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トリトン・アーツ・ネットワーク

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アーティスト・インタビュー

過去の演奏会より

ウェールズ弦楽四重奏団~ベートーヴェン・チクルスIII&IV

クァルテット・ウィークエンド2020-2021

結成から14年。ウェールズ弦楽四重奏団は屈指の実力と個性豊かな無二のパフォーマンスで現代の弦楽四重奏のトップ集団を疾走する。グループ名の由来はラテン語の「verus(真実の~)」。第一生命ホールでは、2019年から3シーズンにわたり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を演奏する「ベートーヴェン・チクルス」(全6回)が進行中だ。その中盤の2回のコンサートについて、またチクルス全体について、4人に聞いた。
(取材はメールで行なわれました。以下は、当方のいつくかの質問ごとに4人が分担して答えてくれた回答をもとに再構成したものです。)
[聞き手・文/宮本明(音楽ライター)]

苦悩から歓喜へ── ウェールズのベートーヴェンが新たなステージへ

まずは今年秋の「チクルス III」(2020年11月14日)について。第4番ハ短調Op.18-4(1800年)、第10番変ホ長調Op.74《ハープ》(1809年)、第7番 ヘ長調Op.59-1 《ラズモフスキー第1番》(1806年)の3曲を並べた。プログラム案を作ってメンバーに諮るのはいつも、ヴァイオリンの三原久遠の役割なのだそう。
三原「ベートーヴェンの重要なパトロン二人に焦点を当てたプログラムです。前半はロプコヴィッツ侯爵に献呈された作品から、平行調であるハ短調と変ホ長調で書かれた2曲を。後半はラズモフスキー伯爵に献呈された3曲セットから第1番ヘ長調を取り上げます。
ベートーヴェンにとって二人がいかに重要だったかは、弦楽四重奏曲のみならず、交響曲を見ても明らかです。交響曲第3番変ホ長調《英雄》(1804年)はロプコヴィッツ侯爵に、第5番ハ短調《運命》(1808年)と第6番ヘ長調《田園》(1808年)は両者に献呈されています。その有名な交響曲3曲と、今回取り上げる3作品が、それぞれが同じ調性で書かれているのも興味深いポイントです」

年が明けて来年1月の「チクルス IV」(2021年1月15日)では、第1番ヘ長調Op.18-1(1800年)、第11番ヘ短調《セリオーソ》Op.95(1810年)、第14番嬰ハ短調Op.131(1826年)と、前期・中期・後期の作品から1曲ずつ選んだ。
三原「前半の2作品は同主調(ヘ長調とヘ短調)で書かれているだけでなく、第1楽章のテーマがユニゾンで提示されるという点も共通しています。
Op.131(第14番)のテーマには、ガリツィン・セット(第12、15、13番)やこの後に書かれたOp.135(第16番)との共通点も多く見られますが、この曲には、いささか特別な趣があります。〈フーガ〉→〈4つのリフレインを持ったロンド形式〉→〈レチタティーヴォ風〉→〈変奏曲〉→〈スケルツォ〉→〈序奏〉→〈ソナタ形式〉と、全7楽章それぞれが違う形式やキャラクターを持っていると考えることができ、しかもアタッカで弾くように指示されています。ベートーヴェンの中でも最も多様性のある作品のひとつであると言えます」

ベートーヴェンの全曲チクルスでは、全16曲をどんな順番で演奏するのかという点にも、それぞれのグループの考え方が映り込んで興味深い。
三原「以下の3点を意識してプログラムを構成しています。①前期・中期・後期作品をなるべくバランスよく組み立てること。②演奏時間。③調性やハーモニーによる関連性、それに付随する特徴など。
具体的には以下のような点です。
[第1回(2019年9月)]次の時代を感じさせる変ロ長調の2作品。Op.18-6(第6番)第4楽章序奏(執拗なまでのドミナントの連続)とOp.133(大フーガ)の斬新性。
第2回(2019年11月)]Op.59-3(第9番=ラズモフスキー第3番)の外へのエネルギーと、Op.132(第15番)の内なる声(神への感謝の歌)。ハ長調⇔イ短調の平行調。
上述の第3回、第4回をはさんで、
[第5回(2021年秋)]Op.18-3(第3番)とOp.135(第16番)という、最初と最後に書かれた作品と、全体の中でも、また《ラズモフスキー・セット》の中でも中間に位置するOp.59-2(第8番)。
[第6回(2021年秋)]この回だけは、われわれウェールズの主観的なプログラムです。結成時に初めて取り組んだOp.127(第12番)、バーゼル留学時代にライナー・シュミット教授のもとで徹底的に学んだOp.18-2(第2番)、帰国後に自分たちだけで一から取り組んだOp.18-5(第5番)。われわれにとって大切な作品だと思っておりますので、これを最終回にお届けします。
各回のプログラムには上記のようなテーマらしきものがありますが、各回の入れ換えは自由に考えていて、たとえば最終回のプログラムは、大分では初回に演奏しました(編注*ウェールズ弦楽四重奏団は現在、大分・iichiko総合文化センターでも全曲演奏会を開催中。東京より先駆けてスタートした大分チクルスの初回は2017年1月)。また、並行して進めている全曲録音では、CDの収録時間の兼ね合いもあるので、別のテーマでプログラムを組んでカップリングしています」

