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トリトン・アーツ・ネットワーク

第一生命ホールを拠点として、音楽活動を通じて地域社会に貢献するNPO法人です。
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アーティスト・インタビュー

矢部達哉氏(コンサートマスター)

矢部達哉

トリトン晴れた海のオーケストラ

コンサートマスター矢部達哉のもとに集ったメンバーで、指揮者を置かず、室内楽の延長のような、自発的で研ぎ澄まされたアンサンブルを特徴とする『トリトン晴れた海のオーケストラ(晴れオケ)』。

ベートーヴェン生誕250年にあたる2020年に向け、今年10月6日を皮切りに3年に渡ってベートーヴェン交響曲全曲演奏会(全5回)を開催します。

コンサートマスター矢部達哉さんにお話を伺いました。
(聞き手:片桐 卓也)

「晴れオケ」コンサートマスター 矢部達哉 インタビュー
ベートーヴェン交響曲全曲演奏会スタート!

「晴れオケ」では、これまで3回にわたりモーツァルトの協奏曲、交響曲を演奏なさってきましたが、今度はいよいよベートーヴェンの交響曲ツィクルスですね。

矢部:モーツァルトもまだ演奏したい作品があるのですが、2016年に横山幸雄さんと一緒にベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲の演奏会を行った時に、その演奏にシビレてしまって。横山さんの演奏はもちろん素晴らしいのですが、このオーケストラの演奏がとても良かった。積極的にオーケストラが音楽作りに参加している姿勢があったのです。

 例えば、ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」の2楽章で、コントラバスがピツィカートで、他の弦楽器がアルコ(弓で弾くことの意味)で、指揮者がいない場合は当然コンサートマスターである僕が合図して、そこにみんな合わせてやるのですけど、コントラバスの池松宏さんが「僕にやらせてくれる?」と言った。そうすると、チェロの人はコントラバスが見えないから、どこで入ったら良いのか分からないはずなのです。でも、それで良い音がする。僕がコントラバスの動きに合わせるのだけれど、その時に出た響きというのは、コンサートマスターが合図を出してやった時とは、音が違う。音の密度、有機性とか、ぴったり合わないのは合わないのだけど、音の重層的な響きがあった。そういうことを知ってしまうと、<コンサートマスター仕切り>ということは、どんどんやめていった方が良いだろうなと思わされました。

 そして、改めて思ったのは、日本のオーケストラの状況。それは昔とかなり違って来ていて、本当に一人一人の楽員の力が高くなっている。僕はこのオーケストラ業界に30年ほどいるのですが、その最初の頃の常識であった、コンサートマスターに常に合わせる、急がない、遅れないということをクリアした上で、さらにチェロやコントラバスの音を聴く、木管楽器の音を聴く、そういうアンテナを立てている奏者はすごくレベルが高いという時代を経て、さらに今は、そこで満足している奏者は、それで良いの? とさえ言われる時代になって来たということです。オーケストラというのはコンサートマスターや首席奏者に合わせなければいけないという時代は終わっていて、もっと一人一人が積極的に音楽に参加していくという時代になっていると思うのですよね。

 そういう段階でやっているのがこの「晴れオケ」なのです。コンチェルトの時も、ピアノの横山さんに対して、伴奏ではなく、より積極的に絡んで行くということ、それをコンサートマスターや首席奏者が「これやろうね」という風に指示するのではなく、一人一人が自発的にそれをやって行く。演奏者の人数も少ないから、一人一人の持つ音楽的な責任はより大きくなる訳ですが、そういうことがシンフォニーでも出来たら楽しいだろうな、というのが今回のツィクルスの出発点です。

モーツァルトとベートーヴェンでは、やはりその音楽作りがとても違って来ると思われますが、その点はいかがですか?

矢部:第1回のコンサートと第2回のコンサートの間に、横山さんのベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏会があって、第3回の最後のモーツァルトは交響曲39番だったのですが、室内オーケストラって、どうしてもまとめようという方向に行くのですけど、その時は一人一人がリミッター外して、その上で調和するという感じがあった。ああ、ここまで出来るのだという印象がありました。いつもは辛辣なことしか言わないコントラバスの池松さんからコンサートの後、すぐメールが来て、「今日は楽しかった」と。彼がそういうって言うのは、本当にそのレベルで出来たのだなっていう感じ。お世辞とか浮ついたことは絶対に言わない人なので、ちょっと階段を上がれたなという感じはありますね。


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その上で、モーツァルトとベートーヴェンの実際にやる時の違いは?

