fuga Libera]や、スペインの鍵盤作品を集められた『ゴヤの生きたスペインより』[川口さんの自主レーベル・MUSISよりリリース]など、フォルテピアノの新たな愉しみを満喫させてくれる、本当に素晴らしいものでした。

川口: アムステルダムに留学したんですけれども、オランダに行ってから一度も、演奏技術や演奏法について言われたことがないんです。フォルテピアノってけっこう難しくて、モダン・ピアノよりも一段緻密な作業をしなければならないので、テクニックが非常に重要になってくるんですが、オランダにわたってから、むしろ楽器の扱い方を褒めていただけることが多くて‥‥これはもう、小倉先生のおかげだと思います。

日本で十分に磨き上げられていたと。

川口: たまにあるケースとして、留学したら「日本で学んだことを一回忘れなさい」と言われてしまう人もいるんです。ヨーロッパの人が日本を低くみている場合があって、それは悲しいことだと思うのですが、僕はむしろ、「いったいどうやって弾いてるの?」と、日本で習得してきた技術を褒められることが多かった。
 これは、小倉先生のレッスンが、3小節で止まる日があるくらい(笑)演奏技術のベーシックに関してとても細かく指導して下さったことが生きたので、演奏家としてはもちろん、教育者としても尊敬しています。ヨーロッパでいろいろマスタークラスを受講、聴講しましたが、現代のピアノではなく、フォルテピアノの演奏への助言を最も明瞭に出来ているのはまさに小倉先生だと感じています。


NaruhikoKawaguchi_1(C)FumitakaSaito (1).jpg◆小倉貴久子さんが語る、川口成彦さんの魅力

大絶賛でございます。

小倉: ありがとうー!(笑)
 川口君は私の自慢の弟子で‥‥音楽のこともとても素晴らしいし、人柄も素晴らしい。最初っから「川口君に全てを教えよう!」と思うような、素直な感じっていうのかな‥‥第一歩がそういうところから始まったんです。
 レッスンでは、私も乗せられるんです。「こうしたらいいよ」と言えば、それがぱーっと形になってゆく、という愉しさ。レッスンといっても相性がありますから、いろんな進め方があると思うんですが、川口君との藝大での6年間は、ほんとにずっと愉しかった。どんどんいろんな作品の可能性を一緒に追究していけるような感じでした。

幸せな出逢いでしたね。

小倉: 音楽はやはり人柄が絶対に出てくると思います。いくら努力して勉強しても、〈その人のことば〉で話してゆくということなので、川口君の音楽が今たくさんの人に愛されているというのは、まずは川口君の素晴らしい人間性が音楽に表れていること、が第一だと思うんです。
 とにかく優しいんですよ。そういうところにも感動することがたくさんありましたし、それが彼の音楽にも出ている。もちろん凄く知的だし、努力家だし、いろんな経験を積んでぐんぐん成長されているんですけれども、その根底には〈優しさ〉があるのが、彼の音楽の魅力だと思います。
 聴いていてあったかい気持ちになるし、現実でたいへんな思いをしているかたも、川口君の音楽を聴いて生きる希望を持つとか、そういう場面がたくさんあると思いますけれど、それは彼の元々持っている資質だと思います。

それが、いまこうして世界的な活躍を繰り広げる素晴らしい音楽家としての現在に繫がっているわけで、素敵なお話です。

小倉: また指導者としてありがたいのは、こうやってずっと慕ってくれるということで(笑)嬉しいことですが‥‥。先日も川口君がコンサートで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を鈴木雅明先生の指揮で演奏されたのを聴いて[2021年6月6日、東京藝大チェンバーオーケストラ第37回定期演奏会]、これがもう本当に素晴らしくって。こういう風に演奏したい、という私の理想をまさに叶えてくれた‥‥という演奏だったんです。聴いていて本当に幸せだったし、川口君との出逢いがなければこういう幸せもなかったので、いろんなことに感謝したいですね。
 今度のコンサートでも、私と川口君で、共通する部分も違う部分もありながら、相性も良いと思いますから、〈他がまったく見えないふたりだけの世界〉という音楽ではなく、良い意味で〈他も見えながらふたりで作ってゆく世界〉を、今まで感じたことのないものを作っていけるのではないかと思います。大絶賛しても言い切れないくらい(笑)。

川口: いやぁ‥‥ありがとうございます!(笑)

敬愛しあう師弟であり、素晴らしい音楽家同士であるお二人を、今回こうしてこのシリーズにお迎えすることができて、私たちも本当に嬉しいです。お二人それぞれ、これまでも〈もっともっと音楽を聴きたい!〉と思えるような素敵な音楽を聴かせてくださってきたので、そのお二人が揃ったときに、どんなことが起きるのか‥‥心からコンサートを愉しみにお待ちしております。

二人: ありがとうございます!

[2021年6月、リモートにて収録]


【付 記】

 小倉貴久子さん、川口成彦さんのお二人にお話を伺いました。
 おふたりとも、フォルテピアノという楽器の魅力、そのさまざまな可能性、そして何より〈音楽の愉しさ〉を、その演奏から溢れるように伝えてくださる、素晴らしい音楽家です。お話を伺っていても、その素敵な雰囲気が伝わってくるようで、とても愉しい機会でした。

 フォルテピアノ、という楽器についてご存知ないかたも‥‥ぜひ、今回のコンサートに足をお運びいただいて、その魅力に触れていただければ、きっと好気になってくださることと信じています。なにより、現代最良のフォルテピアノ奏者のおふたりが揃うという、珍しい機会ですから。

 また、楽器にご興味をお持ちのかたは、お話の途中に触れておきました、おふたりそれぞれのCDアルバムを聴いていただくほか、小倉貴久子さんの著書『カラー図解 ピアノの歴史』[河出書房新社、2020年新装版] には、多数のカラー図版と共にさまざまな楽器、その仕組みや歴史、製作家など分かりやすく紹介されていて面白いですし、さまざまなクラヴィーアの音を実際にたしかめることのできるCDも付録についていて、お勧めです。

 さらに詳しくお知りになりたいかたには、渡邊順生さんの大著『チェンバロ・フォルテピアノ』[東京書籍、2000年]という、860ページを超えるずしりと重い(読み応えも凄い!)本もございますので、ぜひに。

 なにはともあれ、とても貴重な師弟共演の機会、ぜひお楽しみにしていただければと存じます。

 ひきつづき、皆さまくれぐれもご自愛くださいますよう。

 [山野記]