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続いて、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲への愛を語ってくれたのはチェロの富岡廉太郎だ。
富岡「他の作曲家だと必ずしもそうとは限らないのですが、ベートーヴェンの場合、全作品の中で一番好きな作品を挙げるとすれば、間違いなく弦楽四重奏曲のどれかです。
ひとつに絞るのはとても難しいですが、Op.130(第13番)の、書き直したフィナーレは大好きです。出版社の『もっとわかりやすく』という書き直しの依頼を受け入れたこと自体、われわれの想像しうるベートーヴェンの性格からして、とても意外で興味深いです。《大フーガ》Op.133は傑作だと思いますが、この新たなフィナーレも、手を抜いたり、妥協して作った感じがまったくなく、Op.130のフィナーレとして、これもまた完璧だと思うのです。しかも雰囲気は《大フーガ》の真逆です。これを書いたベートーヴェンにはいろいろ魅力を感じます。本当は、本プログラムでOp.130を《大フーガ》のフィナーレで演奏し、アンコールで新フィナーレ、というのをやりたいのですが、実際には《大フーガ》の演奏後は心身ともに限界なので、残念ながら無理です。新フィナーレは、聴いているぶんには軽く簡単な曲に聴こえますが、じつはいろんなことが何百と起きていて、演奏にとても神経を使う曲です。ちなみにウェールズ弦楽四重奏団は、難解な《大フーガ》も、初めて聴く人にも明瞭に理解してもらえるような演奏を目指しています。
また、ウェールズとしては、やはり最初に取り組んだOp.127(第12番)が思い出深い作品です。ただ、その後現在にかけて、各自の成長やクァルテットとしての成長、またベートーヴェンの他の作品に関わったことで、演奏が大きく変わっている作品でもあります。どちらが良いという話ではなく、その時考えうる最高の演奏をしていると、時を経て大きく変化するものなのです。4人で飽きることなく取り組んでいる作品ですから、これからもずっと変化し続けていくのだと思います。
あとは、学生時代に学内のコンサートでOp.59-2(第8番=ラズモフスキー第2番)を演奏した時のことはよく覚えています。最終楽章の『レミファ!』を順に弾くところで、自分の番の直前の譜めくりで一瞬拍感がなくなって落ちてしまい、間を空けてしまいました。メンバー内の空気がとても怖く、重力が変わったような気がして......。その日の夜中にコンビニのコピー機で、譜めくりをしなくて済むような小さな楽譜を作成しました。現在もその方式の譜面で弾いています」

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ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を、わたしたち聴き手はしばしば 、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータや無伴奏チェロ組曲、あるいは同じベートーヴェンのピアノ・ソナタと同様に「バイブル」と呼ぶ。そのあたり、演奏家の肌感覚はどうなのだろう。ヴァイオリンの﨑谷直人が答えてくれた。
﨑谷「私個人としては、ベートーヴェンだけを特別な存在と思っては演奏していません。何世紀にもわたり世に残った作曲家とその作品は、どれも特別なものです。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲がバイブルと言われるゆえんはわかりませんが、あの《第九》を書き終えた後、彼が没頭して取り組んだのはピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲ですから、それに取り組まなければ見えてこない、ベートーヴェンの本当の姿があると感じます。革命的な作品が多いベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、21世期に演奏するわれわれにとってもいまだに斬新で多くの可能性があります。どの時代の演奏家にとっても、色褪せない、歴史的作品ではないでしょうか」