矢部:僕がずっと若い時、20年とか30年とか前に、モーツァルトを弾く時の様式とか、ブラームスを弾く時の様式をもっと考えなければいけないと思っていた時代があって、人から聞かれるたびに様式、様式と言っていた時代があったと思うのですが、なんか、最近はそういうことをあんまり考えなくなって。(どこかでは考えなければいけないのですが、)一期一会ということをすごく考えるようになったのですよ。というのは、このメンバーでこの曲をやるのは、もう人生で最後かもしれないとか、そういうことの方が大事で、その時に生まれたもののほうが大事だと思うようになった。みんなで、モーツァルトの音作りとか、ベートーヴェンの音作りを考えるというよりは、みんなのモーツァルトに対するイメージとかベートーヴェンに対するイメージがある。それをパッと音に出してみて、そこで出たものというのが、僕は大事だなと思う。それを統一するというよりも、一人一人のベートーヴェンへの想いが出る方が大事かなと思うようになりました。

 というのは、僕は今までまとめなきゃいけないという想いが強すぎたと思います。逆に、みんなで弾いてバッと出たものをどうするのかっていうことの方に、最近は興味があります。一期一会というのは、そこに来て下さった聴衆の方々もその時にしかいない、そこで生まれたものを一つ一つ楽しみたいと思う。そういう気持ちがどんどん強くなって来たのかなかというのはあります。


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ベートーヴェンを演奏する時も、きちっと縦を合わせるのではなく、みんなの感覚を信じて演奏するという感じですか?

矢部:そう思います。変わって来たのか、あるいは自分で変えようとしてきたのかは分からないのですが。昔、CDみたいな演奏が好きだった時代があるのですよ。僕が公言していたのは、セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏が好きとか。でも、いまセル&クリーヴランドを聞くと、作り物みたいに聴こえる時がある。それよりももっと人間の生の声というか、人間の弱さとかが出ているほうが好きという場合もあるのですよね。
 人間がそんなに完璧な訳ないし、ベートーヴェンこそ人間の生の感情を楽譜に初めて託せた人なんじゃないかと思っています。初めて出た「神の使い」じゃない人、西洋音楽史のなかで。バッハとかモーツァルトって、神の使いのような存在です。モーツァルトの楽譜みると、こんなにすかすかで音符が少ないのに、演奏すると信じられないような音がしますよね。クラリネット協奏曲とか。こんなこと、普通の人間が出来る訳がない、と。でもベートーヴェンはまったく普通の人間。信じられないような才能の持ち主だけど、人間がんばればここまで出来るのだねという人。

ベートーヴェンが人間の感情を楽譜に託せた人っていうのは良い表現ですね。

矢部:時代の寵児という感じもしますよね。市民の意識が変わって来た時代と、フランス革命とか、市民革命に密接に関係した時代に生きていた。「運命」とか「第九」とかで、ピッコロの音を聞くと、例えばベルリオーズの「幻想交響曲」でも同じですけれど、市民の喜んでいる感じが聴こえる感じがするのですよね。実際に「第九」と「幻想交響曲」とは作曲年代がほとんど変わらないし。


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なるほど。そうした想いがこの「晴れオケ」の演奏の中に出て来ると面白いですね。

矢部:いろいろコンサートマスターが管理して、急がない、遅れないではなくて、一人一人の奏者が、思いをぶつける。そこで枠から外れた時とか、たがが外れた時に、もう少しこうしない? というのがコンサートマスターのやる役割かなと思っています。
 コンサートマスターにもツボがあって、今までは自分で、ここをリードして、指揮者と合わせて大きく見せればみんな付いて来ると思っていたのだけど、ギアというのか、ツボっていうのか分からないのですが、そういうものがあって、小さな動きでもオーケストラに分かってもらえる。それは経験を積まないと分からない部分かもしれませんが。

 ヴァイオリンが上手な人、チェロも上手い人がたくさんいると思いますけれど、オーケストラの難しさとは、上手な人がそこに座れば上手く行くのかというと、そうじゃないという部分。色々な人と長年やってきて、そこでつかめるものがあるのかなというのは、なんとなく、この30年とかで分かって来たところ。それを、みんなで分かち合う場所がこの「晴れオケ」だと思います。

矢部さんのそうした思いの変化と、このオーケストラの結成のタイミングというのが合っていたのでしょうね。

矢部:それはもう神様のご褒美ですよね。いまのこのご時世、新しくオケ、え、ほんと? と思ったのですけれど、やらせて頂いて、自分が思っていたよりも、最初に音を出した時に、想像以上に筋がいいなと思った。筋が良いというのを超えて、自分の想像力を超えたところにこのオケの演奏あって、だから、ほんとに楽しみ。自分の人生のご褒美という感じがします。

矢部さんの経験の中で、ベートーヴェンの音楽と深く触れ合った瞬間は?