ベートーヴェン生誕250年の今年、本来はもっとお祝いムード一色に染まるはずだった音楽界だが、感染症拡大の影響で、その空気はがらりと変わってしまった。しかしヴィオラの横溝耕一は、この状況が、あらためてベートーヴェンの功績や偉大さを感じる機会になったという。
横溝 「このコロナ禍で、音楽が『不要不急』の扱いを受けることもありました。音楽家としては傷つきましたし、無力さを感じました。一方で音楽、とくにクラシック音楽が近寄りがたいと思われている原因のひとつに、われわれプレイヤーの責任もあるのだと考えさせられました。
オバマ前大統領の言葉を借りるならば、音楽とは人々の世界を少しだけ美しくするものでなければなりません。けっして聴衆に媚びるという意味ではありません。200年前から受け継がれてきた無形芸術の素晴らしさを、妥協なく、誠実に紡ぐことが、いま音楽家に求められる姿勢なのではないでしょうか。
歴史を振り返れば、それまで宮廷のためのものだった音楽を、聴衆のものにしたのがベートーヴェンです。ベートーヴェンの音楽こそ、すべての人々のものなのです。音楽の中身も斬新ですが、その思想も革新的。はからずも、ベートーヴェンという人のすごさに、あらためて気づかされる機会となりました。

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3月以降、コンサートが次々に延期・中止となり、音楽家たちも長い活動自粛を余儀なくされた。その間、彼らはどんな時間を過ごし、そしていま、どんな思いを胸に活動再開に臨んでいるのだろう。
富岡「われわれのベートーヴェン全曲演奏は、今年新たなレパートリーを6曲増やして完結します(編注*前述の大分でのチクルスが、ひと足早く、今年11月に終了する。東京は2021年秋に完結予定)。しかしその譜読みの時間を、どこで見つけて取り組もうかという問題が重くのしかかっていたのです。ところが2月末からコンサートが中止になり始めたため、3月末までの1か月間ほど、思う存分時間をかけて譜読みに集中することができました。ついでに他の室内楽作品や、この先も弾くことがないかもしれない協奏曲のソロ・パートなど、あらゆるレパートリーを50曲ほど増やしました。
4月からは、音楽以外にも時間を使いました。今までまったくやらなかった料理と洗い物を楽しめるようになり、家でできる運動や、他にも『忙しさ』を口実にやらなかったことをいろいろ始めました。おかげで、毎日一人で向き合うチェロにも、飽きることがありませんでしたし、何をしていても、それにリンクして音楽のアイディアを思いついたりして、皮肉にもコンディションは良かったです。
しかしもちろん、大変な状況への不安はありましたし、この状況を機に、自分が変わらないといけない部分についても考えるようになりました」
崎谷「ウェールズ弦楽四重奏団としては、7月にHakuju Hallで、若い世代の弦楽四重奏団と一緒に活動を再開しました。それは『芸術文化の継承』についてさまざまなことを考えさせられる機会にもなりました。素晴らしい若い奏者はたくさんいます。幸いなことに、われわれ自身は、この第一生命ホールを始め、素晴らしいホールや関係者の皆様、お客様のおかげでキャリアを積んでくることができました。次は、その経験を生かして、われわれが若い世代の奏者たちの道を作る、一緒に歩むということを、少しずつ始めていきたい。そう感じたのは、もしかしたらコロナで活動が止まったからかもしれません。嘆く必要は何もないと思っています」

後半戦へ向かって加速するベートーヴェン・チクルス。その意気込みは。
横溝 「日本で活動する弦楽四重奏団として、国内2か所での全曲チクルス、そして並行してCDをリリースできることをとても幸運に思っております。これまでもつねに、作曲家の残した意図に誠実に向き合い、その時の自分たちのベストを尽くして演奏してきた自負があります。その結果、他にない解釈や表現という高評をいただいており、これほどうれしいことはありません。第一生命ホールでの次の2回のプログラムには、われわれが初めて取り組む作品も多く含まれていますが、ベートーヴェンのさまざまな側面を、われわれにしかできない表現でお届けしたいと思っています。先行きの見えない絶望的な日々の中に見える一筋の希望の光。そしてその先にある歓喜。奇しくも、ベートーヴェンを演奏するためのステージが整ったように思えてなりません」

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