矢部:ベートーヴェンを深く感じるきっかけになったのは、後期の弦楽四重奏曲です。全然良くわからないし、良い曲だとも思ってなかったのだけど、クァルテットの他の3人が、弦楽四重奏団やっている以上、これは避けられないよって言って。そこで作品127を演奏したのが最初で、作品131(第14番)を次に演奏しました。そのゆったりした楽章を弾いている時に、なんか、ベートーヴェンの生の声に触れたという感じがしたのですよね。それは僕だけではなくて、他の3人も。生の声に触れたというのは錯覚かもしれないけれど、ベートーヴェンは生の声を楽譜に移すことが出来たのだなと。もう死ぬ間際になった、ベッドの上で書いていたのかもしれないのだけれど、でも、本当に自分をかっこ良く見せようとか、「俺、すごいんだぜ」というのを見せる必要が無くなった人が、音楽と自分だけになっている。その世界を初めて知るきっかけになった作品でした。音楽の核だけを残すことが出来て、なるほど、ベートーヴェンは最終的にはこういうものを目指していたのだということを感じることが出来た。それから後期の弦楽四重奏曲を全部やることになって、これは信じられない作曲家だと思うようになったのですが、そこを知ってから、彼のシンフォニーの時代を知ると、ベートーヴェンが何を求めていたのかというのが、なんとなく見えるようになって来た。

 見えるといっても、可視化できるものではないのだけれど、ベートーヴェンというのは人間だったということ。人間の弱さや強さ、無邪気な感覚、童心、怒り、そうしたものがすべて音楽に含まれている。モーツァルトの場合は、そういう心の奥底の正直な部分は隠されていることが多いのです。よく聴くと、ポロッとひとしずくの涙が出ていることはあるけれど、「悲しいんだ!」って、号泣することはない。でも、ベートーヴェンの場合は叫びっていうのが聴こえて、それはシューベルトにも聴こえるし、後の作曲家にも聴こえるし、マーラーでそういうことが絶頂に達した訳ですよね。

 そういう人間の感情を、音に託した人、それまでは、教会とか神様に密接に結びついていた音楽を、人間の手に取り戻した人というか、なんか人間の持つ感情の根源的な部分を音に出来た人。初めて。人間の持っている無邪気さというか、子供な部分は、大人になるとどんどんリミッターがかかりますよね。こういうことを言っちゃいけないとか。ベートーヴェンはお金でも1円2円のことでとてもうるさく言ったとか、女中さんをどなりつけたとか、そういう正直なエピソードにも現れている人間性の無邪気さが、ベートーヴェンのひとつの魅力ですね。

すべてにおいて正直な人。だからこそベートーヴェンの音楽は初期の作品から新しい感覚を持っていたのでしょうか?

矢部:新しいという意味では、もうひとつの意味があって、モダンということに関しては、マーラーやブルックナー以上に、いまでもベートーヴェンのほうがモダンだと思うことが多いですね。「エロイカ」とかやっていてもそうだし、ベートーヴェンの「第七番」もそう。 最近演奏したベートーヴェンで素晴らしかったのは、東京都交響楽団でアラン・ギルバートとやった回でしたけれど、終わった後に、彼が本当に興奮していて、「新しいよね、ほんとに新しいよね」って言うのです。今まで、数えきれないぐらいやったけれど、やっぱり今日、新しかったって言う。なかなかそういう曲はないですよ。 ベートーヴェンは「エロイカ」だって何回も弾いていて、これ以上の楽曲があるのか、という気がいつもします。「第九」だって、毎年演奏していますが、ルーティンに陥ることはなくて、もう信じられない曲ですよね。奥行きがありますよ。第1楽章だって、まだこの曲の20%ぐらいしか分かっていない。この曲の結論を見せて欲しいと思うのですけど、誰も見せてくれたことがないと思います。本当に。

その点が、ベートーヴェンが繰り返し演奏される秘密なんでしょうね。演奏するほうがそうなのだから、聴き手だって、もっと奥がありそうと思いますものね。初めての人が聞いても、一発目でノックアウトされるものがあると思う。

矢部:ベートーヴェンの作品は、普遍性、普遍的であることの代名詞だと思っています。 大野和士さんが東京都交響楽団の音楽監督に就任した、その披露演奏会の時に「運命」をメインにしたのですよね。その時に改めて素晴らしい音楽だと思ったし、これ以上の音楽はないと思った。これまで「運命」で僕はどれだけノックアウトされたのだろうと思って。小学校などで「運命」の第一楽章をよく演奏するのですけど、なんて音楽だと思うし、こちらも100%で弾くし、子供たちも分かると思う。もちろんもっと分かりやすい曲、「カルメン前奏曲」とか「モルダウ」などもやりますけれど、「運命」の方がはるかに心を掴むという感じがしますね。

ベートーヴェンの交響曲というのは、あまりに有名すぎるからなのか、意外とオーケストラの定期演奏会でも演奏される機会が少ないですから、この3年間のツィクルスはその全曲を体験する貴重な機会になりますね。

矢部:ベートーヴェンの音楽が今でも新しいということ。生でコンサートに来て頂けると、大ホールでの演奏と違って、第一生命ホールでは演奏者との距離も近いので、演奏家の息づかいとか、一人一人が音楽に命を吹き込んでいる姿を見て頂けると思います。その姿が、より音楽への感動を深めると思います。 「晴れオケ」は本当に素晴らしいオーケストラだと思うので、自分たちもベートーヴェンを提供するという感じではなく、みなさんと一緒にベートーヴェンを体験したい、その世界を駆け抜けたいと思います。


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ありがとうございました。